【はじめに】
こちらのページでは、「1906年の開園と言われ、日本庭園のみならず、歴史的建造物で有名な横浜市にある『三渓園』の概要とそれを踏まえた大人散策情報を共有」させて頂きます。
私達夫婦の居住地は埼玉の川越。川越からは、電車で一本で横浜まで行けます。Fライナーと言われる電車で、「川越から東武東上線 ⇒ 副都心線(一部有楽町線?) ⇒ 東急東横線で横浜まで1時間ちょっとで、しかも乗り換える事なく1本で」行けてしまいます(正確には、みなとみらい線の元町・中華街まで乗り入れているので、元町・中華街駅まで1本で行けてしまいます)。仕事でもよくお邪魔してきた地域で、(居住地川越からの)アクセスのよい横浜ですが、仕事であれば問題なくとも、「いざ遊びに行こう!」と思うと「ちょっと遠いかな…」とも思ってします地域でもあり、逆に「その気になればいつでも行ける!」と思ってしまう為、中々遊びに行く事がないエリアでした。
しかし先日、ふとした事から「屋形船で食事してみない…」と言う事になり、リサーチしていると横浜でも屋形船でお食事が出来るプランを発見。であれば「そんなに遠くはないけど、一泊して、三渓園や横浜の街並みの大人散策と併せて行ってみよう!」と言う事になり、横浜への小旅行を実行した次第です。簡単なプランとしては「1泊2日の川越から横浜への小旅行」といった感じで、①「川越から元町・中華街まで電車1本で移動」し、その後バスに乗り換え「三渓園」まで行き、②「三渓園での大人散策」を楽しみ、③いったん宿泊先の「オークウッドスイーツ横浜」にチェックインして、④夜は「屋形船でのディナー」を楽しみお宿で一泊、⑤翌日「横浜での大人散策」を楽しんだ後、⑤中華街にある「京華樓 本館」で遅めの昼食を頂いて(お店は当日の行き当たりばったりの直感で決めましたが…)、⑥「元町中華街で電車に乗り1本で川越に戻る」と言った内容の旅でした。
こちらのページでは、その際に一番最初にお伺いさせて頂いた「三渓園」につき記載いさせて頂きます。つまり、「1906年の開園と言われ、日本庭園のみならず、歴史的建造物で有名な横浜市にある『三渓園』の概要とそれを踏まえた大人散策情報を共有」させて頂きます(「横浜と言う街の歴史(由来)とその概要」・「1泊2日の横浜小旅行の全体図(サマリ版)」・「屋形船でのディナー」・「お世話になったお宿・オークウッドスイーツ横浜」・「大人散策@横浜」・「横浜中華街 京華樓 本館でのお食事」については、別記事をご参照ください)。
【「三渓園」とは? 概要】
先ずは「三渓園」の概要から記載いたします。「三渓園」をWikipedia で調べてみると、以下の様にあります(引用後に、個人的主観が若干入りますが、サマリを記載しております)。
三溪園(さんけいえん)は、神奈川県横浜市中区本牧三之谷にある庭園。17.5haの敷地に17棟の日本建築が配置されている。実業家で茶人の原富太郎によって1906年に造園され、現在は公益財団法人三溪園保勝会が運営している。名称の三溪園は原の号である三溪から。2006年11月17日に国の名勝に指定された (略)
概要
三溪園は、国の重要文化財建造物10件12棟(移築元:京都府5棟、和歌山県3棟、神奈川県2棟、岐阜県1棟、東京都1棟)、横浜市指定有形文化財建造物3棟を含め、17棟の建築物を有する。三溪園の土地は、原富太郎三渓の養祖父である原善三郎が1868年(明治元年)頃に購入したものである。単に各地の建物を寄せ集めただけではなく、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっている。園内にある国の重要文化財建造物10件12棟は、全て京都など他都市から移築した古建築である。移築自体に本来の価値に対する評価を投げかける意見もあるが、中には現地で荒廃していた建築物を修復して移築したものも含まれている (略) 室町時代の燈明寺にあった三重塔をはじめとする京都ほか各地の古建築を購入して移築。庭園も含めて整備を進めていった。1906年(明治39年)5月1日に市民へ公開し、その後も建造物の移築は続けられた。
