【はじめに】
数年前の夏休み(遅めの夏休みだったので、9月)、静岡(掛川・浜松)、彦根、長浜、名古屋(犬山・岐阜も)を回る旅を企画し、それぞれお邪魔させて頂きました(旅全体の日程は、別記事をご参照ください)。
今回は、その中で実施した「琵琶湖での竹生島へのクルージング」そして「竹生島での散策情報」を紹介致します。(長浜での滞在における拠点とさせていただたホテルの情報や、長浜旧市街地での散策情報は、それぞれ別記事をご参照頂ければ幸いです)
私達夫婦が旅に出て、大きな湖や海があり、且つそこに船がある時、ほとんどのケースでクルージングを楽しませて頂いて折ります。長野県の諏訪湖や日光中禅寺湖、下田湾内(黒船でした)そして宮城・松島の海と言ったあたりです。そういった事もあり、琵琶湖でのクルージングもなんの迷いもなく、観光コースに入れさせて頂きました。
長浜での拠点とさせて頂いた、Hotel & Resorts NAGAHAMA の直ぐ近くに、港があり、竹生島までの往復のクルージングと竹生島での散策を楽しんだ次第です。以下にクルージングと竹生島に付き、それぞれご紹介致します。
【琵琶湖を知る:琵琶湖の基本情報】
そもそも琵琶湖ですが、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります。日本最大の湖と言う事もあり、非常に長い項になっていますので、かなり、”略”、を入れましたが、それでもかなりの長さなので、参考までにご参照程度でお願いします。
”琵琶湖(びわこ)は、滋賀県にある湖で、日本で最大の面積と貯水量を持つ。(略) 100万年以上前から存在する古代湖の1つである。琵琶湖は世界の湖の中でも、バイカル湖やタンガニーカ湖に次いで成立が古い古代湖であるとも、世界で13番目に古い湖とも推定されている。 (略)
「地理」:滋賀県の面積の6分の1を占める。400以上の流入河川があるが、湖水が流れ出るのは瀬田川のみである。瀬田川は宇治川、淀川と名前を変えて、大阪湾(瀬戸内海)へ至る。また、湖水は淀川流域の上水道として利用され、京都市は琵琶湖疏水から取水している。(略) 湖底が最も深い水域は北湖の中央やや北寄り、竹生島の南にあり、これまでに観測された最大水深は104.1mである。琵琶湖の湖底は1000年間に1mというペースで沈降している。 (略)
湖を囲む山地からの流れが源流で、琵琶湖疏水や淀川水系を通じて京阪神に水道水を供給していることから、「近畿の水瓶」とも呼ばれる。また、古くから水上交通路としても利用されており、明治時代に鉄道が開通するまでは、京や大坂から東国・北陸への物資輸送の中継地として利用されていた。
「形成」:(略) 琵琶湖が形成された時期は、約400万年~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。湖は次第に北へ移動し、現在から約100 – 40万年前、比良山系によって止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったという。(略) 地震に伴う地すべりなどで水没した琵琶湖湖底遺跡が100以上存在する。(略)”
https://ja.wikipedia.org/wiki/琵琶湖
少々長い引用になってしまいました為、いくつかポイントを以下にまとめます。
- 琵琶湖は日本最大の湖で、近畿の水瓶と言われ、古くは輸送等においても生活を支えてきた
- 100万年以上存在していると言われる古代湖
- 400以上の川が流入しているが、流れ出しているのは、瀬田川のみ(一部京都疎水あり)
- 最深部は、竹生島近くにあり100m以上で、今尚深くなっている
- 琵琶湖の湖底には、多くの湖底遺跡が存在する
といった所でしょうか? クルージングは、琵琶湖の大きさから、自然の雄大さを感じるものでしたが、同時に上記の様な情報をもって、船に乗る事で、琵琶湖の見え方や船から見える景色一つ一つの見え方が変わってきます。そんな事を考えながら、クルージングをしてると長い歴史を持つ琵琶湖の美しさを更に感じるものでした。
【琵琶湖でのクルージング】
琵琶湖における「実際の乗船情報」ですが、私達夫婦が調べた限り、竹生島への航路は、以下の2つの会社がある様で、湖の東側の視点で大雑把に言うと(詳細は以下それぞれのホームページからご確認願います)、長浜港からは琵琶湖汽船、彦根港からがオーミマリンと言う住み分けになっているようです。
基本、それぞれの港と竹生島を往復する事を想定している感じの設定ですが、琵琶湖汽船の方には、湖の西側、今津港へのルートもある様なので、電車と併せてルートを組んでも面白いのでないかと思いました(私達夫婦のケースは、琵琶湖汽船で、長浜―竹生島の往復としましたが、最後まで、今津港に回り、電車で帰ってくるパターンと悩みました・・・)。
また上陸時間は、1時間強程度をそれぞれ想定しているようです。以下に竹生島に付き、記載しますが、私達夫婦の感覚としては、「竹生島でのお参り時間を考えると『丁度良い!』」と言った印象を持ちました。琵琶湖のでのクルージングは、片道30分程度の航路で、琵琶湖の大きさを肌で実感でき、自然の雄大さと琵琶湖の歴史に思いをはせるには、丁度良い時間でした。空気がおいしく風が気持ちい琵琶湖の湖面を船上で感じるのは、この上ない大人なの時間だと思いましたので、皆様も旅のルートに検討してみてはいかがでしょうか?
