偕楽園と弘道館の関係は?
偕楽園は斉昭の造園思想、弘道館は水戸藩の藩校で、水戸学の中心です。
鹿島神宮と香取神宮はセットで巡るべき?
武神信仰・要石など共通点が多く、歴史的にも深く結びついています。
東国の歴史旅の特徴は?
神社・庭園・学問所が近い範囲に集まり、古代〜近世の流れを俯瞰できます。
効率よく巡る方法は?
車移動が最適で、水戸エリアと鹿島・香取エリア、坂東・常総エリアを分けると無理がありません。
こちらのページでは、「『茨城・千葉を巡る歴史旅(偕楽園(好文亭含む)&常磐神社・水戸城&弘道館・大洗磯前神社・鹿島神宮・香取神宮・小江戸・佐原・“あんばさま” こと大杉神社・國王神社・古河城・関宿城・逆井城等を含む)』の全体図に付き、その詳細マップを多くの写真と共に共有」させて頂きます。
📚本記事で得られる情報📚
✅「茨城・千葉を巡る歴史旅」の全体図・概要
✅「茨城・千葉を巡る歴史旅」の各スポットの概要と詳細マップ


















2025年の秋に実施した「茨城・千葉を巡る歴史旅」。2泊3日の旅で、「偕楽園(好文亭含む)&常磐神社」・「水戸城&弘道館」・「大洗磯前神社」・「鹿島神宮」・「香取神宮」・「小江戸・佐原」・「“あんばさま” こと大杉神社」・「國王神社」・「古河城・関宿城・逆井城」等を巡らせて頂きました。そして、2泊3日の旅ですので、1日目は「太平洋を望む “大洗パークホテル“」、2日目は「霞ヶ浦近くの “割烹旅館 霞ヶ浦“」にそれぞれ宿泊させて頂いた次第です。
「茨城・千葉を巡る歴史旅」にて巡った主要スポットに関しては、別記事で紹介しておりますので、そちらをご参照頂ければと存じますので、こちらのページでは、「茨城・千葉を巡る歴史旅の全体図」、並びに「別記事にはしていませんが、押さえておきたいスポットの概要」に付き、記載させて頂こうと思います。すなわち、「『茨城・千葉を巡る歴史旅(偕楽園(好文亭含む)&常磐神社・水戸城&弘道館・大洗磯前神社・鹿島神宮・香取神宮・小江戸・佐原・“あんばさま” こと大杉神社・國王神社・古河城・関宿城・逆井城等を含む)』の全体図に付き、その詳細マップを多くの写真と共に共有」させて頂きます。
※ 本シリーズ:「茨城・千葉を巡る歴史旅 シリーズ」は、「IbarakiChibaTravelSeries」のタグで、記事一覧をご参照頂く事も可能です! ※















