五畿七道

【はじめに:五畿七道の概要】

今回は、「五畿七道」を取り上げてみたいと思います。調べてみて解ったのは、現代の視点から考えると、五畿七道でなく、五畿八道だったのです…。そして今尚、その考え方や指針は、私達の生活に溶け込んでいるのです…。

■五畿七道の概要

皆さんは、五畿七道ってご存じですよね? 「道」とありますが、我々が現在、主に使っている人や車が通る「道」の意味もある様ですが、メインは、行政区分(地域区分)の意味で「道」が使われていますよね。少しWikipedia で調べてみました所、以下の様にあります。

五畿七道(ごきしちどう)とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道(きないしちどう)とも呼ばれた”

https://ja.wikipedia.org/wiki/五畿七道

古代日本の律令制なので、大化改新以降の話と認識しました。645年以降の話と言う事ですね。そんな昔の行政区分が、現在でも地域の呼び名やカテゴリーに影響を与えていると思うと「日本は本当に長い歴史を持っているんだ」と改めて思ってしまいます。その五畿七道ですが、もう少し詳しく、Wikipedia の力を借り、その区分と現在の地域の対比をしてみます。

五畿とは

現在の奈良県、京都府中南部、大阪府、兵庫県南東部を合わせた地域。

七道とは:

東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道の七道。(略) 畿内から放射状に伸び、所属する国の国府を順に結ぶ駅路の名称でもあった。

  • 東海道:現在の茨城、千葉、埼玉、東京、神奈川、山梨、静岡、愛知、三重(熊野地方を除く)の各都県を合わせた地域。
  • 東山道:現在の青森、岩手、秋田、宮城、山形、福島の東北6県と、栃木、群馬、長野、岐阜、滋賀の各県を合わせた地域。
  • 北陸道:現在の新潟、富山、石川、福井の各県を合わせた地域。
  • 山陽道:現在の兵庫県南西部と、岡山、広島、山口の各県を合わせた地域。
  • 山陰道:現在の京都府北部と兵庫県北部および、鳥取、島根の各県を合わせた地域。
  • 南海道:現在の香川、徳島、愛媛、高知の四国4県と、三重県熊野地方、和歌山県、淡路島を合わせた地域。
  • 西海道:現在の福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎、熊本、鹿児島の九州7県の地域。

     https://ja.wikipedia.org/wiki/五畿七道より:わかりすく、現代風にアレンジし、サマリ版として標記

畿内・北陸・山陰・山陽・四国・九州に関しては、若干現在の区分と違うところはありますが、また、南海道・西海道とはあまり聞きませんが、かなり現在に近い地域区分の印象を持たれると思います。

同時に、東海道、東山道に関しては、結構乱暴なくくりにも見えます。大雑把に言うと、現在の東海地方と南関東に加え山梨県が、東海道。同様に現在の東北・北関東・中部の大部分と滋賀県が、東山道。これは、上記にもある通り、当時政治の中心であった「畿内から放射状に伸び、所属する国の国府を順に結ぶ駅路の名称でもあった」と言う事が、よくわかる配置だと思います。

また、政治の中心は、あくまでも畿内であり、日本国の活動の中心は「畿内+西日本」であったと推測でき、それ以外は、ある意味、”テリトリー” の様な、感じさえ受ける印象を持ってしまいました。

【北海道と五畿八道、今尚残る律令国家時代のネーミング・ポリシー】

しかし、この五畿七道の考え方(ネーミングポリシー)、(正式な宣言は無いようですが…)首都が東京に移った明治期まではあった様です。その一つの実例として思い出されるのが、皆さんもお気づきだと思いますが「北海道」ですよね。

やはりWikipedia の力を借り、北海道の事を調べて見ますと、以下の様にあります。

”明治時代の日本地図。北海道の令制国も記されている。北海道(ほっかいどう)は、1869年9月20日(明治2年8月15日)に制定された日本の広域行政区画名である。 それまでの五畿七道に、北海道(令制) を加えたことで五畿八道の一つとなった” (略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/北海道_(令制)

北海道は、その前まで「蝦夷 or 蝦夷地」と呼ばれていましたが、明治の頭に、行政区域として「北海道」と言う名称が生まれ、「日本と言う国が、北海道全体を日本領土として管理して行く事を宣言した」と言う事と認識しています。『「北の海の先にある道(=行政区分)」=「北海道」』と言う事ですね!(札幌の観光情報小樽の観光情報函館の観光情報をそれぞれ別記事で記載しています)

また、これとは別の切り口ですが、現在も理解する事が出来る(たまに使われる)地域を表す名称としても、いくつか例を挙げますと、千葉県(全部ではありませんが)の事を「総・総」と言いますし、「福井県(一部):越、富山県:越新潟:越」と言いますよね。また、山陽地方に目を向けると「備(岡山県東南部がメイン)・備(岡山県西部)・備(広島県東部)」とありますよね。

これは、畿内から見ての近さを基準につけられた名称と言われているようです。畿内から陸路を行けば、最初に越前(福井)、次に越中(富山)、そして越後(新潟)が出てきますので、イメージできますし、備前、備中、備後も、同様にイメージできると思います。

一方、上総・下総はイメージしにくいかもしれません。しかしこれは、この地域に、畿内から行く際は「メインルートとして、東京湾(現在の名称ですが…)を、船で渡って行っていたから」だそうです(浦賀水道の事ですね:今回リサーチしている中で、東京湾フェリーの存在を始めて知りました)。言い換えると、現在の東京は、「畿内からのメインルート」から外れていたと言う事ですね。

【最後に:五畿七道は生きている?】

こういった背景を認識しつつ、簡単なまとめをすると、

「五畿七道の考え方は、明治まで続いており、北海道が加わる事で、五畿八道になった。また、その考え方が『政治の中心も、人の流れの度合いも変わった現在』においても、地域の区分や名称等に、大きな影響を与え続けている」という事ですね。

天気予報を見ていても、山陰・山陽・北陸の言葉も出てくれば、 首都圏 が、関東の1都6県に山梨県が加わる事も、理解できます…。ここに、首都圏と言うには、人口が圧倒的に少ない、山梨県が入るのは、五畿七道の名残でないかと、勝手に思っていましたが、五畿七道の東海道時代からのカテゴリーなのであれば、入っていても不思議はないように思えてきました(「首都圏」という考え方に対し、別記事で考察を加えております)。

東京湾フェリー乗り場の様子(久里浜/金谷港)とMap (写真はWikipedia より)

また、浦賀水道の事は認識していましたが、海なし県出身(山梨県北杜市)、海なし県在住(埼玉県川越市)の私には、今尚、東京湾フェリーなるものがある事も、今回調べ物をした、副産物として知ることが出来ました。一つの歴史上の言葉から、地図を眺め、調べ物をし、歴史に思いをはせ、日本と言う国を知る事も、大人の贅沢な時間だと思った次第で、今回得る事が出来た、副産物である、浦賀水道に足を運び、東京湾フェリーにも乗ってみたいと思った次第です。

皆様の地域にも、歴史の名残を感じさせるような場所や地名があるのではないのでしょうか? そういった切り口で、地域を知るのも大人の楽しみ方の1つだと思うので、是非、周りを探してみて下さい。

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