金刀比羅宮 御朱印

【更新中/準備中】

【はじめに】

こちらのページでは、「『長い石段の参道』が有名で、『金刀比羅・金比羅・琴平神社の総本宮』である『金刀比羅宮』の概要を抑え、大人散策情報を共有」させて頂こうと思います

📚本記事で得られる情報📚

金刀比羅宮の概要
参拝ルート所要時間
おすすめスポット情報

2025年の春、「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅(旅全体のMapはこちら)」を実行させて頂きました(旅全体のMapはこちら)。2日目に、屋島(屋島寺・屋嶋城址)」・「白峯寺(頓証寺殿・崇徳天皇 白峯陵)」・「中津万象園・「現存12天守の1つである『丸亀城』」を巡り、「琴平」に移動。その日は、「琴平グランドホテル桜の抄」に宿泊し、翌日の3日目に、「大人散策@金刀比羅宮」を実行させて頂くスケジュールを組んだ次第です。正直なところ、「『金刀比羅宮』ってどんな神社?」と言った知識は、あまり持ち合わせておりませんでしたが、勿論「金刀比羅宮」の名前は存じ上げており、「長い石段の参道が有名」である事は存じておりました。逆の言い方をすると、「『金刀比羅宮』の事を良く存じ上げている訳ではないが、有名なので、必ず一度は脚を運んでおきたいスポット」と思っていた次第です。

屋島(屋島寺・屋嶋城址)」・「白峯寺(頓証寺殿・崇徳天皇 白峯陵)」・「中津万象園」・「現存12天守の1つである『丸亀城』」

こちらのページでは、そんな背景でお邪魔した「金刀比羅宮」に付き、記載させて頂きます。すなわち、『長い石段の参道』が有名で、『金刀比羅・金比羅・琴平神社の総本宮』である『金刀比羅宮』の概要を抑え、大人散策情報を共有」させて頂きます。

【「金刀比羅宮」とは?】

早速ですが、「金刀比羅宮」の概要から抑えさせて頂きます。Wikipedia 力を借り調べてみますと、以下の様にあります(引用長く、引用後にサマリをまとめておりますので、読まなくても大丈夫です)。

金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する単立神社である。明治初年の神仏分離以前は金毘羅大権現と称し、通称は「讃岐の金毘羅さん(さぬきのこんぴらさん)」で知られる。明治初年以降に神社になってからの当宮の通称は「金比羅さん」。
御朱印:金刀比羅宮(本宮前神札授与所)・白峰宮・厳魂神社(奥宮)

概要
真言宗象頭山松尾寺の堂宇の一つとして神仏習合の金毘羅大権現を祀り、その別当として寺中の金光院が奉斎した (略)
明治初年に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、金毘羅権現の奉斎は廃止とし大物主を主祭神とする神社となり、神社本庁包括に属する別表神社だったが、現在では神社本庁とは被包括関係を廃止し、宗教法人金刀比羅本教の総本部となった。全国に約600ある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である
当初はあらゆる分野の人々に信仰されていたが、19世紀中頃以降は特に海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる (略)
長く続く参道の石段は奥社まで1368段ある。例大祭に合わせて毎年、石段を利用した「こんぴら石段マラソン」が開かれている。

祭神
 ・大物主命
 ・崇徳天皇

由緒
金刀比羅宮の由緒についてはいくつかの説があり、大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするものである。大宝元年十月の晴れ渡った青空から一竿の旗が舞い降りて象頭山に立ったため、この地に宮を建て旗宮と称したとある。別の説として、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山に住する護法善神金毘羅(クンビーラ)の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとする。また別の説として、『生駒記讃陽綱目』の金刀比羅宮の條によれば、延喜式神名帳に名が見える讃岐国官社24社の1とされ讃岐国多度郡[注 3]の雲気神社が金刀比羅宮という記述がある。
保元元年(1156年)讃岐国に配流された崇徳上皇は讃岐で崩御する前年の長寛元年(1163年)に当山境内の古籠所に参籠し、その附近の御所之尾を行宮したと伝えられていることから、崩御の翌年の永万元年(1165年)に本社相殿に奉斎したとされている。修験道の御霊信仰の影響であると云われている。 (略)

