【はじめに:「高松」にある「松平氏」による「松の庭園=栗林公園」】
こちらのページでは、「香川県高松市の『日本三名園にも勝る』とも言われた『松が魅力の “栗林公園” に付き、その概要と大人散策情報の共有」をさせて頂きます。
参考:
別記事にて、「3度目?となる『栗林公園』の大人散策」を実行し、「栗林公園の Key となる見所」を、多くの写真と共に紹介して折りますので、併せてご参照ください!
別記事で、高松城をご紹介していますが、そこで「高松城の松の手入れが素適で、品格を感じる」と記載しましたが、栗林公園も同様に「松が非常によく手入れされており、美しく気品を感じる」までは同じですが、「栗林公園はその規模感が違います!」。違いすぎます…。さすが、国の特別名勝で、別記事で「日本三名園」についても、それぞれの「加賀・前田氏の兼六園」・「備前岡山・池田氏の岡山後楽園」・「徳川御三家・水戸徳川氏の偕楽園」と併せ記載いたしましたが、一説には「栗林公園は、日本三名園よりも優れた庭園」とも言われているようです。私自身、書籍で「栗林庭園のすごさ」を感じてはいましたが、実際に訪問させて頂くと、「その広さと、手入れされた松の美しさを目の当たりにし、『確かに日本三名園に負けていない!』」と実感した次第です。



本日は、そんな香川県高松市にある「栗林公園」をご紹介します。すなわち、「香川県高松市の『日本三名園にも勝る』とも言われた『松が魅力の “栗林公園” に付き、その概要と大人散策情報の共有」をさせて頂きます。
【栗林公園の概要】
まずは、「栗林公園の概要」から抑えさせて頂きます。Wikipedia を調べてみますと、以下の様にあります。
栗林公園(りつりんこうえん)は、香川県高松市に所在する江戸時代初期に築庭された回遊式大名庭園(日本庭園)。1875年(明治8年)に県立公園として一般公開を開始し、1953年(昭和28年)に国の特別名勝に指定された都市公園法上の歴史公園である。
概要
紫雲山の東麓に所在し、紫雲山を背景に、6つの池と13の築山を配し、400年近い歴史を有する大名庭園である。すぐれた地割と石組を有し、木石の雅趣に富んでいるとされている。面積は約75haで文化財庭園では、国内最大の広さである。
文化財庭園としてのカエデ・ツツジ・約1000本の手入れマツなどに加え、都市公園としてのウメ・サクラ・ハス・ショウブ・ハギなどが創出する四季折々の景観は、「一歩一景」とされている。
本園は、南庭と北庭で構成される。南庭は江戸時代初期の大名庭園の姿を今日に伝える。北庭は檜御殿が建ち鴨場であったが、大正時代初期に近代庭園のスタイルを取り入れた宮内省の市川之雄の設計で改修の後、一部を改変して今日に至る。本園の前身の「栗林荘」は、高松藩主の松平家11代の国もとの下屋敷として、228年間使用された。1745年(延享2年)第5代藩主頼恭が「名所60景」を撰名し、作庭が完成したとされる。「名所60景」は、南庭に46景と北庭に4景の、50景が現存する (略)
大名庭園としての本格的な整備は、生駒氏の改易後の、高松藩初代藩主の松平頼重の入部以降とされている (略)栗林公園 飛来峰からの眺望 栗林公園 鶴亀松 Wikipediaより 歴史
江戸時代の1600年代初め、生駒氏の家臣であった佐藤道益の居宅の作庭が本園の始まりとされている。この頃の香東川は紫雲山を挟んで東西二筋の流れであったが、生駒氏の姻戚の藤堂氏(津藩主)のもとから派遣された西嶋八兵衛の治水工事で東側の流れが堰き止められ、西側の流れ一本に改変された。川の跡地は豊富な伏流水を持つ広い土地になり、庭園となる条件が整った。この時代に生駒氏の家臣の屋敷地から、後の庭園につながる整備がされたとされている。生駒氏は改易により出羽国由利郡矢島へ移付となる。1642年(寛永19年)5月、初めて入国した高松藩初代藩主の松平頼重は、7月に栗林の地を訪れ検分する。頼重は隠居に当たって栗林荘に御殿を建て居住する。第2代藩主頼常は、飢饉対策の救済事業として、被害に遭った人々を栗林荘の作庭に雇い、庭園を拡張した。この頃、南庭・北庭を備えた庭園となる。第3代藩主頼豊は、在国時は居所を高松城から栗林荘にするほど愛好し、庭内の整備を一層すすめた。第5代藩主頼恭も薬園を設ける等作庭に力を入れ、1745年(延享2年)に「名所60景」を撰名した。栗林荘の完成を区切るとすれば、現在に通じる景観が形成された、頼重着任後約100年のこの時代である。その後、高松藩松平家の国もとの下屋敷として幕末まで経営された。
明治維新を経たのち、1871年(明治4年)廃藩置県により「栗林荘」の敷地は官収された。その後県に払い下げられ、大名の占有であった「栗林荘」は1875年(明治8年)3月、「栗林公園」として開園され、一般に開放された (略)栗林公園 小普陀の石組 栗林公園 西湖 栗林公園 南湖 Wikipediaより 栗林公園と日本三名園
大名庭園である水戸の偕楽園・金沢の兼六園・岡山の後楽園は日本三名園として名高い。しかし1910年(明治43年)に文部省が発行した『高等小学読本 巻一』の第六課「公園」の末文には、「・・・我ガ国ニテ風致ノ美ヲ以テ世ニ聞エタルハ、水戸ノ偕楽園、金沢ノ兼六園、岡山ノ後楽園ニシテ、之ヲ日本ノ三公園ト称ス。然レドモ高松ノ栗林公園ハ木石ノ雅趣却ツテ批ノ三公園ニ優レリ」と記述され、栗林公園の「木石の庭の美しさは日本三名園より優れている」という (略)
高松城から 2Km程南にある「栗林公園」。上記引用によると「元々は、生駒氏の家臣が、作庭を開始したのが始まり」と言われているそうで、その後「高松藩の初代藩主になった、松平頼重が隠居所を構え(1600年代の中頃らしい)、数代にわたって作庭を継続し、1700年代の中頃に現在に近い形になった大名庭園」と理解した次第です。故に「作庭を開始し、100年以上かけて作ってきた大名庭園(日本庭園)」と言う事なので、それはすごい歴史を踏まえた庭園である事、認識できると思いますよね。また、「日本三名園(加賀・前田氏の兼六園・備前岡山・池田氏の岡山後楽園・徳川御三家・水戸徳川氏の偕楽園)よりも『栗林公園の「木石の庭の美しさは日本三名園より優れている」』と言った内容の記載もあり、「どれだけ素敵な大名庭園(日本庭園)なんだ?」と混乱してしまうのでないかと思った次第です…。
当たり前ですが、初訪問までは写真等でしか見たことのなかった「栗林公園」。庭園好きの私にとって、「栗林公園」に脚を運ぶのは、ホントに悲願とも言えるもので、以下の写真の様な入口(東門(切手御門))・全体位図なのですが、「入る前からワクワクし、同時に、その入口で感じる庭園の規模の大きさを感じずにはいられない『落ち着きのない子供』状態」で、栗林公園における大人散策を開始させて頂いた事、よく記憶して折ります。