1923年の関東大震災と太平洋戦争中の1945年(昭和20年)6月10日の横浜空襲で被害を受け、一部の建造物を失った。なお、旧燈明寺本堂、合掌造の旧矢箆原(やのはら)家住宅などは第二次世界大戦後に三溪園へ移築したものである (略) 1953年(昭和28年)に財団法人三溪園保勝会が設立され、再び庭園の整備を行い、今日に至っている。1970年(昭和45年)1月には本牧海岸の埋め立てに伴い、海側に南門が設置された (略)臨春閣(重要文化財) 重要文化財(建造物)
■臨春閣(3棟)
江戸時代前期、1649年(慶安2年)建築。旧紀州徳川家藩別邸。紀州徳川家の初代徳川頼宣が紀州和歌山(和歌山県岩出市)に建てたもので、狩野派の襖絵などが見所である。1915年に移築 (略)
■月華殿
安土桃山時代、1603年(慶長8年)建築。三室戸寺金蔵院(京都府宇治市)より1918年移築 (略)
■春草廬(しゅんそうろ)
安土桃山時代建築の茶室。織田有楽斎の作といわれる。九窓亭とも呼ばれた。前項の月華殿同様、三室戸寺金蔵院より1918年移築。元は同院の客殿であった月華殿に付属していた茶室である。現在の春草廬は、月華殿から切り離され、新たに八畳の広間と水屋が付加された形になっている (略)
■旧天瑞寺寿塔覆堂(てんずいじじゅとうおおいどう)
1591年(天正19年)建築。豊臣秀吉が母の長寿を祝って建てたものといわれる。旧大徳寺塔頭天瑞寺より1902年に移築。
■聴秋閣
1623年(元和9年)建築。徳川家光の命により佐久間実勝が京都・二条城内に建築。当時は「三笠閣」と称した (略) 聴秋閣という名は三溪園に移ってからの名である。
■旧東慶寺仏殿
江戸時代初期、寛永11年(1634年)の建築。東慶寺(神奈川県鎌倉市)より1907年に移築。
■旧燈明寺三重塔
室町時代1457年(康正3年)の建築。京都府相楽郡加茂町(現・木津川市)より1914年に移築。
■旧燈明寺本堂
室町時代初期の建築。上記の三重塔があった燈明寺の本堂で、1948年まで京都府加茂町(現・木津川市)にあったが、同年の台風で大破して長年、解体・格納されていた。1982年、三溪園に移築。
■旧矢箆原(やのはら)家住宅
江戸時代(18世紀)の建築。白川郷の合掌造民家。岐阜県大野郡荘川村(現・高山市)より1960年移築。
■天授院
1651年(慶安4年)建築。元は鎌倉市の心平寺にあった地蔵堂。1916年に移築。横浜市指定有形文化財(建造物)
■白雲邸
■御門
■旧原家住宅(8棟) (略)https://ja.wikipedia.org/wiki/三溪園 三渓園内Map
少々長い引用ですので、簡単に私なりの理解を記載しますと、以下の様になります。
『三渓園は、実業家で茶人の原富太郎によって1906年(明治39年)に開園された(三溪園は原の号である三溪からつくけられたらしい…)、美しい日本庭園ですが、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置で見学できる建造物も魅力で、園内には、国の重要文化財建造物10件12棟(臨春閣(3棟)・月華殿・春草廬・旧天瑞寺寿塔覆堂・聴秋閣・旧東慶寺仏殿・旧燈明寺三重塔・旧燈明寺本堂・旧矢箆原家住宅・天授院)のみならず、横浜市指定有形文化財の建造物(白雲邸・御門・旧原家住宅(8棟))もある、日本庭園と歴史的建造物、そしてその調和を楽しむ事が出来る「大人散策スポット」』
少々個人的主観の入ってしまったサマリになってしまいましたが、以下三渓園の大人散策情報を記載させて頂きます。
【「三渓園」を大人散策!】
上記「三渓園の概要」を抑えさせて頂きましたので、実際の三渓園における大人散策情報を、私達夫婦が巡らせていただきましたルートをベースに記載させて頂きます。
上記の通り、居住地の川越を出て、電車1本で元町中華街駅まで行き、そこで地上に出て「山下町」のバス停でバスに乗り変え、「三渓園入口」のバス停で降車し、そこから徒歩でアクセスさせて頂きました。入口には、広い駐車場があり、ほとんどの方は車でいらっしゃるのかもしれませんが、川越から電車 & バスで(乗換えは1回のみ)で、当初は三渓園まで行けるとは思っていませんで「ちょっと時間調べて動く必要あるけど、三渓園ってこんなにアクセス良いんだ…」と思った次第です(土日限定で、バスもあるみたいですが…)。入口でチケットを購入し、正門から入場させて頂きました。
