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【はじめに】
こちらのページでは、埼玉県日高市にある、”出世” にご利益があると言われる「高麗神社」とそのすぐ近所にある「聖天院」の大人散策情報をご紹介致します。
本ブログ別記事でも紹介しましたが、曼殊沙華で有名な、高麗・高麗川駅が最寄りの巾着田。巾着袋の様に高麗川が蛇行しその内側が曼殊沙華の群生地になっており、夏から秋にかけてのシーズンには多くの観光客が、その美しい光景を求めいらっしゃいます。2017年には、時の天皇・皇后さまが行幸をなされ、更に有名になった認識です。また、天皇・皇后さまは、この時、高麗神社にもいらっしゃっており、曼殊沙華で有名な巾着田と高麗神社が、この地域における代表的な存在である事、理解できると思います。
私達夫婦も、この地域は居住地の川越から近い事もあり、周辺の山道(奥武蔵自然遊歩道等)の大人散策や曼殊沙華のシーズンには、ムーミンパーク等の近隣のスポットを含め、大人ポタリングで楽しませて頂いている地域です。
本日はそんな、この地域の代表・中心と言って良いと思われる「高麗神社」とそのすぐご近所の「聖天院」の大人散策情報を紹介致します。「高麗神社」にはいつ行っても多くの参拝者で混みあっている神社である一方、「聖天院」はどちらかと言うと参拝者はほとんどいない感じの寺院ですが、この2つは両方参拝してこそ、意味のある寺社だと個人的には思っている次第です。
【「高麗神社/聖天院」の概要】
まずは、基本に忠実に「高麗神社」と「聖天院」の概要から抑えさせて頂きます。早速、まずは「高麗神社」から、Wikipediaの力をかり調べてみますと、次の様にあります。
高麗神社 (こまじんじゃ)は埼玉県日高市に鎮座する神社。旧社格は県社。
概要
現在の埼玉県日高市の一部及び飯能市の一部にあたる高麗郡があるが、高麗郡及び上総郷は奈良時代に設置された土地である。高麗郡は716年(霊亀2年)に武蔵国高麗郡が設置された土地であり、朝鮮半島のゆかりの地である。中世武家時代の鎌倉時代以降、高麗郡の郡域が拡大して、日高市・鶴ヶ島市のそれぞれ全域と、飯能市・川越市・入間市・狭山市のそれぞれ一部が高麗郡の範囲となった。668年に唐・新羅に滅ぼされ亡命して日本に居住していた高句麗からの帰化人を朝廷はこの地に移住させた。703年には高麗若光が朝廷から王姓が下賜されたという話が伝わっている。高麗若光が「玄武若光」と同一人物ならば、高句麗王族の一人として王姓を認められたということになる。この高麗若光も朝廷の命により高麗郡の設置にあたって他の高句麗人とともに高麗郡の地に移ってきたものと推定されている(新編『埼玉県史』)。高麗神社には、季節のタイミングや月々でそれぞれの御朱印がある様です 高麗神社は、この高麗若光を祭っている。神仏習合の時代には高麗家は修験者として別当を勤めていた。天正18年に徳川家康が関東に入国すると、翌年(1592年)に徳川家から社領として高麗郷内に3石を寄進された。また、高麗大宮大明神、大宮大明神、白髭大明神と称されていた社号は、明治以降は高麗神社と称されるようになった。境内隣接地には江戸時代に建てられた高麗家住宅がある (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/高麗神社#外部リンク
次に、「聖天院」を調べてみますと、以下の様にあります。
聖天院(しょうでんいん)は、埼玉県日高市にある真言宗智山派の寺院。武蔵野三十三観音霊場二十六番札所。
歴史
高麗王若光の菩提寺として創建された。寺号は若光が高句麗より持参した歓喜天を本尊とすることから名付けられたという。1345年に法相宗から真言宗に改宗。天正18年に徳川家康が関東に入国すると、翌年(1592年)、寺領として高麗郷内に15石を寄進された。聖天院で頂戴した御朱印 庭園の他、高麗王若光王陵(墓碑は金鍾泌韓国元首相の揮毫)、在日韓民族無縁慰霊塔などが境内に所在している (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/聖天院
『「高麗神社」は、高麗王若光を祭っている神社で、「聖天院」は、高麗王若光の菩提寺として創建された寺院』と言う事の様です。もう少し深堀しますと、7世紀後半に、唐・新羅に滅ぼされた後、亡命し日本に居住していた高句麗からの帰化人を、朝廷は716年の高麗郡の設置と共にこの地に移住させたが、この時この地域の統括を行った(可能性が高い?)人物・高麗王若光を祀る神社が「高麗神社」で、菩提寺が「聖天院」と言う事と理解しました。
川越の入間川西岸(左岸)には、川越地方最大の前方後円墳と言われる牛塚古墳があり、この古墳は「6世紀末から7世紀初めの高句麗系渡来人に関わりのある人物のお墓」と言われている様なので、高麗・高麗川駅~入間川の西側は、高麗郡設置前から大陸の影響を受けていたかもしれない地域で、その中心にいた一人が、高麗王若光と思われれ、その彼のゆかりの神社仏閣が、「高麗神社」・「聖天院」と言う理解をさせて頂きました。