【茨城・千葉を巡る歴史旅 全体図】
「茨城・千葉を巡る歴史旅」の企画にあたり、Key となる「大人散策係数の高いスポット」を設定いたしましました。それらは、「偕楽園(好文亭含む)&常磐神社」・「水戸城&弘道館」・「大洗磯前神社」・「鹿島神宮」・「香取神宮」・「小江戸・佐原」・「“あんばさま” こと大杉神社」・「國王神社」・「古河城・関宿城・逆井城」と言った辺り。つまり、これらの「大人散策係数の高いスポット」を中心に、「プラスでそのルート上にあるこの地域の興味深そうなスポット」もいくつかピックアップし、「そのルー地上にあり、温泉のあるお宿を選定(今回は「大洗パークホテル」と「割烹旅館 霞ヶ浦」)」し、2泊3日の「茨城・千葉を巡る歴史旅」のプランニングをした次第でした。以下に、その行程に沿って、各スポットを紹介(詳細は各リンクよりご参照ください)申し上げますので、最下部の「GoogleMyMapで作成した地図」と共にご参照頂けますと幸いです。
【茨城・千葉を巡る歴史旅 初日】
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最初に目指したのは、「偕楽園(好文亭含む)&常磐神社」。「茨城県立歴史館」で、情報収集してから参ろうとしましたが、休館日だった為、「茨城県立歴史館」の駐車場にそのまま車を停めさせて頂いたまま、徒歩で、「偕楽園(好文亭含む)&常磐神社」を目指しました。
■ 偕楽園・常磐神社
「偕楽園(好文亭含む)&常磐神社」は、別記事で詳細を記載しておりますので、そちらをご参照頂きたいのですが、さすが「日本三名園の1つ」と言われる庭園。「自然界の陰と陽の調和」をポリシーとして、設計されている庭園の理解で、その世界感は大人散策係数の高いもの。建造物としても魅力的な「好文亭」の「襖絵」と併せ、「千波湖の借景を含めた景色」を満喫させて頂いた次第です。
そして、「偕楽園」と併せて参ったのが、「別格官幣社の1つ」である「常磐神社」。徳川光圀(水戸藩2代藩主・義公)・徳川斉昭(水戸藩9代藩主・烈公)を祭神とする、現別表神社。「幕末、天皇に弓を引かなった水戸徳川家」に思いを馳せるのには最適なスポットだと思った次第です。言い換えると、『最後の将軍・徳川慶喜を評価する訳にはいかないが、慶喜は、水戸家に伝わる「天皇には背かない」のポリシーを実践した為、天皇家は水戸藩を評価した』と思われ、その痕跡が、「慶喜の父・斉昭も祭る常磐神社を別格官幣社に列した事」といった様な妄想が膨らんでしまうスポットだという事です。そんな、「水戸藩の歴史を感じる事が出来るスポットが偕楽園(好文亭含む)&常磐神社」であり、大人散策レベルを向上させてくれるスポットだとも思う次第です。












■ 水戸城(弘道館含む)
・弘道館
「偕楽園(好文亭含む)&常磐神社」に続いて参ったのが「水戸城の弘道館」。「弘道館」は、元々「水戸城」の三の丸にあった藩校で、「水戸黄門」事、「第2代水戸藩主・徳川光圀」が編纂を始めた『大日本史』の影響を受け、尊王の気風を植え付けた「水戸学」の象徴とも認識するスポット。江戸幕府の最後の将軍・徳川慶喜は、弘道館で学問を治めたと言われる理解で、戊辰の鳥羽伏見の戦いの中、大坂城から江戸に退去し、上野・寛永寺にて謹慎し、その後、「水戸・弘道館の至善堂」⇒ 「駿府(静岡)・宝台院」に謹慎場所を移したとも言われる理解でもあります。
現在は、「国の特別史跡」で、「正庁」・「至善堂」・「正門」が、国の重要文化財に指定されていますので、その建造物は勿論、伊藤博文から「維新時に尊王の大義を重んじたのはなぜ?」の質問に、「水戸徳川家では義公以来代々尊王の大義に心を留めていた。父(斉昭)なる人も同様の志で、自分は家訓を守ったに過ぎない」と応えた慶喜の心持に思いを馳せ、大人散策を満喫されてみてはどうかと思う次第です。









・水戸城
上記「弘道館」も、「水戸城」と言えますが、『「弘道館」以外の「水戸城」の痕跡を巡る大人散策』も実行致しました。ただ、「水戸城跡」の大部分は、現在では、茨城県の庁舎や学校(文教地区)になております。故に、見学できる部分は限定的ですが、再建された「大手門」や「二の丸角櫓」に加え、「杉山門」・「薬医門」・「柵町坂下門」、そして「大空堀」・「大堀切」等の「水戸城の痕跡」を確認する事は十分に可能です。『北の「那珂川」と南の「千波湖」を天然の堀とし、丘陵に築城された「連郭式平山城」は「戦国期の東国における典型的な特徴を持つ城」とも言われる「水戸城」』ですので、現在も拝見できるその地形も含め、「水戸城の痕跡」を巡るのも想像が膨らみいいもだと思った感じでした。









