【はじめに:三大東照宮とは?】
こちらのページでは、「三大東照宮と言われる『日光東照宮』・『久能山東照宮』 ・『+ one』 につきその概要と考察を共有」をさせて頂こうと思います。
東照宮と言えば、「江戸幕府初代将軍・徳川家康を『東照大権現』として祭る神社」として有名で、全国各地にある様ですが、東照宮その物の数は、全国に “約130社” と言った感じの様です。言い換えると、大勢力とは言えないかもしれませんが、有名な神社である事は間違いない認識です。東照宮につき調べてみますと、Wikipediaには以下の様にあります(続けて以下にポイントをまとめています(=引用読まなくても大丈夫です))。
(略) 元和2年(1616年)4月17日、家康は駿府城で薨去。柩は久能山に運ばれ、遺言に従って江戸幕府は同年12月に久能山に東照社(現久能山東照宮)を創建した。これに伴い朝廷は翌元和3年(1617年)2月21日、神社としての東照社に「東照大権現」の神号を宣下するとともに正一位を贈位、さらに神格化された家康本人に対しても同年3月9日正一位を贈位している。幕府は日光にも建設を進め、家康薨去の一周忌にあたる同年4月17日に遷座祭を挙行、ここに二つの東照大権現が並び立つことになった。
しかしその後も各地の徳川・松平一門の大名家が独自の東照社を望み、また三代将軍徳川家光が諸大名に造営を勧めたこともあって、譜代大名や徳川家と縁戚関係がある外様大名が競って東照社を建て、全国で500社を超える東照宮が造られた(廃絶されたものを含めると約700社が確認されている) (略)しかし、明治維新以後の廃仏毀釈と相まって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社となっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/東照宮
これらの東照宮のうち、本宮の日光東照宮、御遺体を祀る久能山東照宮に、自社を加えて「日本三大東照宮」と称す東照宮は多いが、規模・華麗さで劣る南禅寺塔頭金地院東照宮が幕府の正史に遺言が残り家康の遺髪及び持念佛を祀っている (略)
また、同じWikipedia の「東照宮」の項目を読み進めると「東照宮一覧」の段落があり、約130社ほど現在あるとの事ですが、その内の約50の東照宮につき記載があります。その情報をベースに一覧表にまとめたものが、以下になります。
つまり、まとめて理解しますと、以下の様になります。
- 1616年に、家康は駿府城で薨去。柩は久能山に運ばれ、江戸幕府は久能山に東照社(現久能山東照宮)を創建
- これに伴い朝廷は、翌1617年、神社としての東照社に「東照大権現」の神号を宣下するとともに正一位を贈位、さらに神格化された家康本人に対しても正一位を贈位
- 幕府は日光にも建設を進め、家康薨去の一周忌にあたる1617年に遷座祭を挙行し、二つの東照大権現(久能山東照宮・日光東照宮)が並び立った
- その後、譜代大名や徳川家と縁戚関係がある外様大名が競って東照宮を建て、全国で500社を超える東照宮が造られた(廃絶されたものを含めると約700社が確認されているらしい…)
- しかし明治維新以後の廃仏毀釈により、廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社程
- これらの東照宮のうち、本宮の日光東照宮、御遺体を祀る久能山東照宮に(どの東照宮も日光と久能山は別格扱い?)、自社を加えて「日本三大東照宮」と称す東照宮は多いらしい…
- 日光東照宮・久能山東照宮は別格として(別格官幣社の意味ではなく…)、世良田東照宮(群馬・太田市)・仙波東照宮(埼玉・川越市)・上野東照宮(東京・台東区)・滝山東照宮(愛知・岡崎市)・鳳来山東照宮(愛知・新城市)・金地院東照宮(京都・左京区)と言ったあたりが、自薦/他薦を問わず、これまでの歴史で「三大東照宮の最後の一角」と言われてきた or 自称してきた様で、芝東照宮の様に「日光・久能山・上野に並ぶ四大東照宮の一つ」と「三大東照宮」ではなく、「四大東照宮」と言うくくりまで自称している東照宮もある
これまでの歴史や昔の社格、更にはそれぞれの東照宮の建造物を拝見するに、「日光東照宮・久能山東照宮は別格」で個人的に良いと思いますが、「三大東照宮」となると、「もう一つの東照宮はどこが適切なのか?」と頭を抱えてしまった次第です…。
【「三大東照宮」はどこの東照宮? それぞれの見所は?】
上記、東照宮の概要を抑えさせて頂きましたので、東照宮の中でも「別格」と思われる「日光東照宮」と「久能山東照宮」の概要と、「三大東照宮の最後の一席は、どの東照宮が適切か?」につき、勝手な考察を加えさせて頂きます。尚、それぞれの東照宮に関しては、別記事で詳細情報を、大人散策情報と併せて記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。
■日光東照宮
本ブログ別記事でも紹介致しました「日光東照宮」。日光二社一寺の一角として有名で(日光二社一寺=日光東照宮・二荒山神社・輪王寺)、世界遺産でもある神社で、別格官幣社でもあり、東照宮の総本宮である神社です。家康のお墓は勿論、3代将軍・家光の霊廟が隣接する輪王寺(大猷院)にあり、更には江戸草創期の徳川幕府のフィクサー?とも言われる天海のお墓もあります。
家光による日光東照宮の建造物は豪華絢爛で、『圧倒的な迫力の「陽明門」』や『見ざる聞かざる言わざるの「三猿」』・『左甚五郎の手によると言われる「眠り猫」』の彫刻と言ったあたりが有名どころだと認識しています。更に少し離れますが、中禅寺湖畔や戦場ヶ原を含むハイキングコースの大人散策も楽しめる上、温泉宿も多くある事から、大人が休日を楽しむ為の環境が整った地域でもあると認識しております。
江戸の地を守る為、天海が構想し、日光の地を選んと言われるこの場所。自然を感じ、歴史を感じ、家康のお墓に手を合わせ、芸術性の高い構造物を楽しみ、温泉に入る事が出来る日光東照宮とこのエリアに、是非脚を運んでみてはいかがでしょうか? (訪問された事がある方は、ご承知の通りだと思いますが)日光は何度行っても楽しめますし!