境内
象頭山の中腹に鎮座し、参道の石段は本宮まで785段(標高251メートル)、奥社まで登ると1368段(標高421メートル)になり、その真上にあたる琴平山頂上は標高524メートルである。

■ 本宮エリア
 ・本宮 (追記:[785段])
  ・本殿:1878年再建。桧皮葺・大社関棟造り。祭神は 大物主神と崇徳天皇を合祀。
  ・幣殿:桧皮葺・大社関棟造り。
  ・拝殿:桧皮葺・大社関棟造り。
  ・神饌殿:本殿の向かって右、入母屋造・檜皮葺。神饌を調進する所。
  ・北渡殿:神饌殿と拝殿をつなぐ回廊。
  ・北透垣:神饌殿のさらに右側にあり本殿背後の神職も入ったことがないとされる禁足区域の森(この森の中に洞窟があり金毘羅大権現が鎮座しているという信仰があった)への進入を防ぐ (略)
 ・神楽殿:本殿の向かい。
 ・神札授与所:本殿の向かい。
 ・南渡殿:本宮と三穂津姫社をつなぐ約40メートルの回廊 (略)

■ 本宮エリアまでの上り (略)
 ・一之坂鳥居 [113段]
 ・備前焼狛犬:一之坂鳥居の両側にいる。1844年奉納され、高さ約5尺(重要有形民俗文化財)。
 ・灯明堂・釣燈籠:石段に沿って立ち中に数基の灯籠が並んで吊るされている。1858年建築(重要有形民俗文化財)
 ・金刀比羅本教総本部:1877年建築。教祖を金光院第四代院主宥盛、祭神は金毘羅大権現を金刀比羅大神として信仰する。
 ・鼓楼(ころう)と清塚:大門傍にあり、中にある時太鼓は今も朝夕に打ち鳴らされる。造りが城に似ていることから「琴平城」とも呼ばれている。1710年建築。清塚は鼓楼脇にあり清少納言の墓と時の別当は考えたと云われている。
 ・大門(おおもん)[365段]:高松藩主松平頼重が1654年頃寄進し仁王門であったが今は門の中の両側に弓を持つ武者が控える。これより内が境内で、有栖川宮熾仁親王筆の「琴平山」の額が掲げられる。門をくぐると鎌倉時代から特別に境内での営業を許された5軒の「五人百姓」が加美代飴を売っている

 ・桜の馬場:約150メートルの平坦な石畳で春は両側に桜咲く道になる。
 ・宝物館(登録有形文化財):1905年(明治38年)に建てられた石造、2階の宝物館。かつて観音堂の本尊であった重要文化財の十一面観音立像や護摩堂の本尊不動明王立像などを拝観できる。
 ・御厩:神馬である光驥号(ルーチェ号)・白平号(カブ号)の2頭の馬が飼われている。神馬は例大祭に随伴し、献馬式もおこなわれる。
 ・こんぴら狗(いぬ)[431段]:飼い主に代わって代参した犬の像 (略)
 ・書院
  ・社務所門:切妻造平入・銅葺 (略)
  ・表書院(重要文化財):万治2年(1659年)に建立された書院造りによる建物 (略)
  ・白書院:1877年(明治10年)建造、非公開
  ・奥書院(重要文化財):非公開
  ・四脚門(重要文化財):参道脇にある黒門から奥に見え通常は閉まっている。書院の正門。
 ・木馬舎 [500段]:木製の等身大の馬が一頭。ここの右下にカフェ&レストラン神椿がある。
 ・祓戸社(はらえどしゃ・祠):祭神は瀬織津姫ほか三柱。
 ・火雷社(ほのいかづちしゃ・祠):祭神は火産霊神ほか五柱。
 ・旭社(略)[628段]
 ・賢木門(さかきもん):唐破風と千鳥破風の棟が交錯する檜皮葺の屋根。天正12年(1584)長曽我部元親が寄進 (略)
 ・遙拝所:ここから伊勢神宮や皇陵を拝するところ。明治初年の建立 (略)

