お城を楽しむ:現存4御殿とは? 何処のどんなお城? 概要と見所は? (川越城本丸御殿・掛川城二ノ丸御殿・二条城二ノ丸御殿・高知城本丸御殿)

現存4御殿

【はじめに】

こちらのページでは、江戸期以前から存在する『現存12天守』も有名ですが、もうひとつの切り口である『現存4御殿』に焦点を絞り、それぞれのお城の概要を含め、大人散策情報を記載させて頂こうと思います。

📚本記事で得られる情報📚
現存4御殿」とは?(国宝5天守/現存12天守含む一覧表あり)
それぞれの「現存4御殿」の概要(川城城・掛川城・二条城・高知城、それぞれの詳細ページへのリンクあり)

そもそもですが、皆様は「現存4御殿」なるワードを聞いた事はございますでしょうか? お城好き、歴史好きの方であれば、多くの方が耳にした事はあると思い、それぞれのお城に関し、詳しくご存じな方も多いと存じます。日本100名城や続日本100名城国宝5天守現存12天守三名城三大山城三大湖城三大水城(海城)三大連立式平山城三大平山城三大平城と言った切口に加えて、旧国宝24城(個人的なネーミングかもしれませんが…)・五大山城 / 五大山岳城と言った様な、お城のカテゴリ分けが存在しますが、そもそも「御殿」とは『「藩の政庁や城主の公邸を主な目的として、多くのケースは城内に建てられた建物」と理解しており、その中でも、江戸期以前に建てられ、今尚現存している4つの建造物(=御殿)を「現存4御殿」と言う』と理解しております。言い換えれば、現存12天守が、お城の主役(主役の中の主役は、国宝5天守ですが…)」であれば、「現存4御殿は、お城が政治の場であったことを示す、日本に4か所しかない貴重な痕跡」だと思った次第です。

こちらのページでは、そんなお城が政治の場であったことを示す、日本に4か所しかない貴重な痕跡である『現存4御殿』に焦点を絞り、それぞれのお城の概要を含め、大人散策情報を記載させて頂きますので、以下ご参照頂けますと幸いです。

【「現存4御殿」とは?】

上記、現存4御殿は、お城が政治の場であったことを示す、日本に4か所しかない貴重な痕跡と記載いたしましたが、「現存4御殿はどのお城にあり、御殿のイメージってどんな感じ?」と質問されたら、どの程度の回答が出来ますでしょうか? 私の場合は、それぞれ実際に訪問しておりますが「現存4御殿があると言われるお城の名前と所在地」を回答する程度の知識でしたので、まずは、その基本情報から抑えさせて頂きます。最初に以下、現存4御殿の一覧をご参照ください(国宝5天守現存12天守との切り分けが分かるよう、これらも一覧に組み込みました)

No.城名 *天守築城年*所在地国宝5天守現存12天守現存4御殿
4弘前城 *1810年*青森県弘前市  
19川越城埼玉県川越市  
29松本城  *大天守:1615年・乾小天守:1591-92年*長野県松本市 
36丸岡城 *1624年-1644年*福井県坂井市  
42掛川城静岡県掛川市  
43犬山城  *1601年*愛知県犬山市 
50彦根城  *1606年*滋賀県彦根市 
53二条城京都府京都市  
59姫路城  *1601年*兵庫県姫路市 
64松江城  *1607年*島根県松江市 
68備中松山城  *1681年*岡山県高梁市  
78丸亀城  *1660年*香川県丸亀市  
81松山城  *1852年*愛媛県松山市  
83宇和島城  *1666年*宇和島市  
84高知城  *1747年*高知県高知市 
現存12天守国宝5天守・現存4御殿の一覧 (自身で作成した「日本100 名城 & 続日本100名城(+α)」の一覧ファイルより、抜粋 (情報もとは、Wikipediaより)

多数の皆様がご存じのお城の名前が並んでいると思いますが、現存天守は : 12天守国宝天守は:5天守、そして現存御殿 : 4御殿 となり、「現存4御殿」がいかに貴重な建造物か、ご理解頂けるのではないかと思います。そしてその具体的な「現存4御殿」は、上記一覧の通り「川越城本丸御殿」・「掛川城二ノ丸御殿」・「二条城二ノ丸御殿」・「高知城本丸御殿」の4御殿になります。ちなみに、高知城には、現存12天守の一つである天守もありますので、現存12天守と現存4御殿が、本丸に同居している日本で唯一のお城になる訳です。

