日本三(大)名城

【はじめに】

こちらのページでは、『日本三(大)名城』の概要と、それぞれのお城の大人散策にあたっての見所、更には、独自選出の三名城」に付き紹介させて頂こうと思います(『日本三(大)名城』ですが、4つのお城が登場します…)。

そもそもですが、皆様は日本三(大)名城」なるワードを聞いた事はございますでしょうか? お城好き、歴史好きの方であれば、多くの方が耳にした事はあると思ます。日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿三大山城三大湖城三大水城(海城)三大連立式平山城三大平山城、五大山城、五大山岳城と言った様な、いくつかのお城のカテゴリ分けが存在しますが、何処のお城が日本100名城で、現存12天守で、三名城なのか…。それを一覧で包括的に確認し出来る様、Wikipediaの情報をもとに日本100名城 & 続日本100名城をベースにしたお城分類一覧表・マトリックス + α」を作成致しました。勿論この一覧の中に、三(大)名城と言われる「名古屋城大坂城姫路城熊本城」も含んでおりますので、ご査収いただければと思います。で…、『「日本三(大)名城」なのに、なんで「名古屋城大坂城姫路城熊本城」の4城あるんだ?」と思った方も多いと思います…。故に、こちらのページでは日本三(大)名城』の概要と、それぞれのお城の大人散策にあたっての見所、更には、独自選出の三名城につき記載させて頂きます。

【日本三(大)名城とは?】

まずは、日本三(大)名城」の概要を抑えるべく、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります。

三名城(さんめいじょう)とは、将軍徳川家の居城であった江戸城は別格として、日本国内において名城とされる城の上位3つを挙げたものである。ただし、どの城を三名城に選ぶかは時代や定義により諸説がある

■三大名城 : 姫路城・名古屋城・大坂城

おもに城郭の規模をもとにした選定

■設計者による三名城 : 名古屋城・大坂城・熊本城

荻生徂徠の記した『鈐録外書』の記述によれば、江戸時代初期、城造りの名手と言われた加藤清正、藤堂高虎が普請した城のうち、特に機能美に優れた3つの城を選定 (略)

■それぞれの城が三名城を名乗っている城 : 名古屋城・大坂城・姫路城・熊本城

https://ja.wikipedia.org/wiki/三名城

Wikipedia を拝見する限りですが、(個人的な推察も含め)以下の事が言えるのでないかと思います。

  • 日本三(大)名城の定義は決まったものがない
  • ただ、規模感を基準にするのであれば、名古屋城大坂城姫路城 (規模の定義も不明ですが、『「天守(群)の大きさ(高さ含め)」 × 「城郭の広さ」=イメージ的な広さ』といった理解を致しました) =「三名城 by 規模
  • 一方、城の普請者(藤堂高虎 or 加藤清正等)によりソートが掛かるものの、機能美を基準にするのであれば、名古屋城大坂城熊本城 (何をもってしての「機能美」か不明ですが、『「戦闘になったら強うそう」のイメージ』と理解いたしました) =「三名城 by 機能美
  • 「三大名城(by 規模)」は、姫路城が入っているので、明治期以降の選定でないかと推察
  • 同時に、「設計者による三名城(by 機能美)」は、荻生徂徠の『鈐録外書』が出典の様なので、江戸期中期〜後期に選出されたお城と理解
  • 江戸を除外している事から「番付表で見られる『行司』の様な感じ」として見る事もできる為、この「三大名城」も番付的なスタンスで選出されたものでないかと推察

上記の様に、(勝手な推察含みましたが)「日本三(大)名城」は、恐らく江戸期中盤〜明治くらいの間に、誰が言い出したかも一部不明な部分はあるものの、「名古屋城大坂城姫路城熊本城」の4城から、それぞれの切り口で3城をピックアップした「番付」の様な物と思われる』と理解させていただいた次第です。

【4城ですが「日本三(大)名城」の大人散策情報】

上記、「日本三(大)名城」の概要を(勝手な推察含みつつですが…)抑えさせて頂きましたので、具体的に名前の挙がった「日本三(大)名城」に付き記載いたします(名古屋城大坂城姫路城熊本城」の4城ですが…)。