■本宮エリアからの下り
 ・大山祇神社(祠):本宮エリアからの下り石段の途中。流造。祭神は大山祇神。
 ・旭社(重要文化財):天保8年(1837年)に二万両の寄進で建てられた銅瓦葺の二層入母屋造の建物で高さ約18メートル神仏分離以前は金堂であり薬師如来と十二神将を金毘羅大権現として鎮座していたが、現在の祭神は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神で本宮を参拝した後に参拝する習わしである。全体に多くの美しい彫刻がなされ、そのあまりの豪華さに江戸時代に参拝した森の石松は本殿へ行かず、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられる。旭社に向かって右前にある雨水を溜める大きな鉄瓶に一円玉が浮かぶと願いが叶うという。
 ・廻廊:旭社の向かい。1854年建立、1901年改築。約32メートル。

 ■本宮エリアから山頂へ
 ・本宮の神饌殿の右の北透垣の奥にある鳥居が上り口。
 ・常磐神社(祠):祭神は武雷尊、誉田和気尊。
 ・白峰神社(しろみねじんじゃ)[923段]本殿に祀られている崇徳天皇の神社として坂出市の白峯寺にある頓証寺殿を1878年(明治11年)4月に白峯神社とし当社の摂社としていたが、1898年(明治31年)9月に白峯寺へ返還し、当地に新たに白峰神社を創建して崇徳天皇を祀った。
  ・本殿 :1913年(大正2年)建造、流造。祭神は崇徳天皇、待賢門院、大山祇神。
  ・随身門:白峯寺頓証寺殿の勅額門から1898年(明治31年)に移された源為義・為朝像。
  ・拝殿:入母屋造 (略)
 ・菅原神社(祠):祭神は菅原道真命。
 ・奥社・厳魂神社(いづたまじんじゃ):[1368段]の石段を登りきった先に鎮座する。戦国時代の別  当金剛坊宥盛(慶長18年1月6日没)を明治に入り厳魂彦命として祀った。
  ・本殿:檜皮葺・流造、1905年(明治38年)建立。
  ・向唐門:檜皮葺
  ・拝殿:檜皮葺・入母屋造 (略)
  ・威徳巖:社殿に向かって左の岩壁で天狗とカラス天狗の彫物が掛けてある (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/金刀比羅宮

つまり、、、

「金刀比羅宮」は、現在は「大物主」と「崇徳天皇」を主祭神とする、(神社本庁との被包括関係を廃止した)単立神社で、19世紀中頃以降、特に「海上交通の守り神」として信仰される、長い参道(「奥社:厳魂神社」までの石段は「1368段」、「本宮」まででも「785段」)が有名な神社
その歴史は、いくつか説はある様だが、一般的には大物主(≒大国主?)」が、この地(象頭山)に「宮」を営んだことに始まるらしく、その後、「神仏習合」に基づいた「金毘羅大権現」を祭り、讃岐にに流され「三大怨霊」の一人と言われる「崇徳院(坂出市の白峯寺に御陵がある)」とも関連があったと言われるらしい。明治に入り、「神仏分離」が実施されて、「金毘羅権現」から大物主」を「主祭神」とする神社となり、また別表神社だったが、現在では、「単立神社」となった、「全国に約600ある金刀比羅神社、琴平神社・金比羅神社」の「総本宮の神社」でもあり、「長い参道」は勿論、「本宮」・「旭社」・「大門」等、多くの見所を備えた神社

と言った理解をさせて頂いた次第です。

山梨県北杜市出身で、埼玉県川越市居住の、「海なし県」にしか住んだことのない自身にとって、距離もあり、「海上交通の守り神」の「金刀比羅宮」は、「名前は勿論存じ上げているが、中々縁のない神社」であった感じでした。しかし、『折角、「丸亀城」や「中津万象園」、「白峯寺」と言ったスポットに脚を運ぶのであれば、「金刀比羅宮」は、外してはいけないスポット』と思っており、今回の「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅」における、Key の訪問先として、大人散策をプランニングさせて頂いた次第です(旅全体のMapはこちら)。以下、その際の大人散策の状況を共有させて頂きます。

