平林寺

【はじめに:平林寺概要】

別記事で、野火止用水の大人散策情報(前半戦+後半戦)を紹介致しましたが、その記事の後半戦で触れました、平林寺をご紹介します。春から夏にかけての新緑の境内、秋のモミジの紅葉、歴史ある建造物と、大人散策におすすめのスポットなのです。

そもそも、平林寺ですが、こちらのホームページによると、以下の様な記載があります。

平林寺の創建:金鳳山平林寺(きんぽうざんへいりんじ)は、永和元年(1375)、今からおよそ650年ほど前の南北朝時代、武蔵国(むさしのくに)埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。開基は、禅に深く帰依していた大田備州守春桂蘊沢居士(おおたびっちゅうのかみしゅんけいうんたくこじ)、開山には鎌倉建長寺住持で、書や偈頌(げじゅ)に優れていた当代の高僧、石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられました。

命名の由来:「金鳳山」と名付けられた山号は、かつて石室禅師が元(げん)に渡って修行した、金陵(きんりょう)の鳳台山保寧寺(ほうたいさんほねいじ)に由来しています。また寺号は、寺の伽藍が平坦な林野に見え隠れする様子から「平林寺」とされました”。

http://www.heirinji.or.jp/about/

中々の歴史を持つ寺院の様で、元々は、岩槻にあった寺院が、戦国期の動乱の中(秀吉の小田原征伐時(小田原城を別記事で紹介しております))に、戦火に巻き込まれ焼失。その後、鷹狩でその地を訪れた家康が、再興を約束。更に、寛文3年(1663)には玉川上水野火止用水の生みの親である「松平伊豆守信綱(まつだいらいずのかみのぶつな)」の遺命により、現在の場所である、新座市に移転したという歴史があるそうです。

こんな歴史を持つ平林寺ですが、寺院の中も、神聖な雰囲気に包まれ、様々な木々の中を散策出来、秋のモミジは圧巻の一言。こんなスポットが、東武東上線・志木駅/朝霞台駅、西武池袋線・東久留米駅、武蔵野線・新座駅から、バスで15-20分で行けるのです。但し、おすすめは、平林寺の北側の敷地に沿って流れる野火止用水とセットで大人散策して頂きたいので、武蔵野線・新座駅からの徒歩でのアクセスをあえておすすめさせて頂ければと思います!(別記事で、野火止用水の大人散策情報を地図を交えご紹介しておりますので、併せてご参照ください)

【平林寺の見所】

上記概要を記載させて頂きました平林寺ですが、以下に、個人的にピックアップした平林寺の見所を記載いたします

同時に、平林寺のホームページによると、以下の様にあります。

平林寺は禅修行の専門道場です。拝観には修行の妨げとならぬよう静粛にお願いします。修行に関わるエリアの立ち入りを固く禁じます

http://www.heirinji.or.jp/about/access.html

節度を持って、大人散策してくださいますと幸いです。

①総門・半僧門

平林寺入口の総門、その左手にある半僧門は、中々立派な門です。こちらのホームページには、以下の様にあります。

総門:拝観者を迎える茅葺屋根の堂々たる総門。山号扁額「金鳳山(きんぽうざん)」、門柱に「臨済宗平林寺専門道場」を掲げます。県指定有形文化財(建造物)

半僧門:半僧坊感応殿の正式参拝用の門で、半僧坊大祭の開催日(毎年4月17日)のみ開門します。平成29年(2017)落慶。旧半僧門は手水舎の奥に移築されています。通年閉門。

https://www.heirinji.or.jp

門ですので外から見えます。是非境内に脚を運んで頂きたいですが、通りがてらでも見えますので、気に留めて頂ければと思います。

②野火止用水(平林寺堀)

野火止用水の後半戦の大人散策情報の記事で、野火止用水の本流から分かれて、水がひかれている(平林寺堀)事、紹介致しましたが、その流れ(跡含む)が、平林寺の外・中で見る事が出来ます

③山門

両脇に仁王様が控える門で、平林寺を代表する、歴史のある建造物と言って良いと思います。こちらのホームページには、以下の様にあります。

山門築350年の風格を湛える平林寺のシンボルです。江戸時代前期、平林寺が岩槻から移転された際に、現在の地に移築されました。県指定有形文化財(建造物)。

https://www.heirinji.or.jp

④仏殿・中門

こちらの仏殿・中門は、県指定の文化財との事で、平林寺の格式を感じさせてくれる門です。ホームページには、以下の様にあります

仏殿:端正かつ威厳ある佇まいです。本尊には釈迦如来坐像、脇侍には迦葉尊者と阿難尊者を祀ります。扁額は江戸中期の書家三井親和(みついしんな)の揮毫です。県指定有形文化財(建造物)。

中門:総門をそのまま小さくしたような造り。山門、仏殿、中門の4棟は総門から一直線上に配されています。県指定有形文化財(建造物)。非公開、通年閉門。

https://www.heirinji.or.jp

⑤放生池・平和観音

放生池の中心には、弁天堂があり、池には沢山の鯉が泳いでおります。静寂の中に安らぎを与えてくれる空間です。またそのすぐ北側には、観音様がいらっしゃいます。

⑥見性院墓所

武田信玄の次女、穴山梅雪正妻の墓所があります。詳細は、以下の索引をご参照頂きたいのですが、歴史に思いを馳せる事が出来ます(山梨県出身の為、「武田信玄」とつながりがあると言う事で、食いついてしまいました。信玄の軍旗:風林火山城跡の武田神社甲斐源氏の由縁等を、それぞれ別記事で紹介しております)。