現存4御殿の川越城本丸御殿」・「掛川城二ノ丸御殿」・「二条城二ノ丸御殿」・「高知城本丸御殿に関しては、以下の段落で今少し記載いたしますので、先に、御殿のイメージを持っていただく意味も込めて、現存ではありませんが、これまでお伺い致しました御殿(復元)につき記載いたします。それは名古屋城本丸御殿」・「熊本城本丸御殿です。

ご承知の通りかもしれませんが、「名古屋城本丸御殿」は、二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧と評価され、戦前には、本丸御殿障壁画が、国宝(旧国宝)にも指定されていたようです。非常に残念な事に、戦火に巻き込まれ、焼失してしまいましたが、2018年には、復元された御殿の一般公開を開始されました。ちなみに、基本、城主(藩主)が居住するのが御殿のはずですが、ここ名古屋城の場合は、「将軍上洛時の専用宿舎」となり、改造され、それ以後、藩主は二之丸御殿に居住したと言われている様です。ただし、本丸御殿を使った将軍は、秀忠、家光、家茂の3人のみが、上洛の途中に宿泊しているだけらしいです…(なんとまあ「もったいない…」と言った感じですが…)。

また「熊本城本丸御殿」は、2016年の熊本地震以降、入城を制限してる認識ですが、前年の2015年にお伺いする機会がありました。名古屋城の本丸御殿に負けない豪華絢爛さで、特にその本丸御殿のなかでも、一番格式が高い部屋といわれている「昭君之間」は圧巻の一言。一説には、『「昭君之間」=「将軍之間」』とも言われている様で、加藤清正が、豊臣秀頼(秀吉の跡継ぎ)を大阪で不測の事態が起こった際、熊本城に迎え入れるために用意したという説もあるそうです。

いかがでしょうか? 個人的印象で恐縮ですが、名古屋城本丸御殿」・「熊本城本丸御殿」は、「これぞ殿様の公邸・御殿のイメージ!」といった印象を持っている次第です。

■ 城郭一覧リスト(HTML.ver) 日本100 名城 続日本100名城(+α) 継続的に更新中!

