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現存12天守で最も新しい城郭・松山城:登城ルートと見どころを紹介しつつ、幕末再建の城郭を大人散策!

【更新中/準備中】

【はじめに】

こちらのページでは、何度も火災があった事で、幕末に再建された事により、現存12天守の中で最も新しい建造物を拝見できる『松山城』の大人散策情報を、実際の登城ルート共に共有」させて頂こうと思います

📚本記事で得られる情報📚
松山城の超概要
松山城における登城・大人散策ルート所要時間
松山城における、おすすめ見学/撮影スポット情報

本ブログ別記事で、現存12天守の一つである「松山城に付き記載させて頂きました。そして今回(2025年の春)、「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅(旅全体のMapはこちら)」の中で(6日目に)、ついに訪問がかなった次第です。今回こちらのページでは、その際に訪問(登城)した「大人散策@松山城の内容に付き、共有させて頂きます。尚、実際の訪問にあたっては、6日目の午前中を中心に、登城させて頂き、その後「道後の温泉街」・「湯築城址と併せて訪問させて頂きました(夕食で「伊予食堂 おとら」にも参りましたが…)。こちらのページでは、その6日目の午前中に参ったルートで、「大人散策@松山城」に付き記載させて頂きます。

「では早速…」という事で、「大人散策@松山城の内容に入るべきかもしれませんが、少しだけ、別記事で記載した松山城の概要」を簡単に共有させて頂きますと、以下の感じになります(スーパーサマリ―バージョンですが…、詳細は「火災に何度も見舞われた、幕末の現存12天守・松山城とその周囲を含め大人散策 (愛媛・松山)」の記事をご参照ください。また、「現存12天守とは?」の記事でも、触れておりますので、併せてどうぞ!。

以下に、松山城に関するポイント」を記載します。

  • 松山城は、日本にいくつか存在するが、単に「松山城」とした場合は一般的に「伊代・松山城」を指す
  • 別名、別名 金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)ともいう
  • 現存12天守の中で最も新しい
  • 大天守(現存12天守の1つ)を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財9棟が国の登録有形文化財
  • 姫路城と同じく連立式で、日本三大連立式平山城の1つであり、日本三大平山城でもある
  • 1602年に、加藤嘉明が築城に着したのが、松山城の始まりで、松山」の地名が公式に誕生したのも、加藤氏による
  • 1784年天守を含む本丸の主な建物が、落雷により焼失するが、1854年、第12代藩主・松平勝善が大天守以下、本丸の建造物を再建
  • 1933年:不審火、1945年:戦災、1949年:不審火により、多くの建造物(旧国宝含む)が焼失してしまった過去がある…

加藤氏による松山の治世は、25年程だったようですが、松山城の築城に着手し、「松山」という地名を産んだ事からも、「松山の生みの親=加藤氏」という理解をして良いのでないかと思った次第です。また、落雷・不審火・戦災により、重要な建造物が焼失してしまった事は、誠に残念で思うと同時に、落雷・戦災は仕方ないにしても、「不審火」は非常に残念な事で、もしこれが「放火」であるなら、絶対に許せないとも思ってしまった次第です。その天災(人災もありますが…)にもめげず、幕末に天守群が再建され、その後の火災を潜り抜けた、松山城の天守は、「ぜひとも拝見させていただきたい国の宝」であると同時に(国宝登録ではありませんが…)、今後も大切に守っていかないといけない構造物であると、改めて認識した次第です。

こちらのページでは、そんな理解をしている「松山城」に付き記載いたします。すなわち、何度も火災があった事で、幕末に再建された事により、現存12天守の中で最も新しい建造物を拝見できる『松山城』の大人散策情報を、実際の登城ルート共に共有させて頂こうと思います

【大人散策@松山城】

松山城の概要」に付き、本当に簡単ですが、「火災に何度も見舞われた、幕末の現存12天守・松山城とその周囲を含め大人散策 (愛媛・松山)」の記事よりレビューせて頂きましたので、こちらの段落では「大人散策情報@松山城」そのもの(本題?)に付き記載いたします。尚、今回の私達夫婦の「大人散策@松山城は、上記記載の通り、「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅(旅全体のMapはこちら)」における、6日目に参らせて頂いた感じです。

