武田神社(躑躅ヶ崎館)・要害山城・甲府城址(舞鶴城)の大人散策情報・サマリ版 (大人散策@甲府とその周辺 & 甲斐武田家・武田信玄シリーズ A)

甲府シリーズ & 甲斐武田家・武田信玄シリーズ

【更新中・準備中】

【はじめに:武田神社と甲府城址(=舞鶴城)の基本情報】

皆さんは、武田神社甲府城址に脚を運んだ事はありますか? そもそも、ご存じでしたか? こちらのページでは、我が故郷の山梨にある、武田神社(=躑躅ヶ崎館)とその詰城・要害山城、並びに甲府城(舞鶴城)址を(サマリ版ですが…)ご紹介したいと存じます

📚本記事で得られる情報📚
武田神社(躑躅ヶ崎館)・要害山城・甲府城址(舞鶴城)」の基本情報
武田神社(躑躅ヶ崎館)・要害山城」と「甲府城址(舞鶴城)」が勘違いされる事とは?

まず、そもそもですが…、

甲府駅の南口を降りると右側に武田信玄の銅像がありますが、武田神社(躑躅ヶ崎館)は、反対の北口を出て、正面の道をひたすら登って行った所(2.5km位)にあります。一方、甲府城(舞鶴城)の城郭は、現在では一部甲府駅に隣接しており(正確には、甲府駅は甲府城の中に作られた)、東京方面から電車で行った際には、左側(南側)に高い石垣と櫓(稲荷櫓)が見えます。

昔、甲府城(舞鶴城)内を大人散策し、天守台まで行って夫婦で甲府の街並みを眺めていると、隣に甲府城に観光でいらっしゃったと思われる親子連れが、以下の様な会話をしていました…。(念の為…、聞き耳をたてていた訳ではなく、「聞こえてしまった…」です…) 

  • 子供(小学校中学年位):すごいいい景色だね! さすが、武田信玄のお城だね! だから駅前に像もあるんだね!
  • 父親:そーだね、でも知ってる? お城を建てた人?
  • 子供:知らない、信玄じゃないの?
  • 父親:信玄のお父さんの信虎って人だよ

隣で聞いていた(正確には聞こえてしまった)私は、思わず「おいおい…」と、突っ込みを入れそうになってしまいました。「それは、躑躅ヶ崎館でしょ!」って。しかし全く知らない人ですし、父親の威厳と言うものもあるでしょうし、大きなお世話でしょうから、何もせずに、景色を眺め続けましたが、更に聞こえてきた話からすると、要害山城の事、信玄堤の事、信玄棒道の事、新府城の事もご存じで、中々歴史に詳しそう。「ただ甲府城躑躅ヶ崎館を混同しているだけだな…」と思ってしまった事があります。「確かに…、甲府と言えば武田信玄、その甲府にあるお城の甲府城は、武田信玄のお城と思ってしまっても仕方ない」と…。

【武田神社は、甲斐武田氏3代の居城・躑躅ヶ崎館(詰城は要害山城)跡に建てられた】

上記の様な事を本記事を記載するにあたり思い出してしまった武田神社(躑躅ヶ崎館)甲府城(舞鶴城)ですが、まずは、武田神社(躑躅ヶ崎館)からご紹介します(詳細は別記事で記載しておりますので、こちらではサマリ版を記載します)。

上記の通り、現在武田神社のある場所は、武田家の居城・躑躅ヶ崎館の跡地になります甲斐武田家の歴史は、400年程と言われ、かなり長い物ですがこの躑躅ヶ崎館(武田神社)に武田家が居を構えたのは、信虎、信玄勝頼の3代のみで、期間にして60年余りとの事です。また、武田時代に天守はなく(天正壬午の乱の後、秀吉小田原征伐が終了するまでの短い期間、家康の統治下にあった時には、天守も築かれたとも言われており、現在非公開エリアであるが、天守台が今も残っているらしい…)、「人は城、人は石垣、人は堀(情は味方、仇は敵なり)」と言ったと言われる信玄らしく「純粋に館であった」と言われていますが、比較的小規模ながらも戦国時代の居城である為か、水堀・空堀・石垣・土塁・石塁・井戸等の実践的な装備も残っており、現在でも往時をうかがい知る事が出来ます

近年では、発掘・復元作業も進んでいるようで、甲府市のWebサイトによると、武田時代の正門である旧大手門(東側)の前には、三日月型の馬出しの跡が確認されたそうです(現在の武田神社の入口である南側の武田通りに続く神橋は、1919年の武田神社創建時に掛けられたらしい)。個人的連想ですが、馬出しと聞いて思い出すのは、大坂冬の陣における真田丸真田家も、武田家の家臣団でしたので、まあ当然と言えば、当然ですが…。

