信玄堤

【基本情報:信玄堤】

皆様は、信玄堤って聞いた事ありますか? ご存じですか? 「信玄 ”餅” は知っているけど、信玄 ”堤” は知らない…」と言う方は、さほど多くはないと思いますが、念の為、基本情報を以下に記載いたします

信玄堤は、誰もが知っている戦国武将・武田信玄が治水事業を行った際に作られた堤防と治水にかかわる構造物の総称」と理解しています。

「ん?」と思った方もいらっしゃると思います。「・・・と治水にかかわる構造物の総称」の部分だと思いますが、私が子供の頃、以下の様に教えられました。

信玄堤とは、堤防の事だけでなく、それ以外の水を治める為に作られた、様々なインフラや仕組みを総合的に含めて、信玄堤とう言う」。もう少し記載しますと、「釜無川に注ぐ御勅使川の流れ(甲府盆地が水害に見舞われる元凶)を、石積出や将棋頭で流れを弱め、流路を変え、自然の崖・高岩にぶつけ、直接甲府盆地に流れ込まない様にし、その下流では(狭義の意味での)信玄堤(堤防)で流れを制御するハード面だけでなく、その堤防(信玄堤)を守る為、その堤の上を人が通る様、祭りを行うなどのソフト面の仕組みを構築し、治水を行った」と教えられたと言う事です。

私自身、ウン十年前の話ですし、歴史の事実は新しい発見と共に変わる物だと思いますので、改めてWikipediaを調べてみますと、以下の様にあります。

信玄堤(しんげんづつみ)は、山梨県甲斐市竜王にある堤防である。しかしその堤防だけでなく、信玄堤や聖牛、将棋頭などの治水構造物を含めた総合的な治水システム自体を信玄堤として指している場合もある (略) 戦国時代に甲斐の守護、戦国大名である武田信玄(晴信)により築かれたとされる (略)  

三社神社と御幸祭  
日本では古来から堤防の安全を記念する川除祭礼が行われているが、信玄堤では中世が現在に至るまで、竜王河原宿において御幸祭(みゆきまつり)が実施されている。御幸祭は大御幸・三社御幸とも呼ばれ、通称「おみゆきさん」として親しまれている。  
御幸祭は古来には毎年4月・11月の亥の日に実施され、前者は夏御幸、後者は冬御幸と呼称された。御幸祭は甲斐国一宮・浅間神社(笛吹市一宮町一ノ宮)・甲斐国二宮・美和神社(笛吹市御坂町ニノ宮)の神輿と、甲斐国三宮・玉諸神社(甲府市国玉町)の行列が、三社が勧請され創建された竜王河原宿の三社神社まで渡御する。夏御幸は行列が竜王まで向かうのに対し、冬御幸の行列は現在の甲府市上石田に所在する三社諏訪神社まで向かった (略) 

https://ja.wikipedia.org/wiki/信玄堤

何処までを信玄堤とするかに関しては、広義の意味(治水システム全体)と狭義の意味(堤防その物)のそれぞれの意味がある様ですが、大きな理解は間違っていなかったと認識しました。

では、そんな誰もが知っている戦国武将・武田信玄の治水事業の成果である、「信玄堤」の概要を抑えさせて頂きましたので、以下に大人散策情報を記載いたします

【信玄堤を大人散策!】

・将棋頭/石積出

狭義の意味の信玄堤(堤防)は、甲斐市にありますが、将棋頭・石積出は、南アルプス市の御勅使川に近い所にあります。まずは、水害の元凶である御勅使川の流れる力を抑え、流れる方向性を変更していたFacilityです。詳細な場所は、以下地図に示しますが、現在の御勅使川の流れからは、ちょっと離れた場所にあり、当時の流路の広さや流れの変遷の痕跡と想像してしまいます

・高岩

御勅使川を下り、釜無川と合流するポイントに、高い崖の「高岩」があります。御勅使川は、釜無川の右岸から合流しますが、高岩は左岸にあります御勅使川の流れを一旦高岩にぶつけて、流れを緩やかにし、下流に流していくための自然の堤防と理解します。現在では、高岩の上を、甲州街道のバイパスが走りますが、そこからでは、高岩の全体図は見えませんので、上記、将棋頭/石積出の見学の後、御勅使川の流れに沿って、釜無川との合流ポイントまで行き、釜無川の右岸から見ると、高岩の幅や高さを認識できると思います。

・信玄堤 (狭義の意味で=堤防)

高岩の後は、釜無川を渡り、信玄堤(狭義の意味)に行きます。かなり有名なスポットだと思いますが、意外と駐車場は狭い感じも、駐車スペースはあります。駐車場から堤防を登ると、釜無川の流れが見え、聖牛(川の流れを緩やかにし土砂をため、堤防を守る効果があるらしい)が流れの脇にあり、上流部の高岩を側面から見る形になります。現地には、説明看板や聖牛の模型もあり、信玄堤を理解できる環境が整っています

・築堤本陣跡/三社神社

信玄堤(堤防)をおり、川の流れとは反対側に下ると、駐車場の南(下流)側は、公園(信玄堤公園)になっています。散策には良い公園だと思いますが、史跡を求めて散策する意味であれば、駐車場の北(上流)側に、築堤本陣跡や道を挟んだ反対側に三社神社があります。「築堤本陣には信玄も来たのか?」なんて思ってしまいますし、上記Wikipediaからの引用に記載のある、堤を守るためのソフト面での仕組み「御幸祭」で、夏はこちらの三社神社を目指して神輿が各方面からやってくる訳ですので、祭りの風景と共に、堤防を守るための仕組みを考えた信玄の事等、想像が膨らんでしまいます。また三社神社の鳥居は、歴史を感じる構造物の側面もありますので、併せてご見学ください。

・竜王用水

三社神社のすぐ南には、釜無川から取水した大量の水が、市街地へ送られる様子が見て取れます。現地説明看板には、「現在は使われていないが、かつては、高岩にぶつけた(集めた)水をトンネルを掘って、取水していた」とあります。水は水害も与えるが、人が生きて行く上で欠かせない物。現代でも変わらず「水を抑えつつも、利用して初めて『治水』なんだ」と改めて感じる事が出来ると思います。

【最後に】

以上が、誰もが知る戦国武将・武田信玄が築いた、信玄堤の概要と、周辺の構造物等も含めた、大人散策情報になります

別記事で、甲府(甲府城址・武田神社含む)の大人散策情報信玄堤がある甲斐市のお隣・韮崎(甲斐武田家発祥地と言われています)の大人散策情報、更に八ヶ岳方面の北杜市の大人観光スポット(信玄が通したと言われる信玄棒道も別記事で)等の紹介をしておりますので、信玄堤と併せて、回って頂ければ幸いです。

山梨と言う地域に多大な影響を与え、多くの県民が慕う武田信玄。その彼の功績を歴史的観点含め、信玄堤・周囲のスポットを大人散策し、その歴史に思いを馳せてみてはてみてはいかがでしょうか?

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