松江城

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【はじめに】

こちらのページでは、様々な “逸話” をもつ、国宝・松江城の大人散策をその概要をを抑えた上で、プランニングしていきたい」と思います

まずは、いつも通りお城に関する題材の際の連想ゲームから入らせて頂きます。皆様は、「松江城」と聞くと、何を連想されますでしょうか? 私の場合は、以下の感じです。

江戸期の本当に初めに築城され、400年の歴史を持つ、松江城の天守。いつかは、参らせて頂きたいという願望を持ちつつも、まだお邪魔できていないお城です。様々な逸話が残り、お城としても、その逸話の歴史にしても興味深い松江城を、今後の訪問の前準備として、概要を含め調査し、大人散策プランを練らせて頂きたいと思います

【松江城の概要】

まずは、松江城の概要を抑えるべく、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります(引用の後に、箇条書きでポイントまとめてます)。

松江城(まつえじょう)は、現在の島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の日本の城。別名・千鳥城現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。  

概要  

小瀬甫庵の縄張りによる平山城。江戸時代には松江藩の政庁として、出雲地方の政治経済の中心であった。山陰地方で唯一の現存天守であり、国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城)。標高29メートルの亀田山に建つ天守からは宍道湖を眺望することができる。 明治時代初頭に廃城令によって松江城は陸軍省所管となり城内の建物は全て解体され売却される予定だったが、地元の有志によって天守閣だけは買い戻されて解体を免れた (略) 日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれるなど島根県の主要な観光名所となっている (略)    

築城  

1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、隠岐・出雲24万石を得て月山富田城に入城し、松江藩が成立。月山富田城は中世山城であり近世城下町形成には不利であったので、運送などに有利な宍道湖と中海を結ぶ太田川の近く、末次城跡を城地の候補とした。  

1607年(慶長12年) 末次城のあった亀田山に築城を開始。  

1611年(慶長16年) 正月には松江城は落成していた(堀尾吉晴は完成目前で急死しているというのが通説だったが、この年の6月に亡くなっているため、通説は誤り)。  

1633年(寛永10年) 堀尾忠晴没、嗣子なく堀尾氏は3代で改易となった。  

1634年(寛永11年) 京極忠高が若狭国小浜藩(若狭・越前国敦賀郡)より出雲・隠岐両国26万石で入封。三の丸を造営し、ここに松江城の全容が完成した。  

1637年(寛永14年) 忠高が嗣子なく没し、京極家宗家は一時廃絶(後に他国で再興される)。  

1638年(寛永15年) 信濃国松本藩より松平直政が出雲18万6千石で入封。以後、明治維新まで続いた(略)    

構造  

(略) 松江市街の北部に位置し、南を流れる京橋川を外堀とする輪郭連郭複合式平山城である。宍道湖北側湖畔の亀田山に築かれ、日本三大湖城の一つでもある。なお、城の周りを囲む堀川は宍道湖とつながっており、薄い塩水(汽水域)である。構造は、本丸を中心に据え、北に北の丸、南に二の丸上段、東に二の丸下段、二の丸上段のさらに南には出城のように独立した三の丸が配されている。城の中心となる御殿は二の丸上段に置かれていたが、敷地が狭いため三の丸にも御殿が建てられ藩主は主にこちらで生活していたようだ。大手門は石垣のみが残るが巨大な枡形を形成しており、江戸城や大阪城に匹敵する規模である。現在、北の丸には神社、三の丸には島根県庁が建っている。 

本丸  

本丸は東西約54m、南北約123mの長方形で、東寄りに天守が建つ。基本的に、計6基の二層櫓が多聞櫓により結ばれていたが、鬼門にあたる北東のみは二層櫓を設けず、土塀のみを配置していた。東側の天守に対して、西側にあった鉄砲櫓は鯱をあげ、初層外側屋根上に唐破風をもうける小天守の風格ある櫓であったという。  

天守  

天守は外観4重、内部5階、地下1階で、天守の南に地下1階を持つ平屋の附櫓が付属する。形式上は望楼型天守に分類され、二重の櫓の上に二重(3階建て)の望楼を載せた形になる。二重目と四重目は東西棟の入母屋造で、二重目の南北面に入母屋破風の出窓をつけている。附櫓も入母屋造である。壁面は初重・二重目は黒塗の下見板張り、三・四重目と附櫓は上部を漆喰塗、その下を黒塗下見板張りとする。南北の出窓部分の壁は漆喰塗である。屋根はすべて本瓦葺きとする。構造的には、2つの階にまたがる通し柱を多用している点が注目される。建物の中央部には地階と1階、2階と3階、4階と5階をそれぞれつなぐ通し柱があり、側柱など外側部分には1階と2階、3階と4階をつなぐ通し柱がある。

