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【はじめに】
こちらのページでは、「『旧国宝24城』をまとめ、国宝5天守・現存12天守・現存4御殿も含めた『マトリックス一覧』にまとめさせて頂き、ぞれぞれのお城の現在の位置づけを俯瞰し考察」を加えさせて頂く「前編:一覧編」の内容になります(「後編:それぞれのお城編」はこちらのリンクよりご参照ください)。
そもそもですが、皆様は「旧国宝24城」なるワードを聞いた事はございますでしょうか? 若干「個人的にネーミングした感」がありますが、日本には多くの2万とも、3万とも言われる城郭があったと言われ、その中から「戦前に旧国宝として指定された(天守ではないケースも含みますが…)城郭が 24 あった」と言われているようです。現在良く言われるお城の切り口として、日本100名城や続日本100名城、国宝5天守、現存12天守、現存4御殿、三名城、三大山城、三大湖城、三大水城(海城)、三大連立式平山城、三大平山城、三大平城と言った切口に加えて、旧国宝24城(個人的なネーミングかもしれませんが…)・五大山城 / 五大山岳城と言った様な、お城のカテゴリ分けが存在する認識ですが、その中で「旧国宝24城」は、戦前の日本において「主役のお城 “だった”」と言ってよいと思います(現在のお城の主役は『国宝5天守、現存12天守』に数えられるお城だと思っていますが…)。












こちらのページでは、そんな『戦前の日本において「主役のお城だった『旧国宝24城』」を中心に記載いたします。すなわち、「『旧国宝24城』をまとめ、国宝5天守・現存12天守・現存4御殿も含めた『マトリックス一覧』にまとめさせて頂き、ぞれぞれのお城の現在の位置づけを俯瞰し考察」を加えさせて頂く「前編:一覧編」の内容になります(「後編:それぞれのお城編」はこちらのリンクよりご参照ください)。
【『旧国宝』とは?】
まずは、そもそも「旧国宝とは?」と言った切り口で、『「旧国宝」と現在の「国宝」の関連』を抑えさせて頂こうと思います。Wikipedia を調べてみますと、以下の様にあります。
(略) 「国宝」という語の指す意味は文化財保護法施行(1950年)以前と以後とでは異なっている。文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財(美術工芸品および建造物)はすべて「国宝」と称されていた。
(略) 法令上、「国宝」の語が初めて使用されたのは1897年(明治30年)の古社寺保存法制定時である。同法の規定に基づき、同年12月28日付けで初の国宝指定が行われた。その後1929年(昭和4年)には古社寺保存法に代わって国宝保存法が制定され、同法は文化財保護法が施行される1950年(昭和25年)まで存続した。古社寺保存法および国宝保存法の下で指定された「国宝」は1950年時点で宝物類(美術工芸品)5,824件、建造物1,059件に及んだ。これらの指定物件(いわゆる「旧国宝」)は文化財保護法施行の日である同年8月29日付けをもってすべて「重要文化財」に指定されたものと見なされ、その「重要文化財」の中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものがあらためて「国宝」に指定されることとなった
(略) 「旧国宝」「新国宝」「重要文化財」の関係が錯綜しているため、「第二次世界大戦以前には国宝だったものが、戦後は重要文化財に格下げされた」と誤って理解されることが多い。旧法(古社寺保存法、国宝保存法)における「国宝」(旧国宝)と新法(文化財保護法)における「重要文化財」は国が指定した有形文化財という点で同等のものであり、「格下げ」されたのではない。また、文化財保護法によって国宝(新国宝)に指定された物件のうち、重要文化財に「格下げ」された例は1件もない (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/国宝
つまり、、、
「国宝」という語の指す意味は、文化財保護法施行(1950年)以前と以後とでは異なり、旧法では『「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財はすべて「国宝」』と称されていた様で、いわゆる「旧国宝」で指定された物件は、文化財保護法施行の日である1950年8月29日付けをもってすべて「重要文化財」に指定され、その「重要文化財」の中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものが、「あらためて『国宝』に指定」されたという事で、1950年以降の新法における「重要文化財」は、「国が指定した有形文化財という点で、旧国宝で指定した物件と同等の価値」であり、「格下げ」されたのではない
と理解させて頂いた次第です。
確かに、別記事記載の「高知城」にお邪魔した際「国宝高知城」の石柱があった為「高知城って、現存12天守、現存4御殿のお城ではあるが『国宝』の指定は受けていないはずだけど何故?」と思った事があり、上記を調べ「『旧国宝』に指定された際に作った石柱ね!」と納得した記憶があります。でも同時に、当事者からすれば、『頭では理解できるけど、「旧国宝」に指定されていたのであれば、「重要文化財」ではなく「国宝」にしてしてほしかった…、「国宝」の方が響き良いし…』と思ってしまうのは「人情」だとも思ってしまった次第です。
【「旧国宝24城」のマトリックス一覧】
