【はじめに:川越でのポタリングから古墳を発見】
こちらのページでは、「皆様の大人散策に貢献をすべく、埼玉の川越を中心に点在する『古墳 / 塚』の情報を共有」させて頂きます。
いきなりですが、皆さんは、古墳を訪れた事はありますか? 私達夫婦は、歴史好きと言う事もあり、自宅近辺を散歩したり、自転車で軽く回ったり(ポタリングしたり)しているのですが、その道中、「ここって古墳なの?」と思える場所に出会う事があります。「古墳」と言うと、「はるか昔」の話で、学生時代に日本史の授業で習った程度。有名な「仁徳天皇陵古墳」のある「百舌鳥・古市古墳群」、川越から近い所で、行田の「さきたま古墳群」(別記事で紹介しています)、長野(善光寺周辺)に行った時にお邪魔させて頂いた「森将軍古墳」(別記事で紹介しています)と言ったて程度の知識で、あまり縁がないものだと思っていましたが、以外と川越周辺にも、大小の「古墳」がある事を、昨今知った次第です…。
そんな私達夫婦が、大人散策・ポタリング中に出会った、川越周辺の古墳を、今回はご紹介致します。すなわち、「皆様の大人散策に貢献をすべく、埼玉の川越を中心に点在する『古墳 / 塚』の情報を共有」させて頂きます。
【古墳とは?】
「古墳」に関してはあまり知識がないので、まずは、そもそも「古墳とは?」に付き、Wikipedia の力を借り、調べてみますと以下の様にあります。
古墳(こふん)とは、原義・第1義としては「古い墓」「古人の墓」を意味する。少なくとも平安時代中期以来の日本語(漢語)であるが、第2義・考古学的語義・近代以降現代の語義としては「盛土(封土)をした古代の墳墓」「墳丘墓」を意味する。そしてまた、最狭義には、日本の古代に属する一時代(古墳時代という)に築造された特定の形態の墳丘墓を指す歴史用語である。高塚(たかつか)ともいう (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/古墳
私の頭で簡単に理解するなら、「古いお墓」と言う事でよいと思いますが、少なくとも、「1000年単位のお墓」と言う事の様です。そうなると、歴史を感じざる負えないと思い、何がある訳ではありませんが、その場所を訪れてみて「なぜここに古墳が作られたのだろう?」といった事を考えてしまいます。では、川越には、周辺も含め「どんな古墳が、何処に」あるのでしょうか? 以下にそれぞれ記載いたしますので、ご参照ください。
【川越(近郊含む)の古墳って何処にある?】
上記、「古墳の概要」を抑えさせて頂きましたので、こちらでは「歴史を感じる、川越近辺の古墳」をいくつか紹介したいと思います。今回こちらで紹介する以外にも、まだまだある様ですが、まずは、私達夫婦が参らせて頂いた「古墳」を以下に列挙しますので、皆さまの大人散策における情報となれば幸いです。
1.山王塚古墳
「山王塚古墳」は、「上円下方墳」という「古墳」だそうです。「”四角” の上に”丸” がのっかっている」と言った所でしょうか…。また、「上円下方墳」としては「東日本で最大級の古墳」になる様です(本ブログ別記事でも紹介しています)。Wikipedia には以下の様にあります。
南大塚古墳群(みなみおおつかこふんぐん)は、埼玉県川越市にある古墳群。現在、関越自動車道が古墳群を貫いている。現存する古墳は山王塚古墳など13基で、1969年(昭和44年)に埼玉県選定重要遺跡に選定された。このうち山王塚古墳(さんのうづかこふん)が2023年(令和5年)3月20日に国の史跡に指定されている (略)
山王塚古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/南大塚古墳群
南大塚古墳群中最も東に位置する。上円下方墳という特異な形態をしており、1958年(昭和33年)に川越市指定史跡に指定された。下方部の一辺63メートル、高さ1メートル、上円部直径47メートル、高さ3.5メートル。1991年(平成3年)と1996年(平成8年)に周溝の発掘調査が行われている (略)
上記にもございます通り、昨今、「国指定の史跡」に格上げされた古墳で、別記事でも紹介しましたが、「古墳の上」には、「お猿さん」が「神使」として守護する(狛猿?)「山王社」がありますので、併せて見学されてみては如何かと思います(お参りもお忘れずに!)。