琵琶湖汽船:https://www.biwakokisen.co.jp/
オーミマリン:http://www.ohmitetudo.co.jp/marine/
【竹生島を大人散策(「竹生島」・「竹生島神社」・「宝厳寺」の概要と併せて)】
長浜港から約30分で竹生島に付き、最初に思った印象は「けっこう斜面きついなー」と言う事です。そもそも「竹生島」ですが、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあり、参拝する「竹生島神社」・「宝厳寺」と併せてみてみます。
”竹生島(ちくぶしま)は、琵琶湖の北部に浮かぶ島。(略) 琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されている。2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される。
「地理的概要」:葛籠尾崎(つづらおざき)の南約2kmに位置し、琵琶湖では沖島に次いで大きい島。島全体が花崗岩の一枚岩からなり、切り立った岩壁で囲まれているのが特徴である。(略)
「歴史」:古来、信仰の対象となった島で神の棲む島とも言われ、奈良時代に行基上人が四天王像を安置したのが竹生島信仰の始まりと伝わる。南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三所三十番)がある。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようである。
ちなみに、竹生島弁才天は江島神社 (神奈川県 江の島)・ 厳島神社 (広島県 厳島)と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。(略)
「竹生島に関する伝承」:多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという。金糞岳(標高1,317m)は滋賀県2位の高峰で、最高峰の伊吹山(標高1,377m)は、竹生島の高さを差し引くと本当は2番目だったというわけである。竹生島神社には浅井姫命も祀られている”、
https://ja.wikipedia.org/wiki/竹生島
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)は、日本の近畿地方北東部の、琵琶湖に浮かぶ島である竹生島に鎮座する神社 (略) 竹生島神社(ちくぶしま じんじゃ)とも呼ばれ、公式案内などではこちらの呼称を用いている。神体は竹生島そのもの。
神仏習合時代(本地垂迹時代)には、同島の宝厳寺と習合して、竹生島弁才天社/竹生島弁財天社( – べんざいてんしゃ)、竹生島権現( – ごんげん)、竹生島明神( – みょうじん)などと呼ばれていた。往時も今も「日本三大弁才天(日本三弁天)」の一つに数えられる。また、あまり知られていないが、「日本五大弁才天(日本五弁天)」の一つに数えられる。
式内社。旧社格は県社。神紋は巳。(略)祭神
祭神について、滋賀県神社庁や長浜市は当社の由緒書の記述に基づいて以下の3柱としている。辞事典も記述のあるものは3柱としている。一方で、当の都久夫須麻神社は、宇賀福神と龍神(八大龍王)を別神として列し、4柱としている。・市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)
別名、竹生島大神(ちくぶしまのおおかみ)。宗像三女神のうちの一柱 (略)・宇賀福神(うがふくじん)
宇賀弁才天の別名。宇賀弁才天とは、出自不明の蛇神である宇賀神(ウカノカミ、うがじん)と習合する形で、中世日本において作為された、弁才天の一形態である・浅井比売命(アサイヒメノミコト、アザイヒメノミコト)
産土神の一柱。別表記:浅井比咩命、浅井姫命
当社に関する最古の縁起である承平縁起はこの女神のみを祭神としており、竹生島縁起が形作られる初期から存在した唯一の神と考えられている (略)・龍神(りゅうじん)
その実は、八大龍王の一尊である黒龍(こくりゅう) (略)竹生島縁起(都久夫須麻神社および宝厳寺の縁起)は、現在4種が知られている。既知で最も早期のものとしては承平1年(931年、平安時代後期)の成立と伝えられる「竹生島縁起」を収録する護国寺本『諸寺縁起集』があり、便宜上はこれを「(竹生島)承平縁起」ともいう。また、『群書類従』本には、勧進帳の前文として著されたらしい、応永21年(1414年、室町時代後期)に普文が比叡山にて旧記を集めて撰したという奥書『智福島縁起』があり、便宜上はこれを「(竹生島)応永縁起」ともいう。3つ目は、文安3年(1446年、室町時代後期前半)成立の『岩金山太神宮寺儀軌』。4つ目は貞享元年(1684年)成立の前田家旧蔵・尊経閣文庫所蔵『竹生嶋縁起』(底本は応永2年〈1395年〉作成)である (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/都久夫須麻神社