【「高麗神社」の参拝におけるポイント】
高麗神社は、いつ行っても多くの参拝者がいらっしゃり、駐車場がガラガラになっている光景は、あまり見かけたことはありません。そんな高麗神社参拝におけるポイントを以下にまとめます。
・出世にご利益のある神社
高麗神社は、出世にご利益がある事で知られている神社で、こちらのHPには、以下の様にあります。
(略) 参拝後に内閣総理大臣に就任した政治家が相次いだことで、「出世明神」と称されるようになりました (略)
https://komajinja.or.jp
別記事でも紹介致しておりますが、この付近には、「出世」にかかわるスポットがいくつかありますので、それらと併せて大人ポタリングされてみるのも、おもしろかもしれません。
・「高麗」でなく「高句麗」と記載された、御神門の社額(扁額(へんがく))
高麗神社に参ると、公道に面した鳥居の社額や石柱等は、「高麗神社」と記載されていますが、1か所だけ「高句麗神社」と記載されたポイントがあります。それもすごく小さな字で、明らかに遠慮して「句」の文字を加えた感じなのです。こちらのHPには、以下の様にあります。
中央に掛けられている扁額には「高句麗神社」と記されています。明治33年に当社を参拝した朝鮮王朝の貴族 趙重応の筆によるものです。御祭神の故国 高句麗と後に興った高麗を区別するため、そのまま額にして掲げています (略)
https://komajinja.or.jp
また、Wikipediaの「高句麗」の項目には、以下の様にあります。
(略) 高句麗は別名を貊(はく)と言う。日本では「高麗」と書いても「貊(狛)」と書いてもこまと読む。現在では高麗との区別による理由から「こうくり」と読む慣習が一般化しているが、本来、百済・新羅の「くだら」・「しらぎ」に対応する日本語での古名は「こま」である。 (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/高句麗
私なりの理解は、『「高麗」と書いても「高句麗」と書いても読み方は「こま」が本来なので、音から「高麗神社」となったが、本来は「高句麗神社」とあるべきで、それを正すべく「句」を加えたが、長い年月「高麗神社」としてこの地にあり、それが正式名称である事も配慮して、小さな文字で目立たなく「句」を加えた』と理解しました。実際に拝見すると、本当に小さな文字で、「注意してみないと間違えなく見過ごす…」といった感じですので、意識して、目を凝らし、本殿前の御神門の社額(扁額)を見てみて下さい。
・参集殿内の高麗家家系図、ご神木の彼岸桜(樹齢300年)と檜
拝殿でお参りを済ませ、その右にある参集殿でお守りや御朱印を頂戴する事が出来ますし、高麗家の家系図(本物かレプリカのどちらかは不明)もあります。そして、その後参集殿からの階段を降りたところに、こちらのHP(https://komajinja.or.jp)によると樹齢300年の彼岸桜のご神木、本殿と参集殿の間を高麗家住宅の方に抜ける通路に、もう一つの檜のご神木があります。それぞれ見事な大木ですので、是非ご覧頂き、パワーをもらってください!
・高麗家住宅
檜のご神木の先には、高麗家住宅があります。こちらのHPには、以下の様にあります。
(略) 慶長年間(1596~1614年)頃の建築と伝えられ、御祭神の末裔である高麗氏の旧住居です。 茅葺きの入母屋造りで東日本に残る民家の中では古い形を遺している、極めて貴重な例とされ、昭和46年に国指定重要文化財に指定されています (略)
https://komajinja.or.jp
徳川家康が、関ヶ原で戦い、江戸の幕府を開いた頃に建てられた建物、すなわち江戸の街ができる前からそこにあると言う事になり、400年以上前の建造物と言う事になります。そんな歴史的建造物のはずですが、基本人も多くおりませんので、じっくり見学してみて下さい。
・樹齢400年の枝垂桜
高麗家住宅の脇にある、枝垂桜も圧巻です。ご神木の1つ彼岸桜の樹齢は300年との事ですが、こちらの枝垂桜の樹齢は400年。つまり、住宅が作られた際に(ほとんど)一緒に植えられた桜と言って良いと思います。400年この地を見てきた住宅と枝垂桜のセットの写真は、歴史に思いを馳せる事の出来る、最高のスポットです。
【「聖天院」の参拝におけるポイント】
いつも混み合っている高麗神社に比べ、どちらかと言うと人出の少ない寺院の聖天院ですが、多くの見所があります。
・風雷神門(山門)
