【はじめに】
こちらのページでは、「本ブログ別記事で紹介いたしました『岡山城の歴史を抑え、周囲も含め大人散策をプランニング!』に基づき実施した『実際の岡山城における大人散策』の報告」をさせて頂こうと思います。
別記事で紹介させて頂きまた「岡山城」。 「日本三名園の1つ・岡山後楽園」も隣接する「岡山城」ですが、2024年9月、お邪魔させて頂く事がきました! 外観復元天守ですが、「特徴的な形の天守」や「ダイナミックな石垣 & 宇喜多氏時代の古い石垣」、そして「現存する月見櫓」等をじっくり拝見させて頂いた次第です。その時に撮影した写真と含め「岡山城の人散策の様子」を共有致します!
岡山後楽園の様子

(尚、今回の「岡山城」は、「姫路・岡山を巡る5泊6日の旅」の中でお伺いさせて頂きました。つまり、「世界遺産 & 国宝・姫路城」・「姫路城お隣の庭園群・好古園」・「姫路でのお宿・モントレ姫路」・「備中松山城の城下町(石火矢ふるさと村付近)を大人散策」・「唯一の山城の現存天守・備中松山城」・「ベンガラの街並みが魅力の吹屋での大人散策」・「備中松山での拠点宿で、一軒貸しのお宿天籟」・「白壁の街並みが魅力の倉敷美観地区の大人散策」・「日本三名園に数えられる岡山後楽園」・「宇喜多氏・小早川氏・池田氏の居城として有名な形岡山城」・「岡山での拠点宿・吉備の湯ドーミーイン岡山」・「岡山のおすすめレストラン:焼肉ダイニング HACHIYA」等も記載して折りますので併せてご参照頂けますと幸いです)
【岡山城を大人散策 @2024年9月】
別記事で「岡山城における大人散策のプランニング」を紹介させて頂いた際、以下の感じで、大枠のコースを設定させて頂きました。
- 先ずは「日本三名園の1つ・岡山後楽園」の大人散策から開始
- その後、「岡山後楽園」を「南門」から失礼し、「月見橋」を越えて「岡山城」へ
- 「岡山城の本丸の西側」を大人散策した後、「天守」を目指す
- 「天守」を外から & 中から拝見し、本丸内を大人散策
- 「不明門」を出て、南側の曲輪で「石垣」や「櫓跡」を楽しみ「目安橋」で「内堀」を渡る
- 「目安橋」からは、もう一つの現存する「西丸西手櫓」を目指す
簡単に言ってしまえば、「『岡山城』と『日本三名園の1つ・岡山後楽園』をセットを楽しみ、その周囲の遺構にも脚を伸ばす」といったプランで訪問させて頂こうと思った次第です。結果から記載しますと、少々駆け足になってしまいまい、道にも若干迷ってしまいましたが、上記は達成でき「『岡山城』と『日本三名園の1つ・岡山後楽園』をセットで大満喫」する事が出来た次第です。以下にその具体的な内容を記載いたします(「岡山後楽園」に付きましては、別記事にて報告いたします)。
岡山城天守を様々な角度から!
