甲斐善光寺

【更新中/準備中】

【はじめに】

こちらのページでは、甲府とその周辺で、歴史・自然・神社仏閣好きが独断と偏見で選ぶ、甲府とその周辺の大人散策 / 観光スポット」を紹介させて頂こうと思います

現在の私達夫婦の居住地は埼玉・川越ですが、私の出身地は、山梨・北杜。高校時代は甲府にいた事もあり、甲府周辺には、それなりに詳しいと自負しております…。また、私達夫婦は、お城巡りや神社仏閣、自然の中の大人散策を好んでおり、本ブログでは、甲府城跡(=舞鶴城跡)躑躅ヶ崎館跡(=現武田神社)要害山城(=躑躅ヶ崎館の詰城=山城)・信玄棒道の大人散策西沢渓谷の大人散策(ハイキング? 登山?)昇仙峡の大人散策恵林寺の大人散策信玄堤の大人散策甲斐武田家最後の居城の新府城山城ではなく、もはや ”岩” 山城の岩殿城等、甲府も含めた山梨各地の大人散策情報を記載して参りました。そして思ったのは「まだ、甲府とその近辺の大人散策 / 観光スポットをまとめた記事を書いていない…」と言う物です…。

その為こちらのページでは、甲府とその周辺で、歴史・自然・神社仏閣好きが独断と偏見で選ぶ、甲府とその周辺の大人散策 / 観光スポット」をまとめ記事として記載させて頂きます。これまで単独の記事として記載したスポットも含め、新たに紹介するスポットも記載いたしますので、皆様の甲府とその周辺における大人散策/観光にお役立ちできれば幸いと存じております。

【大人散策スポット@甲府(近辺若干含む…)】

早速ですが、以下に甲府とその周辺で、歴史・自然・神社仏閣好きが独断と偏見で選ぶ、甲府とその周辺の大人散策 / 観光スポットを紹介させて頂きます。以下にそれぞれ列挙し、簡単な説明をさせて頂きますが、スポットによっては詳細記事もございますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

甲府城(=舞鶴城)

「甲府にあるお城」と言うと「武田信玄のお城」と思ってしまいがちですが、基本「武田信玄とは関係ありません」で、武田信玄の時代の後に作られたお城が甲府城(=舞鶴城)です。天守があったか否かは(基本無かったと言われていますが…)、現在論争中の様ですが、圧倒される石垣を見る事が出来、天守台からは甲府市街は勿論、富士山まで見渡せます詳細記事も併せてご参照ください

躑躅ヶ崎館跡(現武田神社)

上記甲府城(舞鶴城)は、甲府駅の南側(正確には甲府城内を分断するように中央本線が走っています)にありますが、武田信玄の居城(正確には、武田信虎・信玄勝頼3代の居城)だった躑躅ヶ崎館跡(=現武田神社)は、甲府駅の北2.5㎞程の所にあります。武田神社への参拝は勿論ですが、回りを囲う堀の周囲も含め、大人散策すると「ここが甲斐武田氏3代の居城だったんだな…」と思える遺構も多くあり、歴史好きにはたまらないスポットだと認識しています。詳細記事も併せてご参照ください

要害山城跡(躑躅ヶ崎館の詰城)

躑躅ヶ崎館跡(現武田神社)から、北に2.5㎞いった所に、躑躅ヶ崎館の詰城・要害山城(山城)があります。続日本100名城に選出されたお城で、武田信玄が誕生した場所とも言われるお城になります。勝頼の最晩年の新府城がありますが、400年続いた甲斐武田家の中で、最も甲斐武田家が栄えた最後の60年の甲斐国の政庁が躑躅ヶ崎館で、その詰城が要害山城といった理解になる次第です。詳細記事も併せてご参照ください

甲斐善光寺

甲斐善光寺に関しては、単独記事がございませんので、少々記載いたします。

善光寺と言えば、本ブログでも紹介した通り「長野(信濃)の善光寺」ですが、山梨の甲府にも善光寺があります。その名も「甲斐善光寺」。信濃善光寺周辺は、武田信玄と上杉謙信が争った川中島近くにあり、実際に戦火に巻き込まれた事もあったようで、武田信玄が『「信濃善光寺が戦火に巻き込まれるのは忍びない…」と言って、「善光寺如来」を信濃善光寺から持ち出し、山梨・甲府に善光寺を新たに創建し、遷座した』と言われていますが、「善光寺如来」は権威の象徴とも言われていた様なので、「武田信玄も善光寺如来が欲しかった…」と考えるのが妥当だと、個人的には思って折ります。ちなみに、Wikipediaの「善光寺」の項目には、以下の様にあります。

