大國魂神社

【はじめに】

いきなりですが、皆様は、大國魂神社」をご存じでしょうか?

都内にお住まいの方、東京の府中近辺に何度か脚をはこばれた事がある方、ちょっと歴史好きな方、であればご存じの方は多いのではないかと思います。本ブログにて玉川上水の大人散策野川/国分寺崖線の大人散策でも記載していますが、私自身、大学生の頃、小金井に居住していた事があり、この地域は、歴史好き故の散策もですが、良く遊びに参らせて頂いた地域なので(特に立川面のもう一段下にあるお馬さんの施設に…)、当時から存じ上げておりますが、実は上京するまで現地を訪れた事は、ございませんでした。当時、「府中とは、昔この地に武蔵国の国府が置かれたので「府中」と言う現在の地名になり、その国府が置かれた場所が、現在の大國魂神社」と言う情報は持っていた為、上京して間もなく、こちらにお邪魔させて頂きました。しかし「立派な神社だなー」と思いましたがその感動で終了し、しばらくお邪魔する事はありませんでした。

そんな感じでウン十年過ぎ、何年か前、東山道武蔵路武蔵国分寺関連で、この地域にお伺いし調べてみると、この大國魂神社が必ず出てくる固有名詞で、改めて興味が湧き、昨今何度か、東山道武蔵路武蔵国分寺関連の大人散策と同じタイミングでお参り申し上げている次第です。

そんな私にとっての大國魂神社ですが、実際に調べてみると、「そーだったのかー」と言った情報も出てきて、中々の魅力を備えた神社ですので、その情報を共有させて頂くと同時に、実際に参らせて頂きました際の写真と共に、大人散策情報を以下に共有させて頂ければと思います

【そもそも「大國魂神社」とは?】

実際の大人散策情報の前に、大國魂神社の基本情報を、Wikipediaの力を借りつつ、抑えさせて頂きます。

大國魂神社(おおくにたまじんじゃ、新字体:大国魂神社)は、東京都府中市に所在する神社。武蔵国の総社であり、東京五社の一社。また、武蔵国の一之宮から六之宮までを合わせ祀るため、「六所宮」とも呼ばれる(略)

古代、国司は任国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。この長い巡礼を簡単に行えるよう、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社は武蔵国の総社にあたる。

当社は府中市中心部に鎮座し、「府中」の市名はかつて武蔵国の国府があったことに由来する当社の境内地がかつての武蔵国の国府跡にあたり、境内地と市道を挟んで東側の市有地は「武蔵国府跡(武蔵国衙跡地区)」として国の史跡に指定されている東側市有地は「武蔵国衙跡地区」として整備されており、柱跡が表示されて展示室が設けられていると共に博物館「ふるさと府中歴史館」が設置されている。また、当社は府中宿の中心部近くにあり、大鳥居から武蔵国分寺武蔵国分尼寺までの道が整備されていた

当社の創建は景行天皇41年(西暦111年)5月5日と伝えられており、大化の改新の際に現在の場所に国府を置いたという源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝を祈願、その直系子孫にあたる源頼朝も妻の安産祈願をしたなどの伝承が残されてある (略)

祭神
本殿の祭神は以下の通り。武蔵国の総社として、当社創建当時の武蔵国一之宮から六之宮まで(通称:武州六社明神)を祀っている

中殿
・大國魂大神 (おおくにたまのおおかみ) – 主祭神。大国主神と同神とされる。
・御霊大神 (ごりょうおおかみ)
・国内諸神

■東殿
・一之宮:小野大神 – 小野神社(東京都多摩市)
・二之宮:小河大神 – 二宮神社(東京都あきる野市)
三之宮:氷川大神 – 氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)

■西殿
四之宮:秩父大神 – 秩父神社(埼玉県秩父市番場町)
五之宮:金佐奈大神 – 金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)
・六之宮:杉山大神 – 杉山神社(神奈川県横浜市緑区)

創建
社伝『府中六所社伝』などに記された伝承によれば、景行天皇41年5月5日に大國魂大神がこの地に降臨し、それを郷民が祀った社が起源という。(略)このときの社号は「大國魂神社