また、施設ですが、社殿は勿論ですが、特にお勧めしたいのは、宝物殿。広くはありませんが、教科書で見たような物(風林火山で有名な孫子の旗等))を見る事が出来ます。

そして、躑躅ヶ崎館とセットで、忘れてならないお城が要害山城躑躅ヶ崎館は、日本100名城に選出されていますが、要害山城は、躑躅ヶ崎館の詰城で、躑躅ヶ崎館の北2.5㎞程の場所にある要害山に作られた山城躑躅ヶ崎館と同じく信虎によって築城されたと伝わるお城で、武田信玄はこの要害山城で生まれたとも言われ、続日本100名城に選出されたお城です。勝頼の最晩年の新府城がありますが、400年続いた甲斐武田家の中で、最も甲斐武田家が栄えた最後の60年の甲斐国の政庁が躑躅ヶ崎館で、その詰城が要害山城といった理解になる次第です。

【石垣が魅力の甲府城(=舞鶴城)】

次に、甲府城(舞鶴城)です(躑躅ヶ崎館同様、甲府城(舞鶴城)の詳細を別記事でも記載しております)、私の高校時代は、立派な石垣はありましたが、あまり話題にのぼる事はありませんでした。言い換えると「甲府城址 < 舞鶴城公園』といったイメージ」です。しかし近年、櫓や堀、門、など各種整備が進んだようで、見栄えもよくなり、改めて石垣を見ると、「確かに立派だな」と認識できるようになってきました

そんな甲府城(舞鶴城)ですが、天守台はあるものの、天守閣は存在しなかったと言われています。甲斐武田家滅亡後(織田信長の甲州征伐)で織田の支配下となるが、その直後の本能寺の変を発端にした、天正壬午の乱を経て、徳川家康の支配下になり(この期間に家康甲府城の築城を開始した可能性もあると言われている)、1590年の小田原合戦による後北条氏の滅亡後は、家康は旧後北条領国の関東へ移封され、豊臣支配下となって甲府城の築城が本格化するが、関ヶ原合戦を経て、再び徳川の支配下となった歴史を持つ甲府城(舞鶴城)甲斐武田家滅亡後、目まぐるしく支配者が変わった為か、天守があったか否かを示す十分な資料も残っていない為「解らない」というのが、正しい回答と認識しております。

地元ではちょっと前に、「天守作っちゃえ」と盛り上がった様ですが、最近はあまり聞きません。個人的には、あの天守台に天守閣のある甲府城(舞鶴城)を是非とも見たいですので、格は違いますが、熊本城の様に、一口城主制度のような仕組みで、作ってほしいと思っています一方、変な物は作ってほしくないので、今少し研究が進むのを待ちたいと思います。しかし、もし「天守は存在しなかった…」と言う結論が出てしまった暁には、現代の天守として建ててしまえばよい!、戦国・江戸期の姿ではないとしても、100年後には、この天守は、『令和の天守?』として重要文化財になるはずだから!」と個人的には思って折ります。言い換えると、それくらい立派な石垣を見る事が出来るのが、甲府城(舞鶴城)と言う事ご理解頂ければと思います。

【最後に:武田信玄と大河ドラマと甲府と…】

今尚、武田信玄がいたからこそ、武田神社(躑躅ヶ崎館詰城の要害山城含む)と甲府城(舞鶴城)をはじめとする大人観光スポットが、甲府観光を盛り上げていると思います。事実、地元では毎年信玄公まつりが開催され、多くの有名人が、信玄公役を演じてくださっています。覚えている方だけでも、渡哲也さん、藤岡弘さん、片岡鶴太郎さん、松平健さん、山下真司さん等々…。

でも、武田信玄と言えば、大河ドラマ「武田信玄」で信玄役をしてくださった、中井貴一さん。彼のお父上は、事故で山梨県の韮崎(甲斐武田家発祥の地であり、最後の居城・新府城がある街)でお亡くなりになられていることもあり、「因縁の様な物を感じ、信玄役を引き受けた」とのおっしゃっていたのを記憶しています。

(かつですが…)地元民としては、全て武田信玄あっての事だと思うと同時に、信玄公に敬意を表しつつ、これからも山梨を盛り上げて下さる事を切望しています。皆様も、新宿から特急に乗れば、甲府まで90分程度ですので、機会があれば、是非お越しください!

本ブログの別記事でも、甲府とその周辺の大人散策 / 観光スポット信玄治水工事の痕跡・信玄堤甲斐武田家発祥の地・韮崎の武田八幡宮信玄が品の攻略のために整備したと伝わる信玄棒道武田24将の一人で赤備えの元祖ともいえる山縣昌景の御子孫が経営する温泉宿・山縣館信玄の隠し湯とも言われる甲府湯村温泉の柳屋常盤ホテル甲府城址近くの温泉があるホテル・談露館小名屋ホテル等も紹介しておりますので、皆様のニーズに合わせご参照頂ければと思います。

【追加情報】

善光寺と言うと、長野県の善光寺が有名ですが、甲府にも善光寺があります。甲斐善光寺と言われています 。こちらは、武田信玄が、川中島合戦の際に、戦火による信濃善光寺の消失を恐れ、仏様を移したとも言われてます。こちらも立派な寺院ですので、足を延ばしてみて下さい!(長野の善光寺に関しても別途記載していますし、甲府とその周辺の大人散策情報を別記事で記載しておりますので、併せてご参照ください)

以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます!

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5天守現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

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