また、2023年5月にお伺いした際、国の指定史跡になった為か説明看板がリニューアルされていました
2.中原古墳
「中原古墳」は、上記「山王塚古墳」同様、「南大塚古墳群の1つ」として、認識している「古墳」。畑と住宅街が隣接しており、近寄れませんでしたが、近くの道路から遠望を見る事が出来ます。
山王塚古墳と中原古墳(最後1枚)の様子
3.菅原神社東古墳
「菅原神社東古墳」は、16号線に面した場所にあり、南側には神社があります。16号線から見て「奥側(北側)が古墳」になる様です。徒歩・自転車であれば、16号線から北側を平行に走る「入間川街道」に出る事が出来ます。




4.タヌキ山古墳
「タヌキ山古墳」は、住宅街の普通の公園内に少々小高い塚があり、何故かその上に「タヌキの置物」が鎮座した「ユニークな古墳」です。


5.御伊勢塚
「御伊勢塚」は、綺麗な住宅街の角にある公園で、その公園内の「南側に位置する塚」です。「的場66塚」の1つになる様ですが、「多くの古墳は、消滅」してしまっているようです。ちなみに、移動中に「最寄り駅になる認識の的場駅」で、「的場の名前の由来」なる看板を見つけましたので、併せて紹介思します(本ブログ別記事で、元々の川越発祥の地とも言われる上戸・的場近辺の大人散策情報、この付近を通っていたと言われる東山道武蔵路の散策情報、的場八景等、別記事にて紹介しています)。





6.鶴ヶ丘稲荷神社古墳
「鶴ヶ丘稲荷神社古墳」は、7世紀の後半あたりに作られたと思われる「方墳」形の「古墳」だそうで、Wikipedia には以下の様にあります。
鶴ヶ丘稲荷神社古墳(つるがおかいなりじんじゃこふん)とは、かつて埼玉県鶴ヶ島市にあった方墳である (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/鶴ヶ丘稲荷神社古墳
1973年(昭和48年)の発掘調査で鶴ヶ丘一号墳など複数の古墳が存在したことが明らかとなり、一帯にはかつて古墳群が存在したものと推定され、「鶴ヶ丘古墳群」と命名された。しかし多くの古墳はかつての山林を戦後、大規模に畑地として造成した際に消滅してしまったと推定された。
鶴ヶ丘稲荷神社古墳は、鶴ヶ丘古墳群の中で唯一墳丘を残していた古墳であったが、1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)に行われた発掘調査ののち、宅地化され消滅した。現在、かつて古墳があった場所から南西側約50メートルの公園内に墳丘・石室・周溝が復元されている (略)
宅地化により消滅してしまった事は残念ですが、子供たちが元気に遊ぶ公園で「復元された古墳の一部」を見学出来る事は、とても良い事だとも思った次第です…。



7.浅間宮(初雁?)塚 (三芳野塚・福禄塚も併せて…)
「浅間宮塚」・「初雁塚」と呼び名が「いくつかある」様で、「本当に塚か否かも、正確には判明していない」様ですが、古い地図を見ると ”初雁塚” と書いてあるケースもある様です。詳細不明ですが、この地域では有名な「牛塚古墳(下記参照)」の近くなので、また「的場八景」にも選ばれたスポットの様ですので、併せて脚を運んで見てはいかがでしょうか?
ちなみに、上記にも記載しましたが、「この地域には、多くの古墳があった」と言われておりますが、その多くが都市化の波に飲み込まれてしまった様です。そんな状況ですが、この地域の遺跡や古墳を示した地図を発見しましたので(散歩 山歩 餐歩 参歩(https://zatuho.seesaa.net/article/a52021101.html?seesaa_related=category)より)、参考までにご参照ください。「この地域で最大と言われた『三芳野塚』」や「福禄塚」の位置関係も示されています。最下部の地図にそれぞれの推定値も記載しますし、近くに別ブログで紹介した、国指定史跡の河越氏館跡がありますので、下記の「牛塚古墳」と併せて大人散策されてみては如何かと存じます。