(略) 善光寺如来は由緒ある像として権威の象徴とも見なされ、上記(川中島の戦い(追記))を契機として、甲斐国・信濃国を占領下(影響下)に置いた戦国大名はこぞって自領(本拠地)に善光寺如来を遷座させるようになった。善光寺如来は武田氏が織田信長に滅ぼされると(甲州征伐)、その嫡男・織田信忠によって岐阜(善光寺 (岐阜市))へ、本能寺の変の後には織田信雄により尾張国甚目寺へ、譲り受けた徳川家康の手で遠江国鴨江寺、後に甲斐善光寺へと転々とした。自領内の寺院に善光寺如来を遷座させた武田氏や織田氏は没落したこと、とりわけ織田氏が善光寺如来を岐阜へ遷座させた直後に本能寺の変が発生し、信長・信忠父子が自刃に追い込まれたことから、善光寺如来を私利で外部へ持ち出すと祟られるとする噂がまことしやかに囁かれるようになり、徳川家康が甲斐善光寺に善光寺如来を返還したのは、祟りを恐れたためとも言われる (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/善光寺

建造物その物は、信濃善光寺程ではないかもしれませんが、甲斐善光寺も中々の見ごたえあるものです。上記の歴史も踏まえお参りすると、尚の事、その歴史を感じることが出来、大人散策をより魅力的にしてくれる空間ですので、是非脚を延ばしてみては、いかがでしょうか?

不老園

上記甲斐善光寺から、徒歩10分ほどの場所に、梅が魅力の「不老園」があります奥秩父の峰々から南へ伸びた尾根先の起伏ある場所にある「梅園」です。20数種約3,200本の梅が植えられていると言われ、普段はお邪魔する事は出来ない認識ですが、梅の季節には解放され(有料ですが…)園内を散策出来、富士山や甲府市街地を含めた素晴らしい眺望を満喫できます。風格ある建物もあり、大人散策には中々のスポットと言えますので、梅の季節であれば、甲斐善光寺と併せて訪れて頂きたい大人観光スポットです。

酒折宮

上記不老園の南(起伏のある地形なので東 or 西から周りこむ必要がありますが…)には、「日本武尊(ヤマトタケルのみこと)が、東征(東国の征討)の帰路に立ち寄った場所」とも言われ、また「連歌発祥の地」とも言われる「酒折宮」があります。Wikipediaの「酒折宮」の項目には、以下の様にあります。

行宮伝承
(略)  ヤマトタケルの東征は『古事記』では尾張から相模・上総を経て蝦夷に至り、帰路は相模の足柄峠から甲斐国酒折宮へ立ち寄り、信濃倉野之坂を経て尾張へ至ったとしている。一方、『日本書紀』では尾張から駿河・相模を経て上総から陸奥・蝦夷に至り、帰路は日高見国から常陸を経て甲斐酒折宮を経由し、武蔵から上野碓日坂を経て信濃、尾張に至ったとしている。
帰路、甲斐国(現 山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮が当社に因むとされている (略)

連歌伝承
(略) 滞在中のある夜、尊(=日本武尊(追記))が

新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
意味:常陸国(現 茨城県)の新治・筑波を出て、ここまでに幾晩寝ただろうか
と家臣たちに歌いかけたところ、家臣の中に答える者がおらず、身分の低い焚き火番の老人が

日々(かが)並(なべ)て 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を」
意味:指折り数えてみますと九泊十日かかりました
と答歌、尊(=日本武尊(追記))がこの老人の機知に感嘆し伝えを載せ、『古事記』には彼を東国造に任命したと記載されている。

酒折宮伝承はこの2人で1首の和歌を詠んだという伝説が後世に連歌の発祥として位置づけられ、そこから連歌発祥の地として多くの学者・文学者が訪れる場所になった

https://ja.wikipedia.org/wiki/酒折宮

大きな神社とはいいがたいですが、歴史ある神社である事は間違いない様で、その歴史を感じる事が出来る神社です。

昇仙峡

酒折宮から少々距離ありますが(車なら、30分強位なので、それほど遠くありません…)、甲府の北側には、本ブログでも紹介した昇仙峡があります美しい渓流の流れと木々、そして奇岩を満喫できるスポットで、散策路も用意されており、四季折々の姿を楽しめるので、どの季節に行っても大人散策を満喫できるエリアになります。詳細記事もございますので、併せてご参照頂き、脚を延ばしてみてはいかがでしょうか?