【「金刀比羅宮」を大人散策!】

上記、「金刀比羅宮の概要」に付き抑えさせて頂きましたので、こちらの段落では「大人散策情報@金刀比羅宮」に付き記載いたします。尚、今回の私達夫婦の「大人散策@金刀比羅宮」は、上記記載の通り、「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅(旅全体のMapはこちら)」における、3日目に参らせて頂いた感じです。つまり、2泊目・3泊目でお世話になった琴平グランドホテル桜の抄を拠点に、お邪魔した次第になります。故に、琴平グランドホテル桜の抄「スター地点」として、「金刀比羅宮」の「奥社:厳魂神社」まで参って、再び「琴平グランドホテル桜の抄」に戻って来るコース設定となっているという事です。最下部の Google My Map で作成した地図中、「金刀比羅宮」は『橙色の星印:★』」で、そのコースをポイントアウトして折り、以下各スポットをその順番で記載申し上げます為、Google My Map で作成した地図と併せてご参照頂けますと幸いです(旅全体のMapはこちら)。尚、本コースにおける「お宿を出てから戻るまでの所要時間」は、「2.5時間」程度の行程でした…。尚最初に、以下それぞれの区切りで、記載しておりますので、概要を抑えて頂き、詳細をご確認頂ければと思います。

琴平グランドホテル桜の抄から「桜馬場西詰銅鳥居」へ

スタートは、琴平グランドホテル桜の抄。別記事でも記載しましたが、琴平グランドホテル桜の抄」は、「金刀比羅宮の参道」の「23段目を左に入った先」にありますので、自然に「23段目からのスタート」になってしまいますが、折角の「金刀比羅宮へのお参り」ですので、ほんの少し戻って、「1段目(1/1368段目)」からスタートさせて頂きました。「金刀比羅宮の参道に入る前の道(=金毘羅街道?)」には多くのお店もあり、見ごたえのある建造物もあります(写真参照:2日目に「琴平グランドホテル桜の抄」に参る際に撮影)が、この日の目的はあくまでも「金刀比羅宮へのお参り」。「琴平グランドホテル桜の抄」を8時過ぎに出発した為、人通りもまだ少ない(開いているお店も少ない)環境の中のスタートでした。

金刀比羅宮:「参道前の様子」と「参道の様子」

まだ「さほど高低差を感じない参道」を、少しずつ登っていくと、早々に「一之坂の鳥居」があり、その両脇を「備前焼狛犬」が固めています。その後、急になっていく石段を「灯明堂と釣灯籠」を拝見しつつ登っていくと、「琴陵宥常君像」・「掃海母艦 /はやせ/ 主錨」・「金刀比羅本教」等が左にあり、ちょうど「桜の季節」であった為、息を切らしつつも、その雰囲気を満喫しつつ、歩を進める事が出来ました。そして見えてくるのが「金刀比羅宮 大門(おおもん):365/1368段目」。両脇に「鼓楼及び清塚」・「青銅大灯籠」があり、「大門」は「随身像」が入口を守っています。また、登ってきた参道を振り返ると、中々の景色。お世話になっている「琴平グランドホテル桜の抄」も拝見する事が出来ます(お部屋の「客室温泉露天」から「大門」が見えたので当たり前ですが…)。

金刀比羅宮:一之坂の鳥居~大門の様子

その後「大門」をくぐり、「五人百姓」さん達の前を通り抜け、「桜」の美しい「桜馬場」の参道を進みました。途中「宝物館」へ続く道もありましたが、「まずは金刀比羅宮へ参拝!」という事で、歩を進めていくと、「桜馬場西詰銅鳥居」が見えてきます(結局、「宝物館」に脚を運べませんでしたが…)。

金刀比羅宮:「大門」から「桜馬場」を抜け、「桜馬場西詰銅鳥居」へ

■「桜馬場西詰銅鳥居」から「廻廊(旭社前休憩所)」へ

「桜馬場」の参道から、桜馬場西詰銅鳥居へは、少し高低差がありますが、これを登ると、袂に「こんぴら狗(飼い主に代わって代参した犬の像)」がいらっしゃる桜馬場西詰銅鳥居(431/1368段目)」になります。この付近、少しだけですが平地になっており、「神馬舎(神馬の「光驥号」がいらっしゃいました…)」・「(奉納された船の)プロペラ」・「アフリカ象像」等がありましたので一息入れ、その後「社務所門」を拝見し、遠目に「表書院」も拝見して、更に歩を進めます。