1・2階平面は東西12間に南北10間あり、高さは、本丸地上より約30m(天守台上よりは22.4m)ある。窓は突上窓と火灯窓あり、2階に1階屋根を貫く形で開口した石落しが8箇所あることを特徴としている。地下の井戸は城郭建築では唯一の現存例である。最上階は内部に取り込まれた廻縁高欄があり、雨戸を取り付けている。鯱は、木製の銅板張で現存天守の中では最大の高さ約2m。現在の鯱は昭和の修理の際に作り直されたもので、旧鯱は別途保管展示されている。また、石垣は「牛蒡積み」といわれる崩壊しない城石垣特有の技術が使われている  (略)   

松江城は築城より100年以上経過した江戸時代中期の元文3年(1738年)から寛保3年(1743年)にかけて大改修が行われた。改修前には千鳥破風や唐破風、漆喰壁があったとみられるが、この大改修の際に天守も改装されて、現在の松江城天守の姿になったと推測される。  (略)  

江戸時代制作の天守雛型が残るのは宇和島城、大洲城、小田原城、延岡城、松江城の5城(合計8つ)があり、国宝5城の内では唯一の雛型である。松江城の本丸は有事の際にだけ使用される「詰の丸」であり、天守は倉庫として使われていた  (略)  

https://ja.wikipedia.org/wiki/松江城

少々引用が長くなってしまいましたので、以下にポイントをまとめます

  • 松江城の天守は、1607年に堀尾氏によって築城され、400年ほどたった現在でも、その雄姿を拝見できる山陰地方で唯一の現存天守で、且つ国宝5天守
  • 同時に、天守からは宍道湖を望む日本三大湖城でもある
  • 城主は、堀尾氏(30年強) ⇒ 京極氏(ほんの数年) ⇒ 松平氏(明治維新までの230年程)で推移
  • 明治期の初め、廃城令により解体に危機があったが、地元住民により天守のみは、解体を免れた
  • 「入母屋破風、附櫓、下見板張り、鯱、牛蒡積みの石垣」等、天守外観の見所も多いが、「天守内にある井戸、通し柱、天守閣の廻縁高欄」等、天守内部のも多くの見所が存在する

松江城と言うと、個人的には「堀尾氏」のイメージが強いのですが、「堀尾氏の統治は30年ちょっと」と言うのは、少々意外な印象を持ちます。しかし、400年の歴史を持つ、さすがは国宝天守と言った感じで、歴史ある構造物を、その歴史に思いを馳せつつ、天守の外からも中からも、じっくりと見学させて頂きたいものだと改めて思った次第です。

【松江城の逸話】

上記、概要を抑えさせて頂きました松江城ですが、このお城には、いくつかの「逸話」が存在している様です。似た様な話ですが、いくつかバリエーションがある様ですので、以下にそれぞれ共有致します。

松江城のHP(https://www.matsue-castle.jp/)には、以下の様な記載がありました。

忠氏の死  

浜松から移封してきた堀尾親子。現在の安来市・広瀬にある月山富田城に入場するも富田城は中世の山城で城下町の形成には難しい地形に加え水運の便が悪いことや鉄砲戦に向いたつくりではないなどもはや時代錯誤の城であった。そこで城地を改めるとし、親子が目を付けたのは湖畔の町・松江松江のどこに居を据えるか検討する最中、領地見分に松江に赴いた忠氏は神魂神社の禁足地に踏み入る。しかし戻ってきた忠氏の顔は蒼白。そのまま亡くなってしまった。どうやら人の踏み入れないその場所でマムシに咬まれ、その毒で命を落としたのではないかと言われている

築城時の怪談:崩れ落ちる石垣、ギリギリ井戸、盆踊りの禁止  

築城時、何度積み直しても完成間近になるとガラガラと大きな音を立てて崩れてしまう石垣があった。ちょうど松江城の鬼門の方角に当たる部分であったため、築城主である堀尾吉晴は霊験あらたかな宮司を招き、敷地内を調べてもらった。すると宮司が掘ってみろ、と崩れた石垣の根本付近の一点を示した。その場所を掘り起こしてみると槍の穂先が刺さったしゃれこうべが現れた。これを三日三晩の大祈祷の末手厚く祀るとようやく石垣は積み上げることができたという。この時掘った穴をさらに掘り下げると清らかな水が滾々と湧き出し「ギリギリ井戸」とよばれ重用された。(「ギリギリ」とは方言で「つむじ」のこと。穴の形がつむじの形に似ているから、城のちょうど中心あたりに位置するから、など諸説あり)  

松江城の石垣にまつわる話はバリエーションがある。  

築城の際、石垣に積み上げても積み上げてもどうしてもうまくいかない部分があったため、人柱を立てることとなった。折しも盆踊りの時期であったため、城下で盆踊り大会が催され、その中で一番美しく踊りのうまい娘が攫われ生きたまま人柱にされた。その石垣は無事に積み上げることができたが、城下で盆踊りが行われると天守が大きく揺れ動き、御城下に災いがあるとされ、いまでも松江城近くでは盆踊りは行われていない松江藩の藩主が2代続けて改易になったのも娘の祟りだという人もいる。  