No.城名 *天守築城年*所在地(都道府県)所在地(市町村)国宝5天守現存12天守現存4御殿旧国宝24城三(大)名城三大山城三大水城三大連立式平山城三大平山城三大平城三大湖城日本五大山城日本五大山岳城(勝手に)日本三大 “岩” 山城(仮)武田三堅城日本100名城続日本100名城備考
1根室半島チャシ跡群北海道根室市
2五稜郭北海道函館市紹介記事あり
3松前城北海道松前町紹介記事あり(最新の日本式城郭の1つ)
4弘前城 *1810年*青森県弘前市紹介記事あり
5根城青森県八戸市
6盛岡城岩手県盛岡市
7多賀城宮城県多賀城市
8仙台城宮城県仙台市紹介記事あり
9久保田城秋田県秋田市
10山形城山形県山形市
11二本松城福島県二本松市
12会津若松城福島県会津若松市紹介記事あり
13白河小峰城福島県白河市
14水戸城(弘道館)茨城県水戸市三ノ丸・弘道館は戦後重要文化財に
15足利氏館(鑁阿寺)栃木県足利市
16箕輪城群馬県高崎市
17新田金山城群馬県太田市
18鉢形城埼玉県寄居町紹介記事あり
19川越城埼玉県川越市紹介記事あり
20佐倉城千葉県佐倉市
21江戸城東京都千代田区紹介記事あり
22八王子城東京都八王子市紹介記事あり
23小田原城神奈川県小田原市紹介記事あり
24武田氏館(躑躅ヶ崎館・武田神社)山梨県甲府市紹介記事あり
25甲府城(舞鶴城) 山梨県紹介記事あり
26松代城長野県長野市紹介記事あり
27上田城長野県上田市紹介記事あり
28小諸城長野県小諸市紹介記事あり
29松本城 *大天守:1615年・乾小天守:1591-92年*長野県松本市紹介記事あり
30高遠城長野県伊那市紹介記事あり
31新発田城新潟県新発田市
32春日山城新潟県上越市紹介記事あり
33高岡城富山県高岡市
34七尾城石川県七尾市紹介記事あり
35金沢城石川県金沢市紹介記事あり
36丸岡城 *1624年-1644年*福井県坂井市紹介記事あり
37一乗谷城福井県福井市紹介記事あり
38岩村城岐阜県恵那市紹介記事あり
39岐阜城岐阜県岐阜市紹介記事あり
40山中城静岡県三島市
41駿府城静岡県静岡市
42掛川城静岡県掛川市紹介記事あり
43犬山城 *1601年*愛知県犬山市紹介記事あり
44名古屋城愛知県名古屋市紹介記事あり
45岡崎城愛知県岡崎市
46長篠城愛知県新城市
47伊賀上野城三重県伊賀市
48松阪城三重県松阪市
49小谷城滋賀県長浜市紹介記事あり
50彦根城 *1606年*滋賀県彦根市戦前は国宝ではなかったらしい
51安土城滋賀県近江八幡市紹介記事あり
52観音寺城滋賀県紹介記事あり
53二条城京都府京都市紹介記事あり
54大阪城大阪府大阪市紹介記事あり
55千早城大阪府千早赤阪村
56竹田城兵庫県朝来市
57篠山城兵庫県丹波篠山市
58明石城兵庫県明石市
59姫路城 *1601年*兵庫県姫路市世界遺産・紹介記事あり
60赤穂城兵庫県赤穂市
61高取城奈良県高取町紹介記事あり
62和歌山城和歌山県和歌山市紹介記事あり
63鳥取城鳥取県鳥取市
64松江城 *1607年*島根県松江市紹介記事あり
65月山富田城島根県安来市紹介記事あり
66津和野城島根県津和野町
67津山城岡山県津山市紹介記事あり
68備中松山城 *1681年*岡山県高梁市紹介記事あり
69鬼ノ城岡山県総社市
70岡山城岡山県岡山市隣接の後楽園も紹介中
71福山城広島県福山市紹介記事有り
72郡山城広島県安芸高田市
73広島城広島県広島市紹介記事あり
74岩国城山口県岩国市
75萩城山口県萩市
76徳島城徳島県徳島市
77高松城香川県高松市紹介記事あり
78丸亀城 *1660年*香川県丸亀市紹介記事あり
79今治城愛媛県今治市紹介記事あり
80湯築城愛媛県松山市紹介記事有り
81松山城 *1852年*愛媛県紹介記事あり
82大洲城愛媛県大洲市紹介記事有り
83宇和島城 *1666年*愛媛県宇和島市紹介記事あり
84高知城 *1747年*高知県高知市紹介記事あり
85福岡城福岡県福岡市
86大野城福岡県太宰府市
87名護屋城佐賀県唐津市
88吉野ヶ里(吉野ヶ里歴史公園)佐賀県吉野ヶ里町
89佐賀城佐賀県佐賀市
90平戸城長崎県平戸市
91島原城長崎県島原市
92熊本城熊本県熊本市紹介記事あり
93人吉城熊本県人吉市
94大分府内城大分県大分市
95岡城大分県竹田市
96飫肥城宮崎県日南市
97鹿児島城鹿児島県鹿児島市
98今帰仁城沖縄県今帰仁村
99中城城沖縄県中城村
100首里城沖縄県那覇市紹介記事あり
