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【はじめに】
こちらのページでは、「別記事で日本神話全体の『”超” 概要』を抑え、理解を勝手に発展させて頂きましたので、その延長として『日本神話の “メッセージ” と “リアリティの程度” を妄想』をさせて頂こう」と思います。
本ブログ別記事にて、「天地開闢・国生み 」 、「天照大御神 vs 須佐之男命の誓約」、「天岩屋(天岩戸)神話」、「ヤマタノオロチ退治の神話」、「因幡の白兎 & 根国訪問・国作り神話」、「国譲り神話」、「天孫降臨神話」、「海幸彦・山幸彦の神話」、「神武東征」、「ヤマトタケル(日本武尊)の神話」と記載してまいりました。そして更に、これらの日本神話を個々のストーリだけでなく「全体図」で鳥瞰図的に捉えた上で考察を加えさせて頂きました。
「それぞれの神話の内容(超概要ですが…)」や「日本神話を全体図で捉えた上での考察(勝手な妄想ですが…)」に関しては、別記事をご参照頂きたいのですが、個人的に思った事は「少し日本神話の時系列を組み替えるとそれなりに納得できるストーリーが出来るのでないか?」と言うものです。
こちらのページでは、日本神話の全体図を見た際、思ってしまった「少し日本神話の時系列を組み替えるとそれなりに納得できるストーリーが出来るのでないか?」を「具体的に組み立てるとどんなストーリーになるのか?」に付き、勝手な考察(妄想?)を加えさせて頂こうと思います。すなわち、「別記事で日本神話全体の『”超” 概要』を抑え、理解を勝手に発展させて頂きましたので、その延長として『日本神話の “メッセージ” と “リアリティの程度” を妄想』をさせて頂こう」と思います。
(尚別ページにて、①日本書記 vs 古事記 (日本書紀とは? 古事記とは? 日本神話とは?) 、②天地開闢の神々の分類と国生み (別天津神・造化三神・神世七代・天津神・国津神とは?) 、③天照大御神 vs 須佐之男命 (黄泉国神話と天照大御神 vs 須佐之男命の誕生・誓約の神話とは?)、④アマテラスが岩屋れる「天岩屋神話」とは? (天孫降臨神話への序章?)、⑤「スサノオによるヤマタノオロチ退治の神話」とは?、⑥大国主関連の神話 (因幡の白兎& その後(スサノオの住む根国訪問)・国作り神話とは?)、⑦大国主関連の神話 (国譲り神話とは?)、⑧天孫降臨とは?、⑨ニニギと息子2人(海幸彦・山幸彦)ってどんな人?、⑩神武東征とは?、⑪ヤマトタケル(日本武尊)ってどんな人?、⑫日本神話の全体図を勝手に理解、⑬日本神話の全体図から “メッセージ” と “リアリティの程度” を妄想、⑭天皇家の「欠史八代」って何?、⑮神話の時代から天皇家の家系を三種の神器って何?、と言った内容でそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです)
【「日本神話の全体図」をレビュー】
別記事でも触れておりますが、まずは「日本神話の全体図」を簡単にレビューさせて頂き、これに対する「個人的考察」を記載いたします。
まず、「日本神話の全体図」は以下図になる認識です。
また、これに対する考察(感想?・疑問?・妄想?)を、簡単に記載しますと以下の様になります。
- アマテラスとスサノオが姉弟で、スサノオは元々天津神で、地上に降って国津神になった事はポイントだと思い、ここから妄想すると「天津神一族も、国津神一族も朝鮮半島を含む大陸から渡ってきた人達」だったのでないかと思ってしまった次第で、『「国譲り」にて「国津神から天津神に統治者が移る事の正当性」を “平和的” に移行したんだし、スサノオも元々天津神なんだから問題ないでしょ!』と伝えたい意図を感じる
- また、「天岩戸(岩屋)神話」の伝承の地が宮崎の高千穂にあり、「天孫降臨」は高千穂峰(霧島山?)、航海知識/技術を手に入れ隼人族を掌握した「山彦・海彦神話」の舞台も九州南部で、「神武東征」出発の地も宮崎である事も踏まえると、「天津神一族は元々は朝鮮半島をを含む大陸からの一族であったが、それは昔の話で『日本における天津神一族の拠点は、九州中・南部』から始まった」のでないかとも思えた次第
- 一方、「スサノオのヤマタノオロチ退治」は出雲の斐伊川、「大国主の因幡の白兎・根国訪問」も出雲とその付近の日本海側という事を踏まえると、「国津神の日本における最初の拠点は『出雲を中心とした山陰地方』と推測」できる