宝厳寺(ほうごんじ)は、滋賀県長浜市の竹生島にある真言宗豊山派の寺院。山号は巌金山(がんこんさん)。本尊は大弁才天。観音堂は西国三十三所第30番札所で本尊は千手観世音菩薩。観音霊場であるとともに、弁才天信仰の聖地でもあり、日本三大弁天の1つにも数えられる(他の2つは大願寺、金亀山与願寺とされている) (略)
現在は宝厳寺と都久夫須麻神社という「寺」と「神社」に分かれているが、このように区別されるようになったのは、明治時代初期の神仏分離令以降のことであり、竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていた (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/宝厳寺
宝厳寺は奈良時代、僧・行基が開創したとされている。行基は出身地の河内国(現・大阪府東部)を中心に多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願によって行基が浅井姫命(あざいひめのみこと)を祭神とする都久夫須麻神社がある竹生島を訪れ、大弁才天を祀ったのが起源とされている (略)
「竹生島は、島全体が花崗岩の一枚岩からなる切り立った岩壁が特徴の島で、琵琶湖にある2番目に大きな島との事。諸説あるようですが、神々の住む島とされ、古くから信仰の対象(元々は1つの信仰の認識)であり、いくつかの伝承も伝わっている、祈りの島といった感じの様ですが、明治の神仏分離政策により、現在では『竹生島神社』と「宝厳寺」がある」と言う事の様です。
上記の通り、島には「竹生島神社(都久夫須麻神社)」と「宝厳寺」がありますが、『元々に一つだった信仰の対象が、神仏分離により “無理矢理(形式上?)” 「竹生島神社(都久夫須麻神社)」と「宝厳寺」に分けられた認識で、実際にお邪魔した感じは『まったく同じ信仰の内』と言った感じ』で、参拝のルートもこだわる必要はないと認識しましたし、事実拝観料を入口で支払ったのですが、2つに分かれている訳ではありませんでした。日本人の宗教観を考えると、神社と寺院をあえて分ける方が、不自然な感じもしますので、あまり気にせず、回りやすいルートで回られて良いと思います。(別記事で、同じ様な事象を感じられる、日光の二社一寺をご紹介しております)
実際の参拝ですが、船から見えた通り、それなりの斜面です。私達夫婦は、階段の途中から、登り方向で右側にある竹生島神社に最初にお参りさせて頂き、お約束のかわらけ投げをさせて頂いた後、更に登って宝厳寺本堂を参拝。その後(更に上ですが)三重塔、宝物殿を拝見し、宝厳寺本堂に戻ってからの急な階段を転ばないように、恐る恐る下り、途中で宝厳寺の唐門を拝見しつつ、港に向かいました。
ちょうど1時間位の行程だったと思いますので、港についてしばらくすると、帰りの船に乗船し、長浜に戻った感じですが、率直な感想は「心が洗われた…」と言う事です。
神社・寺院と言う場所なので、勿論神聖な場所。その神々が住まう島にお邪魔した訳なので、当然と言えば当然ですが、それ以上に「あの急斜面に、芸術作品と言って良い、あれだけの建造物がある事事態、昔から多くの人が信仰の対象にし、守ってきた島だと言う事を再認識し、その多くの方々の努力に感動した」と言った感じなのかもしれません。これも人々の竹生島への祈りの気持ちがあっらかたこそあるものだと思い、「竹生島は、今後も末永く、人々の心の支えになっていくんだろうな…」と改めて思った次第です(まっ、琵琶湖の湖上(クルージング)で、気持ちよい風を受け、リラックスし、自身の心が豊かになったからこそ、上記の様な思いになったのかもしれませんが…)。
【最後に】
竹生島には、基本人は住んでおらず、お土産屋さんの方々も島に通ってるようです。つまり、夜間は、無人島になると言う事ですので「神々が住まう島に、人が日中のみ、お邪魔させて頂いている」と言った所でしょうか? そんな神聖な神々が住まう島、竹生島ですが、人々が祈りをささげてきた島であったからこそ、今の美しい建造物があり、今尚訪れる人の心を癒してくれている場所だと思います。そんな竹生島に、皆様もクルージングで訪問し、命の洗濯をしてみては、いかがでしょうか?
尚本ブログでは、諏訪大社や熱田神宮、大宮氷川神社、川越氷川神社、川越喜多院、日光の二社一寺、久能山東照宮、浅草寺、深大寺、神田明神、大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。