101志苔館北海道函館市
102上ノ国勝山館北海道上ノ国町
103浪岡城青森県青森市
104九戸城岩手県二戸市
105白石城宮城県白石市
106脇本城秋田県男鹿市
107秋田城秋田県秋田市
108鶴ヶ岡城山形県鶴岡市
109米沢城山形県米沢市
110三春城福島県三春町
111向羽黒山城福島県会津美里町
112笠間城茨城県笠間市
113土浦城茨城県土浦市
114唐沢山城栃木県佐野市
115名胡桃城群馬県みなかみ町近隣の小川城・猿ヶ京城と共に紹介記事あり
116沼田城群馬県沼田市紹介記事あり
117岩櫃城群馬県東吾妻町紹介記事あり
118忍城埼玉県行田市紹介記事あり
119杉山城埼玉県嵐山町比企城館跡群・紹介記事あり
120菅谷館埼玉県比企城館跡群・紹介記事あり
121本佐倉城千葉県酒々井町
122大多喜城千葉県大多喜町
123滝山城東京都八王子市紹介記事あり
124品川台場東京都港区
125小机城神奈川県横浜市
126石垣山城神奈川県小田原市
127新府城山梨県韮崎市紹介記事あり
128要害山城山梨県甲府市紹介記事あり
129龍岡城長野県佐久市紹介記事あり
130高島城長野県諏訪市紹介記事あり
131村上城新潟県村上市
132高田城新潟県上越市
133鮫ヶ尾城新潟県妙高市
134富山城富山県富山市
135増山城富山県砺波市
136鳥越城石川県白山市
137福井城福井県福井市紹介記事あり
138越前大野城福井県大野市紹介記事あり
139佐柿国吉城福井県美浜町
140玄蕃尾城福井県敦賀市
141郡上八幡城岐阜県郡上市
142苗木城岐阜県中津川市紹介記事あり
143美濃金山城岐阜県可児市
144大垣城岐阜県大垣市紹介記事有り
145興国寺城静岡県沼津市
146諏訪原城静岡県島田市
147高天神城静岡県掛川市
148浜松城静岡県浜松市紹介記事あり
149小牧山城愛知県小牧市
150古宮城愛知県新城市
151吉田城愛知県豊橋市
152津城三重県津市
153北畠氏館三重県
154田丸城三重県玉城町
155赤木城三重県熊野市
156鎌刃城滋賀県米原市
157八幡山城滋賀県近江八幡市
158福知山城京都府福知山市
159芥川山城大阪府高槻市
160飯盛城大阪府大東市
161岸和田城大阪府岸和田市
162出石城・有子山城兵庫県豊岡市
163黒井城兵庫県丹波市
164洲本城兵庫県洲本市
165大和郡山城奈良県大和郡山市紹介記事あり
166宇陀松山城奈良県宇陀市
167新宮城和歌山県新宮市
168若桜鬼ヶ城鳥取県若桜町
169米子城鳥取県米子市
170浜田城島根県浜田市
171備中高松城岡山県岡山市中国大返し
172三原城広島県三原市
173新高山城広島県
174大内氏館・高嶺城山口県山口市
175勝瑞城徳島県藍住町
176一宮城徳島県徳島市
177引田城香川県東かがわ市
178能島城愛媛県今治市
179河後森城愛媛県松野町
180岡豊城高知県南国市
181小倉城福岡県北九州市
182水城福岡県大野城市
183久留米城福岡県久留米市
184基肄城福岡県/佐賀県基山町
185唐津城佐賀県唐津市
186金田城長崎県対馬市
187石田城(=福江城)長崎県五島市紹介記事あり(最新の日本式城郭)
188原城長崎県南島原市
189鞠智城熊本県山鹿市
190八代城熊本県八代市
191中津城大分県中津市紹介記事あり
192角牟礼城大分県玖珠町
193臼杵城大分県臼杵市
194佐伯城大分県佐伯市
195延岡城宮崎県延岡市
196佐土原城宮崎県宮崎市
197志布志城鹿児島県志布志市
198知覧城鹿児島県南九州市
199座喜味城沖縄県読谷村
200勝連城沖縄県うるま市
松山城(武蔵国)埼玉県吉見町比企城館跡群・紹介記事あり
膳所城滋賀県大津市紹介記事あり
長浜城滋賀県長浜市紹介記事あり
谷戸城山梨県北杜市紹介記事あり
小倉城(武蔵国)埼玉県ときがわ町比企城館跡群・紹介記事あり
難波田城埼玉県富士見市紹介記事あり
下田城静岡県下田市紹介記事あり
深大寺城東京都調布市紹介記事あり
古城山(角館城址)秋田県仙北市紹介記事あり
河越氏館跡埼玉県川越市紹介記事あり
武蔵丘陵森林公園内・山田城/山崎城埼玉県東松山市森林公園の記事内で記載
岩殿城(岩殿山城)山梨県大月市紹介記事あり
久能山城静岡県静岡市紹介記事あり
平井城群馬県藤岡市紹介記事あり
屋嶋城香川県高松市紹介記事有り(古代山城)
城郭一覧リスト(HTML.ver):それぞれのリンクより、本ブログで記載している詳細ページに、飛ぶことができます