- 更に、「大国主が自身の和魂:幸魂・奇魂を、奈良盆地南部の御諸山(三輪山)に祭る事で『国作り』を完遂し、その場所が現在大神神社である事」、「奈良盆地にその昔あったと言われる『大和湖』・『琵琶湖』・『諏訪湖(諏訪大社)・『見沼(大宮氷川神社)』に国津神一族の痕跡が見られ、そして「出雲の『宍道湖』がある事」を踏まえると「山陰地方を最初の拠点とした国津神一族は、その統治エリアを『淡水湖のある場所』に『稲作の開発拠点』として進出し、その勢力を “点” から広げていった」と想像(妄想?)でき、「出雲に続く国津神の次の拠点(第二首都?・奠都先?)が奈良盆地南部であった」と想像(妄想?)できる
- 上記、「国津神一族の統治エリア拡大」を天津神一族の視点で見てみると「神武東征」にて「神武天皇が奈良盆地を目指した理由(国津神一族の重要拠点を抑える)」、「天皇に即位した場所(大国主が国作りを完成させた象徴・大神神社の目の前の橿原の宮をあえて選び権威を見せつける)」、「国譲りで出雲大社に高層社殿が作られた理由(天津神としては、立派な社殿を出雲に作る事で、国津神一族を元々の拠点である出雲に閉じ込めた)」と言った疑問も腑に落ちてくる
- 初代天皇は神武天皇(神話ベースで、BC660年~BC585年?)で、12代・景行天皇(神話ベースで、AD71年~AD130年?)の御子がヤマトタケル(日本武尊)である事を踏まえると、時代がかなり違う(650年以上の差がある)様に見えるが、ヤマトタケル(日本武尊)の東征ルートを見るとそのルート上にある、『国譲りの際の天津神:「建御雷神(鹿島神宮の祭神・神武天皇元年創建)」と「経津主神(香取神宮の祭神・神武天皇18年創建)」』が祭られる「鹿島神宮・香取神宮の両神宮」がある事が気になる(=『国譲り神話』の天津神系の神々を祭る重要な神社・鹿島 /香取の両神宮を、ヤマトタケル(日本武尊)が素通りする事はありえないはず…)
- つまり、『ヤマトタケル(日本武尊)の東征時に、鹿島 / 香取の両神宮は、まだ創建されていなかった』 or 『彼によって創建された』が、『日本書紀・古事記の編纂時に これらを認めると「欠史八代」も含め、整合性が取れなくなるので、触れずにおいた』のでは…」と妄想してしまう(=「まだ創建されていなかったから、立ち寄った痕跡がない」or「ヤマトタケル(日本武尊)が創建した事実を記載すると時代の整合性が取れなくなるので日本書紀・古事記には記載しなかった 」=『「ヤマトタケル(日本武尊)の東征)」と「神武東征」は、大きな時代の差はない』)
上記、日本神話における個々のエピソードは、細部を無視すると「日本神話」の意図したいポイントの一つである「天皇統治の正当性」を言いたい事もわかるし、何某かの事実をもとに着色しつつ記載されている様だが、時間軸・時系列は疑わしい」と思ったという事になります。言い換えると「少し時系列を組み替えるとそれなりに納得できるストーリーが出来るのでないか?」と思った次第です。
【「日本神話の時系列」を勝手に考察(妄想?)】
上記、日本神話の全体図を鳥瞰図的に拝見した際、「少し時系列を組み替えるとそれなりに納得できるストーリーが出来るのでないか?」と言った衝動が芽生えてしまいましたので、だったたら『時系列を少し組み替えてみよう!』と思ってしまいました…。スーパーな妄想である事は、重々承知しておりますが、以下に、上記に挙げた考察(妄想?)と共に、その内容を共有致します。
- 「天地開闢・国生み / 天照大御神 vs 須佐之男命の誓約」は、事実無根だが、天津神系一族も、国津神系一族も朝鮮半島を含む大陸に起源があると考えるべきか
- それぞれ日本に着た後、まずは、天津神系一族は「九州中・南部」を拠点とし、国津神系一族は「出雲を含む山陰地方」を拠点とした
- その後、天津神系一族・国津神系一族それぞれが、時系列的には、ほぼパラレル(同じ時代)で、拠点を拡大していった
- 天津神系一族は、九州で隼人族を抑え、航海知識・技術も手に入れ、瀬戸内海・太平洋側を軸に拡大を図った
- 国津神系一族は、「淡水湖のある場所」に目をつけ、「稲作のノウハウ」を武器とし、日本海側を軸に内陸に進んで「点」で拡大を図り、特にその中で最も南側にある奈良盆地を重要拠点とした(大国主も拠点を出雲から奈良(第二首都?・奠都先?)に移していたかも…)
- そして天津神系一族と国津神系一族は、一部西日本を含みつつ、奈良や諏訪と言った「それぞれの勢力の境目」を中心に、近畿から東日本でぶつかっていった
- 奈良盆地:神武東征
- 東日本:ヤマトタケル(日本武尊)の東征
- 諏訪:国譲りの神話