つまり、少々繰り返しですが、5泊目でお世話になった道後温泉・八千代」よりお邪魔した次第です。最下部の Google My Map で作成した地図中、松山城」は焦げ茶色の星印:★」で、そのコースをポイントアウトして折り、以下各スポットをその順番で記載申し上げます為、Google My Map で作成した地図と併せてご参照頂けますと幸いです(旅全体のMapはこちら)。尚、本コースにおける行程は、道後温泉・八千代⇒ (徒歩移動・10分弱) ⇒「道後温泉駅」(路面電車 & 警察署前から徒歩移動・15分強) ⇒ 「松山城(2.5時間程)」』だった次第です(尚その後、「萬翠荘(ランチ休憩も含んで1時間位)」⇒「坂の上の雲ミュージアム(30分位)」⇒「湯築城跡(1時間位)」⇒「道後の温泉街(1.5時間位)」⇒「伊予食堂 おとら(夕食で1時間位)」と巡って ⇒ 「道後温泉・八千代」に戻った感じのスケジュールでした:こちらの内容は、別記事をご参照ください)

ちなみに、6・7日目のスケジュールの全体図は、
6日目の朝『「道後温泉・八千代(9:00位発)」⇒ (道後温泉駅から路面電車) ⇒「松山城(9:30~12:00位)」を巡った後 ⇒ 全て徒歩で「萬翠荘(ランチ休憩も含んで12:30~13:30位)」⇒「坂の上の雲ミュージアム(13:30~14:00位)」⇒「湯築城跡(14:30~15:30位)」⇒「(若干)道後の温泉街(15:30位~17:00位)」⇒「伊予食堂 おとら(夕食:17:00~18:00位)」と巡って ⇒ 「道後温泉・八千代(18:30位着)」』と言う感じの行程でした…。
そして7日目は、朝、『「道後温泉・八千代(11:00前にチェックアウト)」⇒「道後温泉駅のコインロッカーに荷物をあづけ(11:00位)」⇒ 全て徒歩で「(若干)道後温泉の街並み(11:00~11:30位)」 ⇒ 「湯神社(11:30位)」⇒「伊佐爾波神社(12:00位)」⇒「石手寺(12:30位~13:00位)」と巡り、 「道後温泉駅(13:30位)」に戻って、少し休憩した後バスで「松山空港」に移動の後(道後温泉~松山空港は40分くらいだった記憶)、「松山空港内の”かどや 松山空港店“」で “鯛めし”で、今回の旅を〆て、「羽田空港」⇒「川越」に帰宅した』と言う感じの行程でした…。

加藤嘉明公騎馬像」~太鼓門

道後温泉・八千代」を出発し、路面電車で「警察署前」という駅(停留所?)まで行き、「松山城」を目指しました。5分くらい歩いて見えてきたのが、松山城へ登って行く「ロープウェイ」。早々に、「松山城の天守」を目指したくなってしまいますが、まずは、「加藤嘉明公騎馬像」を拝見し「松山(城)の始まり」に思いを馳せる事から「大人散策@松山城」を開始行き(登り)は、「城郭東側のロープウェイ」、帰り(下り)は、「城郭西側の古町口登城道」で参ろうと思いましたが、「ロープウェイ・リフトのりば 山麓駅『東雲口』」に入ると「ロープウェイ」or「リフト」の選択肢がある事を発見。松山の歴史を判じる展示物を拝見しつつ、実際の乗り場まで、「どっちにしようか?」と夫婦で会話しつつ、実際の乗り場まで行くと、ロープウェイ側は結構な待ち人数。即決で「リフト」を選択しました。その選択は大正解。気候が良かった事もあると思いますが、気持ちの良い空気を感じながら、そして込み合うロープウェイを横目に見ながら、のんびりと桜を見つつ、天守の遠望も拝見しつつ、5分ちょっと位かけて、「長者ヶ平駅」まで行く事が出来た感じでした。

「長者ヶ平駅」について、お土産物屋さん?「六実庵」を横目に見つつ、本格的な「大人散策@松山城」の開始となりますが、早々に「圧巻の石垣が目に飛び込んできます。「隠門」の南側にあたる「石垣だと思いますが、中々の迫力。早々に写真を撮り初め、ワクワクを抑えきれず、歩を進めました。「待合番所跡」・「大手門跡」・「中ノ門跡」と進みつつ、石垣」や「天守の遠望」を楽しみつつ進むと、「戸無門」・「隠門」と続きます。「隠門」は、『「西側の大きな出入口」と、「東側の登城路からは見えない小さな出入口」の2つの入口がある門』『「西側の大きな出入口」を攻めてきた敵を「東側の登城路からは見えない小さな出入口」より、側面攻撃が出来る門』なんて、よく紹介される門だと認識しております。ポリシー・戦術意図を理解しつつも、「ここまで攻め込まれたら、ほぼおしまいだと思うけど…」と心の中で思いつつも、中々迫力のあるその門(隠門)を、じっくり見学し、その後「太鼓櫓」・「太鼓門西塀」・「太鼓門南続櫓」・「巽櫓」を南面から拝見しながら「太鼓門」を潜りました。こちらの「太鼓門」も中々の門。「本丸」の入口に相応しい門だと思った次第です。

