大宮氷川神社

【はじめに】

こちらのページでは、氷川神社の総本社で、日本一長いと言われる参道を持つ「大宮氷川神社」の大人散策情報をご紹介いたします。

私達夫婦が川越市民と言う事もあり、「氷川神社」と言うと、別記事でも紹介致しました川越観光における主役の1つ「川越氷川神社」を連想してしまいますが、本来は、武蔵国一宮・氷川神社の総本社「大宮氷川神社」を真っ先に思い浮かべる方が大多数だと思います。大宮の地名の由来になった「大いなる宮」・「大宮氷川神社」は、氷川神社を語る上で、最も重要な神社だと思います。

2㎞以上にわたる、日本一長いと言われる参道は心地よい大人散策スポットで、一の鳥居がある、大宮氷川神社参道と旧中山道追分の最寄り駅は、大宮駅ではなく「さいたま新都心駅」。今回こちらのページでは「さいたま新都心駅」をスタートし、大宮氷川神社の参道を進んで、大宮氷川神社系内を巡り、更に一部大宮公園内を大人散策して、大宮公園駅 or 北大宮駅 or 大宮駅へ戻るルートで大人散策情報を、大宮氷川神社の概要と併せて紹介致します。ただ全てを、見学や寄道・休息も含め散策すると、それなりの距離と時間(少なくとも7-8㎞で、2-3時間程度)が必要になるのでないかと思います。「すべては歩きたくないが、大宮氷川神社へは行ってみたい!」と言う方もいらっしゃると思いますので、その際は車でのアクセスも可能です。最下部の地図に、今回の大人散策スポットと併せて、駐車場の情報も記載しておりますので、皆様の目的と時間的/体力的制限と併せて大人散策ルートをご検討いただければ幸いです。

では以下に、大宮氷川神社の概要、並びに大宮氷川神社(若干周辺情報含む)の大人散策情報を記載いたします

【大宮氷川神社とは?】

まずは、大宮氷川神社の概要を抑えるべく、Wikipediaの力を借りますと、以下の様にあります。

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町にある神社。式内社(名神大社)、武蔵国一宮を称する(ないし三宮)勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社宮中の四方拝で遥拝される神社の1つ。  

東京都・埼玉県近辺に約280社ある氷川神社の総本社である。他の氷川神社と区別する際は「大宮氷川神社」とも呼ばれる。  

概要  
埼玉県・東京都の荒川流域、特に旧武蔵国足立郡を中心にして氷川信仰に基づく氷川神社が多数分布しており、当社はその中心である。「大宮」の地名は、当社を「大いなる宮居」と称えたことに由来する普通名詞から転じたものである。埼玉県周辺の広域から参拝者を集め、正月三が日の初詣の参拝者数(警察調べ)は全国10位以内に数えられる。特に全国的に初詣客が増加した2008年(平成20年)以降は毎年200万人以上が訪れている。

神社の境内は、見沼(江戸時代中期まで存在した広大な沼)の畔に位置し、もとは見沼の水神を祀っていたと考えられている。神社の南側に広がる神池(かみいけ)は、神社の西側から涌き出た地下水が溜まったものであり、かつて見沼の一部であった。神社に隣接する埼玉県営大宮公園は、明治期に神社周辺の森を取得して整備したものであり、神社のある小山を見沼の入江が囲んでいた、という地形の特徴をよく保存している。  

大宮の氷川神社、見沼区中川の中氷川神社(現 中山神社)、緑区三室の氷川女体神社は、いずれも見沼の畔にあり、かつ一直線に並んでいる。この三氷川とかつて大宮の氷川神社境内にあった三社(男体社・女体社・簸王子社)がよく混同されるが、別のものである。   

祭神  
現在の主祭神は次の3柱。  

  • 須佐之男命(すさのおのみこと)  
  • 稲田姫命(いなだひめのみこと)  
  • 大己貴命(おおなむちのみこと)   

現在の祭神は、1833年(天保4年)当時の神主・角井惟臣が著した『氷川大宮縁起』に拠る  (略)

歴史・前史   
社伝によれば、孝昭天皇3年4月の創建という。「国造本紀」によると、初代无邪志国造の兄多毛比命は成務天皇(第13代天皇)の時代に出雲族をひきつれてこの地に移住し、祖神を祀って氏神として、当社を奉崇したという。この一帯は出雲族が開拓した地であり、武蔵国造(无邪志国造)は出雲国造と同族とされ、社名の「氷川」も出雲の簸川(ひかわ)に由来するという説がある。   

