【はじめに】
こちらのページでは、「平成になって忠実に木造復元された天守を、江戸期から残る高欄櫓・台所櫓と共に、『複合連結式層塔型4重4階の天守群』として拝見できる『大洲城』の概要と大人散策情報を、周囲の大人観光スポット(大洲城下町)と併せ紹介」させて頂こうと思います。
📚本記事で得られる情報📚
✅大洲城の概要・歴史
✅大洲城における大人散策(見所・ルート等)
✅大洲城周辺(大洲城下町)の大人散策スポットの情報
本ブログ別記事で紹介しておりますが、今回(2025年の春)、「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅(旅全体のMapはこちら)」を実行し、5日目に、「大洲城」と「”伊予の小京都” と言われる “大洲の城下町”」に訪問させて頂き来ました。朝一で、宇和島での滞在先である「JRホテルクレメント宇和島」を出発し、「天赦園」・「伊達博物館」、現存12天守の一つである「宇和島城」に訪問させて頂き、宇和島駅に戻って、「大洲城」と「”伊予の小京都” と言われる “大洲の城下町”」を周り、5・6泊目の宿泊先である、松山の「道後温泉・八千代」に参らせて頂いた感じのスケジュールでした。言い換えると、「宇和島城」から「松山城」への移動の間に、『「大洲城」と「”伊予の小京都” と言われる “大洲の城下町”」』に参らせて頂いたという事になる次第です。
宇和島から大洲へ!
こちらのページでは、そんな移動の合間を縫って、お邪魔させて頂いた「大洲城」を中心に記載させて頂きます。すなわち、「平成になって忠実に木造復元された天守を、江戸期から残る高欄櫓・台所櫓と共に、『複合連結式層塔型4重4階の天守群』として拝見できる『大洲城』の概要と大人散策情報を、周囲の大人観光スポット(大洲城下町)と併せ紹介」させて頂きます。
ちなみに、5日目のスケジュールは、
『「JRホテルクレメント宇和島(8:00過ぎにチェックアウト)」⇒「宇和島駅(8:00過ぎ発)」⇒(タクシー移動10分弱)⇒ 「天赦園(8:30位~9:00過ぎ)」 ⇒ 「伊達博物館(9:00過ぎ~9:30前)」 ⇒ 「大人散策@宇和島城(9:30過ぎ~11:00前)」⇒ 「宇和島駅(11:00過ぎ着・11:45位発)」 ⇒(伊予大洲駅着直前に、車内から大洲城の遠望撮影)⇒「伊予大洲駅(12:30過ぎ着)」⇒(タクシー移動10分弱)⇒ 「大人散策@大洲城 & 大洲の古い街並み(13:00前~14:30位)」 ⇒ 「伊予大洲駅(15:00位着・15:30位発)」 ⇒ 「松山駅(16:15位に乗り換え)」 ⇒ 「道後温泉駅(17:00前着)」 ⇒ 「道後温泉街を抜けつつ徒歩移動で『道後温泉・八千代』へ(17:30位着)」と言う感じの行程でした…。
【大洲城の概要】
まずは、宇和島城の概要を抑えるべく、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります(引用の後に、箇条書きでポイントまとめてます)。
大洲城(おおずじょう)は、四国の伊予国喜多郡大洲(現・愛媛県大洲市大洲)にあった日本の城。別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。
概要
大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道がある。また、すぐ西には大洲の外港とも言える八幡浜(現・八幡浜市)があり、大洲は歴史的にはやや鄙びた立地ながらも交通の要衝と言える場所にあった。
江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していた。また、明治維新後から現在に至る地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成往時を忠実に木造復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。歴史・沿革