■久能山東照宮
こちらも本ブログ別記事で紹介致しましたが、上記日光東照宮同様、東照宮の総本宮であり、別格官幣社に名を連ねる神社で、東照宮が築かれる前は、家康自身も「久能城は駿府城の本丸と思う」と重要視していた「山城・久能山城」だっといわれる地に立つ神社が久能山東照宮です。
この場所は、今川氏の時代に、山寺兼城塞として機能していたと言われ、ここに武田信玄が、元々あったお寺を移し(現鉄舟寺)、大改修を行い、久能山城を築城したと言われており、武田の三堅城(あとの2つは、岩櫃城と岩殿城)とも言われたお城(久能山城)であったと認識しております。
武田勝頼が、織田信長の甲州征伐における天目山の戦いで自害し、甲斐武田氏が滅んだの後、徳川家康の統治下となり、大御所となって駿府に移って治めた後、1616年に家康の死去に伴い、御廟所(久能山東照宮)となり家康の遺骸は遺命によって久能山に葬られ、2代将軍秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された歴史を持つ神社で、駿河湾に面した久能山の南斜面に設けられた表参道(1159段の曲がりくねった石段)を登った上に社殿があり、観光地としても有名な日本平に隣接するエリア。この地に脚を運び、周囲の観光も楽しみつつ、今川 ⇒ 武田 ⇒ 徳川の時代の流れと共に、圧倒される建造物を楽しんでみてはいかがでしょうか?
■+ one の東照宮は?
上記、全国にある東照宮の中でも「別格」と思われる「日光東照宮」と「久能山東照宮」につき、記載させて頂きましたが、「三大東照宮」と言う視点で考えた際、「最後の一席を担う東照宮」は、どちらの東照宮だと思いますでしょうか? 個人的には、川越市民である為「川越喜多院に隣接する『仙波東照宮』こそ三大東照宮の最後の一席にふさわしい!」と、地元贔屓の発想から思いたくなってしまいますが…。
上記一覧表にも示した通り、東照宮の世良田東照宮(群馬・太田市)・仙波東照宮(埼玉・川越市)・上野東照宮(東京・台東区)・滝山東照宮(愛知・岡崎市)・鳳来山東照宮(愛知・新城市)・金地院東照宮(京都・左京区)と自薦/他薦等は問わず、多くの東照宮(もしくは私の様な東照宮を抱える地の地元住民?)が「我こそ三大東照宮の最後の一角!」と言いたい雰囲気が漂っていると感じてしまうのは、私だけでしょうか? また、三大東照宮最後の一角は無理だとしても「我こそ、三大東照宮に続く『四大東照宮』の一角・芝東照宮です!」と言っている東照宮もある様ですし…。
そんな環境下で、私が独断と偏見で選ぶ「三大東照宮最後の一席」は「上野東照宮」です。やはり本ブログ別記事でも紹介しましたが、現在上野公園になっているエリアは、元々江戸城の鬼門を守るために3代将軍家光が創建し、天海が住職を務めた寛永寺(徳川将軍家の菩提寺の一つ)の敷地だった認識です(ちなみに江戸城の裏鬼門を守るのは芝東照宮のある増上寺(徳川将軍家の菩提寺に一つ))。
戊辰戦争の一つである上野戦争の舞台となってしまい、多くの建造物が燃えてしまった様ですが、その寛永寺敷地内に建てられた上野東照宮は、本殿・幣殿・拝殿・ 唐門・ 透塀等の江戸初期の構造物が現在でも見る事が出来ます。「徳川幕府のおひざ元にあり、徳川将軍家の菩提寺・寛永寺に隣接し、歴史的構造物を現在でも拝見出来、江戸期の最後を戊辰戦争(上野戦争)を見届けた上野東照宮こそ、三大東照宮の最後の一席にふさわしい」と思うのは、私だけでしょうか? (芝東照宮も徳川幕府のおひざ元にあり、徳川将軍家の菩提寺・増上寺に隣接していますが…)
【最後に】
以上が、「三大東照宮と言われる『日光東照宮』・『久能山東照宮』 ・『+ one = 上野東照宮?』 につきその概要と考察を共有」をさせて頂いた内容になります。
皆様は、どのようにお感じにになられましたでしょうか? 本ブログの「神社の社格」のページでも記載しましたが、今の時代、神社に「別表神社」と言われる “くくり” はあっても、(伊勢神宮を除いて)神社の社格に上も下もなく、信仰心に上も下も無いのは事実だと思います。しかし一方では、昔の社格制度に基づいた「〇〇国一宮」であったり、「官幣大社」であったり、「別格官幣社」といった昔の社格を謡う神社がある事は事実で、お参りする側もその肩書に思わず「おー!」と思いつつお参りしておる事実もあると思います。日本人特有の本音と建前の世界かもしれませんが、「信仰心は信仰心」、それぞれの神社が歩んできた「社格」の歴史は「歴史の事実」として、それぞれ認識し神社仏閣巡りを楽しむことが、大人散策ではないかと改めて思った次第です。
尚本ブログでは、諏訪大社や熱田神宮、大宮氷川神社、川越氷川神社、川越喜多院、日光の二社一寺、久能山東照宮、浅草寺、深大寺、神田明神、大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。