【はじめに】
こちらのページでは、「明確に定義が定まっていないと認識する『日本三大平城;名古屋城・岡山城・広島城・松本城・二条城?』に関し『その概要 + 勝手な理解』と『それぞれのお城における大人散策情報』を共有」させて頂こうと思います。
そもそもですが、皆様は「日本三大平城」なるワードを聞いた事はございますでしょうか? 上記、『「日本三大平城」って言っているのに「名古屋城・岡山城・広島城・松本城・二条城」って5つもお城があるじゃないか!』と聞こえてきそうですが…。そーなんです。以下に改めて記載しますが「日本三大平城」を調べてみると、「ケースA:名古屋城・岡山城・広島城」の場合もあれば、「ケースB:広島城・松本城・二条城」の場合もあり『「日本三大平城」って何処なの?』私自身もも思ってしまった次第です…。


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お城好き、歴史好きの方であれば、日本100名城や続日本100名城、国宝5天守、現存12天守、現存4御殿、三名城、三大山城、三大湖城、三大水城(海城)、三大連立式平山城、三大平山城、三大平城と言った切口に加えて、旧国宝24城(個人的なネーミングかもしれませんが…)・五大山城 / 五大山岳城と言った様な、お城のカテゴリ分けする様々な切り口が存在する事ご存じだと思いますが(山城/平山城/平城といった “地形” に基づいた切り口や、輪郭式/連格式/梯郭式といった “縄張り” 、複合式/連結式/連立式にといった天守(群)の形式基づいた切り口もありますが…)、これらの切り口は、「日本に数万あると言われるお城(城跡)の様々な特色を、様々な切り口で、お城巡りをさせて頂くトリガー(言い訳?)になる」と思っております。逆の言い方をすると「そんな切り口が、多ければ多いほど、お城巡りを実行する為のトリガー(言い訳?)も増える喜ばしい事」と言う事になるという事ですが…。つまり、『「日本三大平城」って言っているのに「名古屋城・岡山城・広島城・松本城・二条城」って5つもお城がある』という事は、『「日本三大平城」なのに、5つもお城巡りが出来る!』と前向きに考えてしまった次第です…。












こちらのページでは、そんな勝手な理解をさせて頂いた「「日本三大平城」の「名古屋城・岡山城・広島城・松本城・二条城」に付き記載いたします。すなわち、「明確に定義が定まっていないと認識する『日本三大平城;名古屋城・岡山城・広島城・松本城・二条城?』に関し『その概要 + 勝手な理解』と『それぞれのお城における大人散策情報』を共有」させて頂きます。
【「日本三大平城」とは?】
先ずは、そもそも「『日本三大平城』とは?」と言った内容から記載させて頂きます。しかしながら、Wikipedia には「日本三大平城」の項目は無く、「広島城」のページに以下の様な記載がありました。
広島城(ひろしまじょう)は、安芸国佐東郡広島(広島県広島市中区基町)にあった安土桃山時代から江戸時代の日本の城。国の史跡に指定されている (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/広島城
大坂城や岡山城などと共に初期近世城郭の代表的なもので 、また名古屋城、岡山城と共に日本三大平城に数えられる。日本100名城の一つに選定されている (略)
ちなみに、Wikipedia 「日本三大一覧」のページには、以下の様にあります。
(略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/広島城
■三名城
姫路城、名古屋城、大坂城 (大阪城)
■三大山城
岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、高取城(奈良県高取町)、備中松山城(岡山県高梁市)
■三大水城
高松城(香川県高松市)、今治城(愛媛県今治市)、中津城(大分県中津市)
■三大平山城
津山城、姫路城、武蔵松山城
■三大連立式平山城
姫路城(兵庫県姫路市)、松山城(愛媛県松山市)、和歌山城(和歌山県和歌山市)
■三大湖城
松江城(島根県松江市)、膳所城(滋賀県大津市)、高島城(長野県諏訪市) (略)
つまり併せて理解しますと、『「三名城、三大山城、三大湖城、三大水城(海城)、三大連立式平山城、三大平山城」と言ったお城に関する「日本三(大)○○」は、それなりの知名度があるが「日本三大平城」の知名度はいまいちかも…』と思ってしまった次第です…。
であれば、という事で同時に「日本三大平城」とインターネット上で検索をかけてみると以下の画面の感じでした…。