ちなみに、最下部の地図中の「栗林公園」は「ゴールドの★印」をご参照頂ければと思って折ります。「高松空港」 ⇒ バス移動で「栗林公園前」 ⇒ 「東門(切手御門)」から「栗林公園」に入って「ゴールドの★印」に沿って大人散策 ⇒ 「北門(嶰ノ口御門)」から出て「栗林公園北口駅」と行けば、スムーズに大人散策を遂行できると思います!
【栗林公園の楽しみ方①:随所に見られる「様々な形をした松」を楽しむ】
「栗林公園における大人散策」を開始し、まず思った(感じた)ことは「松が本当に美しい」と言う事。何かの本で読んで「高松にある、松平氏の庭園なので、松が売り」なんて知識は持っており(私の中で「松の庭園は栗林公園」、「芝の庭は水前寺成趣庭園」と言ったイメージが出来上がっています…)、前日に高松城にお伺いし、綺麗に手入れのされた松を拝見していたので、「美しい松」を期待していたのもありますが、「数えきれない松の木々が、この規模感で、これだけの手入れがされている庭園は、見たことない!」と言うのが、第一印象だった次第です。
最上部の写真(自身でつなぎ合わせましたので、細部が若干おかしい事ご容赦ください)や、以下の写真を見て頂けると、皆様も納得していただけると思いますが『「全体的な景観」は勿論ですが、「1本1本の松」を見ると “どれもすごい!” と感じ入ってしまうと思います。「90度に幹が曲がった松」や「池に枝が付きだした松」等、「なんだこの松は!」と思わず口走ってしまうような松もあります。でもこれは「ホントに大事にされ、世代を超えて手入れされ続けてきた歴史の痕跡」とも思う次第で、「『美しい松の1本1本』を『感動に近い感情』を持ちつつ拝見し、そして、それらの『1本1本の松』を大事に手入れされ続けてきたからこそ、『この統一された全体の景観』が生まれるんだな…」と思いつつ園内を巡るのは、正に大人散策! つまり、「やはり栗林公園に脚を運んだ際は『松を楽しむ!』」が、「栗林公園を楽しむ第一義のポイント!」だと思った次第です。
栗林公園の見事な松の数々
【栗林公園の楽しみ方②:栗林公園の魅力は 松だけではない!「こだわり」と「手入れ」が品格を作り出している事を感じ楽しむ】
若干興奮気味に開始した「栗林公園における大人散策」ですが、しばらく散策を続けていると、少しづつ心も落ち着き「橋」や「池」、「建物」に目が行き始めました。そんな中、まず目についたのは下記写真の建物で、「鞠月亭(きくげつてい)」と言うらしいです。中でお茶を頂戴でき、休憩できるようになっている様で、立派な建物です。後で調べてみたのですが「江戸時代に建てられたらしく、保全修理を繰り返し、現在に至っている」との事です。それだけ歴史があり、大切にされてきた建物なら、気品があって当然と言う事でしょうか?
また、その横に目を向けると、普通の松の形では考えられない「大きな松」があります。この松は、「五葉松」と言うようで、「徳川家11代将軍・家斉より、参勤交代の際に当時に高松藩藩主がもらった “盆栽” が成長したもの」らしく、「樹齢200年を超える松」との事で、「歴史ある建造物」と「歴史ある松」をセットで拝見でき、そのコラボは中々の光景です!



