膳所城

【更新中/準備中】

【はじめに】

こちらのページでは、日本三大湖城の一つである “膳所城” の基本情報を抑えつつ、周囲も含めた大人散策をプランニング」させて頂こうと思います

別記事にて紹介いたしました、高島城や松江城といった日本三大湖城に続き、こちらのページでは、もう一つの日本三大湖城の膳所城につき記載させていただこうと思いますが、まずは、いつも通りお城に関する題材の際の連想ゲームから入らせて頂きます。皆様は、「膳所城」と聞くと、何を連想されますでしょうか? 私の場合は、以下の感じです。

  • 日本三大湖城の1つ (ほかの2つは高島城松江城)
  • 琵琶湖の浮城の一つ (琵琶湖の浮城は、膳所城に加え、大津城、坂本城、瀬田城)
  • 南に瀬田の唐橋、西に逢坂の関のある、交通の要所に築かれたお城で、徳川譜代が代々統治
  • ”ぜぜじょう” と最初は読めず、”ぜんしょうじょう” だと長年思っていた…
  • 歴史のあるエリアで、周囲には比叡山延暦寺や日吉大社といった超有名な神社仏閣がある

膳所城は、山梨県北杜市の出身で、埼玉県川越市居住の私にとっては、あまり馴染みのないお城・地域である事は間違えありません為、上記程度の情報しか持ち合わせておりませんでした。しかし、今回本記事を記載するにあたり、改めて膳所城と周辺地域をサーチさせて頂くと、多くの格式高い神社仏閣をはじめ、日本の歴史の詰まった非常に魅力的なエリアである事を再認識させて頂いた次第で、中学生の頃、修学旅行でしか参った事のないこの地域を改めて訪問し大人散策をさせて頂きたいと思った次第です。

こちらのページでは、そんな「日本三大湖城の一つである “膳所城” の基本情報を抑えつつ、周囲も含めた大人散策をプランニング」させて頂きます

【膳所城の概要】

まずは、膳所城の概要を抑えるべく、Wikipedia の力を借りますと、以下の様にあります(引用の後に、箇条書きでポイントまとめてます)。

膳所城(ぜぜじょう)は、滋賀県大津市本丸町にあった日本の城

概要
膳所城は大津市街の東部に位置し、相模川河口付近にあった膳所崎と呼ばれる琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城であり、日本三大湖城の一つに数えられ、また大津城、坂本城、瀬田城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つである。陸続きの部分に三の丸を配し、二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出する梯郭式の縄張りであった。本丸には4重4階の天守が上げられ、水面に映える姿は里謡に「瀬田の唐橋、唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に浮かぶは膳所の城」と謡われていた。

近世
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに勝利し名実共に天下人となった徳川家康は、翌、慶長6年(1601年)東海道の押さえとして、大津城を廃し膳所崎に城を築かせた膳所城は江戸城、大坂城、名古屋城など天下普請として江戸幕府が諸大名に号令し築いた城の第一号である。縄張りは城造りの名手と言われた藤堂高虎に計画させた。湖の中に石垣を築き、本丸西隅に4重4階の天守が築かれた。家康がこの地を選んだ理由として、昔より「瀬田の唐橋を征するものは天下を征する」と言われた瀬田の唐橋に近い場所であったからであると言われる (略)
寛文2年(1662年)に地震があり、建造物が倒壊した。このため俊次は本丸と二の丸の間を埋め立てて本丸を拡張する等の城の大改修を行った。
膳所城は湖沿岸に建造された城であるため、時間を経ると波による浸食に悩まされ続けることとなった。このため絶えず城の補修を余儀なくされ、これが藩の財政を逼迫させる一因となっていた (略)