概史
大化元年(645年)の 大化の改新時、武蔵国府が境内に置かれて社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する社となった。国司が国内社の奉幣巡拝・神事執行等の便により国内諸神を配祀し、武蔵総社の起源になった。この時に社号は「武蔵総社となったという。その後、武蔵国内の著名な神、六所(6社の神)を奉祀して、社号が「武蔵総社六所宮」と変わった
康平5年(1062年)、前九年の役平定の際に源頼義・義家父子が、欅の苗千本を寄進した。これは現在、国の天然記念物に指定されている「馬場大門のケヤキ並木」の起源である (略)
天正18年(1590年)8月に徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社として、社領500石が寄進されて社殿及びその他の造営が行われた (略)
明治4年(1872年)、社号を「大國魂神社」に改称。(略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/大國魂神社

「略」を入れつつ、引用いたしましたが、少々長くなってしまいました。

ここでポイントとなる部分を列挙いたしますと以下の様になる認識です。

  • 神社の創建は、西暦で言うと「111年
  • 大化の改新時(645年の後と認識)、武蔵国府が境内に置かれた
  • 現在の「府中」の地名は、武蔵国の国府があったことに由来
  • 社号は、「大國魂神社」→「武蔵総社」→「武蔵総社六所宮」→「大國魂神社」と変遷
  • 源頼義・義家父子、源頼朝、徳川家康といった早々たる顔ぶれの源氏の武将(徳川がホントに源氏か否かの議論はおいておいて…)が、大切にしてきた

ちなみに「総社」とは、Wikipediaには、以下の様にあります。

総社、惣社(そうじゃ、そうしゃ、すべやしろ)とは、日本で、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(= 合祀)神社のことである。総社宮、総神社、総社神社などとも呼ばれることがある(略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/総社

創建は、111年とありますので(個人的には、実際にはもう少し後の時代の様な気がしますが…)、古墳時代も通り越して、弥生時代の創建と言う事になり、すごい歴史を持った神社である事、理解が出来ます。また、それだけの歴史を持ち、国府が境内に置かれた事もあってか、時の実力者・権力者も、敬い、大切にしてきた事が伺えます。

また現在武蔵国一宮を謡う氷川神社の総本社・大宮氷川神社」、「二宮を謡う金鑚神社」、「秩父三社に数えられ、日本三大曳山祭りでも有名な秩父神社」も合祀された武蔵国の総社・大國魂神社の参道には、立派な欅の並木が続いておりますが、これは、「馬場大門のケヤキ並木(ばばだいもんのケヤキなみき)」と呼ばれ、「国の指定天然記念物の並木」との事です。

日本の約2000年の歴史と共に、この地・府中の場所にあり続け、武蔵国における日本の国家機能と地域の人々の信仰と共にあり続けた神社が、大國魂神社と言う事の様です。

【武蔵国府とは?】

前の段落にて、「大國魂神社」の切口で、情報記載いたしましたので、この段落では、大國魂神社に置かれた「武蔵国府」の観点で、情報の記載を致します。

まずは、基本に忠実に、Wikipediaの力を借り、「武蔵国府跡」を調べてみますと、以下の様にあります。

武蔵国府跡(むさしこくふあと)・国史跡 武蔵国府跡 国衙跡地区(国司館地区)は、東京都府中市に存在する武蔵国の国府に関する遺跡である(略)

1975年(昭和50年)以降の発掘調査により、大國魂神社境内南北溝と旧甲州街道と京所道に挟まれた、南北300メートル東西200メートルの範囲が「国衙」であると判明し、その中の東西南北100メートルの範囲が国衙の中枢だと考えられる(略) 国府を中心に、東西2.4キロメートル、南北1.2キロメートル範囲内で住居が発掘され、確認されたものだけで4000軒にも及び、7世紀末~8世紀にかけて爆発的に人口が増加した(略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/武蔵国府跡

また、国府・国衙を同様に、Wikipediaにて調べてみますと、以下の様にります。

国府(こくふ、こう)は、日本の奈良時代から平安時代に令制国の国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市国府付近には国庁のほかにも国分寺・国分尼寺、総社(惣社)が設置され、各国における政治的中心都市であるとともに司法・軍事・宗教の中心部であった(略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/国府

