【はじめに】
こちらのページでは、上野公園における神社仏閣を Key にした、大人散策情報を記載させて頂こう思います。言い換えますと、本ブログ別記事で記載いたしました「上野公園の大人散策情報(サマリ版)」にて、「①上野公園で神社仏閣巡り 」、「②日本史の視点で楽しむ上野公園」、「③様々な切り口で上野公園を(で)楽しむ (文化 / 芸術 / レクレーション等を楽しむ) 」と言った内容で記載させて頂きましたが、こちらのページでは、「①上野公園で神社仏閣巡り 」についての詳細版の位置づけになります。
元々上野公園は、寛永寺の敷地内。江戸から明治に移る時代の中で、戊辰戦争の1つと言われる「上野戦争」が起こり、焼け野原になり、その後公園として活用された歴史があると言う事です。つまり、上野公園には、「江戸期の名残=寛永寺時代の名残」があると言う事です。現状では、寛永寺は、上野公園の北西側に隣接し(寛永寺も上野公園内?)、東照宮をはじめとした、いくつかの神社仏閣が上野公園内にありますが、元々は寛永寺の敷地内なので、その痕跡を巡りつつ、神社仏閣巡りをするのが宜しいのではないかと思って折ります。
以下、その中心となる、寛永寺(遺構的な側面を中心に) / 上野東照宮の概要を抑えた上で、詳細の大人散策情報を記載させて頂きますので、皆様の「大人散策・上野公園/神社仏閣バージョン」の参考になれば幸いです。尚、以下に記載するスポットは、基本旧寛永寺の境内にあった理解ですが、上野東照宮だけは、別枠で記載させて頂きます。
【寛永寺 / 上野東照宮の概要】
まずは、「大人散策・上野公園/神社仏閣バージョン」の Key となる「寛永寺と上野東照宮の概要」から抑えさせて頂きます。
■寛永寺の概要
早速ですが、寛永寺に関し、Wikipedia の力を借り、調べてみますと、以下の様にあります。
寛永寺(かんえいじ)は、東京都台東区上野桜木一丁目にある天台宗関東総本山の寺院。山号は東叡山(とうえいざん)。東叡山寛永寺円頓院と号する。開基(創立者)は江戸幕府3代将軍の徳川家光であり、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来である。
徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務めて朝廷との繋がりが深かった。日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇ったが、幕末の動乱期に主要な伽藍が焼失した。かつての境内の大部分は上野公園となっている (略)
清水観音堂 衰退と復興
江戸時代後期、最盛期の寛永寺は寺域30万5千余坪、寺領11,790石を有し、子院は36か院に及んだ(現存するのは19か院)。現在の上野公園のほぼ全域が寺の旧境内であり、最盛期には、更にその2倍の面積の寺地を有していた。例えば、現在の東京国立博物館の敷地は寛永寺本坊跡であり、博物館南側の大噴水広場は、根本中堂のあったところである。
江戸時代には飛鳥山と並ぶ桜の名所として知られており、庶民の行楽地であった。
しかし、上野の山は、幕末の慶応4年(1868年)、彰義隊の戦(上野戦争)の戦場となり、根本中堂をはじめ主要な堂宇を焼失し、残された建物は五重塔、清水堂、大仏殿などだけとなった (略) 江戸時代の境内地だった場所は、上野公園や上野駅の用地となり大きく変貌をとげた。明治12年(1879年)子院の1つの大慈院があった場所に川越の喜多院(天海が住していた寺)の本地堂を移築して本堂(中堂)とし、復興の途についた。
太平洋戦争中の東京大空襲では、当時残っていた徳川家霊廟の建物の大部分が焼失した。2度の戦災をまぬがれたいくつかの古建築は、上野公園内の各所に点在している (略)寛永寺境内にあった(かつての寛永寺の?)Map と Wikipediaより、幕末の寛永寺付近の地図(大日本読史地図より) 現存する伽藍
https://ja.wikipedia.org/wiki/寛永寺
・本堂(根本中堂) -(略) 明治12年(1879年)、川越喜多院の本地堂を移築したもので、寛永寺本来の建物ではない。内陣には厨子内に秘仏本尊薬師三尊像を安置する(堂内は非公開)。
・書院 – 本堂裏手にあり、徳川慶喜が水戸退去の前に、2か月ほど蟄居していた部屋(葵の間、あるいは蟄居の間)が保存されている(非公開)。