そして、その「五葉松」を見ながら「すごいもんだなー」と思いつつ、視線を池に向けると、池の真ん中に「セットで配置されたいくつかの石(岩?)」が頭を出しています(以下の写真は、池の反対側から撮影した写真で、奥に「鞠月亭」と将軍家斉からの「五葉松」が見えます)。この「石(岩?)」は、4つセットの様で「仙磯(せんぎ)」と言うらしく「仙人の住む蓬莱島をイメージ」しているとの事の様です。「松のすごさ」に気を取られ、最初は気づかなかった為、「鞠月亭」と「五葉松」も含めて写真に収めるべく、改めて反対岸に行き撮影した写真が以下の写真になるのですが、反対岸からその景色を拝見し思った事は、「この庭園 “松” だけでは、ないな…」という事でした…。



この「栗林公園の主役」は「勿論 “松”」だと思い、「どうしても “松” に目が行ってしまいます」が、よくよくこの大名庭園見ていくと、上記の「仙磯」や『南湖にかけられた「偃月橋(えんげつきょう)」』など、細部に “こだわり” が見えてきます。言い換えると、『「牡丹石」等の面白く個性的な石』や『「小普陀」等の石組』、『自然を生かしたと思われる「桶樋滝(滝)」と「石壁(赤壁)」コラボ』、「整備された「石畳」の園路」等々、本当にスキのない庭園と思えてきたという事です。「これだけの規模感」で、「これだけの本数の松」があり、「これだけ大きな池が複数」ありますので、「そのスケール感」に圧倒されてしまいますが、同時に(もしかしたらそれ以上に)、「”こだわり” と ”手入れ”」が、この庭園の「”気品” と “品格” を最大限に保っている源泉」ではないかと想像してしまった次第です。400年程の歴史を持つと言われる「栗林公園」ですが、現在、その景観を楽しむ事が出来るのは「『何世代にも渡って、手入れされ続けてきた証』と認識でき、それを理解しつつ、この大名庭園を楽しむ事こそ『大人散策!』」と改めて思ってしまいましたが、皆様はどの様に思われますでしょうか?
【最後に】
以上が、「香川県高松市の『日本三名園にも勝る』とも言われた『松が魅力の “栗林公園” に付き、その概要と大人散策情報の共有」をさせて頂いた内容になります。
「栗林公園」は、元々好きな庭園の1つであったのですが、実際にお邪魔して、本当に気に入ってしまいました…。まだ四国地方は、丸亀城・宇和島城・伊予松山城と言った、現存天守にもお邪魔していないので、これらのお城にお邪魔する際は、栗林公園に改めて参りたいと思った次第です(四国のもう一つの現存天守・高知城は、別記事で紹介中です)。是非皆様も「高松にある、松平氏の庭園で、松が売りの栗林公園」に脚を運んで見はいかがでしょうか? (ちなみに、最下部の地図中の「栗林公園」は「ゴールドの★印」をご参照頂ければと思って折ります。「高松空港」 ⇒ バス移動で「栗林公園前」 ⇒ 「東門(切手御門)」から「栗林公園」に入って「ゴールドの★印」に沿って大人散策 ⇒ 「北門(嶰ノ口御門)」から出て「栗林公園北口駅」と行けば、スムーズに大人散策を遂行できると思います!)
尚、栗林公園、高松城、丸亀城(丸亀市内・金刀比羅宮若干含む)等、それぞれの大人散策情報を別記事で紹介しており、最下部の地図は併せてポイントアウトして折ります。それぞれの記事と併せてご参照頂けますと幸いです。
参考:
別記事にて、「3度目?となる『栗林公園』の大人散策」を実行し、「栗林公園の Key となる見所」を、多くの写真と共に紹介して折りますので、併せてご参照ください!
栗林公園の様子




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