【はじめに:歴史に思いをはせる街、会津若松】
こちらのページでは、「実際に行ってみたからこそ解った “その地域に生きた方々の歴史” を感じ、”落ち着いた大人の心持” で “その歴史” に思いを馳せる事が出来る『会津若松』の大人散策情報」を共有致します。
本ブログの別記事で、大内宿は詳記させて頂きましたが、「会津若松の観光」は、何処に行くべきだと思いますか? やはり、『別記事で記載しました「鶴ヶ城」には、勿論脚を運ぶべき』だと思いますが、それ以外の観光は何処に行けばよいと思いますか? 今回は、私達夫婦が、会津若松の地で、実際にいくつか訪問し「こちらには脚を運んで頂きたいな…」と思えたスポットを3つご紹介します。






初めての「会津若松」と言う事もあり、当初何処に脚を運んでよいか、少々見えていませんでしたが、歴史好きの私達夫婦ですから、「歴史」をKey Ward に設定し、チョイスさせて頂いたスポットになります。どちらも魅力的なスポットで、『「歴史好きな大人」の人に、是非訪れて頂きたいスポット』だと思った次第です。



ただ、先に申し上げたいのは、「観光地で思いっきり遊ぶ!」というよりも、「それぞれの地で、その歴史を感じ思いを馳せる…」と言った「大人の感覚」が「この地の観光する上で必要」だと思ったという事。その前提で記載させて頂きます事ご了承頂けますと幸いです…。すなわち、「実際に行ってみたからこそ解った “その地域に生きた方々の歴史” を感じ、”落ち着いた大人の心持” で “その歴史” に思いを馳せる事が出来る『会津若松』の大人散策情報」を共有致します。
① 会津松平氏庭園(=御薬園)
まずは「御薬園」。「会津の松平氏の庭園」だったそうで、「国の名勝」に指定されているようです。会津若松観光ビューローのページ(http://www.tsurugajo.com/oyakuen/index.htm)によると「蘆名氏が別荘をこの地に建てたことが始まり」との事の様です。蘆名氏の統治は、鶴ヶ城の記事でも触れさせていただきましたが、1384年から1589年とありますので「ザッと600年前からこの地にあった庭園が『御薬園』」と言う理解をしてしても良いかもと思った次第です(当初は「御薬園」ではなかったとは思いますが…)。つまり、「ものすごい歴史のある庭園」と言う理解で、そればかりか、松平(保科)氏の統治になってから、この地で「領民を病気から救うために『薬草園』を作ったり『朝鮮人参の栽培』をしたりした」事でも有名らしく、それ故、「『松平氏の庭園』ですが『御薬園』」という事だと理解をした次第です。言い換えると、「会津松平氏が、『この地に生きた領民の事を思いつつ改修した庭園』と想像した次第で、『この地の歴史を感じ、思いを馳せる事が出来る庭園』だと思った」次第です。
御薬園の様子①
また折角ですので、Wikipedia の力も借り調べてみますと、以下の様にあります。
御薬園(おやくえん)は、福島県会津若松市にある日本庭園である。会津松平氏庭園(あいづまつだいらしていえん)として国の名勝に指定されている。
歴史
御薬園の起こりは、室町時代に霊泉の湧きだしたこの地に、永享4年(1432年)、蘆名盛久が別荘を建てたのがはじまりといわれている。その後の江戸時代の寛文10年(1670年)、会津藩2代藩主保科正経が領民を疫病から救うために園内に薬草園を作り、3代藩主松平正容が貞享年間に朝鮮人参を試植し、その栽培を民間に広く奨励したことから、それが名前の由来となっている。現在の庭園は、元禄9年(1696年)、松平正容が園匠の目黒浄定を招き、小堀遠州の流れをくんだ本格的な大名型山水庭園に大改造したもの。園内の楽寿亭や御茶屋御殿の建物は、戊辰戦争時に新政府軍の傷病者の診療所とされたため、戦火を免れた。昭和7年(1932年)10月19日に、江戸時代の代表的な大名型山水庭園として優秀なものとして国の名勝に指定された。昭和54年(1979年)6月25日には旧薬園跡、池水取入口などが追加指定された (略)
「大名型山水庭園」とありますので「≒ 大名庭園」と理解した次第ですが、「一般的にイメージする『大名庭園』」と言った感じではなく、規模は、さほど大きくありませんで、イメージ的には、東京の「芝離宮恩賜庭園」(浜離宮ではなく、浜松町駅の近くの方のい庭園…)や「旧古河庭園」・「清澄庭園」を一回り小さくした印象を受けました。しかし、庭園その物は「情緒があり素朴」で非常に良い印象を持った次第で、池の周りをゆったりと散策すると、庭園好きの大人には、これと無い至福の時間になると思います。
「戊辰戦争の際には、『新政府軍の診療所』して使われたが為に戦火を免れることが出来た」との事の様です。戊辰戦争その物は、悲しい日本歴史だと思いますが、それを感じつつ、今この時代に、素朴な庭園を鑑賞する事が出来る庭園が『会津松平氏庭園(=御薬園)』と理解しますので、皆さんも、その歴史に思いを馳せつつ、心静かに鑑賞なさってみてはいかがかと思います(戊辰戦争の終結地、函館五稜郭も別記事で紹介しています)。
御薬園の様子②
尚本ブログでは、東京旧古河庭園、東京椿山荘、神戸相楽園、京都無鄰菴、高松栗林公園、熊本水前寺成就園、山梨恵林寺庭園、甲府常磐ホテルの庭園、平泉毛越寺庭園、名古屋徳川園、二条城二の丸庭園、川越喜多院の紅葉山庭園/中院の庭園、熱海の起雲閣、旧芝離宮恩賜庭園、小石川後楽園、清澄庭園、浜離宮、六義園、新宿御苑、日本三名園:金沢兼六園・岡山後楽園・偕楽園等、全国各地の庭園も紹介しており、「日本庭園のカテゴリ分け(庭園分類)」に関しても記載しております(更新中あり)ので、下記一覧表をご活用いただき、ご参照頂けますと幸いです。
② 白虎隊記念館
ご承知の事と存じますが「白虎隊は、戊辰戦争の際に組織された、少年兵の部隊」と理解して折ります。様々な理解がある様ですが、「15~17歳位の若者が、戦に参戦したが、劣勢をいかんともすることはできず『飯盛山に撤退』し、その際に城が燃えているのを見て『落城したと誤認』し、自決に及んだ…」と理解していますが、Wikipedidaによると、以下の様にあります。
(略) 一般に白虎隊は若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にし落城したと誤認して(実際に燃えていたのは城下町である)悲観したとされているが、飯沼が生前に伝え残した手記『白虎隊顛末略記』(飯沼からの聞き書きに飯沼本人が朱を入れたもの)によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ激論を交わし、いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したという (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/白虎隊
恐らく、このWikipedia の内容が、正しい内容だと思いますが、いずれが事実であっても、この悲劇は「『少年兵の自決…』と言う『戦争の悲惨さ』を後世に語り継ぐべきエピソード」だと思う次第です。そんな事を考えると、少々心が痛くなってしまい、その墓所(「白虎隊十九士の御廟所」)では手を合わせつつも、写真撮影する事をためらってしまった次第です(他の古戦場も、戦の悲しみが詰まった地である事に変わりなく、基本同様なのでしょうが、「少年兵が…」と思うと、この地は特別に思えてしまい、そして心が痛くなってしまい、周囲にいらした一部の観光客の中には、普通の観光地と同じように、ワーワー騒ぎながら記念撮影の様な感じで写真を撮っている姿を見ると「ちょっと写真は控えようかな…」と思ってしまった次第です…)。
また、近くの「白虎隊記念館」は、正直、記念館その物は「観光地としての価値よりも、上記の悲劇を語り継ぐべき役割を持った歴史的施設」であると言う認識を致しました。是非、皆さまも脚を運ばれる際は「大人の理解と振る舞い」を前提に、その歴史に思いを馳せつつ、観光頂くべきではないかと思う次第です(戊辰戦争の終結地、函館五稜郭も別記事で紹介しています)。