少々解りにくいかもしれませんが、自身が読み取った事は『「日本三大平城」は、「名古屋城・岡山城・広島城・松本城・二条城」の 5 城から3つが選定されてのが一般的な様子…』という事です。
これをWikipedia からの情報と併せて “勝手に” 理解させて頂くと『「日本三大平城」は、「名古屋城・岡山城・広島城・松本城・二条城」の 5 城から3つが選定されてのが一般的な様」だが、明確な定義は存在せず、明確な基準も存在しておらず『選定した人(これを言い始めた人)の主観;独断と偏見』ではないかと思った次第で、「言ったもん勝ち!」と思ってしまった次第です…。

【それぞれの「日本三大平城」】
上記「日本三大平城」の概要を、何処が候補のお城であるかを含め、少々強引に理解した部分もありますが抑えさせて頂きましたので、以下、具体的な「日本三大平城」と “一般的に” 言われる「名古屋城・岡山城・広島城・松本城・二条城」の候補の 5 城を、少しだけ深堀して抑えさせて頂こうと思います。尚、それぞれのお城については、本ブログ別記事で、更なる詳細情報を記載して折り、それぞれリンクより詳細記事に飛べますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
■名古屋城
名古屋城は「織田信長の生誕地とも言われ、また徳川家康が「豊臣を警戒」して計画したお城と言われ、その城郭は日本三名城の1つに数えられ、戦前まで天守は現存していたが、戦災により焼失してしまい、現在は外観復元の天守を見る事が出来、ちょっと前に本丸御殿が復元されたお城」と理解して折ります。つまり「明治に入った時点で、天守は現存していたが、空襲により、大天守・小天守・東北隅櫓や正門を含む多くの門が焼失」してしまった認識です。Wikipedia には以下の様にあります。



”(略) 大小天守と櫓や門、御殿などの一部は昭和戦前期まで残存していたが1945年の名古屋大空襲で大部分を焼失した(西南隅櫓など6棟は焼失を免れて現存している)。戦後に天守などが鉄筋コンクリートで外観復元され、城跡は名城公園として整備されている (略)”
https://ja.wikipedia.org/wiki/名古屋城



日本を代表する城郭である名古屋城。熊本城・姫路城と並び、近世城郭の代表例と言われているようで、戦災で燃えてしまったのは、非常に残念ですが、今尚、城郭全体・天守の巨大さを感じる事が出来、実際に訪れてみると「尾張名古屋は城で持つ」とは、うまい事をいった物だと思った次第です。計画当初は、豊臣家健在の為、総構の構想まであったらしいですが、大坂の陣を経てその計画はなくなったと言われている名古屋城。昨今は、本丸御殿が再建されていますので、二の丸庭園と併せて大人散策を楽しむべきだと思いますし、近くの「犬山城」・「三種の神器・草薙剣をご神体とする『熱田神宮』」・「尾張徳川家の庭園『徳川園』」等の大人散策スポットも併せて巡るべきだと思う次第です。



■岡山城
岡山城は「『日本三名園の1つ・岡山後楽園』が隣接する、『宇喜多氏⇒小早川氏⇒池田氏と続いた歴史』を持つお城で、明治になると廃城令により順次建物が取り壊され、明治中頃までには、天守・月見櫓・西之丸西手櫓・石山門を残すのみとなり、1945年の岡山大空襲で現存していた天守・石山門も焼失してしまったお城」と言った理解をしております。Wikipedia には以下の様にあります。







(略) ■ 明治時代以降 (略)
・明治6年(1873年)の廃城令により順次建物の取り壊し・堀の埋め立てが行われていき、明治15年(1882年)頃までには、天守・月見櫓・西之丸西手櫓・石山門を残すのみとなった (略)■ 昭和時代 (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/岡山城
・1945年(昭和20年) – 6月29日の岡山大空襲で天守・石山門を焼失。
・1950年(昭和25年) – 文化財保護法の施行により、焼け残った月見櫓・西之丸西手櫓が重要文化財に指定。
・1964年〜1966年(昭和39年〜昭和41年) – 天守を鉄筋コンクリートにて再建 (略)


