【はじめに】
こちらのページでは、「明治・大正の火災から復活し、現在では『古き良き日本』を求め多くの観光客が脚を運ぶ『馬籠宿』の概要を抑えた上で、大人散策情報(楽しみ方の一例)を共有」させて頂こうと思います。
本ブログ別記事で「中山道」につき記載させて頂きました。律令国家時代には「東山道」と言われた道を、中山道・日光例幣使街道・奥州街道などに再編されたとも言われる道ですので、大雑把に行ってしまえば「旧東山道の一部が中山道になった」と言う理解です(正確には、東山道は中津川から神坂峠(現恵那山トンネル付近)を越え、諏訪湖から流れる天竜川に沿って広がる盆地の伊那谷に入り、これを北上し諏訪方面に向かった一方、中山道は中津川から木曽谷に沿って北上し塩尻(≒諏訪)地方に至ったルートと言われている様ですので一致しませんが…、ちなみに東山道武蔵路は別記事で紹介しており、東山道と中山道のルートの違いに関する考察も別記事で行っております…)。
そんな中山道ですが、広義の意味では「木曽路」とも言われる道(狭義の意味では、美濃と信濃の境付近の木曽地方の区間を指した道ですが…)です。つまり、江戸から京都に伸びる全長500㎞以上の中山道において、100㎞程通る木曽地方の道の名称が、全体の名称として認知されたと言う事です。言い換えると「全区間の五分の一(1 / 5)に満たない区間が、全体の名称として認知される程のインパクトを持った区間だったのではないか」と想像してしまった次第です。
そんな中山道沿いで、且つ狭義の意味の木曽路上にある馬籠宿は、明治・大正期の火災にによりほとんどの建造物が消失してしまった様です。非常に残念な話ですが、木造の建造物が主流の日本において、致し方ない出来事だった思われますが、その後復活し、現在では「古き良き日本を感じる観光スポット」として、日本人のみならず、海外からも多くの観光客が脚を運ぶ人気の観光スポットだと認識しています(外国人観光客の方が多い?)。特に、馬籠峠を挟んで隣り合う妻籠宿と共に、中山道を大人散策(ハイキング)する方も多い様で、宿場町のみならず、街道歩きとセットで楽しまれる方が多い認識です。
こちらのページでは、そんな「明治・大正の火災から復活し、現在では『古き良き日本』を求め多くの観光客が脚を運ぶ『馬籠宿』の概要を抑えた上で、大人散策情報(楽しみ方の一例)を共有」させて頂きます。
【馬籠宿の概要】
まずは、馬籠宿の概要を抑えるべく、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります(引用の後に、箇条書きでポイントまとめてます=引用読まなくても大丈夫です…)。
馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。
かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。
石畳の敷かれた坂に沿う宿場かつ近代を代表する作家の一人である島崎藤村の故郷として知られ、馬籠峠を越えた長野県側の妻籠宿(木曽郡南木曽町)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある歴史
天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒で宿内人口は717人であった。
馬籠は(1215年)当時には「美濃州遠山庄馬籠村」といい、源義仲(木曽義仲)の異母妹・菊姫が源頼朝から領地として賜り、兄の義仲を弔うため法明寺という尼寺で暮らしていたと伝わりその跡地が存在する。長享元年(1487年)頃になると木曽馬籠や恵那郡馬籠といったりするようになるが、妻籠までが信州木曽谷で、馬籠は美濃に属した (略)史跡
https://ja.wikipedia.org/wiki/馬籠宿
・高札場
・馬籠脇本陣史料館
・藤村記念館(島崎藤村生家跡) (略)
・清水屋資料館
・永昌寺
・枡形 (略)
また、上記「木曽11宿の一番南の宿場町」とありますし、上記でも少し触れましたので、「木曽街道」についてもWikipedia の力を借りますと、以下の様にあります。
木曽街道(きそかいどう)は、京と江戸を美濃国および信濃国を経て結んでいた山道の俗称である。