広い駐車場について、まず目につくのは、時代を感じる事が出来る、風格を備えた山門です。江戸期の天保年間の初め(1830年位)に作られたと言われている様で、正に威風堂々とした佇まいの門です。またこの門は、浅草寺でも有名な、雷門(浅草寺でも通称「雷門」)。つまり、両脇で、風神様と雷神様が守りを固める、「風雷神門」。浅草寺の風雷神門は、戦後の再建によるものですが、聖天院の風雷神門は、江戸期の物で、風神様/雷神様の像、天井の朱雀の絵と併せ、見応え十分の風格と歴史を兼ね備えた門です。
・王廟と狛羊?①
山門(風雷神門)の右手には、高麗王若光の墓・王廟があります。高麗王若光の菩提寺である聖天院。まずは、ここで高麗王若光にご挨拶申し上げ、参拝されてはいかがかと思います。尚、本ブログ別記事でも紹介しましたが、この王廟の脇は、狛犬ならぬ狛羊?が両脇を固めています。朝鮮では、お墓の守護・鎮魂の意味で羊の石像が配備される風習があるとの事で、日本ではあまり見られないこの光景を見つつ、お参り頂ければと思います。
・日本庭園
山門の先に階段があり、ここからが有料エリアとなり、中門にて拝観料を支払いました(同時に御朱印も頂戴しました)。そしてその中門をくぐった目の前に日本庭園が広がっています。大名庭園の様に大きな庭園ではありませんが、手入れされた植栽と池の水は心を和ませてくれるものです。
・阿弥陀堂
日本庭園の向かい、中門をくぐった左手には、阿弥陀堂がございます。こちらのHP(https://shoudenin.jp)によると、室町期の建物で、本尊の阿弥陀如来三尊(行基作)、左手に武蔵野観音霊場本尊聖観音、他に十王尊を祀る阿弥陀堂は、聖天院の中でも最古の木造建築との事の様です。
・本堂とそこからの眺め
日本庭園・阿弥陀堂のある所からさらに一段登ると、本堂があり、その向には、川越方面を一望できる素晴らしい眺めの舞台があります。かなりの大きさがある本堂は圧巻で、そこからの景色も圧巻です。
・雪山(石灰岩の塊)
こちらの寺院の造成時に現れた、石灰岩の塊だそうで、本殿に向かって右手にあります。
・在日韓民族慰霊塔と狛羊?②
本殿向かって左手、鐘楼堂の方面を抜けていくと、在日韓民族慰霊塔が出てきます。山側には、大陸を感じさせる王や武将と思われる石像があり、慰霊塔(16mの石塔)の脇を近衛兵?/官職?の方をかたどった像なのかわかりませんが門前を守る様に石像がいらっしゃいます。またその前には、高麗王若光王廟の脇でも拝見した狛羊?もあり、異国情緒を感じる空間で、日本の文化との違いを感じる興味深い空間です。
【最後に】
以上が、埼玉県日高市にある、”出世” にご利益があると言われる「高麗神社」とそのすぐ近所にある「聖天院」の大人散策情報の紹介になります。
少し話はそれますが、最寄りの高麗駅/高麗川駅を出ると、「天下大将軍」・「地下女将軍」と書かれた、トーテンポールの様なオブジェが目に飛び込んできます。「将軍標」と言うらしく、朝鮮に由来を持つもので、Wikipediaには以下の様にあります。
将軍標(しょうぐんひょう、朝: 장군표チャングンピョ)とは、朝鮮半島の村落に見られる魔除けのための境界標。
概要
https://ja.wikipedia.org/wiki/将軍標
第二次世界大戦前までは、除魔将軍標と称され、略称の将軍標も用いられていた。かつての朝鮮半島では、疾病や災難をもたらす鬼神信仰があり、その魔除けのための木製標を村落の入り口に設置していた。異形相の人面の下に漢字が刻まれた木柱がバラバラに設置されていたが、現在の日本国内に設置されているものは「天下大将軍」「地下女将軍」と刻まれ、男女の標が対になったものとなっている。近年の朝鮮語でチャングンピョ(将軍標)というが、別の表現ではチャンスン(장승、長栍、長丞)、ポクス(벅수、法首)やチャンシンイ(장싱이、京畿道方言)ともいう (略)
いわゆる「魔除け」として設置された物の様で、異国を感じさせる物です。日高市内を散策してると、所々でこの将軍標をモチーフにしたと思われる道標を見る事があります。正直その由来や意味の深堀まで調べ切れていませんが、「天下大将軍(男性)が表を治め、地下女将軍(女性)が、内部を治める万全の地域なので、邪悪なものは来ないでください!」と言った様なイメージをしてるのかと、勝手な想像をしてしまいました。
そんな異国情緒を道標からも感じる日高市にある「高麗神社」と「聖天院」。高麗神社の参道の間脇道からどちらも徒歩で往復出来るので、是非セットで脚を運んで頂き、大人散策を楽しんでみては如何でしょうか? また本ブログ別記事で、この周辺の大人散策/ポタリング情報として、奥武蔵遊歩道を含むコース & ムーミンパークを含むコースの紹介や、出世をキーワードにしたポタリング・スポット等も紹介しておりますので、併せてご参照頂き、皆様の大人散策/ポタリングの情報週にお役立て頂ければ幸いと思います。
尚本ブログでは、諏訪大社や熱田神宮、大宮氷川神社、川越氷川神社、川越喜多院、日光の二社一寺、久能山東照宮、浅草寺、深大寺、神田明神、大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。