明治期の廃城令を潜り抜け、天守が旧国宝に指定されたたにも関わらず、戦火で焼失してしまった事、本当に残念だと思う一方で、2つの櫓(月見櫓・西之丸西手櫓:国の重要文化財)が残った事は、幸いだったとも思う次第です。実際に岡山城に参らせて頂くと、天守と共に焼失した石山門の石垣が赤くなっており「空襲による焼けた痕跡」との説明が現地の説明看板にはなされており、悲しい歴史を感じてしまいますが、再建された天守は立派の一言。戦火を潜り抜けた「月見櫓・西之丸西手櫓」・「日本三名園の1つ・岡山後楽園」と併せて大人散策を楽しむべきだと思う次第です。





■広島城
広島城は「元々は、毛利元就が、安芸国守護・武田氏を滅ぼし & 厳島の戦いで陶氏(大内氏)に勝利した事で、毛利氏によって『最も広い島地(=広島?)』に築城されたお城で、またの呼び方を『鯉城(りじょう)』とも言い、明治以降も残った天守は旧国宝に指定されたが、太平洋戦争末期の原爆投下により崩壊してしまった歴史を持つお城」と理解して折ります。Wikipedia には以下の様にあります。


(略) ・太平洋戦争末期 (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/広島城
太平洋戦争末期まで、天守、東走櫓、裏御門の一部、中御門、表御門、二の丸の平櫓、多聞櫓、太鼓櫓など、江戸時代からの建物が残っていた (略)
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍による広島市への原子爆弾投下。軍事施設が集中していたことから、破壊目標となった。ここは爆心地からほぼ1キロメートル離れたところに位置した。 建物が爆風により一瞬にして倒壊、火災により焼失している。なお天守は爆風や火災によるものではなく、自壊している (略)

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軍事施設が集中していたことから、破壊目標となってしまった広島城。原爆投下により、多くの遺構が崩壊してしまった事は非常に残念ですが、それ以上に原爆によって被災し、長きにわたって苦しまれた方々の事を思うと、本当に悲しい気持ちで一杯になってしまいます。言い換えれば、広島城に訪問する際は、広島城の歴史に思いを馳せると同時に、「原爆ドーム」・「平和記念公園」にも脚を運んで、この地域の悲しい歴史にも思いを馳せ、未来の平和を祈願する事も併せて実施させて頂くべきだと改めて思った次第です。



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■松本城
松本城は「現存12天守であると同時に、国宝5天守の1つでもあるお城で、武田信玄が抑えていた頃の昔は『深志城』と呼ばれ、徳川の家臣であった石川数正が、豊臣に出奔した後に(現在の形に)築城を開始したお城」と理解して折ります。また、松本城のHPには以下の様にあります。


松本城天守群は、大天守(だいてんしゅ)・乾小天守(いぬいこてんしゅ)・渡櫓(わたりやぐら)・辰巳付櫓(たつみつけやぐら)・月見櫓(つきみやぐら)の五棟で形成されています。大天守と乾小天守を渡櫓によって連結し、辰巳付櫓と月見櫓が複合された、連結複合式の天守です。
これらの天守群は、昭和4年(1929年)に指定された「国宝保存法」により、昭和11年(1936年)4月20日国宝に指定されました。
https://www.matsumoto-castle.jp/
「大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳付櫓・月見櫓」の五棟で形成された「複合連結式天守群」。「この規模の天守群」が、江戸期の初めから「400年程と言う長い歴史」を重ね、「現代まで維持」されてきたて来たのであれば、『国宝にふさわしい!』と思うのは、私だけではないと思いますがいかがでしょうか?




同時に、明治期頃に天守が傾いた際には、保存会が出来、改修を行った歴史を持つ松本城。こういった「地域の方々の支えであり愛情」が、「松本城を守り、国宝に押し上げている要因」である事、疑う余地はありません。言い換えると「松本城が国宝である本当の理由は、地域の方々の松本城に対する愛情!」と思っている次第です!