一方、氷川神社の摂社に「門客人神社」がある(現在も氷川神社社殿の東隣に鎮座)。元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキが「客人神」として祀られている。このアラハバキ社は氷川神社の地主神である。現在祀られている出雲系の神は、武蔵国造一族とともにこの地に乗り込んできたもので、先住の神がアラハバキとみられる

このほか、景行天皇の皇子・日本武尊が東征の際に負傷し、夢枕に現れた老人の教えに従って当社へ詣でたところ、立てるようになったという伝説が残されている。このことから本地域を「足立と称するようになったとされる。 (略) 

https://ja.wikipedia.org/wiki/氷川神社

創建は「孝昭天皇3年4月」と、半分神話の世界の話になる様なので、正確な西暦は分かりづらく、伝承通りに想定すると、紀元5世紀頃の話になってしまう様ですが、実情は(勝手な想像ですが)、紀元2~5世紀くらいの話ではないかと思っています。また、鎮座する場所を地形の観点から見てみると、縄文時代は海が入り込んでおり(縄文海進)、江戸時代中期まではあったと言われる「見沼」の上流部の高台で、且つ水の湧きだす場所。その後に創建された、下流域にある中氷川神社と氷川女体神社も同様に、見沼の低地を見渡す高台にあります。祭神も、氷川神社なので当然と言えば当然ですが、大宮氷川神社:スサノオ夫婦とその子孫の大国主命、中氷川神社:大国主命、氷川女体神社:スサノオの奥さん、と国津神系の神社としてバランスの取れたものです。

こういった事実関係から勝手に想定するに、「大昔(2000年位昔?)、出雲族が、東日本に進出し、この地に稲作広め、その時に最初の拠点にしたと思われる地が大宮氷川神社で、田んぼの拡大と共に、下流域に中氷川神社・氷川女体神社を拠点として構え、勢力を拡大して行った」と思ってしまったしまった次第です。言い換えると、その地域で稲作を広め(=食糧確保を進め)、その地域を抑えてきた最初の拠点が大宮氷川神社で、これに伴って、元々の神様と共に、現在に至るまで信仰の対象となっているのが「大宮氷川神社」だと(勝手ではありますが)理解した次第です(そう考えると、日本神話の世界観も変わった見え方がしてきます… 別記事ご参照ください…)。

【大宮氷川神社の見所は?】

上記、勝手な理解の側面も否めませんが、大宮氷川神社の概要を抑えましたので、以下に大宮氷川神社の見所を抑えさせて頂きますスタートは、さいたま新都心駅。ここを出発し、北にある大宮氷川神社参道の始まり「一の鳥居」を目指し、旧中山道を進みます。

・武蔵国一宮石柱 / 一の鳥居

さいたま新都心駅から、500mちょっとだと思いますので、10分程度で、中山道と大宮氷川神社の追分につくことが出来るはずです。追分に向かって左は旧中山道が続き、旧大宮宿となり、右が大宮氷川神社の参道となりますので、この参道を進みます。追分付近には、武蔵国一宮石柱があり、そのすぐ先に立派な一の鳥居があり、「まさに大宮氷川神社の参拝(大人散策)の開始」と言った感じです。

・楢姫稲荷神社 / 参道交番南側の広場 / 氷川参道平成ひろば / 目印の石柱

立派な姿の一の鳥居をくぐった後は、ひたすら参道を進みます。楢姫稲荷神社、参道交番南側の広場、氷川参道平成ひろば等が出てきますので、途中脚を停め、「おまいり」や「この参道の歴史の理解」、「小休止」等も含めつつ、進む事が出来ます。

また、道々には、「氷川参道〇丁目」と書かれた石柱があります。「丁石」と呼ばれるものの様で、自身がどの辺を歩いているか目安に出来る物らしいのですが、全ては残っていない様です。本来は、18丁(1丁=110m弱らしいです)あるそうですが、5つ程しか残っていない様なので、本来の目的の目印としてではなく、「この参道の歴史を感じるオブジェ」として発見を楽しみつつ散策する事が、大人散策としての正しいあり方だと思います。