■ 武田氏館・湫尾神社
「水戸城(弘道館含む」の後、この日の宿泊先である「大洗パークホテル」を目指しますが、途中「武田氏館・湫尾神社」に脚を運びました。「茨城の地で武田? 甲斐武田家と縁があるの?」と思う方も多いかもしれませんが、別記事『「甲斐源氏」とは? 「甲斐武田家」とは?』で触れました通り、大ありなんです! 以下、Wikipedia より引用します。
武田氏館(たけだしやかた)は、茨城県ひたちなか市武田にある公立博物館である。
概要
平安時代後期、奥州の豪族である安倍氏が朝廷に反抗したため、朝廷は1051年(永承6年)に相模守源頼義を陸奥守と鎮守府将軍に任命し、安倍氏を討伐させることにした(前九年の役)。頼義は八幡太郎義家と現地豪族の協力を得て、13年をかけ奥州を平定させた。頼義死後の1083年(永保3年)、奥州で豪族同士の争いがおこり、義家は弟の新羅三郎義光とともに乱を平定した(後三年の役)。義光は戦いの後、常陸介に任じられ、長子義業を常陸国久慈郡佐竹郷に配置し、三男義清を同国那珂郡武田郷に配置した。義清は武田の地にちなみ武田氏を名乗った。
その後、義清は長子・清光と勢力拡大を図るなかで、近隣勢力との間に紛争を起こした。それを知った常陸介の藤原盛輔(藤原盛実の子)から、朝廷に告発され[1]1130年(大治5年)甲斐国に移封となった。甲斐国へは、武田から那珂川をさかのぼり茨城県御前山村、栃木県小山市、埼玉県狭山市付近を行ったと考えられている。甲斐国へ移った後も義清父子は戦いを続け、甲斐武田氏の基礎を築いた。
義清父子の館は、那珂川を見下ろす武田台地の突端部にあったといわれている。武田地域内の発掘調査では、先土器時代から平安時代にかけての建物の跡や遺物が発見された。義清と清光が常陸国武田に構えた館跡は、明治時代頃に消滅したが、湫尾神社と一遍上人絵伝などの史料を元に、武田氏館が1991年(平成3年)11月に建設された。館は古い絵巻物などを参考に再現された建物で、鎌倉時代の地方豪族の住居を参考にして、主屋、納屋、厩を配置して、中門、板塀、堀などを設け、主屋の造りは主殿造の建築様式である (略)









つまり、自身の理解と併せると以下の様になりました。
甲斐源氏は、「甲斐国に土着した清和源氏の河内源氏系一門」で、「源義光(新羅三郎義光)」を祖とする諸家のうち「武田氏」をはじめとする、「甲斐を発祥とする諸氏族」の総称。また、甲斐源氏の始祖と位置づけられているのは、河内源氏3代目の「源義家(八幡太郎義家)」の末弟である「源義光(新羅三郎義光)」とも言われるが、『実質的には、「義光の子」の「義清」と義清の子の「清光」』の理解。常陸国那珂郡武田郷(旧勝田市、現茨城県ひたちなか市武田=武田氏館・湫尾神社付近)に土着して武田氏を称した「義清・清光の親子」は、平安期に「清光の乱暴」が原因で周辺の豪族たちと衝突し、裁定の結果、「常陸より追放」され、甲斐に配流され(積極的に進出とも言われる説もある理解)、その後、甲斐国では巨摩郡市河荘を勢力基盤とし、更に、古代官牧であった八ヶ岳山麓の逸見荘へ進出。「清光の子孫」は甲府盆地各地へ進出し、「武田信義」の頃には、「武田氏を中心とした有力な武士団」を形成していった理解。また、その「信義」は、元服の際に韮崎市の「武田八幡宮」のにおいて「祖父の義清」の武田姓に復し、甲斐国巨摩郡武田(現在の山梨県韮崎市一帯)を本拠地としたことから、その後に続く「甲斐武田家の初代」とされ、「15代・武田信玄」に続いて行く
いかがでしょうか? 山梨出身の自身にとって、武田信玄は英雄的存在。そしてその「甲斐武田家の源流」が「茨城の『武田氏館・湫尾神社』」という事になるという事で、「素通りできなかった」という事なのですが、実際にお邪魔したは、なんと休館日…。仕方なく、門の写真・塀の上から手を伸ばし内部の写真を少しだけ撮影させて頂き、湫尾神社のお参りをして、この日の宿泊地である「大洗パークホテル」へ向かった感じでした。
■ 大洗パークホテル






