【はじめに:「心頭滅却すれば…」と言えば、恵林寺】
こちらのページでは、「『心頭滅却すれば、火も自(おのずか)ら涼し』と言うフレーズ、そして『武田信玄の菩提寺』として有名で、『恵林寺庭園』でも有名な、山梨・甲州市にある『恵林寺』を紹介」させて頂きます。
いきなりですが、皆様は、「心頭滅却(しんとうめっきゃく)すれば、火も自(おのずか)ら涼し」と言う「フレーズ」を聞いた事はありますか?
これは、「快川 紹喜(かいせん じょうき)」という「恵林寺の僧」が残した「フレーズ(正確には「辞世」)」と言われいます。地元では、それなりに有名な話ですが、簡単に記載しますと『武田家滅亡の折、「恵林寺」は、織田家の敵対勢力をかくまったため、織田によって焼き討ちにあい、その時にそのまま焼死してしまった僧が「快川 紹喜」で、その際の「辞世」が「上記のフレーズ」だった』と言うものです…。


Wikipedia の力を借り、上記の顛末をもう少し紹介しますと、以下の様にあります。
(略) 天正10年(1582年)3月、織田信長の甲州征伐により武田氏は滅亡する。これにより武田領内が混乱すると、快川は信長に敵対した佐々木次郎(六角義定)、三井寺の上福院、足利義昭の家臣の大和淡路守らを恵林寺に匿い、織田信忠の引渡し要求を拒否した。これは中世において寺院は聖域であるとする社会的観念があったためとされる。その後に恵林寺は織田氏による焼討ちにあい、快川は一山の僧とともに焼死した。 (略) 天正10年(1582年)に恵林寺において焼死したとき、「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」(安禅必ずしも山水を須(もち)ひず 心頭滅却せば火も自づと涼し)の辞世を残したといわれている (略)
https://ja.wikipedia.org/wiki/快川紹喜
ひどい話と言えば、ひどい話ですが、「戦国大名が滅びると言う事は、そういう事」だとも思ってしまった次第でもありますが…。



少し脱線しますが、『「快川 紹喜」は、「土岐氏の出」』とも言われている様で、『織田信長による比叡山焼き討ち後に、武田信玄により招聘(しょうへい)を受けて甲州に移ったとされる「川越喜多院の中興の祖・天海」』には、同じく『「土岐氏の出」と言われる「明智光秀」』と同一人物説が有り、その「明智光秀」は、『信長の甲州征伐時、「恵林寺の焼き討ち」を強くいさめた』と言った逸話も伝わっている認識です。つまり、『もし「明智光秀」が、「江戸草創期に徳川家康・秀忠・家光にも大きく影響を与えていた「天海」』なのであれば、『「天海(=明智光秀)」が甲州に移住した際「同じ土岐氏の出」である「快川 紹喜」つながりで「恵林寺に滞在」していたのではないか…、だから、信長の「恵林寺の焼き討ち」を強くいさめたのでないか…』と想像(妄想)してしまった訳です(時間軸に無理があるので、例え「天海=明智光秀」だったとしても、身代わり or 置き換わり があるかもしれませんが…)。言い換えますと、『「恵林寺」は、「快川 紹喜」も有名ですが、「武田信玄」・「織田信長」・「徳川家康」、そしてもしかしたら「天海(=明智光秀)」と言った「この時代の Key Person がかかわった寺院」かもしれない…』とも思えた次第です…。