■スタートは岡山駅
前日「現存12天守唯一の山城・備中松山城」のある「備中高梁駅」から「岡山駅」に移動し「吉備の湯ドーミーイン岡山」に宿泊しておりましたので、この日の朝一、まずは電車で「倉敷美観地区」に移動。午前中に「白壁なまこ壁の屋敷や蔵が立ち並ぶ『倉敷美観地区』の大人散策」を楽しみ、午後には倉敷から岡山に戻り、「岡山後楽園」・「岡山城」と大人散策を実行した次第です。
14時前位に岡山駅に付き、岡山での大人散策をスタート。まずは、「岡山後楽園」を目指した次第です。若干迷いつつ何とか「岡山後楽園」に到着し、西側の「正門」から入り、(若干駆け足でしたが…)1.5時間程度かけて庭園を満喫。予定通り「岡山城」に続く橋・「月見橋」に近い南側の出口(=「南門(岡山城口)」)から「岡山後楽園」を失礼し「岡山城」に向かった次第です。
岡山駅・岡山市街・岡山後楽園・月見橋とそこからの景色
■「岡山城」北側の「廊下門」から入り「天守西側の曲輪」へ
「岡山後楽園」の南側の出口・「南門(岡山城口)」から、「岡山後楽園」を失礼し、「月見橋」経由で「廊下門(搦め手?)」の方に向かいましたが、「月見橋」からの「岡山城」天守のお姿は、立派の一言。復元天守の認識ですが、「外観復元天守」なので、「そのお姿は江戸期から続くお姿」と思いつつ、何枚も写真に収め、更には天守北側は、すぐ脇まで近づける環境でしたので、夢中になって写真を撮り、改めて「立派だな…」と思いつつ、「廊下門(搦め手?)」や「その周囲の石垣」、江戸初期の建造物と認識する国の重要文化財「月見櫓」も、マジマジと拝見させて頂きました。この付近の石垣は、(「綺麗な布積と言うより、乱積的に見える部分もあった」と言う意味で)成形された石を布積チックに積んだ「布積勝ち乱積 / 打込接」と言う感じに見えた石垣は迫力十分。「これが岡山城の石垣か…」と思いながら、「廊下門」をくぐり、「天守西側の曲輪」に向かった次第です。
天守北側の様子
■「天守西側の曲輪」から「不明門」を経由して「天守のある中枢」へ
「廊下門」をくぐり、階段を登って「天守西側の曲輪」に行くと、結構多くの見所がありました。「宇喜多氏時代の石垣」・曲輪の内側から見れる「国の重要文化財で、数少ない岡山城における現存構造物の『月見櫓』(岡山城の現存建造物は、この「月見櫓」と「西丸西手櫓」の2つと認識)」・天守側の石垣上の「土塀に施された狭間」・「数寄方櫓跡」・「西多聞櫓跡」・「泉水跡」・「伊部櫓跡」・「表書院跡」・「大納戸櫓跡」等々の見所があり、「宇喜多氏時代の石垣は、今見える石垣と基本同じに見えるが『野面積』の感じが少し強いかな…」といった感じで岡山城の歴史に付き、勝手に思いを馳せる事が出来た次第です。また、「西多聞櫓跡」・「大納戸櫓跡」付近からは、西 / 南側の一段低い場所にある「内堀」と「石垣」を、真下に見渡すことが出来、このお城の堅固さを実感する事もできる空間だと思った次第です。
天守西側の曲輪の様子
この「天守西側の曲輪」で「岡山城」の歴史に思いを馳せ、お城の堅固さを感じた後は、「不明門」から「天守のある中枢」に参ったのですが、「不明門」も圧巻のお姿。「赤みががかった不明門の石垣」と「そこに配置された鏡石」も大変立派なもので、更にそこに続く「石垣 & 土塀(狭間含む)」も中々の迫力。「本丸の中の中枢で、天守のある曲輪は、更に厳重に防御されていたんだな…」と思いつつ、「天守のある中枢」に向かった次第です。



■「天守のある中枢」で「天守」周辺・外観・内部を堪能
「不明門」をくぐり、階段を登ると「天守のある中枢」に入ります。階段を登った瞬間「岡山城の天守」が目に飛び込んでくる訳ですが、その表情は、月見橋付近から拝見したお姿と全く違うもの。ご承知の通り「岡山城天守の平面は『四角形ではなく多角形(変形五角形?)』の物」で、見る角度によって、全く違うお姿に見える訳ですが、「不明門」の階段を登って見えた瞬間が、最も「岡山城天守の幅の広さ」を感じる構図でないかと思う次第です。「『大きな二等辺三角形の天守』に『付櫓の四角』がついた感じ」に見えるそのお姿は、「岡山後楽園から拝見したお姿」とも、「月見橋付近で拝見したお姿」とも全く違う景色で、「これこそ岡山城の魅力の1つ!」と思ってしまいました。