三芳野塚の推定地と言われる霞ヶ関第5公園・自身が思う三芳野塚推定地の様子、的場周辺の古墳・遺跡出土地点の地図(散歩 山歩 餐歩 参歩(https://zatuho.seesaa.net/article/a52021101.html?seesaa_related=category)より)と周辺地形図(地理院の地図より自身で加工)
8.牛塚古墳 (三芳野塚・福禄塚も併せて…) (2021/07写真追加)
「牛塚古墳」は、6世紀末から7世紀初めに作られた、「川越地方においては最大の前方後円墳」だそうで、出土品は本ブログ別記事でも紹介しました、川越市立博物館に展示されております。尚、「牛塚古墳」に関しては、Wikipediaには以下の様にあります。
牛塚古墳(うしづかこふん)は、埼玉県川越市にある前方後円墳である。的場古墳群を構成する一基。
概要
https://ja.wikipedia.org/wiki/牛塚古墳_(川越市)
入間川左岸の台地上に築造された全長47メートル、後円部径27メートル、前方部幅27メートル、高さ4メートルの小型前方後円墳で前方部を北西に向ける。川越地方においては最大の前方後円墳であり、墳丘は3段構築で墳丘に相似な周溝を巡らせている。 (略)
築造時期は、わずかながら埴輪が発掘されていることから6世紀末から7世紀初頭とみられ、また金銅製指輪が出土したことから被葬者は高句麗系渡来人に関わりのある人物と推定されている (略)
牛塚古墳 の様子と川越市立博物館の展示物
ちなみの追加情報として、こちらの「牛塚古墳」を訪れた際、ご近所の方に「牛塚古墳のある前の道の事を『モーモーコース』と言う…」と言ったお話をお伺いしました…。なんでも、「昔牛を飼っているお家があったから…」とか、「牛塚があるから…」とか言われていいる様ですが、ホントの理由は分からないとの事です…。しかし、『「川越地方最大級の前方後円墳」である「牛塚古墳」の前の道が、「モーモーコース」って何とも面白い話』でしたので、話のネタになればと思い、共有申し上げた次第です…。
また上記、「浅間塚(初雁塚)」のパートでも記載しましたが、「この地域で最大と言われた『三芳野塚』」や「福禄塚」も、跡地でですが近いので(最下部の地図にそれぞれの推定値も記載します)、そして、近くに別ブログで紹介した「国指定史跡」の「河越氏館跡」もありますので、併せて、この「的場・上戸地域を大人散策」される事をお勧めします。
9.愛宕神社古墳(父塚)
「愛宕神社古墳(父塚)」は、「仙波古墳郡」の一つになるようで、すぐ「北」を「16号線」が走っています(16号線の反対側には、以下に紹介する「氷川神社古墳」があります)。また、「南」に目を向けると、「急斜面の崖」になっており、その崖下には「仙波河岸史跡公園」があります。ちなみに、昔は、ここでちゃんと水が湧いていたそうで、別記事で紹介しております「『新河岸川における舟運』の『河岸』の1つで、その最上流部にあたるのが、この『仙波河岸』」だそうです。
愛宕神社古墳と裏手にある延命地蔵尊、高低差はありますが、隣接する仙波河岸史跡公園
10.氷川神社古墳
「氷川神社古墳」は、「愛宕神社古墳」の北側・16号線を挟んだ反対側の「仙波氷川神社」の境内にあります。つまり、神社の中にある「古墳」で(古墳があったから神社が出来た?)、鳥居をくぐった右側にすぐ出てきますが、小さいので、見落とさないようにしてください。また、「愛宕神社古墳」には、「仙波河岸史跡公園」より、16号線の下のトンネルをくぐる形で、アクセス可能です。尚、こちらも「仙波古墳郡」の一つになるようです(別ブログで紹介した、フレンチレストラン「アポワン」の直ぐ近くです)。