③ 武家屋敷
以下の写真に、詳細ありますが、「会津武家屋敷は、会津藩家老西郷頼母邸を中心に、藩米精米所、代官陣屋等の見学ができる、野外博物館」だそうです。また、Wikipedia も調べてみますと以下の様にありました。
会津武家屋敷(あいづぶけやしき)は、福島県会津若松市東山町石山にある、歴史をテーマとする野外博物館。会津藩の家老であった西郷頼母の邸宅を中心に、復元または移築された歴史的建造物が建ち並ぶ。運営主体は株式会社素対館(そついかん)。
歴史
1975年(昭和50年)に、会津の武士道精神を後世に伝えるべく、西郷頼母邸などを復元し開場した。 (略) 翌1976年(昭和51年)5月4日には、園内に移築された旧中畑陣屋主屋が福島県の重要文化財(建造物)に指定された。その後、会津武家屋敷は観光バスが必ず立ち寄るような定番の観光スポットとして定着した (略)
実際に拝見させて頂いて思ったのは、上記引用の「会津の武士道精神を後世に伝えるべく、西郷頼母邸などを復元し開場した」の通りで、確かに『どの建造物も「かなり立派な建物」ですが、間取りを見ても、装飾を見てもあまり無駄がなく、「質素にすら感じる」部分もある建物』が多い印象で、その中でも主役は「西郷頼母邸(大藩の家老宅にしては、強いそな印象でした…)」と理解した次第です。敷地はそれなりの広さで、見ごたえ十分ですが、こちらの施設を拝見する上で期待すべきものは「当時の人たちの暮らしを理解する事」だと感じました。つまり、「決して、豪華絢爛とは言えない印象ですが、この地域の昔の人たちの息遣いを感じる事が出来る施設」だと思いますので、皆さんも脚を運び、当時の家老の暮らし向き、この地域の歴史を感じてみては、いかがでしょうか?
武家屋敷の様子
【最後に】
以上が、「実際に行ってみたからこそ解った “その地域に生きた方々の歴史” を感じ、”落ち着いた大人の心持” で “その歴史” に思いを馳せる事が出来る『会津若松』の大人散策情報」を共有させて頂いた内容になります。
それぞれご紹介しましたが、どれも「一般の観光地のイメージで行くと言うより、「この地域の歴史を感じ、理解し、思いを馳せる事を楽しむ施設」だと思った次第です。ワーワー騒ぐのでなく、落ち着いた大人の心持で、そこに生きた方々の歴史に思いをはせる旅も良いものです。是非皆さんも、そんな休日を過ごしてはいかがでしょう?

以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!