不明門~岡山城天守
そして、いよいよ「岡山城の内部」に参った次第ですが、内部は普通に現在の建造物。エレベータもあり、普通に博物館と言った感じの内部ですが、内部を拝見して非常に良かったと思って折ります。それは 2点あり、1点目は「歴史学者の磯田氏監修と思われる展示があった事」で、2点目は「岡山城の曲輪構成を感じられた」という事です。
岡山城天守内の展示
岡山城内部の展示は、ある一定の期間で変更されるのかもしれませんが、私達夫婦がお邪魔した際には、「(レプリカで、ほんのわずかな空間ですが)日本刀や火縄銃を実際に手にできる環境」が整えられていました。知識では「戦国期の戦は日本刀や火縄銃により行われていた…」と認識していても、「実際にどの程度のサイズ感で、どの程度の重量の物を使用していたのか肌で感じる事」は中々できないと思って折り、(本ブログの主要テーマである『大人散策』も同様ですが)『知識』と『実感』の両方があって初めて理解できる(この場合は「腑に落ちる」と言う表現が適切?)と個人的には強く思って折り、それを実現できる形で展示している岡山城の展示は、「さすが磯田先生!」と思った次第です。また、岡山城の天守は復元天守ですが「外観復元天守」。つまり「『内部は違っているが、外観は江戸期のまま』=『天守から見える景色は江戸期の眺望(勿論見える構造物は違いますが…)』」と理解しています。言い換えると「『梯郭式』と言われる岡山城の縄張りは『旭川の対岸方面が手薄』と言われる縄張りの為、これを補うべく岡山後楽園を造園した(=岡山後楽園はいざと言う時の軍事拠点)」と言う説が、「実際に天守に登って岡山後楽園の景色を拝見すると『この説は正しい! この距離で敵に迫られたら旭川の対岸と言えど、危ないと思う…』と感じてしまった」と言う事です。これも上記同様に、(真意の程は置いておいて…)『知識』と『実感』の両方が有って初めて見えた景色。実際に拝見し「岡山後楽園は、いざと言う時の軍事拠点」と言う説を信じるようになった次第です。
岡山城天守からの景色
■「天守のある中枢」で「天守」周辺・外観・内部を堪能した後、再び「不明門」経由で「鏡石の密集地帯」へ
「天守のある中枢」で、「岡山城天守の幅の広さ」・「知識と実感の両方が交わった『磯田先生監修の展示』と『天守から見える岡山後楽園の景色』」で岡山城を感じた後は、天守を出て「岡山城の中枢の曲輪」を散策。「六十一雁木門(その横の「石塁跡」は拝見できませんでが…)」・「(移動して再現したらしいですが)天守礎石」・「(内側から)三階櫓跡」等をそれぞれ拝見し、再び「不明門」をくぐって、「鉄門跡」の階段を下り、「(外側から)三階櫓跡」を含む周囲の「本丸本段南東側 高石垣」・「弓櫓跡」・「槍櫓跡」・「旗櫓跡」・「宍粟櫓跡」・「中門跡」・「供腰掛(新しい建物?)」の展示を拝見しつつ、「舂屋櫓跡」・「南西石垣」に至った次第です。この「南西石垣」は、先に上部から「内堀と石垣」を拝見した景色の真下。中々の迫力で石垣を拝見できるスポットで、上記、下ってきた園路と併せて岡山城本丸の規模感を感じられた次第です。
天守のある中枢~鉄門跡を下った付近
そして、その「南西石垣」のすぐ南には、「多くの鏡石が置かれた石垣」があるのですが、この石垣が圧巻の物。普通「鏡石は1つの大きな、築城者の力を示す巨石」と思ってしまうと思いますが、岡山城のこの場所には、いくつもの鏡石が置かれた「鏡石の密集地帯」でした。岡山後楽園でも、「大きすぎて運べないので、一度割って運び、再び現地で組み直した巨石」があったので、『「石の加工/運搬技術」に優れていたのかな?』と思うと同時に、「何処まで力を見せつけたいんだ?」とも思ってしまった次第で、圧巻の鏡石群は、岡山城の顔とも言って良い気がした次第です。
南西石垣~鏡石の密集地帯
■「鏡石の密集地帯」の先の「目安橋」を渡り「西丸西手櫓」へ
