長浜の町中の様子(黒壁スクエア付近)

【はじめに:長浜の街基本情報】

数年前の夏休み(遅めの夏休みだったので、9月)、静岡(掛川・浜松)彦根長浜名古屋(犬山岐阜も)を回る旅を企画し、それぞれお邪魔させて頂きました(旅全体の日程は、別記事をご参照ください)今回は、その中で、滋賀県の長浜における(長浜旧市街地)、大人散策情報をご紹介致します

本記事では、長浜市内の北国街道の周辺情報をご紹介致しますが、別記事で、拠点とさせて頂いたホテル・Hotel & Resorts NAGAHAMA (https://www.daiwaresort.jp/nagahama/index.html)、竹生島とそこへのクルージングの情報も記載していますので、併せてご確認頂ければ幸いです。

皆様は、長浜と聞いて、何を思い浮かべますか? 私の場合は、イメージが限定的で、「秀吉が最初に城持ち大名になった場所」と言うくらいの知識しかありません。その為、Wikipedia の力を借り、長浜を調べてみますと、以下の様にあります。

長浜市(ながはまし)は、滋賀県の北東部(湖北地方)に位置する市中心市街は羽柴秀吉が長浜城の城下町として整備し、以来の湖北地方の中心地で長浜城の廃城後は大通寺(長浜御坊)の門前町、北国街道や琵琶湖水運の要衝として発展した。姉川古戦場など戦国時代の史跡が多く、国友は近世に国内有数の鉄砲生産拠点として栄えた”

https://ja.wikipedia.org/wiki/長浜市

豊臣秀吉の天下統一への礎となった街で、北国街道の通るこの地は、軍事・産業の両面で重要な地であったと言う事でしょうか? 実際に街を散策し感じた事は、「歴史のある街」と言った印象です。

建物や通りもそうですが、街全体が醸し出す雰囲気なのでしょうか、日本の良さを随所に肌で感じる事の出来る街だった印象です。(ちなみにですが、「北国街道」と言うと、別記事の「追分」で紹介させて頂いた、信濃追分(軽井沢付近)で分岐し、長野の善光寺を経て、新潟の直江津に行く道を思い出してしまいますが、この彦根・長浜から越前(福井)・越後(新潟)を結ぶ道も、北国街道、もしくは北陸街道と言うようです)

【長浜を大人散策】

拠点とさせて頂いたの宿は、琵琶湖に面し、長浜城(模擬復元)を見渡す、景色の良いホテル、Hotel & Resorts NAGAHAMAでした(詳細は別記事参照)そこからすべて徒歩で、以下のスポットを回らせて頂きました。Totalで、4-5㎞程度の行程だと思われ、ゆっくり各種見学させて頂き、3時間位のコースだった記憶です(私達夫婦のその日のスケジュールは、長浜市内を散策し、クルージングで竹生島に行く予定でした:クルージング・竹生島の情報は、別記事をご参照ください)。それぞれのスポットをご紹介しますので、皆様の旅の参考になれば幸いです。

①慶雲館 

正直、長浜に参る当日まで、存じ上げなかったスポットです。当日、素適な建物とお庭がある、「慶雲館」の事を知り、急遽参る事にしました。Wikipedia の力を借り、慶雲館を調べますと以下の様にあります。

慶雲館(けいうんかん)は、滋賀県長浜市にある市の迎賓館。1887年(明治20年)、明治天皇行在所(一時的な滞在に使用する施設)として実業家の浅見又蔵により建設された。館名は当時の総理大臣であった伊藤博文の命名と伝わる。本庭の池泉回遊式庭園(国の名勝)は名匠7代目小川治兵衛の代表作であるとともに、近代日本庭園の傑作の一つとして名高い。毎年1-3月には、日本一と賞される長浜盆梅展が開催される。京都で行われた孝明天皇御式年祭(20年祭)のため明治天皇が行幸した前年の1886年(明治19年)、長浜の実業家で当時は太湖汽船頭取を務めていた浅見が行幸計画を知ったさい、長浜で自社航路から鉄道へ乗り換える時間に滞留する適当な施設が無かったことから急遽、自らが所有する大通寺別殿跡地に行在所を私費で建設した