■ 城郭一覧リスト(PDF.ver) も併せてどうぞ!

【それぞれの「現存4御殿」】

上記、「『現存4御殿』は具体的に、何処のお城にあるのか?」、「現存4御殿以外の復元御殿:名古屋城本丸御殿熊本城本丸御殿で、御殿のイメージづくり」といった内容で記載させて頂きましたが、こちらのパートでは、それぞれの現存4御殿を見て行きたいと思います。なお、御殿が存在するそれぞれのお城に付いても、別記事で詳細情報も記載しておりますので、併せてご参照頂けますと幸いです。

川越城本丸御殿 

元々、川越城は、享徳の乱(関東における戦国時代の始まりを告げる「鎌倉公方(後に初代古河公方)・足利氏」と「関東管領・山内上杉氏」の戦い)に際し、1457年に山内上杉氏が、太田道真・太田道灌父子に命じ、築城させ、自ら城主となった事に始まる様です。本ブログ別記事でも紹介しておりますが、同じ年に、同じ目的で、同じ様な地形の場所(武蔵野台地のへり)太田道灌によって江戸城も築城されている事から「江戸城川越城は『兄弟城』」だと思っているのですが、江戸城川越城の「江戸時代のつながり」だけでなく、「この生い立ち」から考えても、江戸城川越城の繋がりの深さを感じるのでないかと思います。

そんな川越城に現存する「本丸御殿」。現存するのは、写真の通り、当時の1/5(5分の1)くらいのエリアの様ですが、1848年 、越前松平家の松平斉典により、1846年 二の丸にあった御殿が焼失した為、本丸御殿の再建が行われたそうです。玄関/車寄せの唐破風は、中々の迫力で、川越城の風格を感じる物内部は、「玄関・大広間部分・家老詰所」のみの1/5程度になったとはいえ、現在の感覚では、かなりのサイズ。幕末の川越城を重要視していた心持を感じる事が出来る空間です。また、家老詰所には、江戸湾警備の相談を模した人形の展示があったり、大広間には、一時期、川越高校の講堂として使用されていたとの事で、天井にはボールの跡があったりします…。言い換えると、二条城二の丸御殿名古屋城本丸御殿熊本城本丸御殿のそれと違い、もっと実務よりの御殿の姿が川越城本丸御殿にはあるという印象を持っております。

また、川越は、「蔵の街・小江戸川越」とも言われ、写真の通りの観光地。私達夫婦の居住地でもあるので、喜多院川越氷川神社等の各種川越観光スポットや、川越のおすすめ大人レストラン川越にある古墳 / 洋館 / 博物館川越まつり等の記事も多数別記事で記載しておりますので、「川越城本丸御殿の見学+川越観光」を楽しんでみては、いかがでしょうか?

掛川城二の丸御殿

静岡県掛川市にある掛川城。以下に記載する高知城山内一豊つながりで、現在の天守も高知城に似ている事で有名なお城と認識しています。その掛川城の二の丸に掛川城二の丸御殿」があります。1854年の地震を経て、1861年に再建されたとの事の様ですので、江戸時代が1868年までとするのであれば、本当に幕末も幕末のタイミングで再建された現存御殿になる様です。

個人的な印象は、現存4御殿の中でも最も小ぶりで、藩の格を考えれば当然かもしれませんが、最も地味な印象(失礼だったらすいません…)。しかしそこは、藩の政庁であり、城主の公邸。派手さはなくとも凛とした佇まいは、中々のものだった記憶です。また、内部は山内家を押し出した展示をされていました(NHKの大河ドラマ・功名が辻の放送の翌年の訪問だったからでしょうか…)。御殿の再建当時の藩主は、太田氏(太田道灌の流れをくむ一族)だった認識ですので、山内家はあまり関係ないのでしょうが、「掛川城と言えば、山内一豊」なんでしょうか? 掛川城の城郭の基本は、一豊の時代のものらしいですし…。いずれにしても、現在では、国の重要文化財である「現存4御殿」の掛川城二の丸御殿高知城似たフォルムの天守は勿論、この「現存4御殿・掛川城二の丸御殿」も併せて見学されてみてはいかがでしょうか?

二条城二の丸御殿 

現存4御殿の主役の中の主役が「二条城二の丸御殿」の認識です。現在見られる御殿は、修理・修繕は重ねているのでしょうが、1626年に建てられた建造物として理解されているようですので、他の現存4御殿と重ねてきた歴史が違います。

二条城と言うお城全体としてその歴史を見てみると、「家康が、征夷大将軍になった場所」であり、「徳川家康と豊臣秀頼が会見した場所」であり(現在見られる御殿はその後に建てられたものですが…)、「慶喜が、大政奉還を決意した場所」と言う理解をしておりますので、二条城は「江戸じゃないのに、江戸の始まりと終わりを見届けた場所」と思っている次第です。

二条城二の丸御殿に目を向けると、建造物その物も豪華絢爛の一言正門の茅が整った屋根と見事な彫刻に飾られた「唐門に始まり、菊の紋章が飾られた「車寄せ・遠侍の外観は、誰もが目にしたことがある二条城二の丸御殿の顔だと思いますし、内部では、狩野派の手による障壁画は圧巻の物。名古屋城/熊本城本丸御殿は、新しい分、金が色鮮やかに感じますが、二条城のそれは歴史を重ねている為か、重厚感を感じてしまい、威圧的な印象さえ感じる感覚を記憶しております。

そして、二条城と言えば、上記にも少し記載しました「大政奉還」二条城二の丸御殿の大広間にも、教科書にも記載のある「大政奉還の意思を諸侯に伝える慶喜」を表現した展示があります(ありました?)。正直、事実は調査不足なのですが、『大政奉還の意向を、松平容保等の主要人物に、慶喜より(大広間の1つ奥にある)「黒書院」で伝えた後(翌日?)、老中が「大広間」で当時京都にいた諸侯の重臣にその意思を伝えた』と言う話もある様です。言い換えますと、「慶喜が大政奉還を決意したのは『黒書院』だったが、展示は『大広間』になっている」という事の様です。

正直個人的には、黒書院でも、大広間でもどちらでも良いと思っておりますが、大切な事は、『ここ二条城は、家康の将軍宣下」や「家康・秀頼の会見」、「大政奉還」といった歴史的な事象があった空間という事で、取り分け(詳細な場所は別として)大政奉還の意思表示が二の丸御殿で行われて、その同じ空間に足を運ぶ事ができるのは、歴史好きの人にとっては、たまらない空間』という認識をさせて頂いた次第です。芸術性が高く、格式も高い雰囲気を感じつつ、上記の様な歴史の大イベントに思いを馳せつつ大人散策できる空間が、二条城二の丸御殿だと改めて思った次第です。

尚、上記の通り、二の丸御殿だけでもお腹一杯になってしまいそうですが、外には天守台もあれば、二の丸庭園もあります京都の街も大人散策すべきだと思うので、大変かもしれませんが、少なくとも二条城に脚を運んだ際には、二の丸御殿二の丸庭園を中心に、二条城全体の大人散策と、できれば京都の街の大人散策を実行すべきと思ってます!

高知城本丸御殿 

現存12天守と現存4御殿の両方が残る、日本で唯一のお城関ヶ原の功で、土佐一国を拝領した山内氏の居城で、前任地の掛川城の現在の天守(天守は復興天守ですが、御殿は現存4御殿の1つです)と似ている事でも有名な認識です。

現在の天守は、江戸中期(1750年位)の火災があった後に、再建された天守の様で、同様のタイミングで本丸御殿も再建された認識です。つまり、250年以上の現存12天守と現存4御殿といった建造物を同時に拝見、体感できるお城が、高知城という理解をしている次第です。

実際に訪問するとその歴史と格式を感じずにはいられない空間です。高知では、幕末有名人(山内容堂や坂本龍馬等)に思いを馳せつつ高知市内の観光も良いと思いますし、桂浜も中々の大人観光スポットだと思いますので、併せて訪れてみてはいかがでしょうか?

【最後に】

以上が、江戸期以前から存在する『現存4御殿』に焦点を絞り、それぞれのお城の概要を含め、大人散策情報を記載」させて頂いた内容になります

江戸期からその地にある「現存4御殿」。天守に比べると少し地味な印象もあるかもしれませんが、現存天守が12城なのに対し、現存御殿は4城。単純な比較ではありませんが、貴重な日本の歴史の痕跡だと思っております。有形の物なので、いつかはなくなってしまうのかもしれませんが、今の現存4御殿は、現存12天守同様、日本の宝であることは間違いないので、これからも大切にして行くべきだと改めて思った次第です。

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