こちらのページでは、個人的に、そんな歴史に関する「妄想」を抱いてしまう、悲しい歴史を持つ「恵林寺」を紹介させて頂こうと思います。すなわち、「『心頭滅却すれば、火も自(おのずか)ら涼し』と言うフレーズ、そして『武田信玄の菩提寺』として有名で、『恵林寺庭園』でも有名な、山梨・甲州市にある『恵林寺』を紹介」させて頂きます。
【武田家の菩提寺、恵林寺】
そんな歴史で有名な、恵林寺ですが、世間的に最も有名なのは『「武田家の菩提寺」が「恵林寺」』と言う事では、ないでしょうか? 武田信玄は、存命中に自ら寺社領の「寄進」を行い、「恵林寺を菩提寺」として定めたと言われており、ここには「武田信玄の墓所」のほか、「数十の家臣の墓所」も一緒にあります。通常は見る事はできない認識ですが(月命日の「12日」に特別拝観できる?)、山梨の発展に、今だ大きな功績のある「信玄公の墓所がある恵林寺」ですので、山梨県民(かつてですが)としては、墓所は見えずとも、手を合わせないことはありません。皆様も「恵林寺」にいらっしゃる事がある際は、墓所は見えずとも、手を合わせて頂ければと思います…。






【恵林寺と徳川家の関係】
「快川 紹喜の辞世」、「武田信玄の墓所」で有名な「恵林寺」ですが、「徳川将軍家とも関係が深い寺院」です。そして「武田家・徳川家」と言って個人的に連想してしまうのは「三方ヶ原の戦い」。『この戦いで「信玄に大敗を喫した家康」は「しかみ像」なる「自身の絵」をかかせ、生涯傍らに置き、自身を戒め、それを糧に「天下人」になった』と言った逸話を耳にした事はありますが、『ここ「恵林寺」で有名な「庫裡(くり)」は、織田によって焼き討ちにあった後、家康が再建』しているのです(現在の建物(以下写真)は、更にその再建のようですが…)。
その後、徳川将軍家は「甲府を重要拠点」として扱い「天領」としたり、「徳川将軍家にとって重要な人材を送り込んだり」していますし、現在は「将軍家の庭」であった事で有名な「浜離宮」は、江戸期初めには『「甲府藩の管理下にあった浜屋敷」⇒「将軍家の庭」』になった歴史があります。この「現・浜離宮のエリア」は、元々「甲斐甲府藩上屋敷」が、現在の日比谷公園付近にあった為、「海側に埋め立て」を行い「広げていった土地」とも言われており、1700年代の頭に、甲斐甲府藩主の「綱豊(後の家宣)」が「5代将軍綱吉」の「次の将軍」に指名され、後に「6代将軍・家宣」になった事からも「徳川将軍家が、甲府を重要拠点として扱っていた」事がうかがえます。こういった歴史は、「徳川家康の武田家に対する敬意」に、元々は起因するもの個人的には思っており、「武田家が、滅亡してなお、山梨における地位を担保している」事につながっているとも思っている次第です。
また、「武田家が、滅亡してなお、山梨における地位を担保している」事に大きく貢献したと言われる「重要人物の1人」が、「5代将軍綱吉」の「側用人・柳沢吉保(六義園でも有名ですが…)」。「彼の出」も「甲斐源氏の武川衆(武川とは、北杜市の釜無川が流れる地にあり、北に白州、南に韮崎と言った、お米が有名な場所)」で、「その彼の墓所も恵林寺」にあるのです。つまり、「恵林寺は、徳川家康にも大切にされ、その後徳川将軍家は『武田家が、滅亡してなお、山梨における地位を担保』する土台を作り、それに貢献した『柳沢吉保』の墓所もある寺院」と言う事になる」と勝手ながら認識している次第です。


【恵林寺と言えば、恵林寺庭園】
更に、恵林寺と言えば「恵林寺庭園」。国の名勝です。恵林寺のホームページ(https://erinji.jp/)によると、「夢窓国師の作庭」と言われているお庭の様で「700年の歴史を刻んだ庭園」だそうで、庭園好きの大人には、その庭園を拝見したくて、「ゾクゾクしてしまう」のでないかと思います。
実際に拝見した感じは、『「ぱっと見」は「小さく・地味」な印象を受けるかもしれない庭園』と思いましたが、しばらくの間、じっくりと拝見させて頂いていると『「お寺のお庭」と言う事もあるのか、ゾクゾクではなく、逆に「心が落ち着いてくる」といった印象を持った庭園』に感じた次第でした。つまり「立派な、鶴が飛び立とうとしている様な印象の松」や「手入れされた植栽」を眺めつつ、「素朴さのある庭園」に身を置いていると「時を忘れるような感覚」になってきた次第です。規模感のある「大名庭園」も好きですが、こういった「落ち着きのある程よい広さの庭園」は「大人好みの庭園」だと思いますので、皆様も恵林寺に脚を運ばれた際は、「恵林寺庭園」もお忘れなく、「少し時間を使って」ご覧いただきたいと思う次第です。