金刀比羅宮:「桜馬場西詰銅鳥居」から「表書院」

「木馬舎(500/1368段目)」までくると、目の前に「長い石段」が続きますので、再度気合を入れなおし、「書院への門(四脚門:国指定重要文化財?)」を遠目に見つつ歩を進ると、「祓戸社」・「火雷社」が、「お馬さんの像」と共にあり、その先に「旭社」が見えてきます。ただ、この「旭社」は、「本宮を参拝した後に参拝する習わし」らしいので、その目の前にある「廻廊(旭社前休憩所):628/1368段目」で一息入れた次第です。

金刀比羅宮:「木馬舎」から「廻廊(旭社前休憩所)」

■「廻廊(旭社前休憩所)」から「金刀比羅宮・本宮」へ

廻廊(旭社前休憩所)で一息入れた後、目の前にある「青銅製の鳥居」をくぐり、その先の「賢木門」も拝見しつつ、歩を進めると「遙拝所(伊勢神宮や皇陵を拝するところ)」・「手水舎」があり、その先に、かなり急な石段が、そびえ立つ様に出てきます。かなり急ですので、転ばない様、ゆっくりと「真須賀神社」・「御年神社」・「事知神社」にお参りしつつ、そして息を整えつつ登っていきます。そして、この「急な石段」を登り切った先に「金刀比羅宮 拝殿・本殿(785/1368段目)」が見えてきます。

金刀比羅宮:廻廊・青銅製の鳥居(旭社前)~本宮

「金刀比羅宮 拝殿・本殿」は、明治期に建てられた建造物との事。その立派なお姿を拝見しつつ、そしてこの後の「奥社:厳魂神社」の参拝に備え、息を整える意味も込めて、周囲をしばし大人散策。つまり「神楽殿」を拝見し、「展望台」からの景色を楽しませて頂いた次第ですが、その景色を拝見し思った事は、「よくぞここまで登ってきた…、奥社:厳魂神社まで、あと583段…」という事。何はともあれ、休憩を兼ね、「展望台」から美しい眺望を満喫させて頂きました。尚、「拝殿・本殿」付近に付いたのは、9時前でしたので、『「お宿」から「拝殿・本殿」までの所要時間』は、「1時間弱」だったという事になります。

金刀比羅宮の「本宮・拝殿」エリアの様子

「金刀比羅宮・本宮」から「奥社:厳魂神社」へ

金刀比羅宮 拝殿・本殿」付近で、休憩を兼ね「展望台」からの景色を楽しませて頂いた後、「奥社:厳魂神社」へ向けて、再び大人散策を開始しました。しばらくの間、あまり高低差を感じる事なく(勿論高低差はありますが、「拝殿・本殿」前の「登りの石段」よりも大変ではないと言う意味で…)、「常磐神社」・「白峰神社:923/1368段目(※)」・「菅原神社」にお参りしつつ、歩を進めます。「拝殿・本殿」までの参道とは違い、人も少ない事もあってか、気持ちの良い「森の中の散策路」と言った感じで、歩を進める事が出来ました。

白峰神社白峯寺の頓証寺殿を、「白神社(摂社)」としていたが、これを白峯寺へ返還し、この地に改めて「白神社」を創建して、崇徳天皇を祀った神社らしい

金刀比羅宮:「本宮・拝殿アリア」から「菅原神社」(奥社・厳魂神社への参道)

そして、「菅原神社」を過ぎ、少しすると、「卯花谷休憩所」が見えてきますが、ここから、石段が急になり始めます…。つまり、「奥社:厳魂神社」へ向けての「ラストスパート」といった感じの「急な石段」になる訳ですが、「手水舎」が見えたら「奥社:厳魂神社」はすぐの所。息を切らしつつも登りきると「奥社:厳魂神社」が見えてきます。達成感と共に、まずはお参りさせて頂き、眺望も拝見し、更には「奥社:厳魂神社の御朱印」も頂戴して、山側の崖に目を向けると「天狗·烏天狗」が高い位置にいらっしゃいますので、こちらにも手を合わせ、「奥社:厳魂神社」を失礼させて頂いた次第です。尚、「奥社:厳魂神社」付近に付いたのは、9時半位でしたので、『「お宿」から「奥社:厳魂神社」までの所要時間』は、「1時間半程」だったという事になります。