・旧本坊表門(略) – 重要文化財。通称黒門。東京国立博物館東側の輪王寺にある。寛永年間の建造物で、もとは博物館正門の位置にあった。
・清水観音堂(略) – 重要文化財 (略) 寛永8年(1631年)の建築で、当初は摺鉢山古墳の位置にあったが、中堂建立に伴い現在地に移築された。規模は小さいとはいえ、京都の清水寺本堂と同様の懸造建築である。江戸三十三箇所観音霊場の第6番札所。
・弁天堂(略) – 上野公園南側にある不忍池の弁天島(中之島)に、天海が竹生島の宝厳寺の弁才天を勧請して建立。島は常陸下館藩主水谷勝隆が築いたもので、当初は橋がなく、舟で参詣していた。当初の建物は入母屋造であったが、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で焼失し、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造の八角堂として再建された。
・旧寛永寺五重塔(略) – 重要文化財。寛永8年(1631年)建立の初代の塔が寛永16年(1639年)に焼失した後、同年ただちに下総古河城主土井利勝によって再建された。塔は旧境内地を使って作られた恩賜上野動物園の園内に位置しており、1958年に寺が寄付したため、現在の所有者は東京都になっている(名称に「旧」とつくのはそのため)。塔の初重に安置されていた釈迦如来・薬師如来・弥勒菩薩・阿弥陀如来の四仏は、東京国立博物館に寄託されている。
・東照宮(略)
・時の鐘(略) – 上野公園内、精養軒の近くにある鐘楼。現在ある鐘は天明7年(1787年)の作。
・大仏山パゴダ(略) – 時の鐘の近くにあり、昭和42年(1967年)の建立。もと上野東照宮本地堂(神仏分離の際に破壊)の本尊であった薬師三尊像(江戸時代初期)を祀る。
・上野大仏 – 寛永8年(1631年)、堀直寄の寄進で最初の大仏が造られた。以後、地震、火災等で消滅と再興を繰り返し、現在は顔の部分のみが大仏山パゴダ脇に保存されている (略)
先に記載した通りですが、「元々上野公園は、ほぼ寛永寺の敷地」と言って良い様で、その痕跡も上野公園の中(正確には隣接するエリアも含むでしょうが…)で拝見出来る様です。「三代将軍・家光によって創建され、増上寺と並ぶ徳川将軍家の菩提寺となるも、徳川幕府の終焉と共に、戊辰戦争(上野戦争)で、焼け野原になってしまい、現在では上野公園の北西側に隣接する形で残り、今尚、徳川将軍家の霊廟(徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る)や明治期に川越喜多院の本地堂を移築した本堂(=根本中堂)の残る寺院が寛永寺」と理解した次第です。また、上野東照宮も寛永寺の敷地内との事ですが、こちらに関しては、以下に別枠で記載いたします。
■上野東照宮の概要
寛永寺と同じく、上野東照宮に関し、Wikipedia の力を借り、調べてみますと、以下の様にあります。
上野東照宮(うえのとうしょうぐう)は、東京都台東区上野恩賜公園内にある神社。旧社格は府社。三大東照宮を自称してはいないが、その豪華さや由来、また近隣の芝東照宮が自らを「日光東照宮・久能山東照宮・上野東照宮に並ぶ四大東照宮の一つ」としていることから三大(もしくは四大)東照宮の一つに数えられることが多い。正式名称は東照宮であるが、他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれ、別名「三処権現」とも呼ばれる。
徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を祀る。(なお、御朱印には創建当初の御祭神「東照神君、天海僧正、藤堂高虎」の文字が見受けられる。) (略)家康像@浜松城・吉宗/慶喜(Wikipediaより) 歴史
寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建した。社伝によれば、元和2年(1616年)、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと高虎と天海に遺言されたという。『江戸図屏風』はこの頃と見られる現在とは異なる形状の社殿が描かれている。
現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したもので、上野戦争や関東大震災や第二次世界大戦でも焼失を免れている。