国衙(こくが)は、日本の律令制において国司が地方政務を執った役所が置かれていた区画である。国衙に勤務する官人・役人(国司)や、国衙の領地(国衙領)を「国衙」と呼んだ例もある(略)

https://ja.wikipedia.org/wiki/国衙

武蔵国府は、大國魂神社を含む一帯にあった事が、1975年に判明した」と言う事ですので、その長い歴史から見れば最近の事の様です。ただそれ以前から、「府中」と言う名はあり、時の実力者・権力者が大切にしてきた事を踏まえると、「そこに武蔵国府があった事は周知の事実で、具体的な場所が、発掘調査により物的証拠と共に明らかになった」と言う理解をさせて頂きました。

でも、少なくとも、1000年以上前の物的証拠が出て来るって、すごい事だと思いませんか? しかもその周囲で、4000以上の住居跡も発掘されたと言う事は、正に武蔵国の国府が府中に置かれ、関東地方が日本として国の中に組み込まれた最初の中心地が、東京の府中だったんだと改めて認識した次第です

【大國魂神社・武蔵国府跡を大人散策】

前の段落からの繰り返しになりますが、改めて時系列で整理させて頂くと、

まず大國魂神社が創建され、そこに国府がおかれる事で、国分寺・国分尼寺の建立と共に、道も整備され、そこに多くの人が集った。また、国府が置かれた故に、大國魂神社は武蔵国の総社としての機能を果たす事で、名前の変遷もあったが、現在では、元々の名称である「大國魂神社」に戻った。地域の人々の信仰を集め、武蔵国に関りが深い、時の実力者・権力者にも大切にされ、約2000年の時を刻む府中の中心の神社が『大國魂神社』

と理解させて頂きました。

そんな、大國魂神社の実際の大人散策情報を以下にまとめます。今回のルートは、京王線府中駅~JRの府中本町駅と非常に短いので、別記事で紹介致しました、国分寺跡を含め大人散策されても良いのでないかと思います。(最下部の地図は、野川・国分寺崖線武蔵国分寺跡東山道武蔵路鎌倉街道も含めた地図となっておりますので、ご了承ください)

⓪スタートは、京王線府中駅

府中駅を出て、西に線路の高架に沿って歩を進めると大國魂神社の参道にぶつかります。そのケヤキ並木を北に向かてしばらく散策しても良いと思いますが、大國魂神社は南の方面にあります。義家の像もあり、現在のケヤキはそうではないでしょうが、前九年の役平定の際に源頼義・義家父子が、欅の苗を寄進した事に起源を持つ、国の天然記念物に指定されている「馬場大門のケヤキ並木」を見る事が出来ます

①大國魂神社の大鳥居

京王線の府中駅を出て、2~300mほどで、大國魂神社の大鳥居に着きます両脇には、府中の名木百選にも選ばれた、大きなケヤキがあります。ここまでの大木だと、違うのでしょうが、もしかしたら「源氏の起源・義家の寄進したケヤキ?」と思ってしまうほどの幹回りです。

②随神門

大鳥居をくぐるとこれまでとは違った凛とした雰囲気を感じますが、参拝させて頂いた際は多くの人がおり、にぎやかさもある境内の印象です。ふるさと資料館・国府跡の碑、相撲場等を横目で見つつ進むと、右手に手水舎があり、随神門が出てきます真新しいその構造物は、破風の屋根の下の両脇に随神像が配置され、威厳を感じさせてくれる門です。背面には、恵比寿様・大黒様もいらっしゃいますので、じっくり拝見させて頂く事をおすすめします。

③鼓楼

随神門をくぐった左手には、江戸時代の建造物である、鼓楼があります。有形文化財の建物の様ですので、その歴史を感じつつご覧ください。

④中雀門

随神門を過ぎてすぐに、中雀門が出てきます。朱色の門は、派手さはありませんが、本殿の入口の門として立派の一言。こちらのホームページ(https://www.ookunitamajinja.or.jp)によると、昭和の44年に建てられたのとの事です。両脇の狛犬も江戸時代のものの様ですので、併せてご覧ください。