【茨城・千葉を巡る歴史旅 2日目】
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「茨城・千葉を巡る歴史旅」の2日目。この日は、「鹿島神宮」・「香取神宮」の両神宮を中心に添え、「大洗磯前神社」・「小江戸・佐原」を巡り、もし時間があれば「犬吠埼」を目指すと言った計画で、大人散策を実行した次第です。
■ 大洗磯前神社






■ 鹿島神宮












■ 香取神宮












■ 小江戸・佐原の街並み
「香取神宮」に続いて脚を伸ばしたのは、「小江戸・佐原」。同じく「小江戸として有名な川越」居住の私達夫婦にとって、「絶対に拝見したい街並み」だった次第です。尚、「小江戸・佐原」に関しても、別記事で詳細な大人散策情報を記載しておりますので、こちらでは「小江戸・佐原の街並み」は勿論魅力的で、大人散策係数の高いものであるが、「伊能忠敬所縁の場所でもある佐原」の側面もあるので、「更なる大人散策係数の向上が見込めるエリア」という事もお伝えしておきます。正直「川越も負けていられない…」とライバル心に火がついてしまう感覚を持ってしまったという事です…。












■ 犬吠埼
「小江戸・佐原」の後、「時間があれば行こう!」と計画していた「犬吠埼」。「日没まで…」と言う条件を考えると、微妙な時間でしたが、「土地勘もないので、解らないけど、ダメならダメで仕方ない…、でも間に合うか否かわからない物を諦める必要もない、ならチャレンジしてみよう!」と言った心持で、「犬吠埼」を目指しました。結果、「日没前には到着出来ましたが、灯台の閉館時間には間に合わなかった」と言うものでした。つまり、「灯台内部には入れませんでしたが、周囲のダイナミックな景色は堪能できた」という事です。故に、その景色と「大人散策の旅」らしく『「犬吠埼」・「犬吠埼灯台」の概要』が分かる様、引用をさせて頂き、「参った際の写真」を以下に共有させて頂きます。
犬吠埼(いぬぼうさき)は、関東平野最東端に位置する千葉県銚子市の太平洋に突出する岬。水郷筑波国定公園に含まれる景勝地。岬には犬吠埼灯台が屹立する。岬一帯の町名にも犬吠埼が使用されている (略)
概要
日本三大河川の一つである利根川(一級河川)の河口付近にあり、付近一帯は水郷筑波国定公園に含まれる銚子半島の景勝地である。
犬吠埼の「磯めぐり」は江戸時代には行われていた。風光明媚な海岸線には数々の文人、墨客が訪れ、文豪の地として親しまれ、海岸線沿いは歌碑や詩碑も多い。日本一早い初日の出スポットとして有名である。岬周辺の白亜紀の地層は国の天然記念物に指定され、日本の地質百選にも選定されている。
沿岸には遊歩道が設けられており、北側には古くから「関東舞子」と呼び親しまれ、日本の渚百選にも選ばれた君ヶ浜(君ヶ浜しおさい公園)があり、国土地理院では君ヶ浜(東経140度52分21秒)を関東および千葉県の最東端としている。
海の難所として知られ、幕末には榎本武揚の率いる幕府の軍艦美加保丸が、付近の黒生(くろはえ)の岩礁に乗り上げて乗組員13名が亡くなった。
犬吠埼の岬には犬吠埼灯台が太平洋に向かって立つ。日本を代表する灯台の一つで、「世界灯台100選」「日本の灯台50選」にも選ばれている。歴史的文化財的価値が高く、国の登録有形文化財に登録され、海上保安庁により「Aランク保存灯台」ともなっている。2020年度には国の重要文化財に指定された。灯台の出入口横に灯台の色に合わせた白く塗られた郵便ポスト・丸型1号ポスト(郵便差出箱1号)が設置されていて投函した郵便物には全て犬吠埼をデザインした銚子郵便局の風景印が押される (略)日本一早い初日の出
富士山のような高地や離島を除く日本国内で、元旦の初日の出が一番早く(午前6時46分)拝める場所として知られている。その為、各テレビ局での元旦早朝の初日の出中継では、犬吠埼から生中継を行うことも多い (略)












犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい)は、千葉県銚子市の犬吠埼に立つ第1等灯台。水郷筑波国定公園内に位置する。世界灯台100選、日本の灯台50選に選定され、Aランク保存灯台。2010年に国の登録有形文化財に登録を経て、2020年に国の重要文化財に指定された。
概要
日本を代表する灯台の一つで、歴史的文化財的価値が高く、国の重要文化財に指定され、海上保安庁により「Aランク保存灯台」ともなっており、世界灯台100選、日本の灯台50選にも選ばれている (略)
設計、施工監督者はイギリスから招いた灯台技師、リチャード・ヘンリー・ブラントンである (略) ブラントンは当初、日本製煉瓦の使用に反対したといわれ、その強度に不安を感じたためかそれまでの灯台の構造とは違って二重構造になっているが、140年以上の風雪に破損されることも無く耐え今日に至っている。
灯台の竣工間近、巨大なレンズを見た地元漁師は驚き恐れて「灯台成リ、大洋灯ヲ点ジ海上ヲ照ラスニ至レバ、是ガタメ沿岸ノ魚族ノ棲息ヲ絶チ、漁民ハ特ニ大イナル悲運ニ遭遇スベシ(灯火が明る過ぎて魚が獲れなくなる)」と、灯台建設の即時中止の請願運動を展開した。ところが灯台初点灯の翌年は鰹が稀にみる豊漁となり、地元漁師の懸念は杞憂であったばかりか、豊漁は「灯台様のお陰」と喜ばれる結果となった (略)白い丸型郵便ポスト
2012年(平成24年)3月14日に灯台を管理する銚子海上保安部と銚子郵便局が協力し、茨城県神栖市内の集配センターで保管していた1960年製造の丸型ポストを白い犬吠埼灯台に因んで白く塗った白い郵便丸型ポストが設置されている。 ホワイトデーに設置されたため「恋愛が成就するポスト」、「幸せを呼ぶポスト」、「願いが叶うポスト」とも称されている (略)














「関東および千葉県の最東端の犬吠埼」は、先に記載した「大洗磯前神社」同様、「初日の出が有名なスポット」であると同時に、「国の重要文化財に指定された犬吠埼灯台」・「白く塗られた郵便ポスト」と言った人工物に加え、周囲には「沿岸には遊歩道」が設けられており、「ダイナミックな地形・太平洋の景観と言った自然を楽しめる大人散策スポット」と言った理解をした次第です。写真の通りですが、犬吠埼からの景色は、正に「地球を感じる景勝地」。犬吠埼灯台の内部を見学できなかった事は残念ですが、大満足のスポットで「あきらめなくて良かった!」と思った次第でした。
■ 割烹旅館 霞ヶ浦






【茨城・千葉を巡る歴史旅3日目】
温泉・体験商品満載のカタログギフト「おとなの旅日和」
「旅をする」のもいいですが、「旅を贈る」のもいいかもしれません…
「茨城・千葉を巡る歴史旅」の3日目(最終日)。この日は、「“あんばさま” こと大杉神社」・「日本三大怨霊・平将門が基盤としたエリアのスポット國王神社・平将門公本據豊田館跡等」・「古河城・関宿城・逆井城」を中心に、寄り道できそうな「水郷佐原あやめパーク」・「牛久大仏」も含め、巡った次第です。
■ 水郷佐原あやめパーク
「割烹旅館 霞ヶ浦」をチェックアウトした後、最初に向かったのは「水郷佐原あやめパーク」。「あやめ」ですので、5月下旬から6月位が季節だと思いつつも、『「小江戸」ブランドの歴史と香取神宮・伊能忠敬旧宅等を大人散策! ~プランニング版~ 』で、「行ってみたいスポット」に列挙しましたので、「季節は違うけど、どんな場所か見たい!」という事で、脚を運んだ次第です。そんな「水郷佐原あやめパーク」、Wikipedia を調べてみますと以下の様にあります。
水郷佐原あやめパーク(すいごうさわらあやめパーク)は、千葉県香取市にある市営植物園である。水郷筑波国定公園の表玄関として水郷地帯を代表する観光施設。日本の花菖蒲園で唯一、舟による花鑑賞ができる。5月下旬 – 6月下旬には400品種150万本のアヤメ・ハナショウブが咲き乱れる水郷佐原あやめ祭りが開催。房総の魅力500選に選定されている。
概要
1969年(昭和44年)に、当時の佐原市により佐原市立水生植物園(さわらしりつすいせいしょくぶつえん)として開園。後に市町村合併により、旧佐原市が香取市の一部となるのにあわせ水郷佐原水生植物園(すいごうさわらすいせいしょくぶつえん)と改称、更に2017年(平成29年)4月29日に現在の名前に改称した。江戸時代に利根川の水運で栄え、重要伝統的建造物群保存地区として選定されている「佐原」の街に近く、水郷筑波国定公園の表玄関として水と緑を生かした観光レクリエーション施設。約8ヘクタールの園内は島や橋、水面を配置し、アヤメ、ハナショウブやハス、フジ、ポプラなどが植えられ、水郷地帯の面影を表現している。季節行事
ハナショウブ(アヤメ科)は150万本と日本有数の規模を有し、5月下旬から6月にかけての「あやめ祭り」期間中は多くの来訪者がある。品種としては江戸・肥後・伊勢系などの400品種150万本が植えられている。あやめ祭り期間中は、嫁入り舟や佐原囃子の演奏など様々なイベントが行われる。
サッパ舟と呼ばれる小舟で園内の花めぐりを楽しむことができる。絣の着物に赤い前掛けと足袋、三角の編み笠をかぶって棹を操る女船頭の姿は、この時期の風物詩となっている (略)
つまり、『5月下旬から6月にかけてが、「水郷佐原あやめパーク」が最も魅力的なタイミングで、以下写真の様な、「美しく、風情があり、文化も感じる光景を楽しむ事が出来る』という事の様です。


しかし、私達夫婦が参らせて頂いたタイミングは、11月。「アヤメ」も、「カキツバタ」も全く咲いておりませんでした…。その為、園内にお客さんは誰一人としておらず、いらっしゃるのは「整備をしている職人さん」だけ…。思わず、「だったら入園料取らなくていいんじゃない…」と心の中で突っ込みつつ、それでも園内を反時計回りに一周させて頂きました。でも、実際に歩いてみると、「ここに、アヤメ・カキツバタ等が咲き乱れる光景は圧巻だろうな…」、「確かにこの地形、『水郷佐原』を代表する景観なんだろうな…」と思った次第です。つまり、「今は、水郷佐原あやめパークの冬眠期、5月下旬から6月にかけて、またお邪魔する機会があれば、今度こそ『水郷佐原』を楽しもう!」と思った感じでした…。同時に、「この時期は、やっぱり、入園料取らなくていいんじゃない…」と改めて思てしまった次第でした…。
























■ 大杉神社
「水郷佐原あやめパーク」の次に向かったのは、「“あんばさま” こと大杉神社」。前日にお邪魔した『「鹿島神宮」・「香取神宮」の両神宮を「国家主導の天津神系の神社(神宮)」』とするのであれば、『「大杉神社」は、「“あんばさま” と地元で親しまれる「大物主(=大国主の和魂:幸魂・奇魂)」をご祭神とし、また「大国主・少彦名」を配祀とする「大洗磯前神社」と同じ国津神系の神社』と言った理解。詳細は別記事で記載しておいりますので、そちらを参照頂きたいのですが、「茨城の日光東照宮」の異名を持つ社殿を拝見させて頂きつつ、“『「鹿島神宮」・「香取神宮」と言う「国家主導の天津神系の神社(神宮)」』の周辺に、『「大杉神社」・「大洗磯前神社」と言った国津神系の神社』があるのは何かの痕跡なのか?” と言った考えを巡らせつつ、境内散策を楽しんだ次第でした。












■ 牛久大仏
「大杉神社」の後、「日本三大怨霊・平将門が基盤としたエリアのスポット國王神社・平将門公本據豊田館跡等」を目指しましたが、途中の「牛久大仏」にちょっとだけ寄り道。つまり、中にはお邪魔せず「牛久大仏の外観」を拝見させて頂いた次第です。ちなみに、「牛久大仏」をWikipedia で調べてみますと、以下の様にあります。
牛久大仏(うしくだいぶつ、正式名称:牛久阿弥陀大佛)は、日本の茨城県牛久市にあるブロンズ(青銅)製大仏立像で、全高120メートル(像高100メートル、台座20メートル)あり、立像の高さは世界で6番目。ブロンズ立像としては世界最大。浄土真宗東本願寺派本山東本願寺によって造られた。小動物公園や花畑などがある浄土庭園内にあり、公園墓地「牛久浄苑」との複合施設となっている。総面積は37万平方メートルに及ぶ。
概要
牛久大仏建設の事業構想は1983年に関係者によって着手された。1986年に着工、1993年に完成した。事業主体は浄土真宗東本願寺派本山東本願寺。
浄土真宗東本願寺派の霊園である牛久浄苑のエリア内に造られた。その姿は同派の本尊である阿弥陀如来像の形状を拡大したものである。
全高120メートル(像高100メートル、台座20メートル)を誇り、奈良の大仏(像高14.98メートル)が掌に乗り、アメリカ合衆国ニューヨーク州にある自由の女神像(全高93メートル、手を掲げた姿勢の像高46.05メートル)の実質的な像高(足元から頭頂までの高さ33.86メートル)の3倍近くの大きさである。
地上高世界最大の”ブロンズ製”人型建造物(仏像)であり、ギネス世界記録には「世界一の大きさのブロンズ製仏像」として認定されている (略)








上記引用の通りですが、「牛久大仏どうだった?」と聞かれて、まず出てくる答えは、「とにかく巨大!」と真っ先に答えると思います。車で、ナビをセットして「牛久大仏」を目指しましたが、ナビ上ではまだまだ距離がありそうな場所で、早々に「牛久大仏のお姿」を発見し、近づくにつれ、「でかいなー」と言う思いがどんどん増していき、その場所に着いた時には、「ホントにでかい!」と言う言葉以外見つからない感じでした。正直「そのお姿を拝見できただけで満足!」と思ってしまう大きさで、中は拝見せず、「日本三大怨霊・平将門が基盤としたエリアのスポット國王神社・平将門公本據豊田館跡等」の次のスポットを目指した感じでした。
■ 國王神社・平将門公本據豊田館跡・平親王将門一族墳墓之地・六所塚古墳(伝平良持墓)・下総国亭跡(平将門公史跡)
「牛久大仏」の後に目指したのは、「平将門が基盤としたエリア」。その場所は、現在の「茨城県坂東市・常総市付近」と言われる理解です。平安期に、東日本で勢力を持ち、ついには「新皇」(「新しい天皇」の意味で、「天照大神とは異なる世界を創る大きな役割」と言う意味があるらしい)を自称したが、即座に朝敵となり討伐されてしまった「武将」が「平将門」と言った理解で、同時に、「死後は怨霊となり、日本三大怨霊の一人」となってしまうが、各地に首塚や将門を祀る神社が現在でもあり、京都では朝廷に謀反を起こした極悪人ですが、関東では「独立を図るも、悲運の死を遂げた英雄」として、江戸の鎮守として今尚信仰を集めている「信仰の対象」と言った理解をしている次第でもあります。
そんな「将門の勢力基盤の痕跡」の括りで、史実は薄いかもしれないけど、「地域の歴史の記憶」として、「誕生・終焉の地を、三大怨霊になってしまった将門に思いを馳せつつ(=恐れと崇拝の両面を持った神=地域の守り神⇒江戸の総鎮守)、その根源を巡る大人散策」という事で、「終焉の地と言われる『國王神社』」に加え、「誕生の地と言われる『平将門公本據豊田館跡』」・「将門も拠点としたと言われる『下総国亭跡』」・「平親王将門一族墳墓之地」を巡らせて頂いた次第です。詳細は、別記事で記載しておりますので、ご参照頂けますと幸いです。