概要
https://ja.wikipedia.org/wiki/木曽街道
古代から中世の吉蘇路、江戸時代の中山道(木曽路)のこと。当時は木曾街道と書いた。狭義には、中山道のうち、美濃国と信濃国の境界部に当たる木曽地方の一部区間を指した。贄川宿・奈良井宿・薮原宿・宮ノ越宿の上四宿、福島宿・上松宿・須原宿の中三宿、野尻宿・三留野宿・妻籠宿・馬籠宿の下四宿からなる11の宿場が設置された。
少々引用が長くなってしまいましたが、以下にポイントをサマリ的にまとめます。
- 馬籠宿は、中山道43番目の宿場(中山道はTOTALで六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町
- 島崎藤村の故郷として知られ(ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある)、馬籠峠を越えた長野県側の妻籠宿(木曽郡南木曽町)とともに観光客多い
- 1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿に(重要伝統的建造物群保存地区ではない理由と推察)
- かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入
- 馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒で宿内人口は717人(1843年の『中山道宿村大概帳』より;ちなみに妻籠宿=418人・奈良井宿=2155人)
- 「史跡・みどころ」として、高札場・馬籠脇本陣史料館・藤村記念館(島崎藤村生家跡)・清水屋資料館・永昌寺・枡形等がある
『かつては長野県だったが、「越県合併」により現在では「岐阜県中津川市」にある馬籠宿』と言う事の様で、島崎藤村ゆかりの地(別記事で同じくゆかりのある長野県小諸市の中棚荘を紹介しております)でもある様です。明治期と大正期の火災により、ほとんどの建物が消失してしまった様ですが、現在実際に訪れてみると「古き良き日本」のテイストはそのままで、江戸期の宿場町を感じさせてくれる空間である事は間違えありません。同じ(狭義の意味での)木曽路における有名宿場町の奈良井宿・妻籠宿が、重要伝統的建造物群保存地区に入っているものの、(この火災が原因だと思いますが)馬籠宿は指定されていませんが、その火災から復活し、現在では「古き良き日本」を体現する有名観光地になっている事は、賞賛に値するものだと思い、地域の皆様に感謝しつつ観光させて頂くべきだと思った次第です(ちなみに別記事で紹介中の重要伝統的建造物群保存地区:角館・大内宿・川越・佐原・ひがし茶屋街・主計町・奈良井宿・海野宿・妻籠宿・岩村町・祇園(京都)・吹屋(高梁)と言った辺りがありますので宜しければ、ご参照ください)
【馬籠宿を大人散策】
上記、馬籠宿の概要を抑えさせて頂きましたので、こちらの段落では「馬籠宿における」大人散策情報(≒楽しみ方の一例)」を記載させて頂きます。とは言いつつ、楽しみ方は、人それぞれだと思います。なので、皆様の趣味嗜好に合わせ、馬籠宿の大人散策を楽しんで頂ければと思いますが、私達夫婦が、こちら馬籠宿を楽しませて頂いた切り口を共有させて頂きます。参考になれば幸いです。
・街並みを楽しむ
先ずは、復活したその街並みを楽しむ切り口が、真っ先に来ました。実際に、奈良井・妻籠・馬籠とそれぞれに脚を運んだことのある方であれば、同様のイメージを持っていらしゃるかも知れませんが、馬籠宿は、奈良井宿・妻籠宿に比べ、高低差を感じる宿場町の為か、動きのある(変化のある)印象の宿場町と言った感じであると同時に、道がすべて石畳で整備され少し洗練された印象を持っております。
しかしこの石畳。全てではないのかもしれませんが、上記引用から察するに、ある程度は(多少なりとも?)、明治・大正の火災に以前からあった物と推察した次第です。奈良井宿・妻籠宿は石畳ではありませんので、また違った雰囲気を味わえる馬籠宿ですが、なぜ馬籠宿の道は石畳なのか? そんなことを考えつつ、復活した「古き良き日本の街並み」を散策できるのは、大人散策の醍醐味の一つだと思います。私達夫婦が実際に訪れて思った仮説(妄想)は「馬籠宿は、奈良井宿・妻籠宿に比べ高低差が激しいので、①雨が降り足場がぬかるんでしまうと登りにくく、下りは危険でもある事、②石畳にしないと道路面が侵食されてしまい、道として機能しなくなってしまう事(同時に、単純にアスファルトによる舗装だと『古き良き日本』の雰囲気を醸し出せない…)」だと思った次第です。現在の綺麗な石畳を拝見すると、江戸時代からの石畳が、どの程度残っているかは不明ですが、今現在ある石畳は、上記が理由で(江戸期からある物は残しつつ?)整備されたのでないかと思った次第です。
高低差を感じつつ、上記の様な妄想もしつつ、復活した古き良き日本の街並みを楽しむ事が出来るのが、馬籠宿だと思いますので、以下に紹介する各スポットと共に、宿場町全体の雰囲気を楽しみつつ大人散策されてみては如何かと存じます。
・ (個人的におすすめしたい)見学スポット
上記宿場町全体に関し記載させて頂きましたので、こちらでは、具体的な(個人的におすすめしたい)スポットを記載いたします。尚、順番はそれぞれ、坂下から坂を登順番(京都 ⇒ 江戸)の順で記載いたしますので、最下部の地図と併せてご参照頂けますと幸いです。
>宿場町南(坂下の)道標/駐車場からの景色・阿弥陀堂・桝形
馬籠宿の坂下(京都側)より、大人散策を開始しますが、そこには「中山道馬籠宿」の石柱が建っております(現代版の金属でできた道標には「東山道」や「神坂峠」の文字も見えますが…)。付近には、駐車場やお土産屋さん等もあり、現在の観光地と言った感じ。実際の馬籠宿の大人散策に入る前に、駐車場の南側にいって景色を眺めると、馬籠宿が高い場所にある事、ご理解いただけると思います。
また、石柱(道標)から、北側(江戸側)の馬籠宿を見ると、坂になっており、右手にある阿弥陀堂付近から左に大きく曲がっている事ご理解いただけると思います。更に阿弥陀堂付近まで行って大きく曲がった先の道を見ると同じく坂道で、今度は右に大きく曲がっている事ご理解頂けると思います。奈良井宿では「鍵の手」とも言われ、妻籠宿にもある桝形。クランク状に曲がったこのポイントは、元々不届き者対策として設計された形式と理解していますが、今の世の中でこれを拝見すると「古き良き日本の形だな…」と思える次第で、道が2回目に曲がるポイントには、水車もあり「日本らしさ全開の観光地」といった感じです。
>清水屋 資料館・槌馬屋資料館・馬籠観光案内所・藤村記念館
桝形を抜け、更に登り坂を登っていくと、清水屋 資料館・槌馬屋資料館が右手に出てきますので、ご興味があれば見学頂ければと思いますが、おすすめは、今少し先の馬籠観光案内所の向いにある藤村記念館。入口には大きな松の木があるので、見逃すことは無いと思います。
建造物を楽しむも良いと思いますが、日本を代表する小説家・島崎藤村に思いを馳せるべきスポットだと思います。馬籠は藤村の出身地。彼の文学の起源は、この場所にあると思い、藤村の生家跡に建つ文学館・藤村記念館は、文学ファンには、たまらないスポットだと思います(藤村ゆかりの温泉宿・中棚荘についても、本ブログ別記事で紹介しております)。
>脇本陣史料館・高札場跡・陣場上展望台
藤村記念館の隣には、脇本陣史料館があり、その後も登坂がつつぎます。「古き良き日本」の雰囲気は醸し出していますし、石畳で整備された道は歩きやすいですが、登坂なので少々疲れも出るかもしれません。無料休息所や喫茶もあります(下記参照)ので、ご自身のペースで登っていくと、ちょっと広目の道があり、その道を渡った先に「高札場」があります。高札場を見ると「宿場町に来たな…」と言った心持になるとお思いますので、見学しつつ進むと、陣場上展望台に行きつくことが出来ます。上記、馬籠宿の坂下(京都側)付近で、高低差を感じて頂いたと思いますが、この陣場上展望台でも高低差を感じる事が出来、登って来た馬籠宿がそれなりの斜面にある事も併せてご理解いただけると思いますので、その景色を地形的観点も併せ楽しまれては見ては如何かと存じます。
・美味しいものを頂き、素敵なお土産を見つける
上記に「(個人的におすすめしたい)見学スポット」を列挙しましたが、軽食を頂くことが出来るお店も、お土産屋さんもあります。素朴な歴史的建造物を拝見しつつも、腹ごしらえとお土産の購入も楽しんでみてはいかがでしょうか?