■正門~臨春閣(重要文化財)
正門からお邪魔させて頂くとすぐに、大きな池泉(大池)が目に飛び込んできて、その奥の高台に三重塔が見えます。正に三渓園を代表する景色を早々に拝見出来る訳です。しかしこの日は天候が怪しく、今にも雨が降り出しそうであった為、その感動を抑えつつ、少し足早に左手に大池、右手に蓮池を見つつ歩を進めると「鶴翔閣」が出てきます。旧原家住宅で、横浜市指定有形文化財の認識で、圧巻の車寄せですが(レンガ造りのボイラー室もありました…)、有料の施設となっている様で、中に入る事は出来ませんでした。
その後、再び大池の脇に出て、睡蓮池を右手に見つつ進むと、三渓記念館が出てきますが、先ずは歩を進めると「御門(横浜市指定有形文化財)」・「白雲邸(横浜市指定有形文化財)」が見えてきます。「御門」はくぐれますが「白雲邸」は、公開しておらず中は拝見できませんでした。ただ園路は、さすがの佇まいと言った感じで、「(個人的には)内部は、趣味のいい殿様の御殿と言った印象の建造物なんだろーな…」と思いつつ、そのまま道なりに行くと、進んだ先の右手に「臨春閣(重要文化財)」が見えてきます。
■臨春閣(重要文化財)~海岸門
「臨春閣」は、紀州徳川家にゆかりのある江戸期初めの建造物で、1915年に移築されたと言われる重要文化財。中々の佇まいで、前方の芝庭と池もセットで楽しむべき構造物だと思いますので、遠目に臨春閣を拝見しつつ、旧天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)や池(沢?)を越える橋(「門」の役割も?)も拝見しつつアクセスします。中には入れませんでしたが、お庭側から内部も拝見出来たので、お庭の景色と併せてお楽しみ頂くべきだと思います。更に、臨春閣の西には「聴秋閣」、一段高い場所に「月華殿(江戸草創期の建築・重要文化財)」、「天授院(江戸初期の建築・重要文化財)」がありますので、こちらも併せてご見学されるべきと認識しております。
「天授院」まで来たら、今度は斜面を下る形で戻り、「春草廬(安土桃山時代建築で織田有楽斎の作と言われる茶室・重要文化財)」・「蓮華院」を拝見します。それぞれの佇まいは、大人散策にはぴったりでですので、ゆったり見学を楽しむべきだと思いますが、私達夫婦がお邪魔した際、この辺りで雨が強くなり始めてしまったので、「海岸門」から足早に出て、南門方面に向かいました。
■海岸門~旧燈明寺三重塔(重要文化財)
足早に「海岸門」を出て、南門方面に行くと、その手前におトイレがあり、そこの軒下で一時雨宿りをしました。この近辺には池もあり、景色も良いスポットだと思いつつも、一瞬小降りになったタイミングで大人散策を再開。斜面を登って「旧燈明寺三重塔(重要文化財)」を目指しました。しかし、途中で再度雨が強くなってしまいましたので、少し急ぎ気味で丘を登り、今度は丘を登り切った先にある「松風閣」で雨宿り。ただ「松風閣」は、見晴らしの良い高台で、建物も展望台の様になっており、海まで見渡せますので、雨宿りによる足止めも、さほど気にはなりませんでした(雨により遠くまでは見えませんでしたが、景色の良いスポットである事は理解できました…)。
しかし中々やまない雨、「仕方ないので進もう!」と雨の中大人散策を開始しました。「松風閣」から「旧燈明寺三重塔」は、尾根道の様な感じで、高低差をあまり感じる事無く(少し下っていましたが…)アクセスする事が出来、その尾根道の突端に「旧燈明寺三重塔」が見えてきます。「旧燈明寺三重塔」は、室町期(1457年)の建造物で、1907年に移築されたと言われる重要文化財の建造物で、「三渓園の顔」とも言われるもの。雨の中ではなく、晴れた日にじっくりと鑑賞したかったのですが、あいにくの天候。しかし、『雨の中の「旧燈明寺三重塔」も中々絵になる』と思いつつ(自身に言い聞かせ?)、室町期の建築の歴史と風情を感じながら拝見し、南東側の階段を滑らない様に気を付けて下り、「林洞庵」に向かいました。
■旧燈明寺三重塔(重要文化財)~旧燈明寺本堂(重要文化財)