・天満神社(氷川神社末社) / 二の鳥居

「氷川参道平成ひろば」が終わりにさしかかる右手に、天満神社があり、その先の信号を渡ると、二の鳥居が見えてきます天満神社と言えば、菅原道真菅原道真と言えば、梅の花(「牛」と言う視点もありますが…)。ちゃんとこちらの大宮氷川神社の末社・天満神社にも、梅の木がありました。学問の神様ですので、受験勉強や資格試験等に挑戦されている方は、素通りせずにご挨拶頂ければと思います。また、その先の信号を渡った先の二の鳥居も立派な鳥居です。一の鳥居にはいらっしゃらなかった、狛犬が両脇を固める二の鳥居は、風格十分。改めて、大宮氷川神社の参拝に向け、気が引き締まる感じがします。

・氷川だんご / 氷川の杜文化館 / 呉竹荘

二の鳥居をくぐり、気が引き締まった感じがしましたが、さいたま新都心の駅からだとこの辺りで、2㎞程(寄り道もしているので+α)。そろそろ、おやつが欲しくなるタイミングで出てくるのが「氷川だんご」です。リニューアルされた店舗の中で頂戴する事もできますが、店頭で購入し外で頂戴する事も出来ます。私達夫婦の場合は、店頭で購入し、もう少し大宮氷川神社の参道を進んだ右手にある、竹林の美しい氷川の杜文化館のお庭の片隅をお借りし、香ばしく焼きあがったお団子を頂戴しました。お団子でほんの少し休憩した後改めて参道戻ると、すぐに同じく右手に(お隣?)、 呉竹荘が出てきます。呉竹荘は、結婚式等をこちら氷川神社であげる方の為の控室として利用される施設の様なので、内部にお邪魔した事がありませんが、参道から見える立派な門は、中々の風格と歴史を感じさせてくれるものです。

・敷島の道 / 三の鳥居

呉竹荘は、参道の右側に見えますが、左手には、1月から12月の各月の和歌が詠まれた看板があります。天皇の行幸の様子と併せて楽しめる、壮大なもので、正に敷島の道(=和歌の道)と言った感じです

そして、この壮大な和歌の看板を過ぎると、三の鳥居なります。三の鳥居までが、日本一の長さを誇る参道で、ここから先は大宮氷川神社の境内。三度気が引き締まる思いで境内にお邪魔すると同時に、参道の方を改めて振返ると「本当に長い参道だ!」と認識出るポイントです。

・神楽殿 / 額殿 / 菰樽 / 松尾神社

心持の違いだけでしょうが、三の鳥居をくぐると、大宮氷川神社の厳かな雰囲気を感じ始める事が出来、神楽を奉納する神楽殿、絵馬などを奉納する額殿、奉納された多くの菰樽といった物があり、大きな神社でなければ見る事の出来ない景色が、武蔵国一宮の社格にふさわしい風格を感じさせてくれます。松尾神社を過ぎるとすぐに御神橋になります。

・御神橋 / 楼門

神楽殿、額殿、菰樽を見ながらさらに歩を進めると、御神橋を渡り、楼門に着きます。大宮氷川神社の神聖な入口と言う事でしょうが、朱色で迫力があり、周囲を分ける門は、武蔵国一宮のそれにふさわしい門です。この楼門をくぐると、正に大宮氷川神社の中枢。それが故ではないでしょうが、更に空気が変わった印象を持ってしまう(=「この門は結界か?」と思ってしまう)程の風格のある門だと思いました。

・舞殿 / 拝殿

楼門をくぐると、舞殿があり、更にその奥が拝殿になっています。写真のお参りさせて頂いたタイミングは、1月の下旬。初詣の人出は、200万人とも言われている様なので、少しタイミングをずらして参らせて頂きましたが、かなりの人の数。お参りするにもそれなりの時間を要してしまいました。同時に、立派な舞殿や拝殿、多くの参拝者を見ていると、「これこそ武蔵国一宮」と改めて認識した次第です。

・御神水 / 手水舎 / 蛇の池 / 神池

おまいりの後は、周囲を少し大人散策します。改めて楼門を出て右手(西側)から散策します。楼門を出てすぐの手水舎の神池側には、御神水があります。今現在は、湧き出しているのか否かわかりませんが、神池は創建当初から付近の湧き水によりあった池と思われ、今は無くなってしまった見沼の西の端だったと思います。ここに水の源があり、少しの高台があったからこそ、大宮氷川神社が創建されたかと思うと「正に御神水」と認識でき、そんな考えを巡らせながら、神池の周囲を回ってみてこそ大人散策だと思います。ちなみに、楼門から西に回り込む形で、本殿(拝殿)の西側に行くと見えてくる蛇の池なる場所では、今も水が湧きだしている光景を拝見する事が出来、「2000年前もこんな感じ水が湧きだしているポイントを見つけたのかな?」と想像が膨らんでしまいます。