この地に初めて築城したのは、鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房で、元徳3年/元弘元年(1331年)のことであると伝わる (略) 伊予宇都宮氏はその後、国人として二百数十年間にわたって南伊予を中心に支配を行うが、永禄の末期に毛利氏の伊予出兵によって降伏した。天正初年に土佐の長宗我部元親と通じた家臣の大野直之によって大洲城を追われた。しかし天正13年(1585年)にはその大野直之も豊臣秀吉の意を受けた小早川隆景によって攻め滅ぼされ、その小早川隆景が35万石で伊予に入封し、大洲城は一支城となった (略) 文禄4年(1595年)に藤堂高虎が入城すると近世の城郭として整備された。江戸時代初期の慶長14年(1609年)には淡路の洲本から脇坂安治が転封され、この2人の時代に天守をはじめとする建造物が造営された (略)
元和3年(1617年)に伯耆米子から6万石で加藤貞泰が入り、以後は加藤氏が12代に亘り大洲藩主として治め、明治維新を迎えた。今治城 二の丸跡・藤堂高虎像 大洲城遠望 肱川対岸から 大洲城 水の手櫓・水の手御門跡付近からの天守群(天守・台所櫓) 藤堂高虎像@今治城・大洲城 明治時代以降
維新後は城内のほとんどの建築物は破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存された。しかし天守は老朽化と構造上の欠陥のために明治21年(1888年)に解体された。現在の天守は伝統工法を用い、平成16年(2004年)に復元されたものである (略)天守
天守は本丸の南東隅に建てられ、北に高欄櫓、西に台所櫓を配置し渡り櫓で連結した複合連結式層塔型4重4階である。中央付近に心柱が通され、それに伴い2階の床には吹き抜けが造られていた。外観は、下見板張りで、比翼千鳥破風、千鳥破風、向唐破風で屋根を飾り、窓には連子窓が多用されたが、2階には華頭窓のみが並べられていた。
木造復元
現在の天守は、大洲市市制施行50周年記念事業として平成16年(2004年)に竣工したもので、第二次世界大戦後初の当時の工法・木造で復元されたものである (略)大洲城 (右から高欄櫓・天守・台所櫓の天守群) 大洲城 かま櫓跡付近からの天守(天守・高欄櫓) 大洲城 台所櫓 大洲城 苧綿櫓 Wikipediaより:大洲城・三の丸南隅櫓 大洲城 天守群内部 大洲城 天守群内部 大洲城 天守群内部 大洲城外観&内部 遺構・建築物
https://ja.wikipedia.org/wiki/大洲城
以下はいずれも国の重要文化財に指定されている。
・台所櫓- 1859年に再建される。二重二階。
・高欄櫓- 1860年に再建される。二重三階。西と南に高覧がついている。
・苧綿櫓(肱川堤防上にある)- 1833年に再建される。北東隅に窓のある石落しがある。
・三の丸南隅櫓(大洲城最古の建築物:追記=明和3(1766)年の建築) (略)
少々引用が長くなってしまいましたので、以下にポイントをまとめます。
- 大洲城は、別名・地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城とも言われ、江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整え、2004年には、主に市民による寄付によって「完成往時を忠実に木造復元した4重4階の天守」も作られ、同時に、江戸時代から残る「台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓」が国の重要文化財に指定されているお城で、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道と言った交通の要衝と言える場所にある(あった)お城でもある
- この地に初めて築城したのは、鎌倉時代末期に守護として国入りした「伊予宇都宮氏」で、その後、毛利氏配下・長宗我部氏配下・豊臣氏(実際に動いたのは小早川氏)配下と時代は流れ、江戸期前に「藤堂高虎」が入城すると、近世の城郭として整備されはじめ、「脇坂氏」の転封と共に、天守をはじめとする建造物が造営され、その後、「加藤氏」が入り、12代にわたり大洲藩主として治め、明治維新を迎えた歴史があるらしい
- 現在の天守は、伝統工法を用い、2004年に復元された「木造復元天守」で、南に「高欄櫓」、東に「台所櫓」を配置し、渡り櫓で連結した複合連結式層塔型4重4階の天守
- 「台所櫓(1859年再建・二重二階)」、「高欄櫓(1860年再建・二重三階)」、「苧綿櫓(おわたやぐら: 1833年再建)」、「三の丸南隅櫓(大洲城最古・1766年建築)」は、国の重要文化財に指定されている
簡単に自身の理解を、スーパーサマリバージョンで言ってしまうと、『「江戸期初め:藤堂高虎時代の頃に作られた天守」を、地元の方々の熱意により、平成になって忠実に木造復元で再建し、江戸期から残る「高欄櫓」・「台所櫓」を渡り櫓で連結した「複合連結式層塔型4重4階の天守群」を拝見できる貴重なお城』と言った理解になった次第です。




【大洲城の周囲を含めた見所】
上記、概要を抑えさせて頂きました「大洲城」ですが、こちらのパートでは、その見所を、周囲の情報と併せて見て行きたいと思います。先に、「宇和島城」から「松山城」への移動の間に、『「大洲城」と「”伊予の小京都” と言われる “大洲の城下町”」』に参らせて頂いた旨、記載させて頂きましたが、この際、「非常に限られた時間の中での訪問(2.5時間位)」であった為、いくつかのポイントを心に決めて、参らせて頂きました。そのポイントは、以下の感じです。
- 宇和島からの移動時、伊予大洲駅 “直前” に見えるはずの「大洲城の遠望」を、電車内から写真に収める
- 回りたい優先順位として、「①大洲城(木造復元天守・高欄櫓・台所櫓・苧綿櫓含む)」、「②”伊予の小京都” と言われる “大洲の城下町”」は必ず周り、出来れば「③ちょっと離れた場所にある “三の丸南隅櫓(大洲城最古の建造物)”」も回り、更に可能であれば、「④電車が肱川を超える姿を大洲城の遠望」と共に写真に収める
- 時間短縮を目的に、伊予大洲駅から大洲城までは、出来ればタクシーを利用し、戻りはタクシーが捕まるか不明な為、リスクを避けるべく徒歩で戻れる時間を確保する
こんな感じのポリシーで、『「大洲城」と「”伊予の小京都” と言われる “大洲の城下町”」』に参らせて頂いた次第です。以下、順を追って、大人散策の内容を共有させて頂きます。
■「伊予大洲駅」到着直前~「大洲城・本丸」
上記の通り、「大人散策@大洲城」は、伊予大洲駅に着く前から始まります。宇和島駅を出発し、45分くらいで「伊予大洲駅」に到着した記憶ですが、その直前、「肱川を超える鉄橋上、進行方向右側に大洲城」を見る事が出来ます。つまり、肱川沿いの小高い地形の場所に、「(タイミングよく)桜に彩られた “大洲城”」を拝見させて頂く事が出来ました。「見えてよかった!」と思いつつも、初めての地である為、土地勘もなく「2.5時間位で全部回れるかな?」と言う不安と共に、「大人散策@大洲(城)」を開始しました。駅を出て、まっさきに「大きな鳥居」が目に飛び込んできて、かなり気になりましたが、上記ポリシーを思い出し、早々にタクシーを捕まえようとすると、運よく1台だけ留まっている感じ。「あぶない…、けどラッキー!」と思い、無くならないうちに早々に乗車。10分もしないで、大洲城の「二の丸大手門跡」付近まで参る事が出来た次第です。
大洲城:電車からの遠望、櫓下御門跡~二の丸御殿跡
「二の丸大手門跡」付近から、本格的に「大人散策@大洲城」を開始し、「本丸」を目指しました。本当に良いタイミングで参らせて頂く事が出来たようで、桜が満開! 「美しい天守と桜のコラボ」を何枚も写真に収めつつ、「櫓下御門跡」・「下台所」・「二の丸御殿跡」・「玉櫓跡」・「井戸丸跡」・「かま櫓跡」・「暗がり門跡」と進んで、「本丸」に出ました。「平山城」の分類になるのか「平城」の分類になるのか不明ですが、「松山城」や「岐阜城(稲葉山城)」の様に、お城の中枢まで、ロープウェイで行くような城郭ではなく、「岡山城」や「犬山城」の様な傾斜・距離感であった認識の為、あっという間に「本丸」まで到着する事が出来た感じでしたので、個人的には、「ほぼ”平城” と言って良い “平山城”」と言った印象を持った次第です。同時に、桜も美しいですが、「高欄櫓・台所櫓含む木造復元天守群」は、中々の見応え。様々な角度から何枚も写真を撮ってしまいました(おかげで、御殿跡の写真を撮り忘れてしまいました(写真はWikipediaより…)。
大洲城:二の丸御殿跡~暗がり門跡
そんな感じで、「本丸」まで進んだ後、しばし「本丸」内を周遊。「本丸廻り櫓跡」を拝見しつつも、「本丸からの景色」・「本丸からの高欄櫓・台所櫓含む木造復元天守群」を堪能。「肱川沿いの “うまい地形” に、お城を作ったもんだな…」・「”高欄櫓・台所櫓含む木造復元天守群” は、やっぱり見ごたえあるな…」・「”旭川に建てられた岡山城” に似ている地形だから、同じ “梯郭式の縄張り” なのかな…」と言った感じの会話を夫婦でしながら、「高欄櫓・台所櫓含む木造復元天守群」の内部にお邪魔した次第です。
大洲城:本丸・本丸からの景色・天守群
■「大洲城・天守群」の外観と内部の見学
「大洲城」の「高欄櫓・台所櫓含む木造復元天守群」の内部も中々のものでした。やはり「木造復元天守」という事はあり、心柱・梁等、それぞれの素材が一級品なんだろうと思える質感。また、「高欄櫓」の内部にも入ることが出来、「素材の違い」を感じる事が出来ます。「高欄櫓」側は、少し「こげ茶色」ぽくなった材が時代を感じさせるもので、「木造で復元された新しい天守」の方は、完成後それなりの期間が建っているはずですが、まだ塗装間もない赤みのを残す、木の香りすら感じる材で、一級品の材料で建築された事を感じる物だと思った感じでした。やっぱり、「この規模感での木造復元天守は、さすがだ!」と思いつつ、「天守」をくまなく拝見させて頂き、「天守閣からの眺望」も楽しんで、最後に入口で販売している御城印を頂戴して、「高欄櫓・台所櫓含む木造復元天守群」を後にした次第です。
大洲城:天守群内部

ちなみに、この「大洲城」、宿泊できる事、ご存じでしょうか? 限りある日程の様ですが、「宿泊できる天守」ってすごくないですか? だって、その日は、「大洲城の城主」ってことですよね…。正直なところ、今回の「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅(旅全体のMapはこちら)」の企画段階で、「是非泊まってみたい!」と思い、調べたのですが、速攻で諦めました…。理由は「あまりにも高額…」という事です(2名1泊(夕朝食付き):130万以上らしい)。とても私達夫婦には、手の出る金額ではありませんが、手の届く方で、お城好きな方であれば、「一考の余地あり!」だと思う次第ですので、こちらのHP(大洲城キャッスルステイ:https://castlestay.ozucastle.com/)も共有致します。
大洲城:天守群内部の展示と天守閣からの景色
■「大洲城・本丸」~「苧綿櫓(おわたやぐら)」~「臥龍山荘」
話を戻しまして、「高欄櫓・台所櫓含む木造復元天守群」を内部も含め堪能した後は、「本丸」を北側に回り込んで、「水の手櫓・水の手御門跡」、そして東に歩を進め「苧綿櫓」を巡り、「”伊予の小京都” と言われる “大洲の城下町”」を目指します。
「水の手櫓・水の手御門跡」付近は、ちょうど「肱川との境」になるエリアで、かなりの急斜面。言い換えると、「これぞ城郭!」と感じる「迫力ある大洲城」お姿を拝見出来ると同時に、「この斜面があるからこそ、”梯郭式の縄張り” が成り立つんだな…」と思えると言った感想を持った感じでした。その後、その急斜面を感じつつ、風情を感じる「東屋」を過ぎると見えてくるのが「苧綿櫓」。こちらも、現存の建造物で、本当に川沿いにあります。「恐らく、梯郭式の縄張りで、守りの薄い肱川側の防御の要かな?」と言った想像をしながら拝見させて頂きました。