そのため強運の神様として、また家康を祭神としていることから出世、勝利、健康長寿の神様として信仰されている。
社殿は平成21年(2009年)1月から平成25年(2013年)まで修復工事が行われ、平成26年(2014年)から公開されている。500円の拝観料で透塀内を見学できる。ただし社殿内部は文化財保護のため非公開としている。施設
(略)日中友好を記念して昭和55年(1980年)に開苑した境内のぼたん苑では、一年を通じ牡丹の栽培を行っている。1年に3回公開され、4月上旬から5月上旬は地植えの牡丹中心の「春のぼたん祭」、元日から2月下旬には特別に冬に開花するよう促成栽培した冬牡丹を展示する「上野東照宮・冬ぼたん」が開催される。9月下旬から10月下旬にはダリアの展示「ダリア綾なす秋の園」が開催される。
併設する五重塔はもとは東照宮所属であったが明治の神仏分離令により、当時は現在の上野公園全域を寺地としていた寛永寺の所属となった。しかし寛永寺は上野戦争により焼失し、寺地の大半が公園用地として没収され、上野東照宮から離れた地で再建されたため、五重塔は文化財管理の必要から東京都に譲渡された (略)Wikipediaより:本殿、幣殿、拝殿 文化財 重要文化財
https://ja.wikipedia.org/wiki/上野東照宮
・東照宮社殿 3棟1基
– 本殿・幣殿・拝殿(合1棟)附:棟札4枚 慶安4年(1651年)
– 唐門
– 透塀
– 石造明神鳥居 寛永10年(1633年)に酒井忠世が寄進
– (附指定)銅燈籠 50基
・紫地葵紋付桐文散辻が花染胴服 (略)
有名どころでは、宇和島城(現存12天守)や今治城(日本三大水城(海城))の築城を行い、江戸城の築城にも大きくかかわった、城づくりの名手「藤堂高虎」の創建で、現在の社殿は「三代将軍・家光」のによって改築されたものとの事。川越喜多院の中興の祖とも言われる「天海」の名もあり、川越市民の歴史好きである私には、脚を運ばなければいけないスポットであると改めて思った次第です。また、祭神は、徳川家康・吉宗・慶喜との事ですので、徳川将軍の創始者・中興の祖・最後の将軍と言う事になり、徳川幕府・江戸時代に思いを馳せるべきスポットだとも思った次第です。
【上野公園で神社仏閣巡り】
以下に、上野公園内の神社仏閣のそれぞれのスポットを(簡単ですが)紹介して参りますので、最下部の地図と共にご参照頂けますと幸いです(神社仏閣関連は「橙色の★(東照宮関連)/🔶(寛永寺関連)/✔(その他)印」を参照)。
■寛永寺
‐ 不忍弁天堂
不忍池のほぼ中央に弁天様が入らっしゃいます。夏には、蓮も美しいスポットで開放感のある空間ですので、大人散策にはうってつけです。
‐ 清水観音堂
不忍池を東に進み、斜面を登った先に、清水観音堂があります。歌川広重の名所江戸百景に描かれたまさにその景色が、再現されております。「上野の山」とも言われる上野公園の高低差と併せてご見学ください。
‐ 時の鐘・大仏山パゴダ / 上野大仏
清水観音堂の北側には、寛永寺がこの地にあった痕跡を見る事が出来ます。1787年に作られたと言われる:時の鐘、1631年に堀直寄の寄進で最初に作られたと言われる:上野大仏、そして昭和建立らしいですが薬師三尊像を祭る同じ場所にある大仏山パゴダ(=仏塔)があります。
‐ 旧寛永寺五重塔
上野東照宮の参拝時に、併せて拝見するのが宜しいと存じます(写真は、以下上野東照宮のパート参照)。
‐ 根本中堂跡・現寛永寺・根本中堂(=本堂)・境内
上野公園の中央付近には、寛永寺の根本中堂跡の看板があり、更に北上すると、上野公園の北西側には、現在の寛永寺があります。現在の本堂(=根本中堂)は、明治期に川越喜多院から(恐らく新河岸川の舟運を利用して)移築された建物との事です。境内は人も少なくゆっくりと見学できます(屋根には「アクロバティックな狛犬?」もいらっしゃいます…)
‐ 徳川家霊廟・旧本坊表門(輪王寺)
現在の寛永寺を(裏口的な)北東側の出入口から失礼すると、いくつかの徳川家の霊廟を、一般道からも拝見する事が出来ます(墓地内の徳川将軍の霊廟は、墓地内と言う事で、お参りしておりません為マップ上の位置関係のみ)。また、東京国立博物館の北東の角まで来たら右折すると(反対側は鶯谷の駅)、輪王寺に行くことが出来、ここには寛永寺の旧本坊表門(通称:黒門)がありますので、併せて見学すべきと思います。
■上野東照宮
‐ お化け灯籠・鳥居・水舎門(神門?)