山梨県立美術館

山梨県立美術館には、「ミレーの美術館」として親しまれている美術館です。私も小学校の頃、社会科見学で初めてこの美術館にお伺いし、その後、幾度となくお伺いし、知人に「甲府でどこか行く所ある?」と質問を受ける際には、かなりの確率で紹介している美術館です。『種まく人』、『落ち穂拾い、夏』、『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』といった「ミレーコレクション」を甲府で楽しんでみては、いかがでしょうか? (山梨県立美術館のHPで所蔵品をアップしています:https://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/collection/millet/)

ここからは、少し甲府から離れますが、車であれば十分アクセス可能な「甲斐武田氏」に関連する大人散策スポットも併せて紹介致します

信玄堤

信玄堤とは、戦国武将・武田信玄が治水事業を行った際に作られた堤防と治水にかかわる構造物の総称」と理解しています。その為、広義の意味で、堤防(堤)だけが「信玄堤」と言う訳ではありませんが、折角、山梨県立美術館までいらしたのであれば、そこから車でであれば、10分程度で狭義の意味の信玄堤には行けますので、こちらも紹介します。武田信玄のみならず、甲斐の国が水と戦ってきた歴史を感じてみてはいかがでしょうか? 詳細記事もございますので、併せてご参照頂き、脚を延ばしてみてください!

新府城跡

甲府から出たついでではありませんが、信玄堤から車で更に20分程、八ヶ岳方面に向かった韮崎市七里岩の上に、甲斐武田家最後の居城と言われる「新府城跡があります。全ての遺構を確認するのは難しいですが、大規模な城跡にはそれなりに遺構も残っており、歴史好きであれば、「甲斐武田家滅亡」の時代背景と併せ、かなり満足できる城跡なのではないかと勝手に思って折ります。また、季節に制限ありますが、周囲は桃畑ですので、春先の桃源郷の景色と併せ楽しみたいエリアです。

大善寺

新府城から、甲府盆地を西から東に横断する形(武田勝頼一行が、新府城を捨て東に逃げた感じ?)で、韮崎市から甲州市へと行くと(高速を使えば、40分程で行ける距離感)、「ぶどう寺」の愛称で有名な、大善寺があります武田家滅亡の直前に勝頼が宿泊したとも言われるお寺で、本堂は、国宝で山梨県最古の建造物と言われ、700年程の歴史を持つと言われている様です。また、戊辰戦争では、新選組(≒甲陽鎮撫隊)と板垣退助(迅衝隊)が争った地(勝沼戦争)とも言われる場所です。「ユニークなニックネーム(ぶどう寺)を持ち、その長い歴史故、400年続いた甲斐武田家の最後戊辰戦争の一端に立ち会ってきたお寺:大善寺」にも脚を延ばしてみてはいかがでしょうか?

恵林寺

大善寺の北側、車で20分ほどの所(大善寺と同じ甲州市)に、甲斐武田家の菩提寺と伝わる「恵林寺があります六義園で有名な柳沢吉保(徳川幕府5代目将軍・綱吉の側用人)のお墓もあり、恵林寺庭園も有名ですが、最も有名な歴史上のエピソードは、織田信長による甲州征伐の際、「心頭滅却すれば、火も自(おのずか)ら涼し…」の時辞世を残した「快川 紹喜(かいせん じょうき)」のエピソードだと思います。悲しい歴史の残る恵林寺で、戦国の世に思いを馳せるのも一興ではないかと思います(詳細記事も併せてご参照ください)。

(勝手な妄想として、明智光秀と同一人物説のある天海が、甲州征伐の10年くらい前に、少しの間、山梨に滞在していた事もあるようで、その際に恵林寺にも滞在する期間があったのでないかと勝手に思っています…、明智光秀は恵林寺を焼き討ちにする際、織田信長に「かなりモノを申した」とも言われているようですし…)

甲府から結構外れますが… お勧めしたい大人散策スポット

上記、「少し甲府を出た甲斐武田家に関連する大人散策/観光スポット」を紹介しましたが、更に視野を広げ「山梨で大人散策を楽しめるスポット」も併せていくつか紹介致します。

西沢渓谷

西沢渓谷は「素晴らしい渓谷美を楽しめるスポット」です。「大人散策」と言うより「ハイキング」で、「ハイキング」と言うより「登山」かもしれませんが、「四季折々の自然を感じる事が出来る渓谷美」を楽しむのも、大人の選択の一つかもしれないと思います。特に秋の紅葉はおすすめです(詳細記事も併せてご参照ください)。