奇跡の発見!松江城天守、国宝へ  

松江城では松江城天守が完成した年に祈祷に使われたと思われる「祈祷札」が再発見された。しかし天守外の蔵から見つかり、札にも「松江城天守」と書いてあるわけではない。天守のものであると証明がなかったが、証明できれば天守の完成年がわかる大きな発見となる。さてどうやって証明をするか、研究者たちが頭を悩ませながらも暗い天守内を懐中電灯で照らしながら手掛かりを捜索するなか、地階の井戸脇の柱に小さな穴が見つかった。この小さな穴と、祈祷札についた釘穴がなんとぴったり一致した。小さな穴が松江城天守国宝化への大きな影響を与えたというから驚きである。 

https://www.matsue-castle.jp/

尚、Wikipediaの「松江城」の項目内、「人柱伝説」には、以下の様な記載もあります。

(略) 天守台下の北東部石垣が何度も崩落するため困っていたところ、堀尾吉晴の旧友という虚無僧が現れて、崩落部分を掘らせたところ槍の刺さった髑髏が出てきたので虚無僧が祈祷したが、まだ危ういところがあるというと虚無僧は「祈祷では無理だ。」というのである。どうすればいいのか尋ねると、「私の息子を仕官させてくるのであれば、私が人柱になろう。」というので、虚無僧に人柱になってもらい工事を再開させることができたが、堀尾家は普請の途中に2代忠晴で絶え改易となった、というものである (略)   

https://ja.wikipedia.org/wiki/松江城

ちょっと歴史を整理も含めまとめますと、以下の様になります。

  • 1600年:堀江氏、浜松より松江の地へ移封し、初代藩主に
    • 忠氏が築城地を検討し領内を見分するも、禁足地に足を踏み入れた際、マムシにかまれ死亡
  • 1607年:築城開始も石垣が区連れる現象により、人柱を利用して完成 (人柱にされたのが、盆踊りに来ていた美しい娘なのか、虚無僧なのか、バリエーションがある様)
  • 1611年:松江城落成も、1633年堀尾氏は改易
  • 1634年:京極氏が入り、松江城の全容完成するも、1637年には、京極氏断絶
  • 1638年:松平氏が入ると、松平氏は明治まで続いた
  • 明治期の廃城令により、解体の危機があったが、市民の団結により、天守は解体されずに済んだ
  • いずれにしても、以降、「盆踊り」はおこなわれていない様子
  • 現代になって、築城時期を特定できる祈祷札が見つかり、2015年に国宝の指定を受けた

こうやって改めてみてみると、悲しい過去を背負ったかもしれない、松江城ですが、明治期の市民のお城に対する愛情が、松江城を国宝にする礎になったかと思うと、これは素晴らしい事であると同時に、本当に長い歴史を重ねてきたお城である事にも感じ入ってしまった次第です

【最後に:松江城の見所は?】

ここまで、松江城の歴史的な概要とその逸話に付き、サーチさせて頂きましたので、これらを踏まえ、松江城にお伺いし、大人散策をする際の抑えるべきポイント」と思った内容を以下に列挙します

  • 国宝天守は、外からも、中からも、じっくりと拝見させて頂くべき「破風」や「狭間・石落し」等は勿論、「建物内の井戸」、「通し柱」、「祈祷札」、「天守閣の廻縁高欄とそこからの宍道湖の眺め」、「木製の鯱」は、特にしっかりと拝見させて頂くべきと思いました
  • また城内全体では、堀尾吉晴の像・松平直政の像を拝見しつつ、ギリギリ井戸跡も拝見し、このお城の歴史に思いを馳せてみたいとも思いました
  • 石垣も多く残っており、櫓等の建物の再建も進んでいる様なので、石垣の分類を楽しみつつ、かなりの広さがあると思われる城郭の全体像の把握もさせて頂きたいと思いましたし、もし時間があれば、舟でお城の堀を回れるようですので、遊覧船でのんびりと、回りながら石垣を楽しむのも一つの方法かと思った次第です。

以上が、様々な “逸話” をもつ、国宝・松江城の大人散策をその概要をを抑えた上で、プランニング」させて頂いた内容になります。

居住地、埼玉県の川越からは少々距離もあるので、現地で少し長めに滞在し、出雲大社へのお参りや宍道湖周辺の大人散策、足立美術館での庭園鑑賞等を含め、現地の温泉も楽しみつつ参らせて頂きた地だと改めて思った次第です。実際に訪問できた暁には、本ブログを更新し、新しい情報提供をさせて頂ければと思います!

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

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