おばけのように大きい事から名づけられた灯籠との事。その大きさを実感してみてはいかがでしょうか? また、そのおばけ灯籠のすぐ北に、上野東照宮続く参道があり、鳥居・水舎門(神門?)とくぐると、神聖な雰囲気になります。
‐ 石燈籠・神楽殿・狛犬・旧寛永寺五重塔
鳥居・水舎門(神門?)の先には、多くの燈籠が脇を固めた参道になっており、神楽殿や狛犬、手水舎等もあり、中々の雰囲気でありますが、観光客も多く、賑わいを感じると思います。また、東照宮 ⇒ 寛永寺 ⇒ 東京都 と所有が移り、現在は動物園の中にある五重塔も必見です(まっ、見落とすことは無いと思いますが…)。
‐ 唐門・銅燈籠
参道を突き当たると出てくるのは、唐門とその前に並ぶ銅制の燈籠。唐門は、装飾が美しく見ごたえのあるもので、銅製の燈籠の足元には虎が描かれていますので、それぞれしばし脚を留め鑑賞すべきと思います。
‐ 透塀・金色殿 (拝観料必要)
拝観料を払ってさらに進むと、透塀・金色殿を拝見する事が出来ます。豪華絢爛な社殿は、外部のみですが、必見スポットだと思います。
‐ その他:牡丹園・藤堂高虎墓所 (通常見えません)
その他の情報として、参道の唐門を向いて左側には牡丹園があり、右側には、上記記載の五重塔があります。牡丹園は、季節がありますが、1月 ~ 2月位:冬ぼたん、4月 ~ 5月頭位:春のぼたん、9月終わり ~ 10月:ダリア、と言った感じでお花を観賞できます。また、五重塔は動物園に入らずとも見えますが、もし動物園にもいかれるのであれば、「非公開」との事ですが、藤堂高虎の墓所もあります(墓所には参った事がないので何とも言えませんが、ストリートビューで見る限り、供養塔?の頭の部分だけ見えそうです…)ので、近くにいらした際は手を合わせてみてはいかがでしょうか?
(別記事で、日光東照宮を含む日光二社一寺や久能山東照宮、三大東照宮に関する記事を記載しておりますので、併せてご参照ください)
■その他 (五條天神社・花園神社等)
‐ 五條天神社・花園神社
寛永寺のパートで触れました、清水観音堂の北側には、五條天神社・花園稲荷神社があります。天神社なので三大怨霊の一人・菅原道真を祭る五條天神社と千本鳥居が日本らしさを醸し出す花園稲荷神社もありますので、寛永寺・上野東照宮と併せて参拝されては如何かと存じます。
【最後に】
以上が、上野公園における神社仏閣を Key にした、大人散策情報を記載させて頂いた内容になります(=「上野公園で神社仏閣巡り 」についての詳細版)。
あえて、寛永寺と上野東照宮を分けて記載しましたが、元々は寛永寺の境内で、日本の神仏習合・分離の過程があったので、寛永寺・上野東照宮・輪王寺宮・五條天神社・花園神社と言ったくくりがあるだけの話。故に、これらのくくりはあまり気にせず、神社仏閣巡りを楽しむべきだと思いますし、それが日本人の得意技だとも思って折ります。
以下地図は、それらを踏まえ一覧で作成して折りますし、更には、別記事で紹介中の「②日本史の視点で楽しむ上野公園」、「③様々な切り口で上野公園を(で)楽しむ (文化 / 芸術 / レクレーション等を楽しむ)」等も含んでおりますので、皆様のニーズに合わせてご活用いただき、大人散策を楽しんで頂ければ幸いと思って折ります!
尚本ブログでは、諏訪大社や熱田神宮、大宮氷川神社、川越氷川神社、川越喜多院、日光の二社一寺、久能山東照宮、浅草寺、深大寺、神田明神、大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。