「旧燈明寺三重塔」から階段を下り、「林洞庵」を拝見した後、「旧東慶寺仏殿(江戸初期の建築・重要文化財)」を経由して、「旧矢箆原家住宅(江戸中期建築の白川郷の合掌造民家・重要文化財)」に参りました。「旧矢箆原家住宅」は、内部にも入れるようでしたが、あいにくの雨で足元はずぶ濡れ。靴を脱いで中に入るには、申し訳ないと思い、軒下から内部も拝見させて頂き、続いて「横笛庵」・「旧燈明寺本堂」を拝見させて頂きました。「旧燈明寺本堂」は、先ほど拝見した「三渓園顔・旧燈明寺三重塔」と同じ、室町初期の建築と言われる重要文化財。三重塔があった燈明寺の本堂と言う事は、恐らく三重塔よりも歴史のある建造物と思われ、三渓園の中でも最古の建造物(移築は1982年の様ですが…)と認識しております。
■旧燈明寺本堂(重要文化財)~三渓園茶寮~三渓記念館で三渓園の大人散策は終了し、宿泊予定のお宿へ
「旧燈明寺本堂」を拝見した後は、「三渓園天満宮」に参り、「観心橋」で池を渡って中島の様な場所にある「涵花亭」(東屋?)で景色を楽しみ、更に2つ橋を越え、「三渓園茶寮」に向かいました。雨の中少し急いで回ったので一休みしたかった事と、朝から何も食べずにいたので、遅めの昼食を軽くとる為です。メニューも中々豊富ですが、「天ざるうどん」と「おにぎりセット」をお願いし、夫婦でシェアして、お腹を満たしつつ一休み致しました。
「一休み」の後は…、と言いたいですが、基本ここで三渓園の大人散策はほぼ終了。「原三渓翁の碑」でこの三渓園を作ってくださった原氏に感謝しつつ、「三渓記念館」を拝見し(休憩スペース等があるインフォメーションセンター的な施設と認識)、三渓園を後にしました。三渓園を失礼した後は、参った際とは別のバス亭「本牧のバス停」まで徒歩で移動し(若干距離ありますが…)、そこでバスを捕まえました。全てのバスと言う訳ではないと思いますが、桜木町駅行きのバスに乗ったところ、宿泊予定ホテル(オークウッドスイーツ横浜)近くまで、一本で行く事が出来ました。「本町4丁目のバス停」で降車し、少し遠回りして、本ブログ別記事で紹介した「街路樹発祥の地」を回って、「オークウッドスイーツ横浜」に行ってチェックイン。夜の「屋形船Dinner」に備えた次第です。
【最後に】
以上が、「1906年の開園と言われ、日本庭園のみならず、歴史的建造物で有名な横浜市にある『三渓園』の概要とそれを踏まえた大人散策情報を共有」させて頂いた内容になります。
日本庭園として有名な三渓園ですが、そこにある建造物は、美しさだけでなく、歴史的価値も高い物。更に、日本庭園と歴史的建造物の調和も素晴らしく「大人が散策を楽しむ為のスポット」だと思った次第です。今少しイメージをお伝えするのであれば、本ブログ別記事で紹介しました「江戸東京建物園@小金井公園」と比較し、建造物の種類・数は少ないが、「庭園の観点」と「庭園と建造物の調和」の観点では、三渓園に軍配が上がると思われ、『アカデミック的要素の強い「江戸東京建物園@小金井公園」』 vs 『詫びさび的な芸術性的要素の強い「三渓園」』と言った印象を持った次第です。
1泊2日の横浜への小旅行の最初にお邪魔した「三渓園」ですが、別記事で「横浜と言う街の歴史(由来)とその概要」・「1泊2日の横浜小旅行の全体図(サマリ版)」・「屋形船でのディナー」・「お世話になったお宿・オークウッドスイーツ横浜」・「大人散策@横浜」・「横浜中華街 京華樓 本館でのお食事」と言った情報を記載しておりますので、併せてご参照頂き、皆様の大人散策の参考になれば幸いと思って折ります。
尚本ブログでは、東京旧古河庭園、東京椿山荘、神戸相楽園、京都無鄰菴、高松栗林公園、熊本水前寺成就園、山梨恵林寺庭園、甲府常磐ホテルの庭園、平泉毛越寺庭園、名古屋徳川園、二条城二の丸庭園、川越喜多院の紅葉山庭園/中院の庭園、熱海の起雲閣、旧芝離宮恩賜庭園、小石川後楽園、清澄庭園、浜離宮、六義園、新宿御苑、日本三名園:金沢兼六園・岡山後楽園・偕楽園等、全国各地の庭園も紹介しており、「日本庭園のカテゴリ分け(庭園分類)」に関しても記載しております(更新中あり)ので、下記一覧表をご活用いただき、ご参照頂けますと幸いです。