11.浅間神社古墳(母塚) (2021/07、2023/05 写真追加)
こちら「浅間神社古墳(母塚)」も、「仙波古墳郡」の一つになるようで、16号線沿いにある「古墳」です。本ブログ別記事でも紹介しましたが、その山頂には「浅間神社」があり、本殿は「お猿さん」が両脇を固めております(狛猿?)。これは、「富士山信仰」において「富士山は猿の日に現れた為、その『神使は猿』」とされている事に由来すると理解しております。また、その「浅間神社」の裏側には、「富士山の火口」を模した「穴」がありますので、併せてご見学されてはいかがかと思います。
浅間神社古墳の様子と川越市立博物館の展示物
12.仙芳仙人塚・本地堂瑠璃薬師殿跡
「仙芳仙人塚・本地堂瑠璃薬師殿跡」は、川越を代表する観光スポットである「喜多院」のルーツとなる「古跡(こせき(=遺跡?))」の1つで、「小さな古墳」と考えられているようです。「喜多院」側からだと、少々入口がわかりにくいので、最下部の地図を参照しつつ、気を付けて探してみて下さい。



13.三変稲荷神社古墳 (2021/07写真追加)
「三変稲荷神社古墳」は、4世紀後半に作られた「古墳」の様です。こちらも「喜多院」から近いのですが、住宅街の中にありますので、気を付けて探してみて下さい。尚こちらも、「仙波古墳郡」の一つになるようです。(本ブログ別記事でも紹介しています)






14.慈眼堂古墳
「慈眼堂古墳」は、「喜多院」の境内にあり、「喜多院中興の祖」と言われる「天海(=明智光秀とも?)」のお墓と「喜多院歴代の住職」の方々のお墓も、この場所にあります。こちらも、「仙波古墳郡」の一つになるようです(本ブログ別記事にて、「喜多院の大人散策情報」や「明智光秀と同一人物とも言われる天海」に関する考察を加えております)。



15.日枝神社古墳
「日枝神社古墳」は、「喜多院」の直ぐ東側にあり、この「古墳」がある「日枝神社」は、「東京にある日枝神社」の「本社」になるとの事です。尚この「古墳」も、「仙波古墳郡」の一つになるようです(「喜多院の目の前にある古墳」と言った方が判りやすいかもしれません…)。ちなみにこの付近は、『童謡「♪あんたがたどこさ♪」の発祥の地』とも言われているそうですが、信じるも信じないも皆様のご判断を頂きつつ、その歴史に思いを馳せ、参拝されても良いと思います。
日枝神社古墳と日枝神社の様子、「♪あんたがたどこさ♪」に関する掲示
16.富士浅間塚
「富士浅間塚」は、「入間川のサイクリングロード」の「反対岸のサイクリングロード?」を進み、川越方面から「釘無橋」を過ぎて、しばらくすると出てきます。単純な「塚」なのか、「古墳」なのか不明ですが、石碑には、「富士浅間塚」とあります。また参考情報として、移動中に「釘無橋」の近くで、「”釘無の渡り” と言う看板の横に、”お地蔵さん”」を見つけました。「釘無の渡り」ですから、「釘無橋」が架かる前は、この場所に「渡し」があったと言う事と理解しました。
富士浅間塚 と 釘無橋付近にいらっしゃった「釘無の渡・角泉の渡」と看板にあるお地蔵様 (2023年5月、これまで堤防下いらっしゃいましたが、工事の為か、堤防上に移動されていました(最後の写真3枚))
17.男塚 (2021/08追記)
「男塚」は、川越駅から埼京線(=川越線)で、大宮方面に行った、お隣の「南古谷駅」から、徒歩20分程度、南に行った所にあります。勿論、川越の市内からであれば、自転車(ポタリング)でも十分射程圏です。地形的には、「なぜここに古墳?」と思ってしまう部分もありますが、しっかりとした「古墳」で、隣には、男塚公園があり、こちら「男塚古墳」とセットで、子供たちの格好の遊び場の様です。