「鏡石の密集地帯」で多くの鏡石を拝見した後は、「内下馬門枡形跡」・「太鼓櫓跡」を拝見しつつ、「目安橋(内下馬橋?)」から岡山城を失礼し、大きな「内堀」を拝見しつつ、「西丸西手櫓」を目指しました。途中「生坂藩邸移築向屋敷門」・「桜門跡」・「林原美術館 中蔵/西蔵(お城の遺構か否か不明…)」等を見ながら歩を進めると、明らかに枡形門跡と思われる立派な石垣が残る「石山門跡」の交差点に出ました。非常に立派な「赤い石の石垣」で、現地の説明看板には「1945年の岡山大空襲で焼失してしまい、現在見れれる『赤い石の石垣』は、『その空襲により焼けた痕跡』」との記載がありました。岡山城の天守も岡山大空襲で焼失してしまった認識で、しかも天守台の石垣は、先の写真の通り「赤い石」で構成され、また「不明門」の石垣も同様に「赤い石」によるものだったので「岡山城の赤い石垣は、太平洋戦争の悲しい歴史の痕跡なのか?」と思ってしまった次第です。
目安橋(内下馬橋?)~林原美術館 中蔵/西蔵(お城の遺構か否か不明…)
そんな想像をしつつ「石山門跡」を北上し、江戸期前 or 初めに作られたとも言われる重要文化財の「西之丸にある西手櫓」を拝見すべく「西之丸跡」に向かったのですが、門がしまって折り入る事が出来ませんでした…。現在は学校なのか、市の施設なのか正直解らず、普段は空いているのか(そのつもりでしたが…)、予約が必要なのかも解りませんでしたが、「門が締まっている以上、入る訳にはいかない…」と、後ろ髪を引かれる思いで諦め、宿泊先の「吉備の湯ドーミーイン岡山」を目指したのですが、神の思し召しか、偶然一般道のコインパーキング越しに「西手櫓」を拝見する事が出来ました! 実際に「西手櫓」を拝見できたポイントは、最下部の地図をご参照頂きたいのですが、ビルの合間から見える、石垣の上に建つ「西手櫓」は、岡山城の当時の遺構が残る「月見櫓」と同様、国の重要文化財で、岡山城に2つだけ残る、戦火を潜り抜けた現存建造物。最後の最後にこの「西手櫓」を拝見できたことは本当にうれしく思え、気分良くお宿「吉備の湯ドーミーイン岡山」に戻り、この日のスケジュールをコンプリートした次第です。
石山門跡~西手櫓
【最後に】
以上が、「本ブログ別記事で紹介いたしました『岡山城の歴史を抑え、周囲も含め大人散策をプランニング!』に基づき実施した『実際の岡山城における大人散策』の報告」をさせて頂いた内容になります。
ちなみに、「岡山城」に参らせて頂いた日の行程は上記の感じですが、今少し広い視野の「姫路・岡山を巡る5泊6日の旅の全体図」で記載しますと、以下の旅の行程の中でお邪魔させて頂きました。「岡山後楽園」を含む、「倉敷美観地区」・「岡山城の大人散策」、「岡山での拠点・吉備の湯ドーミーイン岡山」は勿論、その他のスポットも大変すばらしく、非常に満足できる旅になった次第ですので、併せてご参照頂き、皆様の旅のプランニングにおける参考になれば幸いと思って折ります!
- 初日:自宅のある川越を出発し、新幹線で姫路駅まで行き、姫路城にお邪魔した後、好古園にもお邪魔して、ホテルモントレ姫路に1泊
- 2日目:ホテルモントレ姫路 を出発し、姫路駅から備中高梁駅に移動した後、備中松山城の城下町付近を大人散策して、備中松山城の登城口近くにある天籟に2泊目
- 3日目:天籟を出発し、備中松山城に徒歩で登城し、天籟に戻って3泊目
- 4日目:天籟を出発し、レンタカーを借りて吹屋の街並みを大人散策して、備中高梁に戻り、備中高梁駅から岡山駅へ移動し、焼肉ダイニング HACHIYAで夕食を頂き、吉備の湯ドーミーイン岡山で4泊目
- 5日目:吉備の湯ドーミーイン岡山を出発し、岡山駅から倉敷駅に移動した後、午前中に倉敷の街並みで大人散策を楽しんで、午後には岡山駅にもどり、更に岡山後楽園と岡山城を巡った後、吉備の湯ドーミーイン岡山に戻って5泊目
- 6日目:予備日として想定していましたが、つつがなく予定を遂行できましたので、朝からお宿の温泉を楽しみ、12時前に吉備の湯ドーミーイン岡山をチェックアットして、昼食を食べて、岡山駅から新幹線で川越に帰宅
尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城、国宝5天守、現存12天守、現存4御殿、等のお城の分類と共に、姫路城・彦根城・松本城・松江城・川越城・二条城・熊本城・高知城・掛川城・小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。