■二条城
二条城は「元々は、徳川家康が、将軍宣下の祝賀儀式、並びに京都滞在時の拠点として築城した事に始まるお城で、家康・家忠・家光と利用しているが、それ以降は14代の家茂まで『将軍として誰一人二条城を利用しておらず、15代慶喜の時に “大政奉還” が言い渡されたお城』で、現在では、現存4御殿の中で『最大規模と高い格式』を誇る二の丸御殿も有名な城郭」と理解している次第です。言い換えますと「『江戸じゃないのに、江戸時代の始まりと終わりを見届けたお城』が『二条城』」と言う理解をしている次第です。




明治に入った時点で天守は無く、一方で「現存4御殿の二の丸御殿が旧国宝に指定(現在(新法)においても国宝ですが…)された」認識ですが、それよりも『ここ二条城は、「家康の将軍宣下」や「家康・秀頼の会見」、「大政奉還」といった歴史的な事象があった空間』という事で、『大政奉還の意思表示が二の丸御殿で行われて、その同じ空間に脚を運ぶ事ができるのは、歴史好きの人にとっては、たまらない空間』だ思う次第です。「芸術性が高く、格式も高い雰囲気を感じつつ、上記の様な歴史の大イベントに思いを馳せつつ大人散策できる空間が『二条城・二の丸御殿』」。天守台もあり、二の丸庭園も有名なので、併せて『二条城二の丸御殿』をじっくり大人散策してみてはいかがでしょうか?
二条城二の丸御殿(の様子 (一部写真Wikipediaより)
【最後に】
以上が、「明確に定義が定まっていないと認識する『日本三大平城;名古屋城・岡山城・広島城・松本城・二条城?』に関し『その概要 + 勝手な理解』と『それぞれのお城における大人散策情報』を共有」させて頂いた内容になります。
『「日本三大平城」に関する勝手な理解』と、『その候補となる「名古屋城・岡山城・広島城・松本城・二条城」をサマリ的に記載』させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 個人的に、改めて思った事は、(「三名城」・「三大 “岩” 山城」のページでも似たような事を記載しましたが…)「勝手に『日本三大平城』を選出しても良いのではないか?」と言うものです…。
と言う訳で…、ではありませんが、最後に勝手に選出させて頂いた「日本三大平城」が、2つのパターンであります。それは、「ケース①:”旧国宝24城” 重視の場合=名古屋城・岡山城・広島城」と「ケース②:”現存” 重視の場合=松本城・二条城・高松城」のそれぞれの 3城です。簡単に理由を以下に記載します。
■ ケース①:「旧国宝24城」重視の場合=名古屋城・岡山城・広島城
ケース①で『「名古屋城・岡山城・広島城」を「日本三大平城」に、勝手に挙げさせて頂いた理由』は『「名古屋城・岡山城・広島城」は、太平洋戦争で天守を焼失してしまった「旧国宝24城」のお城だから』です。「太平洋戦争で天守を焼失してしまった「旧国宝24城」のお城」には、「和歌山城」・「福山城」・「大垣城」等もあり、また “天守相当 or 天守として理解しても良い建造物” と言った前提であれば「水戸城」・「首里城」も含まれる認識ですが、「平城」と言う前提に立てば、上記からは「大垣城」のみになる認識です。つまり、『太平洋戦争で天守を焼失してしまった「旧国宝24城」の「平城」』は、「名古屋城・岡山城・広島城・大垣城」となりますが、この中から3城を選択するとなると、「大垣城」には申し訳ないですが、「名古屋城・岡山城・広島城」が妥当と思った次第です。
■ ケース②:「現存」重視の場合=松本城・二条城・高松城
ケース②で『「松本城・二条城・高松城」を「日本三大平城」に挙げさせて頂いた理由』は『「松本城・二条城・高松城」は、”現存の建造物” が残るお城だから』です。皆様ご承知の通り、現存12天守、現存4御殿と言ったワードがあり、その中で一般的に「平城」に分類されるのは、「松本城・二条城」のみですので、選択範囲を「旧国宝24城」の「平城」まで広げ、且つ “現像建造物がより残っているお城” と言った感じで考えてみると『日本三大水城(海城)にも数えられ「月見櫓・水手御門・渡櫓」、「艮櫓」が旧国宝に指定され、現在も重要文化財として現存する高松城』が思い浮かんだ次第です。
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以上最後に、勝手に「日本三大平城」を選定させて頂きましたが、皆様はどの様のお感じになられましたでしょうか? 上記記載の感じで「勝手な理解」をすれば、皆様独自の「日本三大平城」が生まれてくると思いますので、そんなことを考え(妄想し)つつ、大人散策を楽しんでみてはいかがでしょうか?
尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城、国宝5天守、現存12天守、現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城・彦根城・松本城・松江城・川越城・二条城・熊本城・高知城・掛川城・小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。