信玄棒道

信玄棒道は、元々武田信玄が信濃攻略の為に整備したと伝わる軍用路と言われていますが、現在では、自然と歴史を感じる大人散策(ハイキング)コースと言って良いと思います。起伏もそれほどではないので、のんびりと自然を満喫してみてはいかがでしょうか? (詳細記事も併せてご参照ください)。

岩殿城

甲府盆地から東(東京方面)に、笹子トンネルを抜けた先の大月には、武田の三堅城の一つと言われた岩殿城があります(あとの2つは、久能山城岩櫃城)。本丸まで行かずとも、その迫力ある城跡を拝見すると、もはや「山城」ではなく「”岩” 山城」だと申し上げたい心持をご理解いただけるのでないかと思います(詳細記事も併せてご参照ください)。

客室に温泉(露天)のある(宿泊した事のある)お宿情報も

上記、甲府とその周辺の大人散策スポットを紹介しましたので、併せてお勧めしい温泉宿(客室に温泉があるお部屋のあるお宿)を紹介致します。「私達夫婦がお世話になった事があるお宿」を記載している為、全てではありませんが「客室に温泉」が引かれているおすすめのお宿になります。

常磐ホテル

常磐ホテル」は、甲府の迎賓館と言われる、格式高いお宿です。特に「離れのお部屋」には、客室温泉露天がついており(一部、離れ2階のお部屋は温泉露天なし)、おすすめです(詳細記事も併せてご参照ください)。

柳屋

柳屋」は、上記常盤ホテルからも近い、湯村温泉街にある温泉宿です。比較的リーゾナブルに客室温泉露天を楽しめるお部屋がある事が魅力です(詳細記事も併せてご参照ください)。

談露館

談露館」は、甲府駅から徒歩圏内のお宿で、基本はシティホテルの為か、客室温泉露天の付いたお部屋は一つしかない認識ですが、中々ゆったりできるお宿です。少々競争激しいかもしれませんが、甲府駅徒歩圏内の客室温泉のあるお部屋は貴重な認識です(詳細記事も併せてご参照ください)。

小名屋ホテル

小名屋ホテル」は、上記「談露館」より、徒歩1‐2分の場所にある老舗ホテルの認識で、少し前(2023年位?)にリニューアルされた客室温泉露天付きのお部屋がいくつかある認識です。一度お世話になったお部屋は「居住スペースは少し広め」と言った印象ですが、「客室温泉露天があるベランダとその湯舟は非常に広く、温泉好きには時間を忘れる空間」が広がっています(詳細記事も併せてご参照ください)。

富士野屋

石和温泉には、多くの客室温泉露天を有する温泉宿がありますが、その中で比較的リーゾナブルに温泉を楽しめるお部屋が用意されているのが「富士野屋」の認識です。露天にこだわらないのであれば、別館・夕亭のお部屋(温泉の内風呂付きのお部屋)がおすすめです(詳細記事も併せてご参照ください)。

坐忘

石和温泉から少々離れますが、上記に紹介した恵林寺近くの「坐忘」は、高級感のあるお宿で、客室温泉露天についたお部屋が多くある認識です。大浴場には、洞窟温泉露天風呂もあり、ワクワクする温泉合宿を楽しめます(詳細記事も併せてご参照ください)。

山縣館

歴史好き、特に甲斐武田家のファンであれば、強くお勧めしたのがこの「山縣館」です。言い換えますと、武田二十四将の一人で、武田信玄の重臣であった赤備えの元祖とも言われる山縣昌景のご子孫が経営されている温泉宿です。客室温泉露天のお部屋もあり、少しリーゾナブルな価格設定の温泉の内風呂付きのお部屋もあります(詳細記事も併せてご参照ください)。

【最後に】

以上が、甲府とその周辺で、歴史・自然・神社仏閣好きが独断と偏見で選ぶ、甲府とその周辺の大人散策 / 観光スポット」を紹介させて頂いた内容になります

少々甲府を外れたエリアや(温泉がついたお部屋を有する)温泉宿も紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? もし私達夫婦同様、歴史好き・自然好き・神社仏閣好き & 温泉好きで、山梨に行かれるのであれば、ご紹介申し上げた温泉宿に宿泊し、上記紹介の各スポットにいらっしゃてみてはいかがでしょうか?

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

更に、本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

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