工事は同年11月3日から急遽開始され、竣工したのは行幸当日の1887年(明治20年)2月21日朝であったが、明治天皇・昭憲皇太后夫妻が京都を発った当日朝の時点では、建設工事の後かたづけも終わっていなかったという。夫妻は同日13時前に長浜港に到着し、同館で昼食および休憩をとったあと、13時45分発の列車で名古屋へ向かった”

https://ja.wikipedia.org/wiki/慶雲館

昔の人は、ホントすごいですね。ある一定以上の方の社会に対する貢献であったり、責任感と言うのは、本当に尊敬に値する行動だと思います。天皇が一時的に過ごす場所を、私費で建ててしまう訳ですから・・・。しかも、素晴らしい建て物とお庭。天皇に、「長浜」を知ってほしいという強い意志を、この浅見氏は持っていたんでしょうね。国の名勝に指定されているだけの事はあり、ホントに見応え十分な建築と作庭でした。

尚本ブログでは、東京旧古河庭園東京椿山荘神戸相楽園京都無鄰菴高松栗林公園熊本水前寺成就園山梨恵林寺庭園甲府常磐ホテルの庭園平泉毛越寺庭園名古屋徳川園二条城二の丸庭園川越喜多院の紅葉山庭園/中院の庭園熱海の起雲閣旧芝離宮恩賜庭園小石川後楽園清澄庭園浜離宮六義園新宿御苑日本三名園金沢兼六園岡山後楽園偕楽園等、全国各地の庭園も紹介しており、「日本庭園のカテゴリ分け(庭園分類)」に関しても記載しております(更新中あり)ので、下記一覧表をご活用いただき、ご参照頂けますと幸いです。

②長浜鉄道スクエア

「現存する最古の駅舎」を見られるスポットと言う事で、お邪魔させて頂きました。場所も、上記、慶雲館の道を挟んだ向かいなので。こちらも、Wikipedia の力を借り、情報収集させて頂きますと、以下の様にあります。

長浜鉄道スクエア(ながはまてつどうスクエア)は、滋賀県長浜市にある長浜市立の鉄道保存展示施設旧長浜駅舎(第1回鉄道記念物)に隣接して2000年(平成12年)10月14日に長浜鉄道文化館が開館し、さらに2003年(平成15年)7月17日には隣接して北陸線電化記念館が開館。このとき、この3施設を総称して「長浜鉄道スクエア」と命名された。旧長浜駅舎・長浜鉄道文化館・北陸線電化記念館の3館で構成されている。旧長浜駅舎:現存する日本最古の駅舎である初代長浜駅舎をそのまま保存している。(略)”

https://ja.wikipedia.org/wiki/長浜鉄道スクエア

電車の模型や本物の車両(SL)等が展示され、機関部にも入れるようになっていました。私達夫婦は、鉄道に対し特別な思い入れがある訳ではありませんが、鉄道の歴史の重みと重要性(普段、普通に使っているだけで申し訳ないと思った次第です)を改めて実感した良い場所でしたので、好きな人にはたまらない場所かもしれません。

③開知学校

別記事で紹介させて頂きました、国宝・松本城を有する、松本にも、”開智学校”、と言う国宝の旧学校厩舎があります。そしてこの長浜にも、”開知学校”、と言うものがあります”智”、と”知”、の字が違うだけですね。Wikipedia によると、こちらの建築は、1874年の様です(https://ja.wikipedia.org/wiki/長浜市立長浜小学校”(略) 1874年(明治7年) – 神戸町に洋風校舎を新設して移転、開知学校に改称 (略)”)。松本の開智学校の建築は、1876年と言われているようなので、松本よりも古い校舎と言う事です。しかし、松本の開智学校は、国宝で、長浜の開知学校は、夜大人が飲み物を楽しむ場所(1F)になっているようです。素敵な建物ですので、外からだけでも、見てみて下さい。

