【はじめに:「のぼうの城」の舞台、行田】
本日は、行田市の “さきたま古墳群” と “忍城址” をご紹介します。(上記写真は、左:さきたま古墳群全体図、中:忍城、右:さきたま緑道Map)
先日、「のぼうの城」と言う映画を、改めて見ました。皆さんは見た事ありますか? 豊臣の関東征伐における、忍城の奮闘ぶりを描いた映画で、中々好きな役者も出ていて、非常に面白い映画です。行田は、ポタリングで何度かお伺いしており、その際はさきたま古墳群と忍城をセットで拝見させて頂いておりますが、のぼうの城を拝見し、「改めて行ってみたいな」と思っています。が、まだ、再訪問できていません。理由は、川越から、まずまずの距離があるからです。川越からですと、30Km程あると思いますので、往復で60Km。前回も、一日かけてゆっくり行ったのですが、結構きつかった記憶もあり・・・、年齢と共に体力の低下も見える様で・・・。
【忍城祉の歴史上の出来事と現在の様子】
そんな行田市で、有名なのは、「忍城祉」と「さきたま古墳群」(あのドラマで有名な、足袋も有名ですし、別記事で紹介した古代蓮も有名ですが・・・)。
こちらでは、その2つを紹介しますが、まずは忍城祉。皆さんは、忍城ってご存じでしたか? 忍城と言われて、真っ先に出てくるのは、上記、のぼうの城でも描かれたエピソードだと思います。簡単に記載しますと・・・。
「豊臣の関東征伐において、豊臣方は、小田原城の攻略が、最もポイントになるのは、当然だが、それに際し、小田原・北条方に着く武将の城も同様に攻略していった。しかし、忍城だけは落ちず、先に小田原城が落ちたので、忍城も開城した。この時の城主は、成田氏。豊臣方からは、石田三成が軍を率いていた。水攻めで攻撃するも、堤が壊れてしまい、水攻めを断念。その後力わざで攻めるが、自身の水攻めによって、城の周囲は泥沼とかし、結局は、落とすことが出来なかった」。
間単に記載するとこんな感じでしょうか。(この戦における、三成の評判に付き、別記事で、孫子の観点から考察を加えております)
現在の忍城址に行ってみると、天守代用の櫓がありますが、いわゆる観光天守で、史実には基づいておらず、事実とは異なる場所に作られている様子。また、内部は資料館になっており、お城好きには、少々物足りないかもしれません。ただ、鐘楼や堀は、一部現存しておりますし、水城公園もあり、全体図は認識できますので、浮城と言われた、難攻不落のお城を感じる事は出来るとは思います。
【さきたま古墳群で見つかった「金錯銘鉄剣」の意味と石田三成が布陣した古墳】
次に、さきたま古墳群ですが、皆さんは、こちらはご存じでしたか? 私の知る限り、2つのエピソードで、有名だと思います。
1つ目は、”金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)”が出土した所と言う事。これは、国宝らしく、さいたま史跡博物館のページによると、以下の解説がありました。
”埼玉古墳群の稲荷山古墳第1主体(礫槨)の出土品。剣身の中央に切っ先から柄(つか)に向かって、表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が刻まれている。古墳時代の刀剣に刻まれた銘文としては最長である。冒頭の「辛亥年(しんがいのとし)」は西暦471年と考えられ、作刀者の「ヲワケの臣(しん)」の8代の系譜、「杖刀人首(じょうとうじんのかしら)」の職について「ワカタケルの大王(おおきみ)」(雄略天皇か?)の政治の補佐役を務めたことが書かれている”
https://sakitama-muse.spec.ed.jp/金錯銘鉄剣
古墳時代から、天皇の影響は、関東にも及んでいたと言う事らしいです。1500年も前の史実のより所が、金錯銘鉄剣であると言う事、言い換えれば、「金錯銘鉄剣=天皇の影響があったというエビデンス」と言う事なので、改めて考えるとすごい事ですよね。
2つ目は、上記の忍城攻めで、石田三成が、布陣したと言われる、丸墓山古墳があると言う事。この、さきたま古墳群は、登れる古墳と登れない古墳があり(さきたま史跡博物館の古墳情報:https://sakitama-muse.spec.ed.jp/埼玉古墳群紹/丸墓山古墳)、この丸墓山古墳は登れますし、忍城も見えます(ちっちゃいですが・・・)。周囲には、石田堤(忍城攻めで、三成が築いたとされる堤)の一部が残されています。
登った際に思ったことは、「この古墳、本当に巨大だ」と言う事。実際にのぼってみると、結構大変でしたし、降りるときは、若干恐怖を感じるくらいでした・・・。また、「この辺り、高低差はあまり感じない地形なので、水攻めを行うのも、かなり難しいのでは?」と言う事。事実、28Km(14Km説もあるらしい)に及ぶ、堤を作らないと囲えなかった訳なので、そもそも無理があった様な気がしてなりません。(この責任は、三成でなく、これを指示した、秀吉あるべきなおでしょうが、世論は、「三成って戦下手」のレッテルを張られてしまい、かわいそうな話ですよね・・・:別記事で考察を加えておりますので、併せてご参照ください)
【最後に】
私は、川越から自転車で行ったので、北鴻巣の方から、緑道を通っていきました。この道、4-5Km位続いており(北鴻巣駅近くから、さきたま古墳公園)、散策には持って来いのコースだと思います。行田に行くのですが、北鴻巣駅から散策しつつ、1500年前からある、さきたま古墳群で古代を感じ、浮城と言われ(現在、大部分は水城公園となっている)、難攻不落の城の代名詞と言われた忍城祉と回り、戦国武将の痕跡を感じながら、「古墳時代と戦国時代に思いをはせる大人の散歩」、をしてみて如何でしょうか?
尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城、国宝5城、現存12天守、現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城・彦根城・松本城・松江城・川越城・二条城・熊本城・高知城・掛川城・小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!