- 上記、天津神系一族と国津神系一族の勢力が、それぞれの場所でぶつかった結果「天津神系一族」の勝利となるが、国津神系一族は、「稲作のノウハウ」を武器にそれぞれの土地をしっかり抑え、地元住民も国津神系一族を敬っていた為、天津神系一族は、後の統治を考え、国津神系一族を滅ぼすことはせず、国津神系一族を出雲と言う地域に封じ込めつつも、平和的に(=武力ではなく話し合いで)協力して日本と言う国を治める方向に舵を切った(=国譲りの完遂)
上記の勝手な妄想ストーリーを、時系列が見えるように図解すると以下の様になります。
あくまでも個人的妄想に基づくものですが、上記が、『「日本神話の全体図」を俯瞰的に見た際に浮かんできたストーリー』になった次第です。日本人特有ともいえる「玉虫色の判断」・「和を持って貴しとなす」と言った根本的な考え方の起源がここにある様にも思えますし、「敵対するはずの天津神と国津神の神社が神道と言う一つの宗教の中に混在」している理由(≒八百万の神々≒ 神道(神社)の起源)もここにあると思い、事実か否かは別にして、個人的には、中々のリアリティを感じる妄想ストーリーになったと自画自賛してしまった次第です…。
【最後に】
以上が、「別記事で日本神話全体の『”超” 概要』を抑え、理解を勝手に発展させて頂きましたので、その延長として『日本神話の “メッセージ” と “リアリティの程度” を妄想』をさせて頂いた内容」になります。
上記妄想の更なる発展形になりますが、もし上記が正しい前提であれば、「ヤマトタケル(日本武尊)の東征)」を、4世紀後半(350年以降)~5世紀頭(400年代頭)位に実在したとも言われる応神天皇(日本武尊の孫)から逆算すると、4世紀前半(300~350年)位の話になり、そして「神武東征」は、その直前・3世紀後半(250年~300年)位の話なると思った次第ですので「大和政権の成立は『3世紀後半(250年~300年)位』」と更なるスーパー妄想をしてしまった次第ですが、皆様はどの様に思われますでしょうか?
この逆算は、「欠史八代」の時系列にも矛盾しませんし、この時代の天皇における水増し崩御年齢の説明にもつながると思った次第(=欠史八代は水増しで、実在していない)で、更には卑弥呼は、248年に亡くなっているとも言われるので、「卑弥呼」⇒「日の御子」⇒「太陽神」⇒「アマテラス」といった話もある事も踏まえると、「卑弥呼=アマテラス」の妄想もできます。こうなると、もはや妄想を通り越して、都市伝説的妄想領域に脚を踏み入れる感じですが、『邪馬台国は、九州(天津神が拠点としていたと思われる九州の中・南部で、宮崎の日向近辺?)にあったが、「神武東征」により天津神の拠点が、九州から奈良に移ったので、古墳は奈良(箸墓古墳?)にある』と言う、「邪馬台国の九州 & 畿内説の Mix バージョン」と言う、都市伝説的スーパー妄想にも発展してしまった次第です…。しかしこの都市伝説的スーパー妄想は、あまりにも壮大なので、今少し時間をおいて更に妄想し、妄想がある程度進むのであれば、本ブログで共有できればと思っております!
また別ページにて、①日本書記 vs 古事記 (日本書紀とは? 古事記とは? 日本神話とは?) 、②天地開闢の神々の分類と国生み (別天津神・造化三神・神世七代・天津神・国津神とは?) 、③天照大御神 vs 須佐之男命 (黄泉国神話と天照大御神 vs 須佐之男命の誕生・誓約の神話とは?)、④アマテラスが岩屋れる「天岩屋神話」とは? (天孫降臨神話への序章?)、⑤「スサノオによるヤマタノオロチ退治の神話」とは?、⑥大国主関連の神話 (因幡の白兎& その後(スサノオの住む根国訪問)・国作り神話とは?)、⑦大国主関連の神話 (国譲り神話とは?)、⑧天孫降臨とは?、⑨ニニギと息子2人(海幸彦・山幸彦)ってどんな人?、⑩神武東征とは?、⑪ヤマトタケル(日本武尊)ってどんな人?、⑫日本神話の全体図を勝手に理解、⑬日本神話の全体図から “メッセージ” と “リアリティの程度” を妄想、⑭天皇家の「欠史八代」って何?、⑮神話の時代から天皇家の家系を三種の神器って何?、と言った内容でそれぞれ記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
尚本ブログでは、諏訪大社や熱田神宮、大宮氷川神社、川越氷川神社、川越喜多院、日光の二社一寺、久能山東照宮、浅草寺、深大寺、神田明神、大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。