④安藤家

戦国時代に秀吉と深いかかわりを持つ家の様です。以下の写真にもありますが、秀吉が長浜を治めていた時代に、長浜の自治を委ねられた、10人衆の一人が、安藤家と言う事の様です。家の内部が公開されており、立派な歴史的な建物を拝見する事が出来ます。

⑤黒壁スクエアと歴史を感じる街並み(北国街道)

そもそも、「黒壁スクエア」って、なんだと思いますか? 私もわからず、行く前に調べましたが、ガラス工芸のお店等がある、観光・ショッピングスポットの情報ばかりで、良く解りませんでした。良く解らないいまま行きたくなったので、いつものアプローチですが、大人の嗜みとして、Wikipedia の力を借り調べてみますと、以下の様にありました。

黒壁スクエア(くろかべスクエア)は、滋賀県長浜市旧市街にある、伝統的建造物群を生かした観光スポット。黒漆喰の和風建築である「黒壁1號館」から「30號館」までの総称であるが、一般に北国街道と大手門通り(美濃谷汲街道)の交差点である「札の辻」(江戸時代に高札が立った場所であることに由来)を中心とする区域として紹介されることが多い。

江戸時代から明治時代の和風建造物の連続性が高い情緒ある町並みとその古建築を活用した美術館、ギャラリー、ガラス工房等の文化施設、レストラン、カフェ等が集積するエリアで、また日本最大のガラス芸術の展示エリアとして知られ、年間約200万人の観光客が訪れる湖北随一の観光スポットである”

https://ja.wikipedia.org/wiki/黒壁スクエア

つまり、黒漆喰の和風建築が素敵なスポットで、その中には、文化施設や各種ショップがある」と言う事の様です。実際に参らせて頂き思ったのは、「観光地」と言う事で、様々なショップがありました。その中でもおすすめは、「黒壁1号館のガラス館」。ベネチアグラス、ボヘミアンガラスの細工ものがあり、本当に綺麗です。また建物の外部も内部も魅力的なので、中に入ってガラスと建物両方を見学する事(ガラス細工は購入できますが・・・)を、おすすめします。

⑥長浜別院大通寺

Wikipediaによると、以下の様にあります。

真宗大谷派長浜別院大通寺(しんしゅうおおたにはながはまべついんだいつうじ)は、滋賀県長浜市にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぐ。本尊は阿弥陀如来。山号は「無礙智山」(むげちざん)。別名は「長浜御坊」(ながはまごぼう)で、地元では「御坊さん」(ごぼうさん、またはごぼさん)と呼ばれる。「長浜別院」、「大通寺」と略称される。 (略)

湖北の中心道場であった総坊(そうぼう)を前身とし、慶長7年(1602年)には徳川家康より本願寺分立が許され、本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。内藤信成が慶長11年(1606年)に長浜に移封された際に現在地に移したとされる。伏見城の遺構とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる

https://ja.wikipedia.org/wiki/真宗大谷派長浜別院大通寺

建物も庭園も中々の物です。そしてその両方に歴史を感じる事が出来る空間です。それぞれ国の重要文化財、名勝に指定されているだけの雰囲気を兼ね備えた空間で、大人の時間を過ごしてみては、いかがでしょうか?

⑦長浜城址

一番最初に記載しましたが、長浜城は、秀吉が生涯初めて、城持ち城主になったお城です詳細を別記事で記載していますので、ご査収頂けますと幸いです

【最後に】

上記、7つのスポットを紹介させて頂きましたが、どのように感じられましたでしょうか? 交通の要となる、琵琶湖と北国街道(北陸街道)がある長浜は、日本の歴史においても、Keyの場所だった様で、それぞれがそれぞれの歴史を、肌で感じるスポットであったと思いました。そんな歴史・日本史好きの大人が散策するには、最適なスポットだと思いますので、皆様も足を運び、歴史の英雄たちの痕跡に、そして日本の歴史の痕跡に思いをはせてみてはいかがでしょうか? (拠点とさせて頂いたホテル・Hotel & Resorts NAGAHAMA竹生島とそこへのクルージングの情報を別記事にて、記載しておりますので、併せてご確認頂ければ幸いです。)

以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!

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