>SHOP (お土産):馬籠館・鈴見屋・下扇屋・Yamashiroya・上扇屋商店
再度馬籠宿の坂下(京都側)からの順番で、前回の散策時に見かけた Shop (お土産屋さん)を記載しますと『馬籠館・鈴見屋・下扇屋・Yamashiroya・上扇屋商店』といった所があげられます。それぞれ簡単に記載しまうと「馬籠館:本館と別館があり様々なお土産が購入できる」、「鈴見屋:桝形のちょうど中間にある雑貨をメインにした雰囲気の良いお土産屋さん」、「下扇屋:通常のお土産もありますが、種類が豊富で、竹細工の商品等日本を感じさせるお土産屋さん」、「Yamashiroya:桶やお弁当箱、櫛等、日本を感じさせる木工製品を販売しているお土産屋さん」、「上扇屋商店:大人の好きな飲み物;日本しゅ(地ざけ)等を販売している さか屋さん」、といった感じです。お土産ばかりに目をとられると、本来の目的である「街歩き」から離れてしまうかもしれませんが、お土産の購入も旅の楽しみの一つだと思いますので、気に留めてみてはいかがでしょうか?
>レストラン / 軽食:まごめや・白木屋・大黒屋茶房・かっぺ・恵盛庵
上記お土産屋さんに加え、レストランや軽食の頂けそうなスポットも併せてご紹介します。前回の散策時に、見かけたレストランや軽食の頂けそうなスポットを記載しますと『まごめや・白木屋・大黒屋茶房・かっぺ・恵盛庵』といった所。それぞれ、簡単に紹介致しますと、「そば処 まごめや:お蕎麦は勿論、地域の食材もゆったりスペースで堪能できそうなレストラン」、「白木屋:お蕎麦がメインで、店内でも食事が出来る様ですが、店頭で五平餅も売ってます」、「大黒屋茶房:コーヒーと甘味を頂戴できるおしゃれな Cafe」、「かっぺ:お土産も売ってますが、ソフトクリームやドリンクを頂戴できる見晴らしのよいテラスがある喫茶店」、「恵盛庵:高札場近くの重厚な建物も魅力的なお蕎麦屋さん」。勿論すべて紹介できている訳ではありませんが、結構な種類のお店があり、奈良井や妻籠に比べ、宿場町のレストラン・喫茶店と言うより、観光地の個性あるレストラン・喫茶店と言った印象で、比較すると現代的な香りがするお店が多い印象を受けた次第です。
【最後に】
以上が、「明治・大正の火災から復活し、現在では『古き良き日本』を求め多くの観光客が脚を運ぶ『馬籠宿』の概要を抑えた上で、大人散策情報(楽しみ方の一例)を共有」させて頂いた内容になります。
皆様は、この馬籠宿、どの様にお感じになられましたでしょうか? 私達夫婦の場合は、1回目も2回目も車で参らせて頂いたので、今度は奈良井宿~薮原宿を鳥居峠越えで実際に歩き、更に、馬籠~妻籠間を、馬籠峠を越えて歩いて、昔の旅人の気持ちに近づいてみたいと思ってしまいました…。まだ実践したことは無いのですが、宿場間のハイキングと併せて楽しまれる海外の方も多い様ですし、奈良井宿~薮原宿の鳥居峠越えも、3-4時間程度で行けるらしいので、次回は「馬籠~妻籠~奈良井のルート」を、文明の力(鉄道)を借りつつ、チャレンジしてみたいと思った次第です(別記事記載の通り、プランニングはできていますので、実行の暁には、本ブログで報告したいと思って折ります!)。
また、ちょっと違った視点では、なぜこの木曽路(=中山道)は、このエリアのみ、東山道が通ったと言われる伊那谷ではなく、木曽谷を通されたのか? といった部分にも疑問符がついてしまいました。こちらは、別のTopicとして、改めて調べてみようと思った次第です。こちらも、勝手な仮説(妄想?)が出来た際には、別記事でご披露できればと思って折ります! ⇒「東山道が通ったと言われる伊那谷ではなく、木曽谷を通されたのか?」に付き勝手な妄想をさせて頂きましたので、別記事ご参照ください!