江戸城

【はじめに】

こちらのページでは、江戸城三十六見附と大木戸に焦点を当て、その概要/位置をまとめ、大人散策の布石として情報提供」致します

いくつかの別記事でも紹介しております、江戸城祉・現皇居その歴史・地形的観点での考察であったり石垣の切り口であったっりその範囲であったり、いくつかの切り口で、紹介させて頂きました。また、江戸城三十六見附にも含まれる、江戸城祉内郭の門についても、記載させて頂きましたが、「江戸城」を考える際、内郭だけではなく、外郭(総構)の視点でも、考える必要がある認識です。江戸城の中心から、範囲を広げていく考え方として、内郭⇒外郭(総構え)⇒墨引⇒朱引(大江戸)」となる認識ですが、この江戸城と江戸の治安を守るインフラの代表格が、「見附と大木戸」だった認識です。勿論、堀や土塁等のハード面も、町方や奉行所といったソフト面も江戸の治安を守る為に必要ですが、その中間的な位置づけの「見附・大木戸」は、「ハード(構造物)+ソフト(人員)」の両面で機能した、治安維持システムだと思う次第です。

以下、ハード面+ソフト面で江戸の治安維持に貢献した「見附・大木戸」の概要と位置関係をご紹介しますので、皆様の大人散策の参考なれば幸いと存じます。

【江戸城三十六見附とは?】

現代でも、地名で赤坂見附(駅名でもありますが…)や四谷見附といった名称を耳にする事がありますが、そもそも見附とは何でしょうか? 大人散策に入る前の基本として、「江戸城三十六見附」をまずは、Wikipediaの力を借り、調べてみますと、以下の様にあります。

江戸城三十六見附(えどじょうさんじゅうろくみつけ)とは、江戸城に置かれた見附(見張り番所)のうちの主な36か所を挙げたもの。堀に架けられた橋と一体的に設置されたものが多い。見附とは、本来、街道の分岐点など交通の要所に置かれた見張り所に由来する言葉である。江戸城の見附は、見張り役の番兵が駐在する城門のことを言い、門の内側に番兵が滞在できる番所があった俗に江戸城には36の見付があったといわれ(江戸城三十六見附)、現在も四谷見附・赤坂見附など、地名として残っている。  

実際には、江戸の城門の見張り場所自体はもっと多数あったようだが(66、90など諸説あり)、枡形門を持つ見附は、幕府作事方の資料によると外曲輪に26門あり、内曲輪にいくつあったかは明らかになっていない。語呂の関係から、枡形の26門に、目ぼしい10門を足して「三十六見附」とし、江戸の名所として喧伝されたようである。  

一覧  
①浅草見附、②筋違見附、③小石川見附、④牛込見附、⑤市谷見附、⑥四谷見附、⑦喰違見附、⑧赤坂見附、⑨虎ノ門、⑩幸橋門、⑪山下橋門、⑫数寄屋橋門、⑬鍛冶橋門、⑭呉服橋門、⑮常盤橋門、⑯神田橋門、⑰一ツ橋門、⑱雉子橋門、⑲竹橋門、⑳清水門、㉑田安門、㉒半蔵門、㉓桜田門、㉔日比谷門、㉕馬場先門、㉖和田倉門、㉗大手門、㉘平川門、㉙北桔橋門、㉚西の丸大手門、㉛西の丸玄関門(二重橋)、㉜坂下門、㉝桔梗門、㉞下乗門、㉟中之御門、㊱中雀門   

https://ja.wikipedia.org/wiki/江戸城三十六見附

語呂が良いから “36” と言っているだけで、実際にはもっとあった…」と言うのは、なんとも日本人らしい感じですが、見附は「見張」の機能として役人も配置され、江戸の治安の根幹を担っていた事、理解しました。有名処の四谷見附や牛込見附、赤坂見附、虎ノ門、常磐門、竹橋門等は、イメージできそうですが、浅草見附や小石川見附等は、地名では知っていても、見附があった事は、知らなかったので意外な感じがした次第ですが…。

またこうして一覧で「見附」を見てみると、現在の皇居近辺の見附は、すぐ制覇できそうですし、他の見附も、意外と知っている地名がほとんどですので、電車を組み合わせての大人散策なら意外とすぐに制覇出来そうな気もした次第です。

36の見附の場所に関しては、最下部の地図に場所をご紹介しますので、ご参照頂くと同時に、現在の皇居に隣接する見附は、本ブログ別記事で、「門」として、紹介しておりますので、そちらのページをご参照頂ければ幸いです。ちなみに、現皇居・吹上と北の丸公園の間に、現在は「乾門」がありますが、上記には含まれておりません。理由は、「明治期に皇族用の門として設置された」からと認識しています。参考までに記載いたします。

【大木戸とは?】

上記、「江戸城三十六見附」に関し、その概要を抑えさせて頂きましたが、「大木戸」に関しても同様に、その概要を抑えさせて頂きます。Wikipedia には、以下の様にあります。

大木戸(おおきど)は、江戸時代に、街道上の江戸内外の境界に設置された簡易な関所である。人間や物品の出入りを管理するのが目的であった。

木戸とは江戸市中の町境などにあった防衛・防犯用の木製の扉で、その大規模なものとして大木戸と呼ぶ (略)  

https://ja.wikipedia.org/wiki/大木戸

また、同じ「大木戸」の項目には、主な大木戸として、東海道沿いの「高輪大木戸」、甲州街道沿いの「四谷大木戸」、中山道沿いの「板橋大木戸」が列挙されていました。そして、ふと思いました…。「奥州街道は、基本的に宇都宮より北側になる認識なので、良いとしても、東海道中山道甲州街道には、大木戸があるのに、同じ五街道の日光街道には、大木戸は無かったの?」と…。そこで古地図を見てみると、日光街道を江戸城の総構(外郭)から出るポイントは、浅草橋で、浅草見附がある(浅草見附)が、大木戸と同じ役割を果たしている」と言う理解が出来ました。ちなみに、四谷大木戸のすぐ西が、別記事で紹介しました玉川上水の終着地で(新宿御苑もありますが…)、水番所があった場所になります。

【最後に】

上記、「江戸城三十六見附」と「大木戸」に付き、概要を抑えさせて頂きましたそして、それを地図に落とすと最下部のMap(Google マイプレスで作成した地図)以下になる訳ですが、皆様はどの様に感じますでしょうか?

また同時に、大江戸の範囲を示す「朱引」と町奉行所の管轄下にある「墨引」の地図も、「アプリ:大江戸今昔めぐりの地図」の画面キャプチャより、引用いたします。江戸の範囲や何処までを管轄下に想定し、何処に治安維持のための見附や大木戸を設置し、管理しようとしたのか、なんとなくですが、イメージ出来るのではないかと思います。

私達夫婦は、まだすべてを回り切れていませんが、以下に共有する、Google マイマップで作成した地図を片手に(でも歩きスマホはしないで下さい…)、江戸城三十六見附と大木戸をそれぞれ訪問させて頂き、ハードとソフトの両輪で江戸の街の治安維持を遂行した、江戸時代の痕跡を巡ってみたいと思いました。  皆様も、江戸の治安の要、「江戸三十六見附」・「大木戸」を巡る大人散策を計画してみては、いかがでしょうか?

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5城現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

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