・宗像神社(摂社)/ 氷川稲荷神社(末社)

神池を散策し、その南側に歩を進めると、朱色の千本鳥居が美しい「氷川稲荷神社」と弁天島の様な中島の上にある「宗像神社」があります。特に、「宗像神社」からの神池は美しい物なので、併せてご見学ください。

・白鳥池 / 門客人神社(摂社) / 御嶽神社(末社)

神池から東に向かうと、もう一つの池・白鳥池があり、その北には、門客人神社と御嶽神社があります。上記、「概要」の段落における、Wikipediaからの引用の繰り返しですが、以下の様にあります。

氷川神社の摂社に「門客人神社」がある(現在も氷川神社社殿の東隣に鎮座)。元々は「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれていたもので、アラハバキが「客人神」として祀られている。このアラハバキ社は氷川神社の地主神である。 (略) 

https://ja.wikipedia.org/wiki/氷川神社

つまり、この地の元々の神様が祀られているのが、「門客人神社」と言う事になり、進出してきた出雲族と現地住民が、この地を稲作によって切り開いた痕跡」と言う理解をさせて頂いた次第です(一方では、現地住民が、出雲族の軍門に下ったと言う可能性も十分考えられますが…。門客人神社は、その祟りをを恐れ、出雲族が祀った神社とも考えられますし…)。また、その目の前にある「白鳥池」に関しても、別記事の名古屋・熱田神宮近くにある、白鳥庭園と白鳥古墳の事を思い出してしまいました「白鳥古墳は、日本武尊の御陵」と言い伝えのある古墳で、日本武尊が白鳥になって降り立った地であるとの伝承がある地です。言い換えると「日本武尊も詣でた大宮氷川神社なので、白鳥池と言う名にしたのかな?」と妄想してしまった次第です(事実関係不明の妄想ですが、ヤマトタケルの東征神話もありますし…)。

・大宮公園・日本庭園 / 売店

白鳥池の道を挟んだ北側には、日本庭園があり、更にその北側には、名木もある、緑が気持ち良い、大宮公園が広がっております。売店もあり小休止もできるエリアで、一旦休憩しても良いと思いますし、そのまま大宮公園内の散策を続けても良いと思います。ちなみの情報として、大宮公園内には、動物園もありますので、「大宮氷川神社+大宮公園だけでも、十分に大人散策を楽しめる」と思いますし、動物園までスコープに入れれば「子供達も楽しめる」と思います。

・大宮公園 舟遊池 / 埼玉縣護國神社 一の鳥居 / 埼玉縣護國神社

大宮公園を北側に向かって、大人散策を続けると、舟遊池が出てきます。大宮氷川神社(大宮公園も含みますが)は、改めて、水が確保でき、水害の心配のない高台の良い土地にある事、ご理解頂けると思います。「稲作の拠点として氷川神社近辺に住まい、昼間は稲作で水の豊富な見沼の低地で田んぼ仕事をする」と言った、古代のこの地域の生活が想像できるスポットだと思います。また、この舟遊池の西側には、埼玉護国神社があり、公園内には立派な鳥居もありますので、併せてご見学されてみてはいかがでしょうか?

【最後に】

以上が、氷川神社の総本社で、日本一長いと言われる参道を持つ「大宮氷川神社」の大人散策情報の紹介になります。

別記事で紹介中の川越氷川神社川越市民として立派な神社だと思ってますが、やはり大宮氷川神社は、さすが武蔵国一宮と言う事もあり、格の違う印象を持ちました。つまり、その参道も含めた規模感は勿論、この地域の持つ2000年(もしかしたら2500年?)の歴史を想像できるスポットだと改めて思った次第です。別記事で「氷川神社と出雲族とこの地の水田開発の礎」に関する考察も加えておりますので、そちらの記事もご参照頂き、大宮氷川神社+川越氷川神社とお参りすると、より大人散策が楽しくなるのでないかとも思った次第です。

神話の時代から続く信仰を、今この時代に体感でき、この地域の礎を実感できる大宮氷川神社、お参りは勿論ですが、その地域の歴史や地形と併せて大人散策されてみてはいかがでしょうか?

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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