松山城:「加藤嘉明公騎馬像」~「太鼓門」の様子

太鼓門」~「松山城・天守」

太鼓門」をくぐると、そこは「松山城の本丸」。でも、非常に広い「本丸」で、「松山城の規模感」を実感できる空間です。言い換えると、「天守群まではまだ結構ある…」という事です…。その広い「本丸」は、「北西~南東」に細長い形なっており、勿論高い場所にあるので、松山の街並みを見渡す事が出来ます。故に、直ぐにその素晴らしい眺望を見たくなってしまいますが、「井戸」・「馬具櫓」と言った城郭の遺構を拝見しつつ、「売店(城山荘売店?)」北側からの城郭東側の眺望、「松山城の藤」付近からの城郭西側の眺望も楽しみ、併せて「本丸を支える石垣」もしっかり確認して、「松山城の本丸」を楽しんだ次第です。

特に、「松山城の藤」付近から見る「屏風折の石垣」は圧巻の石垣。「これぞ松山城!」と言った眺望で、「屏風折の石垣」&「天守群」を拝見する事が出来ました。そんな感じで、「松山城の天守群」を堪能しつつ、広い松山城の本丸を、縦横無尽に徘徊し、大人散策@宇和島城」で感じたのと同様「”城郭” と “桜” の “コラボ” は格別!」と思いつつ、数えきれないほどの写真を撮影しつつ、いよいよ「松山城の天守群」にお邪魔すべく「発券所」に向かった次第です。

松山城:「本丸」~「天守群」の様子

「松山城・天守群とその内部」を堪能

「発券所」から、いよいよ「松山城の天守群」にお邪魔する訳ですが、「松山城の天守群がある “本壇”」は、「本丸の中でももう一段高い場所」にあります。「一ノ門南櫓」・「紫竹門東塀」・「筋鉄門東塀」に囲まれた空間を、その規模感に圧倒されつつ進み、「一ノ門」を潜って、更に「三ノ門南櫓」・「一ノ門南櫓」・「二ノ門南櫓」に囲まれた空間を進んみ「二ノ門」を潜ります。するとそこは正に、「松山城の中枢:松山城の天守群がある “本壇”」。「ようやく松山城・本壇!」と思いつつもまだです。今度は、180度ターンする形で「三ノ門」を潜って、再びですが今度は「三ノ門南櫓」・「筋鉄門東塀」内側から見つつ、「筋鐵門」を潜って、ようやく「松山城・天守群の中心」に出る事が出来ます。上記、「隠門」で思った事と同様、「ここまで攻め込まれたらもう99%終わっている…落城しかない…」と思いつつも、その工夫を凝らした防御には、ただただ脱帽…。確かにこの空間で敵に囲まれたら「恐怖以外の何物でもない…」・「本当に考えて築城されているんだな…」と感銘を受けつつ、その中心で、周囲を囲う「小天守」・「多門櫓」・「南隅櫓」・「十間廊下」・「玄関(玄関多聞櫓)」・「北隅櫓」・「大天守」をじっくりその構造理解と共に拝見し、「穴蔵」から、「松山城天守群の内部」にお邪魔しました。

松山城:「本壇・天守群」の様子

「松山城天守群の中心(中庭?)から拝見する姿」も圧巻でしたが、「松山城天守群の内部」も圧巻で、「さすが現存12天守と思えるものです。墨の入った江戸期からの材を拝見しつつ、防護施設や規模感も堪能しつつ、天守群内部を拝見させて頂くと、歴史を感じずにはいられない空間。かなり多くの人がいらっしゃり「人気があるのも当然!」と思いながら、展示物も、天守閣からの眺望も拝見し、「松山城天守群の内部」の内部を拝見させて頂きました。そして同時に、ここで思った事は、まず、松山城天守群の中心(中庭?)から全体図(構造・配置)を頭に入れてから、内部にはお邪魔すべき…と言うものです。つまり、内部は、「小天守」・「多門櫓」・「南隅櫓」・「十間廊下」・「玄関(玄関多聞櫓)」・「北隅櫓」・「大天守」と繋がっており、所々外の景色も拝見できるので、「松山城天守群の中心(中庭?)から全体図(構造・配置)を頭に入れておかないと、自身の位置関係が分かりにくくなり、大人散策の質が落ちてしまう」からです。言い換えると、「松山城天守群の全体図(構造・配置)が頭に入っていると、松山城天守群内部の大人散策を城主目線で楽しめる」と思ったという事です。

「松山城天守群内部」を見学し、再び「穴蔵」から外に出て、「内門」を潜り、「仕切門内塀」を拝見しつつ、「仕切門」もくぐって、「天神櫓」を見学しつつも「松山城天守群」を北・東側からも拝見し、来た道を戻る感じで、「松山城天守群」を失礼させて頂きました。

松山城:「天守群内部」・「本壇」の様子

「松山城・天守」~「二之丸史跡庭園

「松山城天守群」を失礼した後は、「松山城天守群のある本壇」を周囲から拝見します。「発券所」を出て、「二ノ門南櫓」下付近から回り込んで、「本壇・東側面の石垣を拝見し、南に戻って、「本丸を支える石垣「南側面の本壇・天守群」を見上げつつ、「紫竹門」を抜け、「本壇東側側面」に出ます。その後、「本壇北側側面」に回り込んで、「艮門東続櫓」を拝見し、同時に「本壇北側側面の石垣を見上げ、また「本丸北側の石垣を見下ろし、再び来た道を戻りつつ「野原櫓」・「乾門東続櫓」・「乾櫓」を見学して、「乾門」から、「本丸」を失礼しました。ちなみに、ここ「乾門」から拝見する「本丸の石垣(西側面)」も中々絵になる光景で、「乾櫓」を支える石垣も中々のもの。今度は、先程見下ろした「本丸北側の石垣を下からも拝見させて頂き、「古町口へ続く登城道:山道」を下って行きました。

松山城:「本壇」~「古町口登城道」の様子

その後、「古町口」から西から南に回り込む形で、「歩兵第二十二聯隊跡」・「杉馬場跡」があったらしい「三之丸跡」の遠望を眺めつつ、「黒門口登城道」から、「栂門跡」・「槻門跡」・「欅門跡」等を拝見し、「二之丸跡」にあたる「二之丸史跡庭園」に参らせて頂いた次第です。現在の「二之丸史跡庭園」は、近代的に整備された庭園の印象ですが、同時に、何処まででが当時の遺構か見えない部分もあるものの、「多聞櫓」・「聚楽亭」・「林泉庭」・「勝山亭」・「ニ之丸御殿 大井戸遺構」・「四脚御門」・「米蔵」等を拝見出来、園内からは「松山城天守群の遠望」も見えた感じでした。その後、「二之丸史跡庭園」を後にし、「多聞櫓」を外からも拝見しつつ、南に回り込んで、「大人散策@松山城」をコンプリートとし、「萬翠荘」に向かった次第です。

松山城:「古町口登城道」~「二之丸史跡庭園」の様子

【最後に(大人散策マップ by Google My Map も…)】

以上が、何度も火災があった事で、幕末に再建された事により、現存12天守の中で最も新しい建造物を拝見できる『松山城』の大人散策情報を、実際の登城ルート共に共有させて頂いた内容になります。

松山城を東側面(ロープウェイ・リフトのりば 山麓駅『東雲口』)から、西側面(古町口)に横断する形の「大人散策@松山城」を紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか? 個人的に思った事は、「大人散策@宇和島城」は、1.5時間程度でしたが、「大人散策@松山城」は、2.5時間程度、今回の旅で、「宇和島城丸亀城、そして松山城と同じ現存12天守」を巡らせて頂きましたが(高松城屋島城跡今治城大洲城も参らせて頂きましたが…)、『松山城は規模感が違う!』と言った印象を持ってしまった感じでした。

尚、今回の大人散策@松山城」は、「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅」の中の6日目に、実行させて頂いた次第で、全体的な行程として、以下の記事も別記事で記載して折りますので、併せてご参照頂けますと幸いです(具体的な旅のスケジュールは「香川・愛媛を巡る6泊7日の旅」をご参照ください(旅全体のMapはこちら))。

(現在各記事作成中で、随時更新していく予定ですので少々お待ちください…)

尚、本ブログ別記事で、日本100名城や続日本100名城国宝5天守現存12天守現存4御殿等のお城の分類と共に、姫路城彦根城松本城松江城川越城二条城熊本城高知城掛川城小諸城等々50以上のお城についても情報発信しており、以下一覧表の画像をクリック頂くとダウンロードされたPDFファイルより、リンクで各分類/各お城の個別ページにアクセスできますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

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