上記、「旧国宝」・「国宝」・「重要文化財」の概要を抑えさせて頂きましたので、これを城郭に当てはめ、「何処のお城が旧国宝だったのか?」と言った切口で記載させて頂きます。
・国宝5天守・現存12天守・現存4御殿も含めた「旧国宝24城」のマトリックス一覧
上記にも記載いたしましたが、現在のお城の主役たちは「国宝5天守」・「現存12天守」・「現存4御殿」のお城ではないかと勝手ながら思っています。勿論、それぞれの城郭には、「それぞれの特徴」があり、「刻んできた歴史」も「築城におけるポリシー」も、そして「込められた思い」も違うと思い、どのお城に参らせて頂いても「楽しい大人散策」を遂行する事が出来ます。同時に、江戸期から存在し続ける「現存12天守(国宝5天守含む)」・「現存4御殿」は「確かに別格」とも思う次第でもあります。
しかし日本には、2万とも3万とも言われる城郭が存在していたと言われ、その中でも現在は、「現存12天守(国宝5天守含む)」・「現存4御殿」が江戸期から残る遺構と認識しますが、戦前は24のお城が、(天守が無いケースも含みますが)「国宝(=旧国宝)」に指定されていた事も事実です。では、「何処のお城が旧国宝だったのか?」を『「現存12天守(国宝5天守含む)」・「現存4御殿」併せた一覧表』にしますと以下の様になります。
如何でしょうか? 以下にも記載しますが、『仙台城は大手門・脇櫓(隅櫓)等』・『金沢城は石川門等』・『二条城は二の丸御殿(現在も国宝)』・『高松城は月見櫓・水手御門等』・『熊本城は宇都櫓等』が「旧国宝に指定」されていた為、「現存天守の(旧)国宝指定ではありません」が、「もし旧国宝に指定された天守が、戦争等で焼失せず残っていた」とすれば、『「現存12天守」+「松前城(火災で焼失)」+「名古屋城(戦争で焼失)」+「和歌山城(戦争で焼失)」+「岡山城(戦争で焼失)」+「福山城(戦争で焼失)」+「広島城(原爆で大破)」+「大垣城(戦争で焼失)」』となり、「そもそも天守構造が無いと言われる「首里城」を「正殿=天守」の前提」に立てば『現存20天守』であった事になり(首里城を含まないとしても『現存19天守』)、更に『「熊本城」が、西南戦争で天守が焼失しなかった』のであれば『現存21天守』であったかもしれないという事になる上、「旧国宝」に指定はされていなかったようで、正式には「天守ではなかった」が、弘前城・丸亀城の様に「天守代用の櫓=実質的な天守」が戦争で焼失してしまった「水戸城」を加えるのであれれば『現存22天守』であったという事になります…。ちなみに、Wikipedia には以下の記載があります。
略略) 第二次大戦期の現存建築の損失
1930年および翌年の1931年、国宝保存法で城郭建築200棟が国宝に指定。現存天守は指定を受けなかった彦根城天守を含めて19棟を数えた。しかし、日本陸軍の駐屯地となっていた城跡や城下町から発展した各都市は太平洋戦争末期、アメリカ軍の空襲の目標とされた。1945年には、爆撃や広島市への原子爆弾投下により、名古屋城、岡山城、和歌山城、広島城、福山城、大垣城の天守6棟を含めて1930年以降に国宝(現行の文化財保護法の国の重要文化財に相当)に指定されていた現存建築60棟ほどが損失した。戦後、空襲などを免れた城郭建築の内、1949年に松山城の筒井門とその周囲の建物3棟が焼失。同じ年に松前城では町役場の火災から延焼して天守を焼失した (略)
歴史に「タラレバ…」はありませんし、上記かなり希望的観測を含みましたが、「貴重な城郭遺構が、戦争等の「人災」でなくなってしまった事は返すがえす残念」に思い、「現存12天守・現存4御殿を含む『現存する城郭遺構』は、今後も守っていかなければいけない!」と強く思ってしまった次第です(私には何もできませんが…)。
【最後に:少しだけ考察も…】
以上が、「『旧国宝24城』をまとめ、国宝5天守・現存12天守・現存4御殿も含めた『マトリックス一覧』にまとめさせて頂き、ぞれぞれのお城の現在の位置づけを俯瞰し考察」を加えさせて頂いた「前編:一覧編」の内容になります(「後編:それぞれのお城編」はこちらのリンクよりご参照ください)。
個人的なネーミングですが、「(天守ではないケースも含まれますが)旧国宝に指定された24城」=「旧国宝24城」と「プラスα で触れておきたいお城 (彦根城・水戸城)」に付き記載させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 「後編:それぞれのお城編」にて、「旧国宝24城」のそれぞれのお城に付き、今少し深堀をしていますが、個人的には、「もし西南戦争や太平洋戦争が無く、火災も無かったら、現在の『現存12天守』ではなく『現存19天守』の可能性もあったし、更に考え方次第では『現存22天守』の可能性もあったので残念で仕方ない…」と思ってしまった次第です。歴史に「タラレバ」は無いので、どうにもできませんが「『現存22天守』巡ってみたかったなー」と…。そしてもう2つ…、『「大垣城だけが続日本100名城である事」・「彦根城が旧国宝に指定されていなかった事」はどうしても腑に落ちない』と思ってしまった次第です…。
旧国宝24城プラスα
尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城、国宝5天守、現存12天守、現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城・彦根城・松本城・松江城・川越城・二条城・熊本城・高知城・掛川城・小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。