■ 逆井城
「日本三大怨霊・平将門が基盤としたエリアのスポット國王神社・平将門公本據豊田館跡等」の後に目指したのは、「古河城・関宿城・逆井城」。最終日ですので、「居住地の川越」への帰路を想定しつつ、「逆井城 ⇒ 古河城 ⇒ 関宿城」の順番で巡らせて頂きました。故に、まず目指したのは「逆井城」。戦国期、北条氏の「下野・常陸方面への侵攻の最前線のの1つだった城」です。
尚、こちら「古河城・関宿城・逆井城」に関しても、別記事で紹介しておりますので、詳細はそちらをご参照頂きたいのですが、「逆井城は、沼に囲まれた『後堅固の城』を現在でも想像できる地形が残されています」ので、少しマイナーな城郭跡かもしれませんが、歴史・城郭好きの方には、「結構刺さる、大人散策係数高めの城郭」だと思う次第です。






■ 古河公方館跡・古河城
「逆井城」の後に参ったのは「古河城」。「室町時代の戦国期にかけて、「享徳の乱のきっかけを作った5代鎌倉公方・足利成氏」が、拠点を鎌倉から古河に移す事で、初代・古河公方となり、その後、足利氏が本拠とし、以後、戦国時代の関東における中心の一つとなった城郭」です。現在では、渡良瀬川の治水工事により、その痕跡はかなり限られますが、「戦国期の関東における中心の一つと言われた城郭」ですので、外してはいけない城郭だと思います。同時に、「限られた痕跡から戦国を想像する」と言った「大人散策係数MAXに近い城郭」かもしれませんが、別記事で、「当時の古河城の縄張り地図を現在の地図にプロットした図」も共有しておりますので、「大人散策@古河城」チャレンジしてみてはいかがかと思う次第でもあります。









■ 関宿城
そして、「茨城・千葉を巡る歴史旅」の〆は、「関宿城」。「利根川水系等の要地」であり、「関東の水運を押さえる拠点」であった城郭と言われ、戦国期の北条氏康は「この地を抑えるという事は、一国を獲得する事と同じである」とまで評した城郭であったと言われる理解です。現在、史実とは違う場所、すなわち「利根川・江戸川分流点のスーパー堤防上」の「千葉県立関宿城博物館」には、当時の「御三階櫓」を模した模擬櫓(一般的には模擬天守?)があります。言い換えれば、「古河城」同様、治水工事による影響をもろに受けているという事ですが、周囲には、「本丸跡」・「曲輪跡と言われる場所」・「武家屋敷の区割りと教倫館跡(鍵の手十字路)」・「大手門跡」・「関宿関所跡」と言ったスポットもございますので、脚を運んでみてはいかがかと思う次第です。









【最後に】
自身のお宿予約は、基本「一休」or「じゃらん」の2択で、プラス… :
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【じゃらん】料理、温泉、おもてなし…クチコミで選ばれた宿ランキング」+「
Relux(Loco)」
以上が、「『茨城・千葉を巡る歴史旅(偕楽園(好文亭含む)&常磐神社・水戸城&弘道館・大洗磯前神社・鹿島神宮・香取神宮・小江戸・佐原・“あんばさま” こと大杉神社・國王神社・古河城・関宿城・逆井城等を含む)』の全体図に付き、その詳細マップを多くの写真と共に共有」申し上げた内容になります。
スポット的には、上記の通りですが、「時代の観点」で言うと『この地域の「日本神話」・「古代」・「平安期」・「戦国期」・「江戸期」・「明治期」と言った様々な時代の歴史を巡る旅でもあった』と思った次第です。言い換えると、『(誤解を恐れず申し上げますが)東京・京都と言った大都市の観光スポットに比べ、マイナーな感は否めませんが、関東圏の歴史を考える上で、重要なエリアである事は間違いなく『大人散策係数の高いエリア』だと思ったという事です。
先に記載しました通り、別記事で各スポットの詳細を記載しており、「茨城・千葉を巡る歴史旅 シリーズ」は、「IbarakiChibaTravelSeries」のタグで、記事一覧をご参照頂く事も可能ですので、是非ご活用いただき、皆様の「茨城・千葉を巡る歴史旅 」に貢献できればと思っている次第です!
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