現在は完全に陸続きとなった本丸跡は「膳所城跡公園」として整備され、石垣がわずかに残っているほか、門が模擬再建されている。城門は膳所神社(本丸大手門)、篠津神社(北大手門)、鞭崎八幡宮(南大手門)に現存しており、それぞれ国の重要文化財に指定されている。なお、高麗門は大阪府泉大津市松之浜町2丁目の「細見記念財団」が所有する地に移築されている。市内の芭蕉会館に本丸隅櫓が移築され現存しているが、大幅に改造されており原形を留めていない。
平成18年(2006年)には民家に移築されていた瀬田口総門番所が取り壊された。また、二の丸跡は現在、膳所浄水場となっている (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/膳所城

少々引用が長くなってしまいましたので、以下にポイントをまとめます

  • 膳所城は、琵琶湖に突き出た土地に築かれた水城で、日本三大湖城の一つ
  • 大津城、坂本城(築城主は明智光秀)、瀬田城と並ぶ「琵琶湖の浮城」の一つでもあるが、波による浸食に悩まされ続け、藩の財政を逼迫させた
  • 陸続きの部分に三の丸を配し、二の丸・北の丸・本丸が琵琶湖に突出する梯郭式の縄張り(縄張りを計画したのは藤堂高虎(同じく築城をした現存12天守宇和島城も紹介中)) (本丸改修後は、並郭式の縄張り?)
  • 徳川家康が、関ヶ原の戦いの翌年の1601年、東海道の押さえとして、そして天下普請として「瀬田の唐橋に近い場所」という理由(若干理由が軽い気がしますが…)で、大津城を廃し膳所崎に城を築かせた(膳所城は、江戸城大坂城名古屋城など江戸幕府が諸大名に号令し築いた城の第一号)
  • 本丸跡は「膳所城跡公園」として整備され、石垣がわずかに残っているほか、門が模擬再建されているのみも、城門は膳所神社、篠津神社、鞭崎八幡宮等に現存している

現在では「城跡というより、ほぼ公園」と言ってよいと思われ、少々寂しい感じもする、日本三大湖城 & 琵琶湖の浮城の一つで、江戸城大坂城名古屋城に先駆け、天下普請の第一号として築城された膳所城ですが、最下部に示す地図とともに、藤堂高虎によると言われる梯郭式の縄張りの痕跡は感じることが出来るようです。また、一部城門は膳所神社、篠津神社、鞭崎八幡宮に現存もしているようですので、周囲の大人散策も兼ね、拝見させて頂きたいと思った次第です。

【膳所城の周囲を含めた見所】

上記、概要を抑えさせて頂きました膳所城ですが、こちらのパートでは、その見所を、周囲の情報と併せて見て行きたいと思います。

  • 城郭の痕跡梯郭式の縄張りイメージをしつつ、そして「日本三大湖城 & 琵琶湖の浮城」の由縁である雄大な琵琶湖の景色を楽しみつつ、大人散策できそうに思えます
  • 現存する門:膳所城のあったと言われる現存する門が、膳所神社、篠津神社、鞭崎八幡宮にあるようですので、これらの神社にも脚を延ばしてみたいと思った次第です

上記、膳所城に関連する見所だと思いますが、この地域は、その昔、期間は限られますが、近江大津宮」があった日本の中心であった地域で、かなりの格式の神社仏閣も多数ある認識です。また、東海道(この区間は中山道も込み?)も通っていた場所で、まさに京都の入口である「逢坂の関」の東の玄関口琵琶湖疎水の “始まり” も見られ、日本の長い歴史と人々の営みにも触れ、感じる事が出来るスポットが多くあると思います。何処まで行けるか分かりませんが、以下に(個人的な主観かなり入りますが)行ってみたいスポットを列挙いたします。

■琵琶湖の浮城:大津城、坂本城、瀬田城

明智光秀が、築城したといわれる坂本城、膳所城の前の代のお城・大津城瀬田の唐橋のすぐ脇にある瀬田城といった膳所城以外の「琵琶湖の浮城」の痕跡も大人散策のスコープに入れるべきと思ってます。

■比叡山延暦寺

上記記載の坂本城の近くには、織田信長により(明智光秀も配下として参加)焼き討ちされた、比叡山延暦寺があります。ケーブルカーでアクセス出来る様ですので、その距離感も感じつつ、中学校の修学旅行依頼、参っていない、世界遺産で、1200年の歴史を持つといわれる比叡山延暦寺にも参りたいと思います。