⑤拝殿

中雀門をくぐるとすぐに拝殿があります。実際に参らせて頂いた時は、1月と言う事もあってか、多くの人が参拝の順番待ちで長い列でした。こちらのホームページ(https://www.ookunitamajinja.or.jp)によると、こちらの拝殿は、明治期の建物との事。破風の威厳が素晴らしく、格の違いを見せつけるような建物は、大國魂神社のそれにふさわしい雰囲気を醸し出しております。拝殿に向かって左側の社務所で御朱印を頂戴する事が出来ます

⑥宝物殿

参拝の後は、宝物館へいらっしゃるのも良いと存じます。内部の写真撮れていませんが、神輿や木製の狛犬、大太鼓等、内部でないと見れない物が展示されており、必見の価値がある文化財を拝見出来ます。

⑦武蔵国府跡 国衙地区

宝物殿までで、一旦、大國魂神社内の参拝を終了し、大國魂神社の東にある、武蔵国府跡・国衙地区参ります。大國魂神社の脇からアクセスできます。「国府跡」は大國魂神社を含む広範囲のエリアになると思いますが、こちらはその中の国衙地区にあたる様です。国衙とは、上記の通り、「国司が地方政務を執った役所が置かれていた区画」と理解してますので、いわゆる「律令時代の役所跡」といった理解をしました。さほど大きな施設ではありませんが、建物の内部の説明看板と共にご参照頂き、歴史を感じてみてはいかがかと存じます。

⑧武蔵国府跡 国司館地区 ⇒ ゴールの府中本町駅

国衙地区から一旦大國魂神社の境内に戻り、ここから西の参道に向かいます。昔は無かったと思いますが、真新しい参道が整備された道を府中本町駅方面に進むと、信号を渡った所に、武蔵国府跡・国司館地区が見えてきます。こちらも昔の私の記憶にはなく、近年整備された施設と認識していますが、この場所に国司の館があったとの事です。同時に、徳川の御殿もあったとの事ですが、ここは、立川面のヘリにあたる場所で、「なんとも良い場所を選んだものだ」と国司の館、徳川の御殿としてしてふさわしい場所である事、ご理解いただける場所です。レプリカで、全体図が分かるように工夫されていますので、地形と共に歴史を感じる施設だと思います。

ここまで来ますと、府中本町駅は目の前ですので、ここで大人散策は終了となります。

【最後に】

以上が、「『大國魂神社≒武蔵国府跡』のその周辺も含めた大人散策情報」になります

所で、武蔵国府跡国司館地区に行く際、渡った信号の脇に、本ブログで何度も登場する「鎌倉街道」の標識があります。この鎌倉街道は、この地点では、東西に走る道で、南を流れる多摩川を関戸橋付近で渡河する様です。位置的には、鎌倉街道の上道の感じですが、方向感としてそぐわないと思い、「『鎌倉から(へ)の移動にて、当時から栄えていたこの場所を、「街道中の駅」的に、一つの拠点とすべく、寄り道する設定なのかな?』や、『地形的に多摩川を越える適当な場所が、関戸橋付近だから一回迂回しているのかな?』、『河越夜戦の際、北条氏康も ”一旦兵を府中まで引いた” ってあったし…』」と様々考えを巡らせてしまいました。結論は出ていませんが、こういった事を考えつつ散策できるこの府中・大國魂神社(武蔵国府跡)付近は、改めて大人散策には、最適な場所だと思った次第です。

こんな歴史に思いを馳せつつ大人散策できる、「大國魂神社≒武蔵国府跡」とその周辺、皆様もこの地域の大人散策に出かけてみてはいかがでしょうか?

以下、Googleマイプレイス(マイマップ)で作成した地図を、アプリ・GogleMpsで、位置情報をONにしてスマホでご利用頂くと、紹介したスポットを、自身の位置確認しつつ大人散策する事が出来ます! また、下記の地図は、野川・国分寺崖線武蔵国分寺跡東山道武蔵路鎌倉街道も含めた地図となっております。

尚本ブログでは、諏訪大社熱田神宮大宮氷川神社川越氷川神社川越喜多院日光の二社一寺久能山東照宮浅草寺深大寺神田明神大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。

TOP Pageへ or ブログ内関連情報タグ一覧へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA