【基本情報:松代城と聞いて何を連想されますか?】
歴史好きでなくとも、ご存じの方がが多いと思いますが、この松代城は、正にその中心地にあります。本日はこのお城「松代城」を中心に起こった川中島合戦にかかわるスポットを、勝手な考察と共にご紹介致します。
いつも通りの連想ゲームから始めさせて頂きますが、皆さんは、松代城と言うと、何を連想れるでしょうか?
私は、以下の感じです。
- 今の名前は松代城だが、築城当時は、海津城と呼ばれていた
- 川中島合戦時、武田信玄が、武田24将の一人・山本勘助に命じて築城させたお城
- 第4次の川中島合戦時には、武田信玄が海津城に、上杉謙信が妻女山に布陣 (本当は、どうなんでしょうか?:以下で考察を加えております)
- その際の有名なエピソードである、武田信玄と上杉謙信の直接対決を模した像が、近くの八幡原史跡公園にある (この公園は、正に第4次川中島合戦があった場所に作られているらしい…)
- 江戸期の殆どは、あの真田氏がおさめた地 (真田家発祥の地=上田、江戸期の真田氏の拠点=松代)
- 上記の為、真田宝物館は、松代にある (真田ファンは、上田だけでなく、松代にも行くべし!、真田氏の礎となった、砥石崩れ(戦:信玄が破れ、真田が巻き返した)に関しても別記事で紹介しています)
- 幕末の天才兵学者、佐久間象山は、松代藩士
と、こんな感じでしょうか?
【第4次 川中島合戦概要】
武田、上杉、真田と歴史好きには、たまらない名前が並び、思いにふけってしまいます。今回は、この中で、川中島合戦(第4次)に焦点を絞って、記載したいと思います。
あの有名な、川中島合戦。川中島合戦は、12年間で5回あったと言われているようですが、その中で、最も激しく戦闘があったのは、4回目。信玄は海津城に、謙信は妻女山に布陣したが、中々決戦にならない中(20日程にらみ合い)、武田24将の一人・山本勘助が信玄に、部隊を2つに分け、別動隊が背後から攻撃し、もう一方の本体が驚いて下山してくる上杉軍を挟み撃ちにする、「啄木鳥戦法」を考案 (キツツキは、木の幹をくちばしでたたき、反対に出てきた獲物を食べる習性がある為、そう名付けられたと言われいるそうです)。
しかし、上杉軍はこれに気が付き、夜中のうちに下山し、川を渡り布陣(「鞭声粛々夜河を渡る」と大河ドラマ等でよく取り上げられるシーンですね)。夜明けと共に、待ち構えていた武田本体を強襲。上杉優勢の戦いとなるが(この時に一騎打ち話が生まれる)、武田軍は何とか耐え、別動隊が下山し、形勢逆転。武田が、川中島の地を死守する形となるが、武田24将で、弟の信繁や軍師の山本勘助と言った、そうそうたる家臣が戦死。
川中島の地を抑えたか(武田)、損害の大きさか(上杉)、の観点で意見は割れるが、引き分けの考え方が一般的。こんな事を思い出しながら、この地を巡ると興奮してしまいますね。
【上杉謙信は、本当に妻女山に陣取ったのか? 西条山では?】
所で妻女山。海津城から本当に見えます。直線距離にして、2km ちょっとらしいです。それは見えますよね。でも、地理的に上杉はかなりリスクのある布陣をしたと言われていますよね。信玄の方が、越後側にいる訳ですから、そう思ってしまいますよね。
川中島合戦に関しては、甲陽軍鑑(高坂弾正が口頭筆記で伝えた書)をはじめ、決め手となる資料が少なく、昨今かなり回復基調にある様ですが、信憑性に課題がある様です。ちなみに、妻女山は、甲陽軍艦には、”西条山”と書かれているようで、「妻女山ではなく、西条山」となると、「西条」と言う言葉(文字面)が気になってきます。
そんな手掛かりのもと、Web上で調査を進めさせて頂くと、「西条」と言う地名と、そのエリアに、上杉方のお城があった事が判明しました。下記の地図をご確認頂きたいのですが、善光寺の北東、直線距離にして5kmほどの所に、”若槻山城跡”があり、ここは上杉が整備した山城と言われている様で、地域の名前は、”長野市浅川西条”。ここなら位置的に納得でいますが…。
本当は、こっちが上杉が布陣した所なんでしょうか?
それは、今となっては、回答を見つける事は、難しいかもしれません。しかし、上杉謙信が妻女山に陣取ったと言う事は、武田信玄が陣取った海津城よりも、甲斐(山梨)よりに上杉謙信が陣取ったと言う事で、「かなり懐深く入り込んで陣取った」と言う事になります。
一方で、若槻山城跡であれば、千曲川・犀川を挟んで対峙できますし、撤退時にも越後への退却路も確保しやすいはず。戦のセオリーから考えると、こちらの若槻山城の方が、正しい選択に思えます。しかしそこは、自身を毘沙門天と思っている上杉謙信。そんなセオリーは、関係なかったのかもしれません…。
【最後に】
上記、勝手な考察を加えさせて頂きましたが、皆様はどの様に思われましたでしょうか?
勝手な考察なので、全く見当違いかもしれませんし、もしかしたら、ホントにそうかもしれません(一般的にはそうではないでしょうが…)。しかし、そんな視点で楽しむのは、大人の楽しみ方の1つだと思い、こういった妄想をしながらこの地を巡る事は、大人散策の醍醐味だと思った次第です。そんなイマジネーションを膨らませつつ、皆様も時間があれば、海津城・妻女山・八幡原史跡公園(古戦場)・若槻山城跡と回ってみてはいかがでしょうか?
ちなみに別記事にて、近場の善光寺周辺観光、上山田温泉の旅亭たかの / 上山田ホテルや別所温泉に関しても紹介していますので、周囲の大人散策情報やお宿情報と併せてご参照頂けますと幸いですし、江戸期にこの地を治めた真田氏@松代 / 戦国期の真田氏@上田(城)、上田城下の北国街道の面影が残る柳町の大人散策情報や、真田氏の名前を全国区にした関ヶ原の前哨戦で徳川秀忠が本陣を置いたとされる(山本勘助の縄張りと伝わる)小諸城に関しても別の記事で記載しております。更に更に、上杉謙信を祭神とする別格官幣社・上杉神社も含めた記事や川中島合戦の後、武田信玄が方針転換し、駿河に触手を伸ばした一環の軍事行動「小田原攻め」やその帰路に起こった山岳戦の代表例「三増峠の戦い」、その数年後に発生した徳川家康との戦いである「三方ヶ原の戦い」等に関する考察の記事等も別記事で記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城、国宝5城、現存12天守、現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城・彦根城・松本城・松江城・川越城・二条城・熊本城・高知城・掛川城・小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
一部地図は、Google Mapの画面キャプチャーに、自身で書き込みを行い作成
以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!