【最後に】
以上が、「『心頭滅却すれば、火も自(おのずか)ら涼し』と言うフレーズ、そして『武田信玄の菩提寺』として有名で、『恵林寺庭園』でも有名な、山梨・甲州市にある『恵林寺』を紹介」申し上げた内容になります。
「快川 紹喜の辞世」、「武田信玄・柳沢吉保の墓所」、「徳川家康・徳川将軍家とのつながり」、「国の名勝・恵林寺庭園」といった内容で、「恵林寺」につき記載させて頂きましたが、皆様は「恵林寺に対し、どんな印象」をお持ちになりましたでしょうか? 個人的には、「上記記載の歴史的背景を認識しつつ、寺院を訪れる楽しみを感じるようになってきたのは、ようやく少し大人になってきた証かもしれない…」と今更ながら思ってしまった次第です…。
尚、近くには、石和温泉もありますが、私達夫婦のお勧めは、本ブログでも紹介致しました「笛吹川温泉の坐忘」とやはり別途紹介しております武田信玄の24将の一人、山縣昌景の子孫の方が運営するお宿「山縣館」です(勿論、石和温泉も良く、別記事で紹介しました、ホロホロ鳥の富士野屋や、ホテル春日居といったおすすめ宿もありますが…)。『「温泉」と「寺院」をセットで訪問』、こんな休日も「中々有意義な大人の休日」だと思いますので、皆さまも「『心頭滅却すれば、火も自(おのずか)ら涼し』と言うフレーズ、そして『武田信玄の菩提寺』として有名で、『恵林寺庭園』でも有名な、山梨・甲州市にある『恵林寺』」に脚を運ばれてみては、いかがでしょうか? (ちなみに「甲府近辺の『観光情報』・『温泉お宿の情報』」も別記事で記載して折りますので、宜しければ併せてご参照ください!)
尚本ブログでは、東京旧古河庭園、東京椿山荘、神戸相楽園、京都無鄰菴、高松栗林公園、熊本水前寺成就園、山梨恵林寺庭園、甲府常磐ホテルの庭園、平泉毛越寺庭園、名古屋徳川園、二条城二の丸庭園、川越喜多院の紅葉山庭園/中院の庭園、熱海の起雲閣、旧芝離宮恩賜庭園、小石川後楽園、清澄庭園、浜離宮、六義園、新宿御苑、日本三名園:金沢兼六園・岡山後楽園・偕楽園等、全国各地の庭園も紹介しており、「日本庭園のカテゴリ分け(庭園分類)」に関しても記載しております(更新中あり)ので、下記一覧表をご活用いただき、ご参照頂けますと幸いです。
また、諏訪大社や熱田神宮、大宮氷川神社、川越氷川神社、川越喜多院、日光の二社一寺、久能山東照宮、浅草寺、深大寺、神田明神、大國魂神社等々、有名何処の神社仏閣に加え、日本三大怨霊 / 日本三大八幡 / 神社の社格 / 神社のカテゴリー分類と言った内容に関する考察の記事も記載しております。以下に、本ブログで記載した(一部記載が追い付いていない神社仏閣もありますが…)祭神の系統や社格(神社)や宗派(仏閣)といった切り口で、マトリックス上にまとめた一覧表を共有させて頂きますのでご参照頂けますと幸いです。また、今後調査や訪問を行い、本ブログで記載していきたいと思って折りますので、「更新中」である事を予めご容赦頂けますと幸いです(画像では見にくいので、クリック頂くとpdfのファイルが開く様になっております)。