18.八雲神社古墳 (2023/07追記)
川越駅の南西2㎞弱の所に「八雲神社」はあります。別記事でも記載いたしましたが、この「八雲神社」は、「埼玉県の無形民俗文化財」に指定されている「中台の祭りばやし」が有名な神社との事の様で、年に何度かある「地域のお祭り」や「川越まつり」の際に、「祭りばやし」を楽しむ事が出来る様です。同時にお伝えしたいのは、こちらの神社の「社殿」は、「古墳の上」に立っていると言われているという事です。現地でも説明看板を見つけられませんでしたので、詳細不明も、『「円墳」の「八雲神社古墳」』と言われている様で、実際に現地を歩くと、しっかりと「その形」を認識する事が出来ます。






19.岸町横穴古墳群 (2023/07追記)
川越駅の南、1㎞強の岸町と呼ばれるエリアの「段丘面」に、「骨山」(通称)と言われる「横穴古墳群」があります。ちょっと不気味な名前ですが、昔建設作業中に、「横穴」や「その中に人骨」が見つかったと言われる場所で、古墳時代後期~末期の「古墳」と言われている様です(ただ現地で、「横穴その物」を見つける事は出来ませんでした…)。段丘の上からの景色は良く、別記事で紹介した、「岸町の熊野神社」もすぐ近くのスポットで、併せて回って頂き、景色を堪能してみてはいかがかと思う次第です…。



20.的塚? (御嶽神社) (2023/08追記)
川越市のJR川越線・的場駅と東武東上線・霞ヶ関駅のちょうど中間あたりに、地元で「的塚」と言われるらしい「御嶽神社」があります。この周囲には、上記でも紹介した「牛塚古墳」や「浅間塚(初雁塚)」、「御伊勢塚」等もあり、近くを「東山道武蔵路」が通っていたと言われる「的場66塚」のエリア(別記事で川越発祥の地と目される周囲の見所を紹介中)と思われ、こちらの「御嶽神社」が、「的塚」であるか否か少々見えない部分もありますが、「新編武蔵風土記稿には、『的塚の上に御嶽神社がまつられた…』といった記載もある様」なのでご紹介します。



21.六塚稲荷神社 (2023/08追記)
川越の観光名所の1つ「菓子屋横丁」の道を挟んだ北側、「川越児玉往還」が新河岸川がを越える「高沢橋」の袂に「六塚稲荷神社」がございます。この「六塚稲荷神社」は、太田道灌の父、太田道真が周囲にあった「6つの塚」を整備し「6つの稲荷社」を作った後、1か所にまとめて「合祀した神社」で「六塚稲荷神社」と言う事の様です。





現在のこの場所が「古墳」であったか否か不明ですが、地形から推察して、「古墳跡(元々の6つの塚の内の1つ)」であってもおかしくないと思った次第です。「川越城と江戸城を築城(1457年)した親子」の「痕跡」で、その頃の出来事と思われますので、その歴史に思いをはせつつ、「本殿の素晴らしい彫刻」と併せて見学頂ければと思います。