大洲城・水の手櫓/水の手御門跡~苧綿櫓
その後、「苧綿櫓」を後にして、肱川の流れを感じつつ、「水門の様な通路(洪水対策?)」を抜けて、「”伊予の小京都” と言われる “大洲の城下町”」を目指しました。特にあてもなく、「街並みを感じる」つもりで、開始した「”伊予の小京都” と言われる “大洲の城下町”」の大人散策。「おおず赤煉瓦館」・「ポコペン横丁」・「渡辺勘兵衛邸跡」と、「味のある街並み」を拝見しつつ歩を進めると、「臥龍山荘」なるスポットを発見。団体の観光客一行が入っていくのを見て、「結構なおすすめスポット?」、「でも今行ったら混んでるだろうから、先に肱川の方から見てみない?」という事で、「蓬莱山(蓬莱島)」の方に参った次第です。すると、中々の景色。「これは内部も素敵なんじゃない?」という事で、「蓬莱山(蓬莱島)」から「臥龍山荘」に戻り内部も拝見させて頂きました。はっきり言って、「おすすめスポット」です。中々の風情を感じる空間で、「昔のお金持ちの別荘」と言った印象をもてしまいました。ちなみに、Wikipedia には、以下の様にあります。
大洲城下町/臥龍山荘へ
臥龍山荘(がりゅうさんそう)は愛媛県大洲市にある山荘である。庭園は国の名勝。
概要
1897年に木蝋の輸出で成功を収めた大洲出身の貿易商河内寅次郎が購入 (略) 構想10年、施工4年、延べ9000人の人手を要し歳月をかけて建設し、明治40年(1907年)に完成をみた。
臥龍院(がりゅういん)、不老庵(ふろうあん)、知止庵(ちしあん)の建造物と借景庭園が広がり、冨士山(とみすやま)・肱川の光景を眺めることができる (略) 2016年度には、臥龍院、不老庵、文庫の3棟が国の重要文化財に指定された (略)
2011年5月に「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」が一つ星を獲得し注目を浴びている (略)
上記引用の通りですが、『自身もお勧めすべき、「”伊予の小京都” と言われる “大洲の城下町”」を代表するスポット』ではないかと思いましたので、皆様も「大洲城」に脚を運ばれた際は、脚を伸ばしてみてはいかがかと思った次第です。
大洲城下町:臥龍山荘/知止庵・不老庵
■「臥龍山荘」~「伊予大洲駅」
「臥龍山荘」を後にし、「明治の家並み」・「大洲神社」・「おはなはん通り(ドラマのロケ地になった事があるらしい)」・「大洲まちの駅 」を、「古き良き、昔の日本の風情」を感じつつ巡って、時間を確認すると、「臥龍山荘」を見学する事を踏まえていなかった為か、そろそろ「伊予大洲駅」に戻らないといけない時間帯。「三の丸南隅櫓の見学」・「電車&大洲城を写真に収める事」を諦め、「肱川橋」を渡り徒歩で、「伊予大洲駅」を目指しました(予想通り、タクシーは見つかりませんでした…)。ただ、「肱川橋」・「橋を渡り切った後の堤防」から拝見する「大洲城の遠望」は中々のもの。「三の丸南隅櫓」・「電車&大洲城」を拝見する事はできませんでしたが、『「臥龍山荘」・「大洲城の遠望」は拝見できたのでOKでしょう!』という事にして、帰路に付き、駅に戻る道々(駅前)で、「総社大明神社」・「伊予大洲駅に着いた時に気になった大きな鳥居:少彦名神社 一の鳥居」を拝見し、駅に戻って(大洲まちの駅 ~伊予大洲駅まで、30分弱位の記憶です)、次の目的地「松山/道後温泉」を目指した次第でした。
大洲:臥龍山荘~伊予大洲駅と大洲城・三の丸南隅櫓(Wikipediaより)
【最後に】
以上が、「平成になって忠実に木造復元された天守を、江戸期から残る高欄櫓・台所櫓と共に、『複合連結式層塔型4重4階の天守群』として拝見できる『大洲城』の概要と大人散策情報を、周囲の大人観光スポット(大洲城下町)と併せ紹介」させて頂いた内容になります。