■日吉大社

比叡山延暦寺の琵琶湖側には、日吉・日枝・山王神社の総本宮の日吉大社もあります(大社という呼び名に関しては、別記事で紹介中)。日吉大社といえば、本ブログ別記事でも触れましたが、お猿さんを神の使いとした神猿(まさる)が有名狛犬ならぬを狛猿を東京の日枝神社では見られますが、総本宮でも随所に神使い・神猿に出会えるようです。

■近江神宮

日吉大社の南には、比較的新しい神社ですが(1940年創建)、この地に近江大津宮を遷都したと伝わる天智天皇を祭神とする、近江神宮があります(神宮という呼び名に関しては、別記事で紹介中)。新しい神社ですが、官幣大社で、現在は別表神社(社格に関しては、別記事参照)「神宮」でもありますので、当然ですが、格式は高く、かなりの見ごたえがある神社のようです。

■近江大津宮の痕跡

上記にも記載しましたが、このエリアは、期間は限られますが、天智天皇が遷都した近江大津宮があった場所。恐らく都であった期間が限られ、長い時が過ぎ、痕跡を見つける事も難しでしょうが、いくつか「日本の中心であった期間があるその痕跡」も拝見出来るスポットがある様です。

園城寺(三井寺)

近江神宮の南には、7世紀の創建と言う事で、1300~1400年程の歴史を持つ天台寺門宗総本山・園城寺(通称:三井寺)があります金堂・新羅善神堂等の国宝に加え、多くの重要文化財の建造物を拝見できるこちらの寺院は、天台宗門徒でなくとも、日本の歴史を感じるべく、脚を運ぶべきと思います。

■建部大社

瀬田の唐橋の東側には、近江国一之宮で、官幣大社でもあった、現在は別表神社の建部大社があります。Wikipediaによると、第12代景行天皇46年の創建と伝わる神社の様ですので、正確な創建のタイミングはわからない物の東京府中の大國魂神社秩父の宝登山神社三峰神社と同じくらいの時代の創建タイミングと考えられる神社です(個人的推察は、4-5世紀くらいの創建で、1600~1500年位の歴史のある神社と思ってます;下記表参照)。こんな歴史ある神社を、神社仏閣好きの私達夫婦の大人散策で、外す訳にはいかないと思った次第です。

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

■旧東海道(旧中山道):その追分・瀬田の唐橋・逢坂の関・琵琶湖疎水

上記記載の大津城址や園城寺(三井寺)付近からは、琵琶湖の水が京都へ運ばれる「琵琶湖疎水」の始まりがある様です。また、膳所城から見た際、南に瀬田の唐橋、西に逢坂の関があり、城下を東海道(この区間は兼中山道の認識で、瀬田の唐橋を北東に進んだ現草津駅の南・草津川付近に東海道中山道追分があります)が通っています。それなりの範囲ですので、何処まで脚を延ばせるか分かりませんが、できる限り、東海道その物や中山道との追分(草津追分)・瀬田の唐橋・逢坂の関・琵琶湖疎水といったスポットも拝見させて頂きたいと思った次第です。

【最後に】

以上が、日本三大湖城の一つである “膳所城” の基本情報を抑えつつ、周囲も含めた大人散策をプランニング」させて頂いた内容になります

実際に今回「日本三大湖城の一つである “膳所城” とその周囲」につき記載させて頂いて思った事は「やはりこの地域は、日本の歴史の詰まった見所の多い地域」と言う事です。日本三大湖城の一つである “膳所城” も魅力的ですが、園城寺(三井寺)や延暦寺、日吉大社に建部神社といった神社仏閣もかなり魅力的。「交通の要所であったこの地域が栄えない訳はないんだな…」とも思った次第です。中学校の修学旅行以来、新幹線で通り過ぎるだけで、しっかりと巡っていないこの地域。しっかりと時間を作って、改めて参り、大人散策を実行したいと思った次第です!

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

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