22.玉落塚3号墳 (2024/10追記)
川越の中心部から少し距離がありますが、入間川を越える「八瀬大橋」(東山道武蔵道のルートもこの辺りを通っていた?)の北西1㎞ちょっとの所に、「玉落塚3号墳」がございます。どの様な「古墳」か情報を見つけられていませんし、「3号古墳」と言うくらいなので、「1・2号古墳」も近隣にあるのでしょうが確認できていません…。また、隣接する「安比奈八幡神社」の方からアクセスでき、「古墳北西を通る道」からも拝見できますが、草木に覆われ詳細を確認するのは難しかったです…。ただ思った事は、『古墳の北西から南西にかけて「堀」の様な「痕跡」』も見えたため、「館跡?」にも見えてしまった次第です…。追加情報が出てきた際には、本ブログ更新させて頂こうと思って折ります。
玉落塚3号墳の様子
23.北久保古墳 (2024/10追記)
川越と坂戸の境付近、小畔川の左岸、枝垂れ桜の美しい「慈眼寺」の近くに「北久保古墳」がございます。この「北久保古墳」は、「慈眼寺」で「枝垂れ桜」を拝見した後、川越に戻る途中で「偶然発見した古墳」です。なぜ発見できたかと言うと「古墳だな…」と思ってしまう佇まいだったからで、帰宅後調べてみますと以下の情報を見つけました(カワゴエールのHP参照:https://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/look/kitakubo-kohun/)。
(略) 田園風景が広がる道端にうっすら土の盛り上がりのある北久保古墳があります。
高さは1mあるかないかくらいの古墳で、もともとは円墳。ここ一体に点在した「下小坂古墳群」の1つです。また、下小坂古墳群の1~4号墳は、破壊され既に存在はしていませんが、発掘調査が行われ、直刀片、ガラス小玉、円筒埴輪、白銅製多珠文鏡などが出土しています。これら出土品は、「下小坂古墳群出土品」として川越市の有形文化財(考古資料)の指定をうけています (略)
むかし、この古墳の上に丸い石があり、そのお宮をバアギと呼んでいました。
バアギは風邪の神さまとして人々に親しまれ、風邪をひいたとき願かけをすると不思議と治ったそうです。治った後のお礼参りには、赤いたすきやダンゴ、絵馬をあがたといいます。
また1月14日の小正月には、けっこうな賑わいをみせていたそうです。
https://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/look/kitakubo-kohun/
本ブログ別記事で、この付近を通る「川越児玉往還」の記事も記載して折りますので、この地域の歴史を感じつつ、「古墳巡り」をするのも良いと思った次第です。
北久保古墳の様子
【最後に:古墳を回って何を思う?】
以上が、「皆様の大人散策に貢献をすべく、埼玉の川越を中心に点在する『古墳 / 塚』の情報を共有」させて頂いた内容になります。
これまで、私達夫婦が巡らせて頂いた「川越とその近辺の古墳」の情報になるのですが(今後、川越近隣も含め、発見に併せて追加していく予定でおりますが…)、改めて、それぞれ「古墳・塚のある位置」を「現地で実感」し「地図上で改めて見てみる」と、「古墳って本当にいい場所に作られているなー」と再認識させられ(男塚だけ、「どうしてここに?」と思ってしまいますが…)、それが故に「1000年単位での残るんだろうな…」と思ってしまった次第です。つまり、「喜多院」の東の先は、「縄文時代は海だった」との事なので(縄文海進)、そういった事も踏まえて『「古墳の場所」は決められたんだろう…』と、「当時の人の思い」を想像しながら、散策・ポタリングをしてみるのも、大人の楽しみ方だと思ってしまい、「それぞ大人散策」と思ってしまったという事です…。
皆さまも、こんな「ご近所の歴史」を感じるべく、「ご近所の古墳探し」をしてみては、いかがでしょうか?

位置関係のMapは、地理院の地図に自身で標高設定した画面キャプチャーを加工し作成
(縄文海進と小仙波貝塚跡に関しては、別ブログの別記事で、日本の大都市圏の地図・地形も踏まえ、紹介しております。また、川越の観光ルート、川越のおすすめレストラン一覧も紹介しており、季節の花々や紅葉、街道・城跡・古墳と言った史跡、名建築や街中のオブジェ等、様々Topicに応じた、様々な地域のポタリング・散策情報を記載しています。”ポタリング” の タグから記事の一覧を参照できますので、是非こちらもご参照ください)
以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!