小諸城址(懐古園)内部の様子と三ノ門

【小諸城から何を連想しますか?:基本情報】

歴史好きなら必ず知ってる真田氏。その本拠地は、上田市ですが、その隣の隣、約20Km南東に、小諸市はあります上田と比べると、陰に隠れていよう様にも見える小諸ですが、真田氏を語る上で、小諸は欠かせない地なのです別ブログで、上田城紹介しています)。今回はその小諸を、小諸城址(上記写真:小諸城址/懐古園三の門と内部の様子)の歴史と地形を中心に、その周囲の大人観光スポット(抜粋版)も併せ、魅力を探って行きたいと思います

いつも同じ書出しですが、皆さんは、小諸と言うと何を連想れるでしょうか?

私は、以下の感じです。

  1. 小諸城址がある 
  2. そのお城は、日本で唯一の穴城と言われている (城下町よりも低い位置にお城がある) 
  3. 現在は、公園として、懐古園と呼ばれている 
  4. 第2次上田合戦の際、徳川秀忠が陣を敷いた 
  5. お城関連以外だと、島崎藤村が、小説家になる前に、教師として数年住んでいた様で、その定宿、中棚荘は中々の大人温泉宿
  6. 小海線の始点(終点?)駅が小諸駅 
  7. 断崖絶壁にある布引観音は必見
  8. 北国街道小諸宿を大人散策
  9. 寅さん記念館があったが閉館してしまった

と、こんな感じでしょうか?

【小諸城の歴史:秀忠が足止めされた地】

小学校時代の遠足で、小海線のもう一方の始点(終点?)、小淵沢から小諸まで行った記憶はありますが、やはり、小諸と言って真っ先に頭に浮かぶのは、小諸城址(=懐古園)。故に、小諸城址の歴史と地形」から、話を進めたいと思います

そもそも小諸城は、「平安時代に木曽義仲の家臣が、館を構えたのが始まり」と言われているようです。その後、戦国時代に武田信玄の家臣、山本勘助を中心に、縄張りが行われ、小諸城が築城されたそうです(別ブログで、武田信玄関連で武田家居城跡に作られた「武田神社」と甲府城址紹介してます)。 江戸時代の初代藩主は、仙石氏ですが、その前に有名なのが、第2次の上田合戦の際に徳川秀忠が陣を敷いた事

ご承知の通り、「この合戦で、秀忠は真田氏を滅ぼす事が出来ず、足止めされた上、3万の軍勢が関ケ原の合戦に間に合わなかった」と言う話は、あまりにも有名ですが、秀忠が小諸に陣を敷いた事は、ご存じない方もいらっしゃると思います。小諸から上田は約20km。結構近くで、陣を構えていたと言う事で(関連情報として、東海道中山道に関しても、別記事で考察を加えております)、日本史における最大の転換期の1つになった、関ケ原の合戦のもう一つの舞台(前哨戦?)が、ここ小諸城址(懐古園)と言う事になる認識です。

【地形をいかした、穴城と言われる小諸城】

そんな、小諸城址。実際に入ってみると、2点面白い点が見えてきます。それは、①「地形」と②「縄張り」です

まず地形ですが、”穴城”と言われているだけあって、現在の懐古園の門(三ノ門)にさしかかると、その入り口が下がっている事、実感できます。「穴」と言う文字から、「これで、守りは大丈夫なのか?」、「水を流されたら埋まってしまうのでは?」と思ってしまいますが、実際に中に入ってみますと、そんな事は無い事が見えてきます。しっかりと守りは、準備されているのです。尚、「穴城」をWikipediaにて検索すると、小諸城のページになり、以下の様にあります。

”城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある”

https://ja.wikipedia.org/wiki/小諸城

上記引用の通り、小諸城は、城下町よりも低い場所にあり、”穴”と言われると、イメージ的に『「水攻め」で城の中が水で浸かってしまうのではないか?』と思う方が多いのでないかと推察ます。しかし、例え「水攻め」されても、西側は断崖絶壁で、その下をが流れており、周囲も深い堀ですので、水がたまる心配がない事、ご理解頂けると思います。

次に縄張りですが、上記の不安を払拭してくれます。入口は、”隘路”の様に、狭くなっており、ここでしっかり敵をたたけば、防御可能です。本丸は、怖さを感じるくらい深い空堀で、しっかり分離され、西側(入口の反対側)は、急な崖でその下には(富士見展望台・水の手展望台からは、日本三大河川に一つ・千曲川(信濃川)の雄大な流れが見渡せます!)。つまり、たとえ攻められても、この隘路になった三ノ門さえ押さえておけば、しっかりと防護できる事、縄張りから理解して頂けると思い、『縄張りで防御を工夫し、地形的に水が来ても大丈夫な作りになっている「穴城」が「小諸城」』と認識しました。

【最後に:懐古園(=小諸城址)と周囲の大人観光スポット】

上記が、懐古園(=小諸城址)の歴史・地形を中心としたの話になりますが、「お城といえば?」で思い出す大手門。こちらは、現在線路の反対側にあります。昔のお城の城内を突切って、線路が引かれたのですね。懐古園(=小諸城址)にいらしたのであれば、大手門にも足を運んで頂きたいですし、更に周辺の小諸の町中(=北国街道沿いの小諸宿:別記事で紹介中)を大人散策して見ては如何でしょうか? 所々に、歴史ある建物が点在しており、大人散策には、持ってこいです。

更に周囲に目を向けると、断崖絶壁にある布引観音島崎藤村の定宿だった事で有名な大人温泉宿・中棚荘での宿泊もお勧めです。布引観音は、山道を数十分かけて登って行く必要はがありますが、その山道(参道)には、奇岩/石の見所もあり、お堂エリアまで登った際の達成感もあり、楽しみながら大人散策が出来ます。また、中棚荘は、明治期創業のお宿と言う事で、歴史ある建物が中々の風情を醸し出しております。温泉を引き込んだ(内湯)お部屋もあり、歴史と風情、文学の香(藤村の香?)を感じる事が出来る大人温泉宿です。それぞれ別記事で紹介しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

日本に唯一と言われる穴城。秀忠が、足止めされた城。是非、そんな面白い側面を持つ小諸城址(=懐古園)を、周辺の大人観光スポットと併せて訪れ、小諸の旅を満喫してみてはいかがでしょうか?

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

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