尚、「見性院」に関しては、Wikipediaには、以下の様にあります。

見性院(けんしょういん、? – 1622年6月17日(元和8年5月9日))は、戦国時代から江戸時代初期の女性。甲斐国武田家臣で親族衆の穴山信君(梅雪)の正室武田信玄の次女で、母は信玄正室三条夫人とされる。同母兄に武田義信、同母姉に黄梅院殿(相模北条氏政正室)がいるほか、異母兄妹も多数いる。子に勝千代(信治)。  

略歴  

甲斐国に生まれる穴山氏は甲斐南部河内地方の国衆で、信君の父である信友も信玄姉の南松院殿を正室とし、武田親族衆の筆頭として高い家格を有している。信君は信玄・勝頼期に重用され、河内・駿河江尻領を領する分郡領主となる。見性院は永禄年間に信君の正室となったと考えられているが、嫡男勝千代の誕生は元亀3年まで下る。天正10年(1582年)2月の織田信長・徳川家康連合軍の甲州征伐において信君は織田・徳川方に通じ、戦後はその功績から武田宗家の継承を認められるが、同年6月に本能寺の変が発生すると上方にいた信君も宇治田原において横死し、穴山・武田宗家は穴山勝千代が当主となる。しかし勝千代も天正15年(1587年)に早世したため、穴山武田家は断絶する。徳川家康は武田家の家臣である秋山虎康の娘 於都摩の方(下山殿)を生母とする五男・武田信吉に名跡を継がせる。武田遺領を確保した徳川家康は、武田遺臣を保護して家臣団に加えている。(天正壬午起請文参照)

見性院も家康に保護されて江戸城北の丸に邸を与えられ、江戸幕府の2代将軍の徳川秀忠が侍女のお静に生ませた子(幸松丸、後の保科正之)を異母妹・信松尼と共に養育した。元和8年、見性院は江戸城田安門内の比丘尼屋敷において病没し、墓所は采地であった埼玉県さいたま市緑区の清泰寺であり、墓標としてケヤキが植えられた。安政5年没後236年、松平容保によって墓塔が建てられた。同県新座市野火止の平林寺にも墓所がある

https://ja.wikipedia.org/wiki/見性院_(穴山梅雪正室)

⑦松平伊豆守信綱墓所

玉川上水野火止用水の生みの親である、松平信綱の墓所も平林寺内にあります官位から、伊豆殿、知恵伊豆とも言われたと伝わる、松平伊豆守信綱。今のこの地を含む、東京を含めた関東一帯に与えた影響は大きく、インフラ整備の観点から貢献した方のお墓に、是非手を合わせてみてはいかがでしょうか?

⑧野火止塚

こちらのホームページには、「用途ははっきりしないが、昔からあった塚」との事です。現地説明文にも似たような記載がありますし(写真参照)、ブラ●モリでも同じような説明をされていた記憶がありますが、文字面から想像するに、現地説明看板の有力説同様、用水路を引かなければならなかった地であると言う事は、水が少なく、乾いた地であったと想像すると、「火が出た際に(野火)、食い止められるよう(止)、監視する為に、見晴台として整備した塚(⇒ やがてこの地の地名の由来になった」)と勝手な想像をしてしまいました。皆様も実物を見て想像してみてはいかがでしょうか?

⑨木々(新緑は勿論、秋のモミジ)や散策路

写真にある様に、春・夏は新緑、秋は紅葉と、季節の移ろいを感じられる散策路には、多くの木々があります。普通に散策しているだけで、心が洗われる環境ですので、構造物だけでなく、木々ににも目を向け、散策される事をおすすめします。特に秋の紅葉は美しいのもですので!

⑩半僧坊感応殿

半僧坊感応殿に関しては、こちらのホームページによると以下の様にあります。

半僧坊感応殿:衆生(しゅじょう)の諸願を叶える大権現「半僧坊」を祀ります。毎年4月17日には半僧坊大祭が盛大に催されます

半僧坊縁起半僧坊(はんそうぼう)とは、天狗の姿に似た山の守り神。方広寺(ほうこうじ、浜松)の奥山半僧坊大権現が起源です。半僧坊は現生の諸願を叶えると言われ、鎌倉建長寺にも祀られます。方広寺、建長寺、平林寺は三大半僧坊とされ、各寺院では年に1度、大祭を催します。

平林寺半僧坊大祭平林寺の半僧坊大祭(はんそうぼうたいさい)は毎年4月17日です。当日は午後2時より、華やかなお練り(祭礼行列)が本堂を出発し、山門、半僧門を通って半僧坊感応殿へと向かいます。感応殿では僧侶により大般若祈祷の法要が行われ、大祭が厳かに締めくくられます。

https://www.heirinji.or.jp

まだ、4月17日にお伺いした事は無いので、なんとも言えませんが、一度拝見させて頂きたいお祭りだと思っています。

【最後に】

以上が、平林寺に関し、個人的にピックアップさせて頂きました、大人散策における見所になります。神社仏閣は観光地とは違いますが、見所は多く、大人が散策を楽しむ格好のスポットだと思っております。特に平林寺は、「修行の場」の色が強い様に感じますが、それが故か、他の寺社と比べ、空気が凛として、心が洗われる感覚を持つことがある気がしています。歴史的構造物だけだけではなく、四季の移ろいを感じる木々も見ながら広大な敷地を散策できる平林寺。野火止用水本流も平林寺の敷地の北側に沿って流れていますので、是非ともセットで大人散策される事をおすすめします!

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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