■名古屋城

上記の通りですが、日本を代表する城郭である名古屋城熊本城姫路城と並び、近世城郭の代表例と言われているようです。戦災で燃えてしまったのは、非常に残念ですが、今尚、城郭全体・天守の巨大さを感じる事が出来、実際に訪れてみると、「尾張名古屋は城で持つ」とは、うまい事をいった物だと思ってしまった次第です。計画当初は、豊臣家健在の為、総構の構想まであったらしいですが、大坂の陣を経て、その計画はなくなったそうです。別記事で、大人散策情報を記載していますので、ご参照頂けますと幸いです。

また本丸には「2018年に復元された本丸御殿」、二の丸には「二の丸庭園があります。名古屋城本丸御殿は、「徳川将軍の上洛における専用宿舎」との事で、名古屋城の城主の公邸は、二の丸に移ったらしいですが、実際にこの本丸御殿を利用した徳川将軍は、秀忠・家光・家茂の3将軍のみらしいです…。そんな本丸御殿ですが、3名しか利用しなかったとは言っても、将軍の宿舎と言うだけのことはあり、(復元の真新しさもあるのでしょうが)豪華絢爛名古屋城にいらっしゃる際は、本丸御殿も忘れずに見学すべきと思います。そして、石組みが有名な二の丸庭園にも足を運ぶべきだと思います。時代の流れにより、かつての景色よりも高い場所からの観賞になる様で、その良さを理解するには、玄人的視点が必要の様ですが、こちら二の丸庭園名古屋城で忘れてはいけない大人散策スポットだと思って折ります。

■大阪城

大坂城秀吉の居城」のイメージが強いですが、(間違ってはいませんが…)本願寺との合戦で信長もかかわっていますし、秀吉時代の天守があったのは、30年程度。しかもその期間の多くの期間、秀吉は、京都聚楽第・伏見城がメインの様子。にもかかわらず、「大坂城秀吉の居城」というイメージが強いのは、大阪の街割も含め拠点として整備したので、その痕跡が今でも多くみられるからでしょうか? それとも「豊臣家(秀頼)を討った、”判官びいき” と ”東の徳川” に対する反骨精神」なのでしょうか? 正直推察の域は出ませんが、豊臣の痕跡を埋没させてまで新しいお城を作り、江戸期を通じて徳川の城だったので「城主・徳川大坂城」でいい気がしますが、今尚「大坂城秀吉の居城」のイメージが残っているのは、「現代の私達も含めた民衆が、人たらしの秀吉の術中にはまった痕跡」とも思っている次第です。

そんな大坂城上町台地の上に築かれたお城は、まさに難攻不落家康も、大阪冬の陣では落とす事が出来ず、(言い方悪いですが…)騙し討ちの感じで、交渉により堀を埋め、夏の陣で落とす事が出来たお城で、現在見られる城郭は、徳川の時代のものと言われていますが、単独の石垣の高さは、日本一(4重の石垣の総高で日本一は、丸亀城)。三(大)名城の名に恥じない、お城だと思うのは、私だけではないと思います

また、大坂城の天守は、天正・寛永・昭和とこれまでに3度造営されているようで、豊臣大坂城天守:1585年~1615年の30年、徳川大坂城天守:1626年~1665年の39年、復興天守:1931年~の(2023年時点)90年以上で、復興天守が最も長く天守として存在しており、現在のその天守は、登録有形文化財と言うことで、復興天守でさえ歴史的価値を持たお城になる様です。別記事で、大人散策情報を記載していますので、ご参照頂けますと幸いです。

■姫路城

姫路城の今見る事の出来る天守群は、江戸期(1603年~1868年)よりも前の時代に池田輝政によって大改修された(1601年の天守築城らしい)と伝わる様で、400年以上たった現在でも、その雄姿を拝見できる現存12天守で、且つ国宝5天守で、更には世界遺産であるお城です。戦国時代には、豊臣秀吉黒田孝高(官兵衛)が居城としていた時期もあり、江戸期の少し前位から、池田氏に始まり、譜代大名の本多氏・榊原氏・酒井氏や、親藩の松平氏が配属され、一番長い期間城主を務めたのは、酒井氏の120年強で、明治を迎えた歴史を持つようです。