2.5時間程度と言う、少々駆け足の「大人散策@大洲城&城下町」の記載でしたが、いかがでしたでしょうか? 個人的には、「2.5時間程度の大人散策」でしたが、「中々満足度の高い大人散策だった」と思っている感じです。しかし同時に、『「三の丸南隅櫓」・「電車&大洲城」も拝見したかった…』と言うのも、正直なところ「心残り」として持ってしまったので、再度機会に恵まれるのであれば、「三の丸南隅櫓」・「電車&大洲城」を拝見し、最後に判明した大きな鳥居が駅前にあった「少彦名神社(参考:国造りの日本神話)」にも脚を伸ばしたいと思ったと同時に、(ほぼ不可能な願望ですが…)「その時に “大洲城の宿泊が、夫婦2名で10万位になっているのならここに泊まろう!”」と思ってしまった次第です…。
また今回の訪問は、上記に記載しましたが、「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅(旅全体のMapはこちら)」の5日目に参らせて頂いたものですので、以下にその旅で巡らせて頂きました「大人散策スポット(神社仏閣・お城・庭園等)」や「大人のお宿情報」・「大人レストラン情報」と言った記事も記載して折ります。宜しければ、併せてご参照頂けますと幸いです!
(現在各記事作成中で、随時更新していく予定ですので少々お待ちください…)
- 以下、「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅」の関連記事
- ①「栗林公園の『Key となる見所』を共有」
- ②「日本三大水城の1つ・高松城の登城報告 & JRホテルクレメント高松の宿泊情報
- ③「高松市内の大人レストラン・イタリアンレストラン『ズッカ』
- ④「屋島の合戦で有名な『屋島』にある『屋島寺 / 屋島城跡』の大人散策
- ⑤「日本三大怨霊の一人・崇徳院に関連深い『白峯寺 / 崇徳天皇 白峯陵』を大人散策」
- ⑥「江戸期に京極氏の命により策庭された日本庭園の『中津万象園』の大人散策情報」
- ⑦「日本一の石垣の総高を誇る『現存12天守』の1つである『丸亀城』の登城報告」
- ⑧「『金刀比羅宮』の麓の大人の温泉宿『琴平グランドホテル桜の抄』」
- ⑨「『金刀比羅宮』を『嚴魂神社(金刀比羅宮奥社)』」まで大人散策で参拝」
- ⑩「『多度津の街並み』と日本三大水城の1つ『今治城』を大人散策」
- ⑪『現存12天守』の1つである『宇和島城』の登城報告」
- ⑫「宇和島の街を大人散策:『天赦園』・『伊達博物館』(ほんの少し「JRホテルクレメント宇和島」の宿泊情報も…)」
- ⑬「地元『鯛めし』を満喫できる大人レストラン『ほづみ亭』」
- ⑭「『大洲城』・『大洲城付近の明治期の面影が残る街並み』を大人散策」
- ⑮「客室温泉露天のお部屋ををリーゾナブルに利用できる大人温泉宿『道後温泉/八千代』」
- ⑯「現存12天守の1つである『松山城』の登城報告」
- ⑰「松山の街を大人散策:『萬翠荘 / 坂の上の雲ミュージアム』・『湯築城跡』」
- ⑱「道後温泉街と付近の神社仏閣を大人散策:『道後温泉本館等の道後温泉街』・『湯神社』・『伊佐爾波神社』・『石手寺』」
- ⑲「ゆったり空間の大人レストランで『鯛めし』を満喫:『伊予食堂 おとら』・『かどや 松山空港店』」
- ⑳「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅」

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城、国宝5天守、現存12天守、現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城・彦根城・松本城・松江城・川越城・二条城・熊本城・高知城・掛川城・小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。