金刀比羅宮:「菅原神社」から「奥社・厳魂神社」

■「奥社:厳魂神社」から琴平グランドホテル桜の抄

「奥社:厳魂神社」を失礼させて頂いた後は、基本来た道を戻りますが、「拝殿・本殿」のエリアまで来たら、「授与所」で、「御朱印(金刀比羅宮・白峰神社)」を頂戴しました。また、往路の段階では、遠目にしか拝見しなかった「南渡殿」・「御炊舎」・「三穂津姫神社(別宮)」・「神馬像」・「絵馬殿跡」・「緑黛殿」・「厳島神社」を今度はじっくり拝見させて頂き、登りとは違う石段(「往路」と「復路」で、危険防止の為、違う石段を通る順路構成と認識)を、転ばない様に「大山祇神社」を拝見しつつ、「旭社」まで下った次第です。「往路の登りの石段」とは「違う石段」ですが、「急な石段」である事に変わりはないので、転げ落ちない様、ゆっくいりと足元を確認しつつ下りた感じですが、下りきる直前に、「旭社」の側面を拝見する事が出来ます。

金刀比羅宮:「奥社・厳魂神社」から「御朱印」を頂戴して「旭社」へ

「本宮を参拝した後に参拝する習わし」との事で、往路では前を通り過ぎた「旭社」。改めて、「神仏分離以前は、薬師如来と十二神将が、金毘羅大権現として鎮座していた『金堂』」と言われる「重要文化財」の立派な建造物を、じっくりと拝見させて頂いた次第です。その後「カフェ&レストラン 神椿」で一服させて頂こうとも思いましたが、かなり汗だくの状態であった為、そのまま素通りし(「いちごパフェ」の看板、かなり美味しそうでしたが…)、「宝物館」も諦め、「大門」まで戻りました。そのまま、「参道」を戻っても良かったのですが、少し変化をつけるべく、「大門」の南脇の道を下り、「大門駅(タクシー乗り場?)」の脇を抜け、遠目に「大門」の景色を楽しみつつ、「旧金毘羅大芝居(金丸座)」と、「琴平グランドホテル桜の抄」での夕食時に見えた「琴平町公会堂」も、(外からのみですが)見学させて頂き、お宿に戻って、「大人散策@金刀比羅宮」をコンプリートとさせて頂いた次第です(同じく夕食時に見えた「大久保諶之丞命像」にも脚を伸ばそうと思いましたが、少々疲労感が勝り、断念した感じでした…)。尚、琴平グランドホテル桜の抄」に戻ったのは、10時半位ですので、「TOTAL:2.5時間弱」の行程だった訳ですが、高低差もあったせいか、かなりの疲労感。もう少し「琴平の街を楽しみたい…」と思いつつも、「温泉合宿@琴平グランドホテル桜の抄とさせて頂いた感じでした…。

金刀比羅宮:「旭社」から「琴平グランドホテル桜の抄」へ

追加で、琴平の街の様子(「琴平グランドホテル桜の抄」への往復時の金刀比羅宮参道付近~琴平駅)も… 写真のみですが…

【最後に(大人散策マップ by Google My Map も…)】

以上が、『長い石段の参道』が有名で、『金刀比羅・金比羅・琴平神社の総本宮』である『金刀比羅宮』の概要を抑え、大人散策情報を共有」させて頂いた内容になります。

上記、「金刀比羅宮の概要」と「大人散策@金刀比羅宮」に付き記載させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 「2.5時間程度の大人散策」でしたので、時間的には「意外と早かった…」と思いましたが、高低差が結構あったせいか、「疲労感も、かなりあった感じ」でした。しかし一方で、「達成感」と「美しい景色」、「立派な建造物」を満喫できたことは大変有意義だった次第です。尚、今回の大人散策@金刀比羅宮は、「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅」の中の3日目に、実行させて頂いた次第で、全体的な行程として、以下の記事も別記事で記載して折りますので、併せてご参照頂けますと幸いです(具体的な旅のスケジュールは「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅」をご参照ください(旅全体のMapはこちら))。

(現在各記事作成中で、随時更新していく予定ですので少々お待ちください…)

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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