姫路城と言うと、個人的には、西国将軍とも言われた「池田輝政」のイメージが強いのですが、「池田氏の統治は15年程」と言うのは、少々意外な印象を持ちます。同時に、天守群としては、400年以上の歴史を持ち、お城としては、室町時代から存在するお城で、羽柴秀吉黒田官兵衛が居城としたお城と言う事は、別記事で紹介しました「中国大返し」の舞台の1つにもなったお城と言う理解です。『現存する巨大城郭・「世界遺産」兼「国宝5城」兼「現存12天守」である「姫路城」は、「正に日本のみならず、世界の宝」』と言うべきお城だと思った次第です。別記事で、姫路城の詳細情報を記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

■熊本城

熊本城と言えば、加藤清正。お城の前で、銅像も見かけました。地元でも、大いに人気がある様ですし、一口城主制度なるものが、編み出され、それがしっかり機能している事、地元に愛されている証だと思います。実際に参らせて頂き、本当に地元のシンボル的な存在である事、肌で感じとることが出来たのが、熊本城でした。

お城その物も立派で、とにかく大きい。名古屋城姫路城、と並び、近世城郭の代表例と言われているようです(ちなみに、現存する「宇土櫓」は「加藤清正築城の初代天守」の説もあるらしいです…)。子供の頃、熊本城の武者返し」と聞いて、石垣の事とは思わず、「何か神秘的な力が熊本城には、宿っているので、攻撃をしりぞけるのか?」と思った事がありましたが、実際に訪れ、武者返しの石垣を拝見し、石垣の勾配のすごさに驚くと同時に、美しさを感じました。そしてそれ以上に、「熊本城には、本当に何か神秘的なものがある!」と感じてしまうほどでした。2016年の熊本地震で、隅の石垣が、天守をさせている映像を見てしまうと、その思いは、一層強くなった次第ですそんな熊本城に関しては、詳細情報を別記事で記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

また、「熊本城の本丸にある本丸御殿」と熊本城からは少し離れますが「東海道をモチーフにしたと言われる庭園水前寺成趣園」も中々のものです。本丸御殿は、加藤清正が豊臣秀吉の遺児・秀頼を向かい入れることを想定していたとも伝わる御殿を復元したもので豪華絢爛。熊本地震以降後、公開はされていない様ですが、復活の後は、是非とも訪れるべきスポットだと思って折ります。そして水前寺成趣園は、芝の富士と池泉の景色は、芸術性を感じる大名庭園熊本城に行った際は、併せて訪問すべき大人散策スポットだと思っています。

【最後に:令和の時代に(勝手に)選んだ新日本三大名城(仮)】

以上が、4つのお城が登場しましたが、『日本三(大)名城』の概要と、それぞれのお城の大人散策にあたっての見所に付き、以下に記載」させて頂いた内容になります

そして思ってしまいました…。『時期も切り口も定義も曖昧な「三大名城」であれば、「勝手に三大名城」を上げてみても良いのではないか?』と…。と言う訳で、以下に、勝手に私達夫婦が「令和の時代に(勝手に)選んだ新日本三大名城(仮)」を記載させて頂きます! それは姫路城松本城高知城」の3城です!簡単に理由を記載致しますと、以下の様になります。

正直、高知城に関しては、本丸御殿を復元したすぐ後に、熊本地震で被災したにもかかわらず、復活を遂げようとしている熊本城にするか(他のお城では天守といって良い宇都櫓は現存ですし…)、同じく本丸御殿が復元され、圧倒的な天守と城郭の規模を誇る名古屋城にするかで迷いましたが、現存」にこだわって「姫路城松本城高知城」を選出させて頂いた次第です(「これまでの三大名城とは違った感じにしたい」と言う、天邪鬼根性が顔を出した感は、否めませんが…)。皆様はどの様に思われましたでしょうか? 

「日本三(大)名城」、言ったもん勝ちの側面は否めない部分もあると思うので、皆様も「皆様の日本三(大)名城」選出されてみてはいかがでしょうか?

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

TOP Pageへ or ブログ内関連情報タグ一覧へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA